堆し塵 147

禁転載

運び込まれた犠牲者は最初の一人と合わせて十一人になった。
年齢も容姿もばらばらの、ただ「女性である」というだけの十一人。
彼女たちの体は救命処置を施されて城で保護されているが、三日以内に魂が取り戻せねばどのみち体も死んでしまう。
広い城都には魔法士と兵士を四人組にした捜索隊が十数組出されていたが、犯人も、奪われた魂の行方も掴めていなかった。

騒々しく落ち着かない空気が漂う城内で、雫は手がつかない気分ながらも仕事を進める。
このような事件において自分の出来ることはない。そう思っていながらも胸の悪さがやることなすこと全てに影響して仕方なかった。
筆の先から黒い滴を紙の隅に落としてしまった彼女は盛大な溜息をついて筆を置く。
雫は机の上で砂糖菓子を啄ばんでいる小鳥に指を伸ばした。
「メア。メアだったら、人の魂を抜くって出来る?」
「出来ません。私は、魔力については多く与えられておりますが、人の魔法士が組むような複雑な構成は知らないのです」
上位魔族によって魔法装置の一部として作られた小鳥は、攻撃や防御など単純な魔法には強いが、治癒をはじめ微調整の要る手の込んだ構成は苦手なのだ。
雫は「そっかぁ」と相槌を打つと、しばらくして「じゃあ魔族には無理だと思う?」と聞いてみる。
「分かりません。魂を抜くことを得手にしている魔族もおりますが、彼女たちはまず女性を狙うことはしないでしょう。
 女性の魂は抜きにくくて時間がかかるでしょうし、人が組む構成の方がまだ可能性が高いと思います」
「うーん。やっぱ人間か」
彼女にとっては何だか分からない「魔族」の仕業より、人の悪意の方が余程身近だ。
そして「人が行っている禁呪」の可能性があるからこそ城はこんなにもざわついているのだろう。
魔法大国として名高いファルサスは、禁呪の使用を許さないという点でも諸国に恐れられている。
そのファルサスの城都で起きた禁呪絡みと思しき連続事件は国自体への挑戦と言っても過言ではないのだ。
これ以上被害者が出る前に事件を解決しなければ城の威信に関わる。雫は奔走する魔法士たちの緊張を思って眉を曇らせた。
「レウティシア様が帰って来るまでまだあと五日もあるよ」
北部に向った王妹たちも結界を張るだけではなく、魔族との小競り合いや住人への対応で休む暇もないらしい。
一気にきな臭さが拭えなくなった国内に、彼女はキスクの方は大丈夫なのだろうかと心配になった。
上の空の主人に小鳥が苦言を呈す。
「とりあえずマスターはお仕事をなさってらしてください」
「う。正論」
出来ることをやる―――― それが雫のこの世界での生き方だ。
彼女は言われた通り一度置いた筆を取り直すと、再び慎重に彩色を始めたのだった。

昼食を珍しく城外で食べることになったのは、遊びに来たハーヴが「実家に荷物を取りに戻るけど、一緒に行って昼食べない?」と誘ってきたからだ。
宿屋を経営しているハーヴの実家には雫も泊まったことがあるのだが、確かに料理は非常に美味しかった。
「気になるなら作り方も教えてくれると思う」というハーヴの言葉に喜んで、彼女は同行することにしたのである。
「いつもは自分で作るか食堂に行くかしてるんですけど……最近自分で作ると王様に取られたりしますからね」
「あの方は雫さんが嫌がるのを楽しんでらっしゃるんだよ。適当に流しておけばいいと思うよ」
「その適当が難しい……」
城都はいつもより人通りが少ない。
事件の噂が広まった為だろう。見かけるのは旅人や商人たちがほとんどで、その中でも若い女性は少なかった。
雫は下ろした髪に指を通らせる。時折強い風が吹いてきており、そのせいか絡まってしまいそうな気がしたのだ。
レシピのメモを取る為のノートだけを抱えた彼女に、同伴する魔法士はふと緑の小鳥を思い出す。
「そう言えば、使い魔は一緒に来なかったの?」
「部屋の大掃除をするって言ってました。もともとメアは本当は普通の食事が要らないらしいんで」
「ああ。あの魔族なら食事は意味がないだろうな。自然の魔力を集めてるんだろう?」
「太陽発電みたいですね」
今日は薄曇りの日であり、暗くはないが太陽は見えない。雫はまた埃を巻き上げ吹いてきた風に両目を瞑った。
見知った宿屋が見えてくると、ハーヴが首を傾げる。
「あれ。閉まってるな」
「ありゃ。どうしたんでしょう」
「早かったのかも。裏から開けてくるからここで待ってて」
男は裏口の鍵を持っているらしく、建物脇の細い道を曲がって見えなくなった。
一人になった雫は閉まったままの扉の前で空を見上げる。

こうしていると街はいつも通りに見えるのだが、女性たちの魂を攫った犯人は未だ何処かに潜伏しているのだろうか。
雫は中からカーテンが引かれたままの扉を振り返った。
と、その時、何処からか微かに悲鳴が聞こえた気がして彼女は動きを止める。
「え?」
辺りを見回すがそれらしい人影はない。彼女は閉まったままの扉を軽く叩いたが、応答がないと分かると困惑を見せた。
ハーヴの名を呼びかけた時、先程よりもはっきりと女の子の悲鳴が聞こえてくる。
束の間の逡巡。
しかし、迷っている時間はないだろう。
雫はその場にノートを置くと声のした方に向って駆け出した。
角を曲がり、細い路地に入り込む。
細かく枝分かれした道を走っていくと、まるで気圧が変わったかのような違和感が耳の中を撫でていった。
雫は顔を顰めながらも近くなる悲鳴の主を探して手当たり次第角を覗き込む。
「たすけて……!」
舌足らずな泣き声。
もしそれが、もっと大人のものであったなら。もしくは犯人がそこにいたなら、彼女はもっと用心したかもしれない。
けれどようやく見つけた行き止まりで泣いていたのは、まだ五歳前後に見える女の子だった。
長い金髪に華奢な体。赤い靴を履いた小さな足が路上に氷漬けで固定されているのを見て、雫は顔色を変える。
恐怖に顔を引き攣らせた子供は彼女を見つけると涙を流さずに泣き叫んだ。
「いたい! いたいよ!」
「ちょっ……子供!?」
雫は駆け寄って霜が覆う足元を覗き込む。試しにふくらはぎに触れてみると最初の被害者と同じく氷のように冷たかった。
彼女は一旦女の子を見上げると、あえて安心させるよう笑顔を作る。
「待ってて。助けてあげるから」
雫は両手を子供の足にかけ靴を脱がそうとしたが、凍りついた足はびくともしない。
ただ路上に彼女を繋ぎとめている部分自体はそれ程強固なわけではないらしく、少し溶かせば靴を石畳から引き剥がせそうであった。
今この場に子供を置いて助けを呼びに行っては、間に合わないかもしれない。
雫は指に息をかけると手の体温で氷を溶かそうとする。
凍りついた部分は、余りの冷たさに触れているだけで気が遠くなったが、その度に手を温め直して氷を擦った。
寒いのか体を震わせた子供が彼女の様子を見つめる。
「お、おねえちゃん」
「大丈夫」
石畳そのものが冷え切っているのか、膝をついた雫自身も徐々に体が冷えていくようだ。爪先から感覚がなくなる。
だがそんなことに弱音を吐いている場合ではない。彼女は少しずつ動き始めてきた子供の足に希望を抱いた。



今までの犠牲者の年齢は、下は十二歳から上は五十四歳まで、まったくばらばらである。
けれどこのように小さい子供はいなかった。雫はあってはならない事態を防ぐために真っ赤になった手をなおも氷の上に伸ばす。
どれ程の時間が経ったのだろう。
―――― くらり、と前触れのない眩暈を覚えたのは、ようやく子供の右足が外れかけた、そんな時だ。
雫は揺らいだ体を片手をついて支える。
いつかも何処かで経験したような感覚。体の中を何かが蠢いた。彼女は傾いだ視界で子供を見上げる。
幼い少女は涙を流していない。
そして今や……彼女は恐怖も見せていなかった。人ならざる深紅の瞳が雫を見つめる。それと同時にまた「中」を何かが動いた。
「そういう、こと、か」
雫は倒れかけた体を両手で留める。
いつの間にか石畳についていた足は、霜のレースによって何重にも覆われていた。
感覚を殺されていたのだろう。それに気づくと同時に氷の痛みが襲ってくる。

どうやって女の魂を抜いたのか。
人が禁呪を使ったのか、魔族によるものか。
決め手のなかったその問いの答は後者だ。雫は冷やされた足に力を込める。
女の魂が欲しくとも抜くには時間がかかる。だから「彼女」は襲われた子供を装ってその時間を稼いだのだろう。
地面に縫い止められた雫は、魂を抜こうと内部を探る力に吐き気を覚えた。痛みで麻痺しかけた足を叩く。
「痛いし、騙された……っていうか―――― 諦めれば?」
挑戦的な声。
突如変わった獲物の様子に、今まで無表情でいた魔族は目を瞠った。雫は皮肉な笑みでそれを見上げる。
「抜きにくい? 私って魂が違うらしいんだよね。残念」
「…………お前はなに?」
「イレギュラーだよ。メア!」
反撃を命ずる呼び声に応えて無形の力が生まれる。それを察した魔族は赤い目を困惑で彩り飛びのいた。
雫の胸元に潜んでいた小鳥が姿を変じて主人の前に立つ。
「ご命令を。マスター」
「出来れば捕獲。いけそう?」
「試みます」
詠唱のない力の行使。
霜の這う石畳が砕かれ、自由になった雫はよろめきながらも立ち上がった。まだ完全には凍り付いていなかった足をさすりながら前を向く。



「お前、囮やれ」
そんな簡潔な命令を雫が受けたのは今日の昼のことだ。
魂を奪われた体はせいぜい三日しか持たない。一刻も早く犯人を捕まえねば死者が出てしまうのだ。
ラルスは雫を囮にして城都を歩かせると同時に、巡回の人数を増やして普通の民は出歩かせないようにするつもりだという。
短期間で解決する為の危険な策。ハーヴは失敗する可能性を危惧して反対を示したが、彼女は考えた結果それを受諾した。
自分にはメアもいて、なおかつ魔力がないため一見無防備だ。―――― その上、魂が違う。
うまくすれば犯人の意表を突ける可能性は高いだろう。決して勝算の低い賭けではないと雫は思ったのだ。



女の子が氷漬けにされているのを見た時、助けなければと思ったがそれと同じくらい「これは罠だ」とも感じていた。
だから雫はメアを隠したまま自力で子供を助けようとしたのだ。何処かに潜んでいるかもしれない犯人に奥の手を見せないように。
「さぁ、降参するなら今のうちだよ。盗った魂返して」
堂々とした宣告に、赤い瞳の魔族は後ずさる。小さな手が服の下に隠れていた白珠の首飾りを掴んだ。
内部から薄ぼんやりと光る、濁ったような水晶に雫は目を引かれる。
―――― ひょっとして、あれが人の魂ではないだろうか。
それは単なる勘であったが、メアは確信を持ったらしい。「取り返します」と言いながら一歩を踏み出す。
だが、逆に欺かれた魔族は向ってこようとはしなかった。大きく真上に跳躍すると屋根の上に飛び乗る。
雫は人間離れしたその運動能力に驚きつつも、間髪置かず叫んだ。
「メア! 屋根に上げて!」
ジェットコースターで落ちていく時のような浮遊感。
反射的に身を竦めた時には既に、雫とメアは屋根の上に降り立っていた。
赤い瞳の魔族はそれに気づくと、更に隣の屋根へと飛び移る。
このまま逃がしては不味い。雫は上手く動かない足を酷使して走り出した。メアの補助を受けて屋根から屋根へと跳躍する。
「ひぃぃ、怖い! ってか待て!」
そんなことを言って待つ相手はいないだろう。雫は本気で敵を捕らえるべく懐から預かっていたナイフを取り出した。
魔法具であるそれを、逃げていく魔族の背中に向って投擲する。
銀の光は魔の気配に反応して緩やかな軌跡を描いた。
刃が薄い背に刺さろうとする直前、だが魔族は横に避けてそれをかわす。ナイフは音を立てて屋根の上に跳ね返った。



攻撃の失敗。
しかし、逃げる魔族は無理に避けたせいか一瞬態勢を崩したのだ。そしてその瞬間をメアは見逃さなかった。
彼女は刹那で大きく跳躍すると、少女のものに見える腕を振り被って、敵の体を横合いから薙ぐ。
メアよりも一回り小さい体を取っていた魔族は、球のように弾き飛ばされ屋根に激しく叩きつけられた。衝撃で屋根全体が軋みをあげる。
「ぐあ……っ」
身を捩って苦痛の声を上げる姿は人間の子供のものと何ら変わりがない。
だが雫は生まれかけた同情を押さえ込むと、魔族に駆け寄り首元に手を伸ばした。
白珠の首飾りを探り当て、それを真上に引っ張る。
子供の首には大きすぎる首飾りは呆気なく雫の手元に手繰り寄せられた。彼女は無意識のうちの白珠の数を数えようと目を走らせる。
「マスター!」
注意を促す叫び。
けれど雫はその直前に気づいてはいたのだ。首飾りを奪われた魔族が、子供のものであった手を赤黒く巨大なものに変形させたことに。
気づいていて、だが避けきれそうになかった。
反射的に後ろに跳び退った雫を追って、巨大な手が凄まじい速度で振り下ろされる。



目を瞑ってはいけない。
それでも、自分が壊されるところは見たくなかった。雫は両手で頭を庇いながら目を閉じる。
響いたのは空気が弾ける破裂音。彼女は衝撃によろめき、したたかに尻餅をついた。
思わず小さな悲鳴を上げた時、誰かに腕を引かれる。
「足止めご苦労」
聞き慣れた尊大な声。雫は自分の役目が果たされたことを悟って息をついた。
瞼を上げると傍には二人の男が立っている。
「大丈夫?」
彼女を庇って結界を張ったのはハーヴ。
そして彼と共に現れた王はアカーシアを一閃させると、結界に食い込んだ魔族の腕を、流麗とも言える動きで軽々と切り落としたのだった。