鉄鎖の鳥籠 114

禁転載

広い部屋は薄ら寒かった。
雫は夜着のままの体を震わせたが、あからさまに寒がるようなことは出来ない。
石床についた両膝からしんしんと冷えが染み渡って風邪を引きそうな気がしたが、彼女は出来るだけ表情に出さないようそれを堪えた。
紗幕の向こうにいるであろう主君に向って頭を垂れる。
「侵入者は七人を殺害している。にもかかわらず君だけは無事だ。これはどういうことなのかな」
「賊は……陛下の部屋を聞いてきました。それに分からないと答えただけです」
「ふむ? そして顔も分からないと」
「……はい」
ベエルハースの声は重い。雫は眠気と寒気が混じりあって傾きそうになる体を何とか保った。

侵入し逃げ出した少年。かつて一度会っただけの彼について雫は証言を濁してしまった。
何故なのかは自分でもよく分からない。後から思えばターキスやリディアに迷惑がかかるからと思ったのかもしれないが断言は出来なかった。
だが、そんな雫の様子を兵士たちは不審に思ったらしい。
彼女こそが賊を手引きしたのではないかと疑う者が出て、雫はそのまま王の部屋へと引き立てられたのだ。
寝所にいるままのベエルハースは、臣下たちからの報告を一通り聞いてしまうと雫からも話を聞く。
しかしそれに答える彼女の声はいつになく不明瞭なものだった。様子のおかしい女に王は溜息をつく。
「雫、君はお湯を沸かしてから怪しい物音を聞いて見に行ったと言ったね」
「はい」
「その後見回りの兵士が君を見かけて確保するまでの時間、これはちょっと長すぎないかな?
 お湯は大分減っていたというよ。私の部屋を聞かれてそれに答えるだけで、そこまでの時間がかかるかな」
「何度も聞かれましたから……。それに、そんなに長くは話していません」
事実あの少年と会話を交わしていたのはせいぜい五分程だろう。誘導尋問をされているのかもしれない。雫はぼやけがちな意識を引き締めた。
王の質問は少しの沈黙を置いて続けられる。
「賊は他に何を言っていた?」
「何も。王の部屋は何処だとだけです」
「嘘をついていないかい? 雫。出来れば君に強引な聞き方をすることはしたくないんだが」
優しく、だが諭すようなベエルハースの声に雫は眉を曇らせた。
何処まで話せばいいのだろう。話していいかも分からない。この暗殺未遂はティゴールの手によるものなのかもしれないなどということを。
少年は依頼人の名を知らないと言ったが、王を暗殺しようとする目的を伝えれば、ティゴールが疑われる可能性は高いのだ。
本当かどうかも分からないそれを、果たしてベエルハースに伝えてもいいのだろうか。
雫はもう何度目かも分からない迷いを抱き……けれど不意にあることを思い出した。
王を殺すという少年に、彼女は「自分が掛け合うから」と言ったのだ。
ならば今は―――― それを実行するチャンスではないのだろうか。
雫は意を決すると顔を上げた。ベエルハースの姿を隠す紗幕を真っ直ぐに見つめる。
「陛下。そう言えば賊は、ファルサスがまもなくロスタに侵攻すると言っておりました」
「ファルサスが?」
「はい」
同席する臣下たちにざわめきが広がっていく。雫はその反応にほっと胸を撫で下ろした。
これを聞いてベエルハースが何らかの手を打ってくれるのなら、それで全てが収まるかもしれないのだ。
ロスタが城によって救われるのなら王を暗殺する必要はなくなる。
後の問題はオルティアだけだが、そちらは駄目元でも自分が何とかしてみようと思っていた。
雫は王の次の言葉を期待して紗幕を凝視する。
だが、ややあってベエルハースが口にしたのは人払いの命だった。雫と、二人の側近らしき男だけが部屋の中に残される。
その内の一人、魔法士らしき壮年の男は先程から夜着一枚の彼女に粘着質な視線を絡めていた。
何ともいえない気分の悪さに雫はその男と目を合わせることを嫌って前だけを見つめる。
何故人払いの後、自分が残されるのか。
彼女は理由を予想しながらもそうでなければいいと願った。紗幕が引かれ、寝台の奥に座るベエルハースの姿が顕になる。
「さて雫。これで話しやすくなったかな? 今度こそ素直に話して欲しい。―――― 暗殺を手配したのはティゴールか?」
核心を突く言葉に雫は戦慄した。喉の奥で息を飲み込む。
動転する彼女を前に王は、いつかと同じく穏やかさの奥に威圧をこめた微笑を浮かべていた。

「雫」
「は、はい!」
問われた内容に思わず自失してしまった雫は、重ねて名前を呼ばれ飛び上がった。
ベエルハースはそんな彼女を表情だけは優しく眺める。
「私を裏切らないで欲しい。正直に言ってくれればいいのだよ。君はティゴールに頼まれて賊を中に引き入れたのか?」
「ちが……っ、違います! 本当にたまたま出くわしただけで……」
「なら何故ロスタの話を? 脈絡がなさすぎるだろう。君は城内でティゴールとも顔をあわせている。
 その縁でよく知らずに怪しい人間を入れてしまったのではないか?」
不味い流れだ。雫は王以外の男二人から突き刺さる視線に背筋を冷やす。
このままでは彼女のものではない罪まで負わされかねない。彼女は苦渋を浮かべると短い間に判断を下した。
ベエルハースを信じて可能な限り、聞いたことをありのまま話すという判断を。
「私が賊を引き入れたのでは誓ってありません。ただ、他にもいくつかのことを聞いたことは確かです。
 真偽の分からぬことで領主の方に疑惑をかけていいものか迷い……」
「いいよ。君は優しい子だからね。―――― 何を言っていたのか教えておくれ」
雫は頷くと内容を選んで話し始める。
賊が王の暗殺を目的に侵入してきたこと。暗殺の理由は王が国によくない影響を与えるからだということ。
他にはファルサスがロスタに侵攻する予定だということ。王が死ねばその混乱の間にロスタはファルサスに降伏するということ。
それらのことを彼女は要点を押さえて王に説明した。相手が既知の人間であったことは伏せたが、これは伏せても問題ないところだろう。
全てを聞き終わるとベエルハースは納得したのか大きく頷く。
「なるほど。怖い目にあわせてしまったね」
「滅相もございません。陛下」
「構わないから今日はもう下がってゆっくり休みなさい」
温情ある言葉に雫は深々と頭を下げた。冷え切った膝を伸ばして立ち上がる。
犯人がティゴールかそうでないかは分からない。だがこれで、事態はよい方へと動くのではないか。
雫は王の対処に一縷の望みをかけて踵を返した。退出しようと扉へ向う彼女の耳に、けれど魔法士の男の潜めた声が届く。
「陛下、このようなことになるならば、予定よりは早いですがオルティア様をファルサスに……」
「ジレド」
発言を遮る声。だが、その時雫は既に足を止めていた。ゆっくりと王を振り返る。
「……陛下?」
オルティアを、妹をどうするつもりなのか。雫は疑惑になりきれない疑問を抱いてベエルハースを見やる。
普段と同じように微笑む王。しかしその瞳の奥に「何か」を見た雫は―――― ふとその時「王によって国が蝕まれる」という少年の言葉を思い出したのだ。

思えば、あの少年が言っていたように「王の死によって城に混乱を及ぼす」ことが主目的なら、何故「王が生きていると国が傾く」などとも主張したのだろう。
それは普通なら、オルティアに対して言われる言葉だ。
もし犯人がティゴールであるのなら尚更、彼は当初オルティアにこそ面会を求めていたのだから。
だが、ティゴールはおそらくベエルハースと対面して、その後に「王が国を傾ける」と判断した。ロスタを犠牲にする姫ではなく、その兄を。
これは何を意味しているのか。雫は理解する未来をすぐ先のことと予感しながら王を見つめる。
「陛下、姫をどうされるのです」
「どうとは? どうかしたのかい、雫」
「今、そちらの方が仰っていましたよね。姫をファルサスにどうこうする予定だったと」
ベエルハースは笑顔だ。
けれどそれは今、貼り付けたような表情にも見えた。第一この会話で彼が笑っているということ自体、既に違和感を覚える。
雫は冷えた体温が戻らない体を震わせた。
何だかおかしな空気だ。
だが聞かなかった振りをして立ち去ることはどうしても出来なかった。聞き逃せないことが、すぐ手の届くところにある気がするのだ。
「雫? 怖い顔をしているよ」
「仰ってください。陛下、妹姫をどうなさるおつもりなのです」
「オルティアを? さぁ、どうしてやろう」
王は残る側近二人に顎で軽く彼女の方を示す。それを合図に二人は雫に向った。瞬時に不穏を察した彼女は身を翻す。
しかし、短い魔法詠唱と共に足に何かが絡みついてきた。転びそうになる雫の腕を文官らしきもう一人が捕らえる。
「何を……」
「黙れ小娘。大人しくしていろ」
魔法士の男が薄ら笑いを浮かべながらもう片方の腕を掴んだ。両脇を二人の男に固められ、雫は再び王の眼前に引き出される。
罪人のような扱いを受ける彼女をベエルハースは目を細めて見下ろした。
「君はオルティアに忠実だ。裏切らないで欲しいと言った私の言葉をよく守ってくれている」
「陛下、これはどういうことなのです」
「だから次は、私を裏切らないでいて欲しい。あの子にはもう先がないのだから」
「は?」
動揺も同情も感じさせない王の目。
それを見て、雫は遅ればせながら直感する。―――― いつからか自分が欺かれていたのだということを。
今のベエルハースの貌は妹を慈しむ兄のものではない。子供の欠落を持つオルティアとも違う、「自ら捨てた」者の顔だ。
並べた駒のどれを切ろうか眺める嗜虐。それが自分にもオルティアにも向いていることを悟って雫は唖然とした。微笑のままの男を注視する。
「あなたは姫を……」
「大事には思っているよ。あれは私の考えた通りに育ってくれた。私の大切なお人形だ」
「何を仰っているのです。私に教えてくださったことも嘘だったんですか!?」
オルティアの過去のこと、両親との確執を解きほぐそうとしたこと、幼い頃の彼女にかけていた愛情はどうしてしまったのか。
限界まで目を見開いた雫の叫びに、しかし王は軽く首を傾いだ。
「架空の話だと言っておいただろう? ちゃんと聞いていなかったのかい? 結局あれはただの御伽噺だ。
 現実はもっと単純で―――― つまり、オルティアを攫わせたのは私で、犠牲にするよう両親を説き伏せたのも私だ。
 私があれを裏切って、それを親たちの判断だと喧伝した。そうして戻ってきたオルティアに繰り返し不信を吹き込んだのだよ」