優しい指 123

禁転載

三家の当主審議が思っていたより早く行われたのには肝を冷やしたが、どうやら無事切り抜けられたようだ。
ファニートから連絡を受けた雫は、安堵の深呼吸をしてヴィエドのところへ向う。途中の廊下でウィレットと一緒になった。
「雫さん、いいことありましたー?」
「うん。いいことあった。無事前期の単位取れたって感じ」
「何ですかそれ」
本番とも言えるのはこれから召集される十二家による審議なのだが、とりあえず今は喜んでもいいだろう。
いつになく嬉しそうな雫にウィレットは首を傾げる。
「ひょっとして好きな人と何か進展があったとかですか? 
 私、雫さんの趣味ってよく分からないっていうかまったく共感できないんですけど。
 あの親父、いえ、あの人って私たちくらいの年の女官にすんごく評判悪いんですよー」
「ああ……そんな感じだね」
元の世界でも即セクハラの悪評が立ちそうなジレドの目つきを思い出して雫は苦笑する。
あんな調子で立場の弱い女官に接していたら、さぞや影で悪口を言われていることだろう。
少しは自粛していれば身を滅ぼさずに済んだのに、と彼女は思ったが同情はしなかった。
雫から「好きな人」としてジレドの名を聞き、それを城内に広めた少女は不満そうに口を尖らせる。
「雫さんはすごーく年上が好みなのかもしれませんけど、それだってもっといい人いっぱいいますよー」
「うん、もういいや」
「今お城にいらしてるティルガ侯だって……って、ええ!? いいんですか!」
「いいの。あんまり価値観が違うから好きじゃなくなった」
自分でも適当すぎると思う返事だったが、見るとウィレットは「そうですよね! やっぱり!」とうんうん頷いている。
その様子が何だか微笑ましくて、雫は「もうあの男はおしまいだからね」という本音を口にせぬまま笑ったのだった。

どこでこうなってしまったのだろう。
今はっきりしているのは、自分があの娘とオルティアに嵌められたのだということだけだった。
三家の当主審議が失敗で終わってからしばく、ベエルハースに呼び出されたジレドは震えながら額を床にこすり付ける。
「へ、陛下……そのようなことはございません! 単なる噂でございます!」
「だが城中の者が知っている。お前があの娘に頼られそれを庇護していたということはな。
 上手く娘を引き込んだと思ったが…………おまえ自身が変節していたとは。私を裏切るとは面白いことをしてくれたな」
おかしいと最初に思ったのは審議が終わった直後、ラドマイ侯に「殿下によろしくご挨拶申し上げてくれ」と言われた時のことだった。
そんなことを言われてもさっぱり心当たりがない。その場にいたベエルハースの不審の目もそう言って逃れた。
何故自分にオルティアへの挨拶を言付けられるのか、疑問が解消したのは三時間後。
怒り狂った王から彼は、自分が何故か「雫を通じてオルティアに情報を流していた人間」とされていることを知ったのだ。
聞けば少し前から雫が彼を頼っているという噂は城内に広まっていたらしい。
ベエルハースもそれを知っていたが、彼女が主君を変えたのだと思って深く気にも留めていなかった。
だが、雫がオルティアを裏切っていないことはもはや明白だ。
彼女こそが審議を前に二侯に接触して、オルティアを処分することの不当と不利益を訴えたというのだから。
そして、肝心の二侯が入城したという情報と、どの部屋に彼らがいるのか雫に教えたのはジレドである―――― そう王に指摘された彼は青くなって否定したが、「そういう情報がいくつも入っている。現にラドマイ侯と娘が会っていたという部屋の近くで、お前と娘が親しげにしていたのを見た者もいる」と返され思わず言葉に詰まった。
あの時雫は「迷子になった」と言っていたが、そうではなかったのだ。彼女はあの部屋でラドマイ侯と交渉をしていた。
遅ればせながらそのことを知ったジレドは、必死でベエルハースに向って「知らなかった」と主張した。
しかし、審議の失敗やオルティアからの挑戦を受けてすっかり熱くなっていた王は聞く耳を持たない。
ベエルハースはもう一人の側近、ディキに命じてある物を持ってこさせる。
「これが何だか分かるであろう? これでも言い逃れをする気か」
「そ、それは! そんな馬鹿な! 何故……」
見覚えのある首飾り。
彼の家に所蔵されているその宝石の装飾部には、贈り主である彼の名と―――― オルティアの名が、忠誠を誓う文句と共に刻まれていた。
信じられないものを見る思いでジレドは食い入るようにそれを見つめる。
確かに雫の名を彫るよう命じたのだ。だが目の前にある宝石には、何度見てもオルティアの名が刻まれていた。
「陛下、ち、違うのです。私は……」
「お前自身が職人を呼んで加工させたと、屋敷の者も証言している」
「いえ! 私が彫らせたのは……」
ジレドが言い終わる前にベエルハースは首飾りを取ると、部下の顔面に向って投げつけた。
高い悲鳴を上げて這いつくばる男に王は唾棄する。
「出て行け。二度と私の前に顔を見せるな!」
「へ、陛下……お待ちを……」
哀願の声にベエルハースは答えない。王は怒り心頭のまま部屋を出て行き、そしてジレドは一人となった。

どうなっているのかは分からない。
分からないが、何者かがジレドの注文を変更させてオルティアの名を彫らせたことは明らかだ。
職人を騙したか脅したか―――― いずれにせよそれが出来るのは、ジレドが宝石を用意すると知っていた人間しかいない。
王の部屋を追い出された男は、一歩一歩に苛立ちと屈辱を込めて城の廊下を歩いていく。
考えるのはただ一人、従順な振りをして彼を陥れた女のことだった。
「あの小娘、よくも……」
まるでつまらない小細工。だがジレドはまんまとそれに引っかかってしまった。
情報を流した者はベエルハースが怒り狂い、落ち着いた判断が出来なくなる時を狙っていたのだろう。
実際彼は王の怒りを買い、排斥されてしまったのだ。
信用を取り戻すには疑いを払拭するだけでは足りない。何かしら別の成果を差し出さねば疑惑は晴れても王の側には戻れないことは確実だった。
その為にもまず、彼を罠にかけた娘を痛めつけて全ての情報を吐かせてやる。
だが、そう思いながら雫を探していた彼の前に現れたのは、皮肉な笑いを見せる魔法士の男だった。
全てを知っているのだろう、嘲りを隠さないニケの態度にジレドは歯軋りする。
「貴様、何しに来た」
「別に。女に騙され破滅したっていう馬鹿を見に来た」
「おのれ……っ」
反射的にジレドは攻撃構成を組みかける。だが、目の前の男が誰であるかを思い出し、彼はそれを堪えた。
ニケは元々、飛びぬけて才能がある少年として早くから宮廷魔法士となった男だ。
途中でオルティアに引き抜かれたが、それまで見せてきた彼の能力はジレドを上回るものであったし、姫の側近となってからは暗殺に特化したという噂もある。
安い挑発に乗って戦闘にでもなれば、痛い目を見るのはジレドの方なのだ。
しかしそれでもただ引き下がることは出来ずに、彼は笑いながら踵を返すニケの後を追った。
城の尖塔へと足を踏み入れ登っていくニケは、追ってくるジレドを振り返って口元を歪める。
「あの宝石は気に入ったか?」
「貴様の仕業か!?」
「さぁ? やることが多くてどれをやったか分からん。ただあの装飾では姫には気に入って貰えぬだろうな。あの方は凡庸を嫌う」
それは肯定と同義だろう。塔の螺旋階段を登っていくニケにジレドは憎悪の目を向けた。一気に駆け上がり距離を詰めると相手の肩を掴む。
「貴様……許さんぞ……お前もあの小娘も!」
「ならどうする?」
突然振り返ったニケの目に、ジレドは瞬間気圧されて息を飲んだ。
自分とは違う場所を渡り歩き、違う仕事を重ねてきた男。
四十過ぎのジレドの半分程の人生しか持たぬこの男は、けれど宮廷でぬくぬくして来た彼とは比べものにならぬくらいの場数を踏んできているのだ。
戦意を煽るような強い視線にジレドは半歩後ずさった。そしてその時、自分たちがいつの間にか塔の大分高い場所にまで来てしまっていることに気づく。
周囲には他に誰もいない。遥か真下の中庭を見下ろして硬直したジレドに、ニケは冷めた笑いを浮かべた。
「さて、王に捨てられ失意のうちの自殺と、女に振られやけになっての自殺、どちらがいい? ……ああ、王の怒りに触れて謀殺されたってのもありか」
「ま、待て、お前」
「魔法士ならば魔法を使え」
抵抗の構成を組む間もなく、ジレドは空中に放り出された。
突然の浮遊感。
頭の中が真っ白になる。
魔法を使わねば、そう思った彼がしぼり出せたのはしかし、何の意味も持たぬ絶叫でしかなかったのだ。



「え、自殺しちゃったの? 本当に?」
「らしいな。俺はどうでもいいが」
会議室の一つにて大きな机いっぱいに地図や書類を広げていた雫は、ニケからジレドの死を聞いて複雑な表情になった。
まずは閑職に回してから、後々穴を掘らせてそれを埋めるだけの単調な仕事でもやらせてやろうかと考えていたのだが、まさか自殺をしてしまうとは思わなかった。責任を感じて彼女は眉を寄せる。
「うーん、同情は出来ないけど、ご冥福をお祈りします」
「何だそれは。まぁ気にしても仕方ないだろう。ああいう奴が生きていると、いちいちこっちの足を引っ張ろうとして鬱陶しい」
「そうかもしれないけど。飛び降りって怖いんだよね。飛び降りたことあるからよく分かる」
「そんなこと分かるな」
ニケは舌打ちすると、当然のように雫が飲もうと思っていたお茶のカップを取り上げた。
彼女はそれに文句を言いかけたが、結局多忙な同僚を慮ると新しいお茶を淹れる為に立ち上がったのである。



十二家当主の召集要請までは滞りなく漕ぎ付けた。
あとは、彼ら十二人の懐柔と平行して、ファルサスと渡り合わねばならない。
ワイスズ砦にはまだ三万の軍が残っている。オルティアはそこに五万の援軍を投入することを決定すると、指揮を執る将軍三人を選んだ。
倍以上の兵力を以ってファルサスを国境線まで押し戻せという命令。それはこの状況では堅実な一手であったろう。
だがその命令を下した矢先、城には「ワイスズ砦が落とされた」という報が飛び込んできたのである。






ワイスズ砦を預かるドルファ将軍は、ファルサス侵攻より十一日、魔法に頼り引きこもるしかない現状を思い、苦渋の表情を隠せないでいた。
いい様に翻弄された緒戦から始まり砦からも何度か出撃を試みたのだが、その都度ファルサス軍にあしらわれ相手に大きな損害を与えることが出来ない。
防御結界がある為、完全に敗北してしまうことはないが、それでも逃げ込む場所もない状況で戦ったらどうなるのか、力の差は歴然だった。
ベエルハースから切られた期限はあと三日であるが、その後どうなるのかは分からない。
だが、このまま何事もなければ王からの命令は無事遂行できるだろう。そのことだけが救いと言えば救いだった。
ドルファは城への定期連絡を指示してしまうと落ち着かなさに窓の外を見る。
実によく晴れた平凡な日。しかし、ファルサス軍が砦に向って布陣を始めたと報告が入ったのは、その一時間後のことだった。



「ファルサスは防御構成の範囲より後ろに布陣しております。おそらくは結界外に我が軍を引き出すのが目的かと」
「他にないであろうな」
砦の建物を中心にその二十倍近い広さを擁する防御結界の中ではファルサス軍は魔法が使えない。
それはキスクからの魔法攻撃を防げないということであり、また攻撃を受けた傷も癒せないというかなりの不利を意味しているのだ。
いくら強国といえどもその状況で正面からは戦えまい。今までもファルサスは、キスクが結界内深くに逃げ込んでしまうと深追いはしてこなかった。
ドルファはいつでも戦えるよう武官たちに指示を出しながら、けれど出撃は見合わせ様子を窺う。
だが、ファルサスは出てこないキスク軍を挑発するかのように、王自らを先頭に出してきたのだ。
―――― 彼一人殺せれば戦況が変わる。
それは明らかな罠だったが、抵抗するには強い誘惑だった。
ドルファは躊躇いながらも砦を出てファルサス軍の正面方向、しかし結界内へ自軍を展開させた。
ファルサス軍の背後には森があり、キスク軍の背後には砦があるが、左右は何もなくひらけた草原となっている。
緒戦時のような丘もなく、よく視線が通るその場所でファルサス二万、キスク三万の軍勢は相対した。
ファルサス軍は結界の境界線に沿うように緩く弧を描いて横に広がっているが、キスクは分断を恐れて自軍を厚く中央に固める。
だが、この場において意味を持つのは陣形よりも防御結界だろう。
キスクはまず狙撃を試して見たが、ラルス自身は結界外にいるため全て魔法の防壁で弾かれてしまった。
眼前まで矢が到達しても涼しい顔をしている若き敵国王に、魔法士の一人は苦虫を噛み潰したような顔になる。
「いかがいたしましょう。将軍」
「……まだ動くな」
ファルサスはキスクを結界の外に出したがっている。そしてキスクはその反対だ。
お互いそれを知っているからこそどちらも容易に動き出せない。
だが、そんな膠着状態を打ち破ったのは、ファルサスの方だった。

それまで魔法を封じられることを嫌って踏み込んで来なかった境界線。
その一線をファルサスはまるで何の影響もないかのように越えて軍を進め始めたのだ。
英断というべきか蛮勇というべきか、咄嗟に意表を突かれたドルファはしかしすぐに気を取り直した。伝令の魔法士に命じる。
「ファルサス国王を魔法で狙い撃て」
これで、勝てるかもしれない。
そんな甘い考えに囚われないわけではなかったが、ドルファは好機を見逃さなかった。
数人で構成した巨大な炎の球が、間を置かずに放たれる。
だがこの時の彼らの意識は、偏っていたと言わざるを得ないだろう。
ファルサス軍の魔法を封じて優位をもぎ取ったキスクは、同じように魔法に対抗する存在がファルサスにあることをすっかり失念してしまっていたのだ。
ラルスは向ってくる炎球に向って両刃の剣を一閃させる。
たったそれだけの何気ない動作。
けれど次の瞬間、まるで吹き消されたかのように炎は跡形もなく消滅した。初めて見るその光景にドルファは瞠目する。
「あれは……アカーシアか!」
あらゆる魔法が効かない剣。
世界に一振りしかないという王剣の力を目の当たりにしてドルファは感嘆の息を洩らした。
だが、感心などしていられない。ならば他の人間を攻撃せよ、と新しい命令を下しかけた時、遠く視界の中でラルスはアカーシアを振り上げる。
ファルサス国王はそれをそのまま―――― 馬上から地面に向って突き立てた。ドルファはその行動に戦慄を覚える。
「まさか、アカーシアで結界が消せるのか?」
「いえそんなことは……さすがに不可能です。結界自体は広範囲ですし、一箇所が綻びても穴を広げる前に砦の魔法士が修復できます」
「なら何故あんなことを」
その答はすぐに分かった。
分かったが、何故そうなったのか理解できなかった。
ドルファと魔法士はファルサス軍を見たまま凍りつく。
魔法によって作られた無数の炎矢。それらを背にしたラルスは、突き立てた剣を引き抜きながら体を起こすと、悪童の如き目で笑って見せたのだ。