黄昏 151

禁転載

メディアルは宰相位が世襲制である大陸唯一の国家である。
代々の王は必ず補佐として宰相を置き、その意見を訊くのだが、かといって宰相は世襲制の上に胡坐をかいているわけではない。
何故なら宰相は結婚と子を儲けることもまた法で禁じられているのであり、世襲制といっても実際は見込みのある子供を養子として教育し後継者にするという私情のない繋がりが代々続いているからだ。
そして現宰相であるシロンもまた、父に特別な愛情は抱いていない。
勿論自分を見出し充分な教育を与えてくれた恩はあるが、それは単純な感謝であって実の親に抱くような無二の愛情ではない。
また四十年に渡り優秀な宰相として腕を揮った父への尊敬もかつてはあったが、それは「あれ」の存在を聞いた時、いびつに歪んだ。
その日より生まれた感情の一つは、歴史に深い造詣を持ち、また現在においても他国のことを手に取るように理解していた父の有能さが「あれ」に依存したものであったという失望。
もう一つは「そのようなものなど存在するわけはない」という思いから来る、父への疑い。
相反するこれらはその時々で比率を変えながらもシロンの内心に蟠る。
そしてそれは、一年半ほど前「あれ」が屋敷から盗まれるにあたって決定的なものとなったのだ。
「あれ」が失われたことに憤り錯乱した父には、もはや名宰相と謳われた冷静さも思慮深さも残っておらず、 毎日のようにシロンに絶望を囁きかけるようになった。
抜け殻どころか有害なだけの讒言を振り回す父に対し「いっそ早く死んでくれ」と思う自分に気づく度、彼は自身にも嫌気が差す。
そうして鬱屈とした日々を送っていたシロンは、けれど意外なところで失われたものを取り戻す為の手がかりを掴んだのである。






滞在二日目はメディアルの魔法士たちや学者が同席する前で、実際に子供たちへ教材を与え指導を行うことになった。
と言っても相手が幼児である以上、その光景は一見遊びのようにしか見えない。
現に雫が掌に乗る大きさの動物の人形をいくつも並べて子供たちを集めた時、魔法士の中には「子供が子供と遊んでいる」と嘲るように呟いた者もいたくらいだ。
しかし彼女はその中傷が届いても何の反応も見せなかった。
遊びに見えるくらいで丁度いい。興味を引くやり方でなければ子供たちは多くを覚えてくれないのだ。
「はい、これ何だか分かる?」
「うさぎ?」
「そう。うさぎ。言ってみて」
子供たちが口々に「うさぎ!」と復唱すると、雫はうさぎを手の上でまるで生きているかのように動かしてみる。
たちまち幼い視線が集中し、うさぎを手に取ろうといくつかの小さな掌が彼女に向けられた。
しかし雫は笑いながらそれを元の場所に戻すと、今度は別の人形を手に取る。
注意を引き、名前を呼ばせ、遊んだ後に次へと進む。そして時折前の人形に戻ってみる。
そんなことを根気強く一時間も繰り返した後には―――― 子供たち全員が二十種類程の動物の名前を全て当てられるようになっていたのだ。



休憩を入れながら午前中に三時間、そして午後に二時間の実地と質疑応答を行った雫は、さすがに全て終わると疲れ果てて寝台の上に転がった。
慣れない場所で気を張りながら振舞っていたことへの緊張がどっと体に押し寄せてくる。
彼女の主張に対し、メディアルの学者たちは興味と関心を持ってくれたようだが、魔法士たちはやはり全ては受け入れられないらしい。
表情や言葉の端々に雫のやることを「浅薄なその場しのぎ」と思っていることが窺えたが、彼女はそれを悠然と無視した。
何と言われても自分が間違っているとは思っていない。それに、雫は現在ファルサスの代表としてこの場に来ているのだ。
卑屈なところを見せればラルスには怒られ、レウティシアには謝られてしまう。ならば堂々としているのが一番だろう。
―――― ただやはり、ストレスが溜まると言えば溜まる。
雫は気だるげに上体を起こすと半眼で窓の外を眺めた。
「うー……エネルギーを発散したい」
「外に出て体温でも発散してくれば?」
「生命も発散しそうな気がしますよ。その案」
彼女の呟きにまったく熱のない相槌を打った男は、本から顔を上げないまま少し笑ったようである。
雫はそれには構わず起き上がると、窓の前に歩み寄った。雪で覆われた中庭を見下ろす。
「……カマクラが作れそうですね」
「何それ。要塞?」
「ある意味合ってます」
普段は人が立ち入らないらしくかなりの雪が期待できそうな庭に、彼女はしばらく考え込んだ。
そしてその考えが纏まると、脱いだ上着に再び袖を通す。扉に手をかけながら怪訝そうな男に笑顔で手を振った。
「じゃ、遊び行って来ます!」
「待って」

雪遊びの為の服を借りたいと言ったところ、メディアルの女官たちは困惑しながらも厚手の上下と手袋を貸してくれた。
途端に雪だるまのような重装備になった雫を、魔法着のままのエリクは呆れた目で見やる。
「君の発想は時々分からない」
「だって元の世界でも私の住んでたところにはこんなに雪積もらないんですよ。ちょっとくらいいいじゃないですか」
彼女は手袋をつけた手でポスポスと隣にいる子供の頭を撫でる。
子供たちを管轄する責任者に「遊びに連れ出していいですか?」と聞いたところ、丁度今日の報告を纏めているところで大人は手が塞がっていたらしく、無事快諾をもらったのだ。
雫はボールのように弾み始める子供たちに声を掛けながら、自分は雪かき用のシャベルを持って雪山を作り始めた。
楕円形の匙をそのまま大きくしたようなシャベルは少し重いが、雪がまだ固くなっていないせいかさくさく掘れる。
こまめに叩いて固めながら山を作っていく彼女に、子供たちもやがて周りに集まってくると興味津々に山に登ろうとし始めた。
しかし彼らはみな、とっかかりもない半球型の雪山を前にあえなく滑り落ちていく。雫は汗ばんだ額を拭うと軽い声を上げて笑った。
「これね、中に穴をあけるの。ちょっと待ってて」
カマクラにしては小さいが、彼女一人ではあまり大きくは出来ないだろう。
エリクは中庭に面した回廊で立ったまま本を読んでいるし、メアはその肩に止まっている。
あまりはりきりすぎて筋肉痛にでもなったら目もあてられない。雫は身を屈めると山の側面にトンネルをあけ出した。
周囲の子供たちに気をつけながらシャベルで慎重に雪をかき出す。

そんな風に子供たちの中で夢中になっていると、体の大小があるだけで彼女はほとんど子供と変わらない。
防御結界だけを周囲に張って遊びについては傍観しているエリクは、本から顔を上げると微苦笑した。
「本当にじっとしていない子だよね」
「あれがマスターの本分でございましょう」
「かもね」
雫はかき出した雪で小さな雪だるまを作っては子供たちの前に並べていく。
あんなことをしていてはいつまで経っても穴は完成しないだろう。エリクはいい加減手を貸す為に開いていた本を閉じた。
中庭へと歩き出そうとした時、しかし彼は人の気配を感じて振り返る。
そこにはたまたま通りかかったのか違うのか、書類を抱えたシロンが立っていた。その視線は明らかに雫に向けられている。
「あの方は何をされているのです?」
「遊んでいます」
身も蓋もない返答を雫本人が聞いたのなら「言い繕ってくださいよ」と言うところだろうが、当然エリクはそんなことはしなかった。
正直な答にメディアルの若い宰相は、だが苦笑するわけでもなく、困惑した顔になる。
「まもなく暗くなりますのでお気をつけください。最近はこの辺りにも魔物が出るという話ですので」
広い国土を持つメディアルの城都は国土内でも北西寄りの高山地帯に位置している。
その為高山に遮られ日が落ちるのも早く、また西部に出没するという魔物も姿を見せることがあるのだろう。
エリクは「分かりました」とだけ答えて、去っていくシロンの背を眺める。
どうもあの宰相は何を考えているのか分からない。
怪しいと言ってしまってもいいのだが、それはさすがに早計に思えて彼は何も言わなかった。
エリクは本をメアに預けると、四苦八苦している雫からシャベルを取り上げ穴を広げ始める。
幼児ならば一度に三人くらいは入れる小さなカマクラが出来あがったのはその十五分後のことだった。

「う、腕がぷるぷるする」
夕食も終わって部屋に戻った雫は、食事中から感じていた腕の疲労にがっくりと項垂れた。
それほど無理をしていたつもりはないのだが、二時間近くシャベルを持って遊んでいた影響はしっかりと出ているらしい。
日記を書こうとしてペン先が定まらないと分かると、彼女はひとまず記述を諦め横になった。枕元にいる小鳥に話しかける。
「それにしても、最初は極寒だったけど雪国も楽しいね。住むとなるとまた大変なんだろうけど」
「確かに夏には涼しそうですね」
「避暑地かぁ。ファルサスは夏暑すぎるよ」
雫は数ヶ月前のファルサスを思い出してげっそりした顔になった。疲れた両腕を真上に上げ、ぶらぶらと振ってみる。
どうにも疲労が拭えない。 もう風呂に入って寝てしまおうかと彼女が思ったその時、しかし扉を乱暴に叩く音が響いた。
雫は驚いて飛び起き、扉を開ける。
「な、何ですか?」
「大変です! 魔物の襲撃が……! 急いで避難なさって下さい!」
慌てふためく女官の叫びに彼女は瞬間硬直する。先日のファルサスでの一件を思い出したのだ。
だが女官はそんな雫の手を取ると「お早く!」と言って走り出した。雫は半ば引き摺られるようにして城の廊下を駆け出す。
「ま、待って下さい。エリクは……」
「すぐに他の方もいらっしゃいますから」
雫は走りながら振り返って宙に手を伸ばす。だがすぐにその手を戻すと、自分の足で真剣に走り始めた。
レウティシアは「エリクは強い」と言っていたのだ。ならばまず自分が足手まといにならないことが第一だろう。
女官は五度角を曲がると、雫を奥まった一室へと案内した。そこには既に一人の男が彼女を待っている。
「ここですか?」
訝しさにそう聞いてしまったのは、倉庫のようにがらんとした部屋には彼女と女官の他にその男しかいなかったからだ。
雫の問いにシロンは真面目な顔で頷く。
「すぐに安全な場所へと案内します。ただ、その前に教えていただきたい。
 あの絵本に書いてあった話、貴女はそれを何処で知りましたか?」
「絵本? どれですか?」
何故こんな時に絵本のことなど聞くのか。雫は五冊ある自分の描いた絵本を頭に浮かべた。
そのうちの三冊は元の世界の童話をアレンジしたものだ。そして二冊は、この世界の話に基づいている。
一体何が聞きたいのだろう。眉を顰めた彼女に、シロンは苦々しい顔になった。
「とぼけないで頂きたい。あの話……あれを知る人間は他に誰もいないはずなのです。
 貴女はご存知なのでしょう? ―――― 一年半前に私の屋敷から盗み出されたあれが、今何処にあるのか」
問われる理由も、問いの答も分からない雫は唖然として立ち尽くす。
窓のない部屋。冷ややかな男の視線。
意味の分からない詰問に困惑する中、背後で女官が扉に鍵をかける音が、やけにはっきりと響いた気がした。