優しい指 122

禁転載

「ティルガ侯が来られました」
文官からの報告にベエルハースは重々しく頷く。
キスクの母体となった三国。その王家筋である三家の当主がこれで全員揃ったのだ。

王が彼らを召集する手筈を整えたのはつい一週間前のことだ。
突然のファルサス侵攻の原因を王妹の悪質な独断に帰しての審議は、一応は制度に則って行われるが、その結論は議論の余地もないほど明確なものに見える。
オルティアの普段の行状は、甥を処刑されたティルガ侯のみならず国内のほとんどの者が知っているのだ。
その為、今回彼女が徒にロスタ領主たるティゴールを召喚した結果、領内の対立やひいてはファルサスを呼び込んだことは、 もはや兄王であっても目に余る、庇いきれない事実となっていた。―――― あくまでベエルハースの計算においては。

王は用意していた書類に自分の名を書くと、それを文官に渡す。
既にティルガ侯以外の二侯は内密の内に二日前から城に滞在しているのだ。 全員が揃ったなら即、審議に入りたい。
オルティアに勘付かれても面倒であるし、何よりもファルサスを止めるには早急な対処が必要だった。
「三侯を集めよ。一時間後に審議を開始する」
懸念事項とも言えない懸念があるのだとしたら、それは妹に仕える平民の娘のことである。
だが、ここ二、三日耳に入る噂では彼女は既に別の庇護者を見つけたらしい。
あの痛みに耐えられなかったのか、オルティアに先がないと分かったのか、ともかく彼女は王の側へと入ったのだ。
彼女が教育係となっていた赤子の行方は現在分からなくなっているが、それはオルティアがファルサス侵攻を知って赤子を隠したか、 あの娘が自分を守る為に隠したかのどちらかだろう。どちらにしてもオルティアがいなくなってからゆっくり探し出せばいい。

長年共にいた妹を切り捨てることに、胸は痛まない。
殺して引き渡そうかとも思ったが、オルティアは若く美しい女なのだ。生かしておいた方が価値もあがるだろう。
これが他の国相手であればもっと迷ったかもしれないが、ファルサス国王は女の甘言に乗せられるような人間ではない。
詳しい事情までは知らぬが、かつて数年間側に置いていた寵姫を「国政に口を挟もうとした」という理由であっさり国外追放した男だ。
オルティアを罪人として引き渡せば罪人以上の扱いは与えないだろう。
ベエルハースは立ち上がると長い王の正装を引いた。傲然と顔を上げ、窓の外を見つめる。
これから、作り上げていくのだ。自分だけの国を。
オルティアを失う分それは容易いものではなくなるだろうが、それでも長らく彼を支配していた劣等感からはようやく逃れられる。
キスクもこれから徐々に変わっていくだろう。
国は決して誰かの玩具などではない。
ただ、人が生きる為に不可欠な道具でしかないのだから。






審議を行う部屋には、既に三侯が集められていた。
一斉に立ち上がり、礼をする三人をベエルハースは王の所作で見やる。

トライフィナと同じキアーフの血を継ぐキアーフ侯は、五十代半ばの落ち着いた男である。
いつも柔和な笑顔を浮かべており寛大さを窺わせる彼だが、その判断は的確だ。
若い頃は城において先代王と共に政を習ったという彼を、ベエルハースは昔から実の叔父のように信用していた。
キアーフ侯も三年前までは、よく眉を顰めてオルティアに忠言していたが、妻の体調が思わしくなく領地に引っ込んでからはほとんど城に顔を出していない。
だが、今回のことでオルティアへの愛想も尽きただろう。そろそろ彼女を国政から遠ざけるべきだと、思っているに違いない。

ラドマイ侯はキアーフ侯と同年代だが、彼とは違い尊大に振舞う態度の裏ではいつもおどおどと状況を窺っている。
今まで一度もオルティアに反したことがないラドマイ侯だが、それは単に彼女が有能な執務者であり、その権力が恐ろしかった為だ。
オルティアに先がないと分かれば自然とベエルハースにつくであろう。よく風向きを見て強者の方につく、ある意味御しやすい男だ。

ティルガ侯は笑顔を作ることなどないのではないかと言われる程の強面の男で、三人の中では一番若い。
だが怖いもの知らずというか相手が誰であっても歯に衣を着せぬ男で、よくベエルハースもオルティアを自由にさせすぎていると諫言されていた。
オルティアもティルガ侯のそういうところが煩わしいらしく、甥を処刑したのも半分程は彼へのあてつけではないかと思われている。
公私共にもっともオルティアの味方をする可能性がない人間が彼だった。

三人のうち二人の同意を得られればオルティアの処分は決する。
しかしベエルハースは三人とも了承を返してくるだろうと思っていた。それくらいオルティアは薬よりも毒薬となりすぎたのである。
王が席につくと三人も座りなおす。側近の文官であるディキが一礼すると長い文章を広げ、召集内容を読み上げ始めた。
現在の状況とオルティアの非を鳴らす整然とした内容に、全員が黙して耳を傾ける。
十五分間に渡る審議内容が読み上げられると、べエルハースは深い溜息をついた。沈痛な光を両眼に湛えて三人を見回す。
「以上の理由により、私、ベエルハース・ネウスキス・ノイド・キスクは
 オルティア・スティス・リン・キスクから王族としての位を剥奪し、ファルサスに罪人として引き渡すことを決した。
 ―――― 制度に則り、卿らに賛否を問いたい」
語尾が震えかけたのは、罪悪感の為ではなく高揚の為だ。
最後の宣言を口にした時、ベエルハースは自分がずっとオルティアを処分したがっていたのだということに、今更気づいた。
こんなことならまだ子供だった彼女が攫われた時、遠慮なく殺害を指示していればよかったのかもしれない。
そうすれば自分はもっと別の人生を送れていただろう。妹に頼りながら、お飾りの王として鬱屈とした思いを抱えるような生ではなく。
だが、もはや言っても詮無いことだ。ベエルハースは哀惜を口元に浮かべる。
まるで妹を切り捨てることを悲しんでいるような王を前に、最初に言葉を発したのは穏健なキアーフ侯だった。
「本当に殿下はそこまでの意図をお持ちだったのでしょうか。ファルサス侵攻までは予想外のことだったのでは?」
「そうだとしたら何故ティゴールを召喚したのかが分からない。彼を遠ざければカソラの対立が酷くなることは明らかだったろう」
ティルガ侯の反論にキアーフ侯は眉を寄せる。
愛妻家で知られる男は優しげな目の中に芯のようなものを宿してベエルハースを見た。
「ティゴールが不在になってロスタの情勢が崩れたというのなら、それは後継者への教育を怠ったティゴールに責があります。
 ファルサス侵攻で殿下に何の利益もない以上、殿下の故意とするには根拠に乏しいと思われますが」
キアーフ侯の問題視している利益のなさ。
これは、ベエルハースがヴィエドの存在を三侯にも隠蔽しているため不明瞭になってしまっているのだが、「ファルサス直系がいる」と教えれば停戦の為にまずその子供を差し出せと言われる恐れがある。ベエルハースはこれからの保険の為にも、出来ればヴィエドを手放したくなかった。
今のところ赤子の存在は当のファルサスでさえ知らないままだ。隠そうと思えばうまく隠すことも出来るだろう。
オルティアがファルサスに何を言おうともしらを切りとおせばいいのだ。―――― ファルサス王には本当に覚えがないのだから。

キアーフ侯の異論に、王は有用な答を返せない。
それを妹庇いたさと王の義務の間での煩悶と見て取ったティルガ侯は、椅子に深く座りなおすと自身の結論を述べた。
「私は、陛下が仰る殿下の処分には賛成だ。この度の責ははっきりしておきたい」
「私は反対する。処分はともかく、キスク王家の姫を罪人としてファルサスに引き渡すことには賛同できない。それではファルサスの軍門に下るようなものだ」
真っ向から分かれたティルガ侯とキアーフ侯の意見に、ベエルハースは内心嘆息した。
反対意見が出たのは残念だが、予想の範囲内と言えば範囲内だ。むしろティルガ侯から確実な賛成を得られたことに満足するべきだろう。
残るラドマイ侯は王と姫が対立するとなれば、権力者である王を支持することは疑いない。
今まではオルティアを恐れながらも王族相手である為、仕方なく要求を聞くこともあった男だ。彼女を排斥できる好機を見逃すはずがなかった。
場の視線が自然とラドマイ侯に集中する。
小太りの男はきょろきょろと部屋を見回すと、喘ぐように小さく口を開いた。
「わ、私は反対だ……」
「何だと!?」
思わず大声を上げそうになったベエルハースは、同様の叫びを一早く上げたティルガ侯に感謝する。
驚きを心中で整理してしまうと、王はラドマイ侯に威のこもった視線を投げかけた。
「さて? 結論だけではなく意見も聞こうか」
「何の意見でございましょうか。兄上」
凛とした声。
あでやかなその響きが、部屋の空気を震わせる。
誰であるのか考えるまでもない。ベエルハースを兄と呼ぶ女は一人しかいない。
王は目を見開いて開けられた扉を見つめる。
三人の大貴族が驚いて振り返った先、文官や衛兵たちの視線までもが集まるその場所には、審議の対象たる一人の女が立っていたのだ。

オルティアは嫣然とした笑みを見せると、優美な足取りで部屋の中に歩み行った。三人の座する中央を抜け王の前に立つ。
「何のお話を、されていたのでしょう。兄上」
「……何故来た。誰から聞いた?」
「これはおかしなことを仰る。妾のことを決めるのでしょう。妾をお呼びになればよろしい」
普段の薄い私服ではなく、薄灰のドレスを纏ったオルティアは華やかな笑顔を見せた。その目が笑っていないと分かるのは正面にいる王しかいない。
―――― いつから、どれだけ情報が洩れていたのか。
ともかく分かることとは、彼女は既に全てを知っているということだけだった。歯軋りするベエルハースにオルティアは目を細める。
「もっとも、既に結論は出ているようでございますが。
 妾は罪人ではございませぬ。兄上には残念な結論でございましょうが……」
王が妹の体越しにラドマイ侯を見やると、男は慌てて目を逸らす。
その挙動が示すことは一つ。つまりはこの審議には既に、彼女からの介入が行われていたということなのだろう。
今まで妹は何も知らないと安堵しきっていたベエルハースは、飲み込みきれない苦味を口内に感じた。舌が砂でもまとわりついたかのようにざらつく。
「オルティア、何をした」
「何も? これからしようかとは、考えておりますが」
「……何をだ」

美しい女だった。
内面の矛盾が、亀裂が、彼女に不安定な妖艶さを与えていた。
それは人に恐怖を呼び起こし、だが目を逸らさせない力だ。 国を傾ける女たちが持つといういびつな美しさ。
彼女の気まぐれに死した人間たちもその美しさを否定することは出来なかっただろう。それくらい彼女には不思議な魅力があった。

だが、今のオルティアは違う。
もっと別種の、晴れた日に咲き誇る花のような空気。自信に満ちた微笑を見て、ベエルハースは戦慄した。
ずっと長い間、我儘で残虐な姫として彼の手元にあった女。
手中にあると思っていたはずの妹は、いまや彼の前に同等以上の存在として立っている。
琥珀色の瞳の中に「敵手」を見る昂然を感じ取った王は、薄い唇をわななかせた。
「オルティア……」
「おそれながら。妾も審議を行いとうございます。兄上」
オルティアは王の返事を待たなかった。ドレスの裾を翻して振り返る。
キスクの妖姫とも謳われる彼女は、傲然と姿勢を正すと兄の肩に手を置き、その隣に立った。
挑戦者が持つような若く熱い目で三人の当主たちを見回す。
「妾……オルティア・スティス・リン・キスクは第一王位継承者として、現王ベエルハースの退位を要求する。
 よって古き法に則り、十二家審議を行いたい。―――― 当主の召集を」

信じがたい言葉。その意味することを悟った時、ベエルハースは椅子を蹴って立ち上がっていた。
半ば衝動的に振り上げそうになった右手を握ると、妹の顔を見下ろす。
「貴様……! 何を以って……」
「この危急時に兄上は、軍を出すこともせず息を潜めてファルサスが過ぎるのを待っておられる。
 これはとうてい大国を預かる王の姿とは思えませぬ。使わぬ兵権ならば玉座ごと妾に頂きたい」
「何を言う! お前がファルサスを……」
「それとも兄上が動かれぬのは、妾を排斥するこの状況こそを望まれてらっしゃったからですか?
 兄上の命でティゴールを幽閉したと申す者がいるようでございますが」
最後の言葉に、部屋の中にいた全員が絶句した。戸惑いと疑いの目がベエルハースに向う。
もし彼が予測外のことであっても落ち着いて対処出来る人間であったなら、この場は平静さを取り戻してオルティアの発言を単なる讒言と嗜められただろう。
だがベエルハースにはそれが出来なかった。
長年抱いていた劣等感が強い動揺をもたらし、結果オルティアの持つ挑戦的な空気に飲まれてしまった彼は何の抗弁も出来なかったのだ。

呻き声に似た呟きを噛む兄を、オルティアは瞬間憐憫の目で見やる。
だがすぐに彼女は王から視線を外すと、呆気に取られている三人を見据えた。
王族が王族たる所以とも言える、力ある声を発する。
「王位継承者からの正式な召集要請だ。これより審議が完了するまで、王と貴侯らが国の決定機関となることを承知せよ」
それは、キスク建国時より残された古い制度の一つだ。
制度上は存在するが、今まで動いたことのない緊急機関を自分たちが担うと知って、三人の男は息を飲む。
オルティアはだが、そんな彼らの緊張をも飲み込む優雅さで笑った。
「さて、まずは現在ロスタにいるファルサスについてだが……妾はこれを軍を以って迎え撃とうと思う。
 キスクは自国に踏み込まれ黙っているような臆病者の国ではない。相手が誰であろうともそれは変わらぬ。
 遊び半分で伸ばされた手は払ってやらねばならぬだろう。さぁ貴侯ら、賛否を申せ」
正式な王が決定するまでの空白期間。
その間も待ってはくれぬだろう敵国への反撃を自国の誇りにかけて問われた三家当主は、ややあって三人ともが賛同を口にしたのである。






「よき……臣を持たれましたな」
虚脱したベエルハースを置いて審議の部屋から出る途中、キアーフ侯に言われたのはそんな言葉だった。
オルティアはそれが誰のことを指すか分かって口ごもる。
早めに到着していた二人の当主。彼らとの交渉にあたったのはオルティアの命を受けた雫であったが、 「ベエルハースの非を鳴らすよう」命じられた雫が実際何を話したのかオルティアは知らないのだ。娘の成長を見るような目で見られて彼女は居心地の悪さを覚える。
「召集はすぐにでも申し伝えますが、実際審議が開かれるまでは早くて一週間を要しましょう。
 周囲が騒々しい時でありますれば、それまで御身にお気をつけ下さい」
「分かった。ありがとう」
自分でも驚くほど素直な返事が出来た。キアーフ侯は穏やかに微笑むと、一礼して去っていく。
「いい人でしたよ。正面から話したら分かってくれましたから」と雫に称された男の背をオルティアは黙って見送った。
最初にかけられた言葉にあった少しの間。その間に彼が本当は何と言いたかったのか、彼女には分かっている。
『よき友人を持たれましたな』と、オルティアには確かにそう聞こえていたのだから。