堆し塵 146

禁転載

はじめに犠牲者が発見された場所は、ファルサス北端の小さな村であった。
五十年程前に近くの街から百三十人程が移民し、山での猟の為に作った村。
暖かい季節が終わり雪がちらつき始める頃には元の街に戻る人間も多いこの小さな村で、ある日一人の女が不可思議な状態となって発見された。
二人の子を持ち若い母親であった女は、村はずれの森の傍、腰までが凍りついた状態で倒れているところを見つかったのだ。
発見された時、彼女の上半身はまだ温もりがあり心臓も動いていた。
けれど女は、凍りついた足の治療を施されながらも村人たちの呼びかけに一度も目を覚ますことなく、三日後そのまま息を引き取ったのである。
小さな村を震撼させた女の異常な死は、しかしその後まもなく人の口の端に掛からなくなる。
断続的な魔族の襲来が始まり、人々がそれどころではなくなったのだ。
村人たちは全員が元の街へと避難し、しかしそこにも魔族はやって来た。
そうして断続的な襲撃が人々の心に圧し掛かり始めた頃、女の死は他の数多の死の中に埋もれ、見えなくなってしまったのである。



「ファルサスの北西部は広大だけど領土としては歴史が浅いからね。気侯も違うし、ある街は新しいものばかりだ。
 と言っても一番古い町は二百年以上経っているけど」
「二百年経ってたらもう新しくないと思いますよ……」
雫の相槌にハーヴは笑いだす。
暗黒時代の初期に起源を持つという魔法大国からすると、二百年も充分新しい部類に入ってしまうらしい。
彼女は手元の線画に色をつけながら、隣に置かれた地図を一瞥した。

レウティシアがエリクを連れて城を発ったのは昨日のことである。
城に残った雫は普段通りの仕事をしながら、遊びに来たハーヴに彼らが向かった北の街について話を聞いていた。
エリクの友人である彼は、友人が不在の間に彼女のことを気にかけてくれるつもりらしい。
雫は歴史を専門とする魔法士から、かつては禁呪に閉ざされた土地であった北西部について簡単にその成り立ちを教えてもらったのだ。
「じゃあファルサス北西部の更に北って、国がないんですか?」
「ないない。あの辺は高山ばっかりで住みにくいし、場所によっては魔の瘴気が濃いんだ。
 昔はそれでも強力な結界でその魔を避けて国があったんだけどね。今は多分無人だろうな」
何だか途方もない話だ。雫は筆を置くと首を傾げた。
「魔ってよく分からないんですけど。何なんですかそれ」
「うーん。一般的に『魔』って言われるものは大きく分けて二つある。
 一つはこの世界が在る階層より下層……負の海に近い階層からの干渉で、瘴気が負を孕んで形になったり、動物に取り付いて異形になったりしたもの。
 よく言われる魔物はこっちの方かな。下位魔族とも言われてるけど」
「あー。何となく分かります」
雫はカンデラ城で遭遇した大蛇を思い出して頷く。
あれは確かに魔物と言っていいものだったのだ。出来れば二度と遭遇したくない。
「もう一つはここより上層で、魔法構成が組まれる階層よりもう一つ上の階層に住まう存在。これは上位魔族だね。
 彼らは滅多なことでは人間界に現出しないし、干渉もしてこない」
「ああ、昔は神様として崇められてたりしていたってやつですか」
「そう。レウティシア様の精霊、シルファもそうだよ。上位魔族はその中でも位階があるらしいけど、そこまでは俺は知らないな」
ハーヴは机の上に転がっていた積み木を慎重に重ね始めた。次第に高くなっていくそれを見ながら雫は嘆息する。
「何だか同じ魔物って言っても全然違うんですね。出所自体が違うじゃないですか」
「そうだなぁ。基本的にはこの世界以外の階層に由来するものをひっくるめて『魔族』って言っちゃったりするから。
 中には妖精や魔法生物の類を魔物って言う人もいるし、割と大雑把だよね」
「なるほど……」
普通の人々にとって「何だかよく分からない化け物」はみな「魔物」なのだろう。
だが世界構造的に整理してみればそこにはかなりの差異がある。世界の上層にいるものと下層から来るものではまさに天地の違いだ。
雫は机の上で座り込んでいる緑の小鳥に視線を送る。
「じゃあ中位魔族はこの世界に由来するんでしょうか。上と下の間だから……」
「ああ。気持ちは分かるけど違う。中位魔族ってのは一番雑多なんだよ。
 下位魔族の中で力がついたり知能がついたりして抜きん出たものも中位と呼ぶし、逆に上位魔族に生み出されたものも中位って呼んだりする。
 この辺は何処に由来するかっていうより力量順だよね。雫さんの使い魔なんかは上位魔族に生み出された中位だろう? すごく珍しいよ」
「はー。色々あるんですね」
何だか現実味のない話だ。
そう言えば雫はまだ一度もレウティシアの「精霊」とやらに会ったことはない。
上位魔族は全て人間とよく似た姿を持っているらしいのだが、実際どんな姿なのかちょっとだけ好奇心が沸いた。
ハーヴに聞いてみようと口を開きかけた時、しかし研究室の扉を激しく叩かれる。
「すみません! 緊急の怪我人です! 魔法士がいましたら協力を要請します!」
「怪我人?」
不穏な言葉に二人は顔を見合わせる。だが、かけられた声の様子から言って迷っている時間はないだろう。
ハーヴは素早く立ち上がると部屋を駆け出した。雫もつられて後を追っていく。



ハーヴについて治療室に入った雫は、寝台に横たえられた女の姿を見て絶句した。
運び込まれていたのはまだ若い女性である。おそらく雫とそう変わらないであろう年の彼女は、だが既に血の気のない顔色をしていた。
肉付きのよい体。街娘らしい平服を着た全身には、見たところ出血などの外傷は何もない。
しかし、その代わり別のものがあったのだ。
一体何があったのか―――― 彼女の腰から下にはびっしりと霜が絡みついている。
まるで下半身だけ冷凍庫にでも放り込まれたかのような様は上半身と同じ人間のものとは思えなかった。
魔法士が二人、その足に触れて詠唱をしていたが、少しずつ霜が溶かされていくも彼女の顔色はほとんど変わりがない。
緊迫に包まれた処置に雫は息を飲んだ。
「何ですか、これ……」
「お! 女の子か。ちょうどいい。そこにお湯あるから布絞って足さすって!」
部屋には他に女性はいない。雫は急いで円器に駆け寄ると、言われた通り布をお湯に浸して溶かされた部分の足をさすり始める。
お湯は熱かったし、女の足は氷そのもののように冷たかったが、そんなことを気にしていられる場合ではない。
彼女は必死になって女の肌に体温を取り戻そうと力を込めた。額に汗が浮かび出す。
けれど、こすってもこすっても白い肌に温かさは戻らない。霜は消えても芯から冷えた体はまったく変わらないのだ。
布を絞る手に焦りが震えを生み出す。その時、雫の耳に、ハーヴの「あ……」という声が聞こえた。
彼女を含め全員の視線が、女に魔力を注いでいた魔法士に集中する。
「駄目だ……魂が抜かれている」
死亡宣告に似た言葉。
その指摘は一瞬で部屋そのものを凍りつかせると、彼らの行為をまるで小さな水泡のようにゆっくりと押し流していったのである。






レウティシアが北部に連れて行ったのはエリクだけではなく、他にも二十人近い宮廷魔法士を伴っている。
その為現在一時的に城には魔法士が少ないのだが、仮に王妹が残っていたとしても、これはどうにも出来ないことであっただろう。
魂を奪われた生き物はそれを取り戻せねば、やがて体も死んでしまう。
そして女の魂を誰が持ち去ったのか分からぬ以上、実際どうにも対処できない問題なのだ。
「で、一通りの報告は受けたが……誰がやったと思う?」
中庭の芝生に逆立ちしながらのラルスの問いに、ハーヴは複雑な表情を見せた。
横で弁当を広げている雫からすると、聞かれた内容が難しいのか王の行動に困惑しているのか判断がつけにくいが、おそらく前者であろう。
被害者の治療と調査に関わった魔法士は眉を寄せる。
「正直言って、限定しにくい状況です。人間の魔法士ですと生きた人間から魂を抜くのは困難ですから」
「何で? すーっと抜けないのか?」
「簡単に抜けたら困ります。術もないわけではないですが当然禁呪ですし、相手が暴れたりしたら上手く行かないのだそうです。
 かといって相手の意識がなかったり混濁していると、この術はかからないそうですし……はっきりいって殺してから魂を取る方が楽です」
出張中のエリクと魔法で連絡を取って「魂を抜く禁呪」について聞いたハーヴは、手間がかかりすぎて難しい、ということを王に説明した。
ラルスはようやく逆立ちをやめると、雫の弁当箱から豚肉の野菜巻きをつまみ出す。
「なら魔族か? 前例があるだろう」
「前例がある被害者は男だけです。夢魔や水妖が魂を抜いたというやつでして……。
 ただそれも極稀な事態ですし、女を標的とする魔族は血肉ごと食らうのですよ。女の方が魔法的に安定していて魂を抜きにくいですから」
「実は被害者は男だった」
「女性でした」
問題の女性は、城都の西門近くの路地裏で倒れていたところを城に運び込まれた。
見つかった時には既に周囲には怪しい人影もなく争った形跡もなかったが、被害者の足は氷漬けで路上に固定されていたという。

ラルスにおかずをひょいひょいと奪われていた雫は、最初こそ弁当箱を遠ざけようと抵抗していたが、腕の長さの差に諦めて箱ごと王に差し出す。
食事を中断した代わりに彼女は会話に加わった。
「足を氷漬けにして拘束してから魂を抜いたんじゃないですか?」
「とも思ったけど、あの氷で人を拘束するって結構時間かかるんだ。普通ならその間に逃げられちゃうんじゃないかな」
「うーん。なんか釈然としませんね。そもそも魂を抜いてどうするんでしょう」
根本とも言える疑問にハーヴは思案顔になる。一方雫の遅い昼食を取り上げた男は平然と答えた。
「人が犯人なら禁呪だろ。殺した後の魂より、生きたままの方が得られる力も強いらしいからな。もしくは趣味」
「うわぁ。どっちも嫌だ……。―――― ところで王様、お弁当欲しいなら別に作るんで、人の取らないでください」
「お前に俺の食べるものを作らせると人参を混入させる」
「当然ですよ。好き嫌いしないでください、二十七歳」
「お前の作るものは味が面白い」
「嬉しくないなぁ!」
すっかり脱線してしまった話に、ハーヴは二人に分からないよう溜息をつく。
原因不明の事件にもかかわらず彼らが動揺していないように見えるのは、性格が図太いせいか、もしくは一週間もすれば王妹やエリクが帰って来るからかのどちらかだろう。
だが、ラルスも雫もさすがに翌日にはこの事態に苦い顔をしなければならなくなったのだ。
この日から翌日の昼にかけて、城都には続けて十人程の犠牲者が同様に出てしまったのだから。