黄昏 153

禁転載

枷をされているわけではない。その程度には自由だ。
ただそれでも雫が軟禁されていることは歴然とした事実で、彼女は苦々しさに自責を込めた舌打ちを禁じえなかった。
高い天井から吊るされた籠を見上げる。
「メア……」
主人の安全を優先して捕らえられた使い魔は、魔族用の籠に入れられ雫の手の届かないところに置かれていた。
彼女は見張りとして扉の前に立つ魔法士の女を睨む。
「あれって何ですか? 私本当に知らないんですけど」
「私もよくは存じ上げません。ただ歴史書に似た類のものらしいとは伺っておりますが」
「歴史書?」
余計に心当たりがなくなった。
雫はこの世界の書物をまだすらすらとは読めないのだ。
キスクでも一冊厚い本に目を通していたが、ほんの数章何とか大意を取っただけである。
そしてそれは絵本と関係するような話ではなかった。床に直接座り込んだ彼女は、半眼で家具のない部屋を見回す。
「ここまでしたってことは私を無事に帰す気はないってことですよね?」
「…………」
これはいくらなんでもファルサスから正式に遣わされた人間に対する仕打ちではない。
ラルスが雫を排除したがっていることを差し引いても、彼は自分の国の使者を監禁されたと知ったらそれ相応の対応を嬉々としてするだろう。
また面倒な問題を起こしてしまった。雫は頭痛がしてくるような気がして頭を抱える。

彼女を監禁した主が部屋に戻ってきたのはその時だ。
シロンは部屋に入ってくるなり、魔法士に「何かあったか?」と問うて否定を受け取ると雫の前に立った。
体育座りをしていた彼女は男を見上げる。
「貴女の連れは西部に向いましたよ」
「西部に? ……あ」
その言葉で雫は自分の行方不明がどう扱われているのかを察した。
以前からメディアルを悩ませているという魔物の襲撃。それの犠牲に彼女もまたなったと、思われているのだ。
自分の甘さでエリクを危地に追いやったことを知って雫は歯噛みする。
だがシロンはそれを嘲笑うわけでもなく、冷めた目で彼女を見つめた。
「貴女に助けは来ない。出来ることは私にあれについて教えてくださることだけです」
「ヒントが足りません。あれって何ですか。歴史書?」
「……秘された歴史を伝えるものです」
「え?」
―――― それが何を指すのか雫は知っている。
彼女は瞬間気のせいかと思うほどの軽い眩暈を覚えて目を瞠った。男の灰色の瞳を見つめる。
「もしかして……あれって」
謎の女が持っているという紅い本。シロンが探しているのはひょっとしてそれではないだろうか。
雫の反応が得られたことに男は表情を変えた。強い語気で聞き返す。
「思い出しましたか?」
「多分……私も、それを探しています。女性が持っていて、メディアルで消息を断ったと聞いて……」
「女? どのような女なのです」
「詳しくは分かりません。髪は銀髪。目は赤茶だと聞いてはいますが。レウティシア様が今も探されています」
それを聞くと男は目に見えて落胆の表情になった。
折角手がかりが得られたというのに、その手がかりも「分からない」と言うのだ。
新たな情報は得られたが、それだけの女など他に何人もいる。半ば振り出しに戻ったも同様だろう。
しかし彼の落胆など雫は知ったことではない。
第一その本が欲しい理由も、ここに監禁されているという点でも深刻なのは彼女の方なのだ。
雫は床に手をついて立ち上がると出来るだけ棘を抑えてシロンを見やる。
「これでいいですか? 私を帰してください」
「……それは出来ません」
「やっぱり。行く末は魔族への人身御供ですか?」
半ば投げやりにそう言うと、シロンは笑いとも言えない奇妙に歪んだ顔を見せた。
自嘲のような違うような口元。後悔を匂わせる目。
だがそこに一瞬だけ、野心家のような揺らぎが走るのを雫は見逃さなかった。ささやかな意趣返しを込めて吐き捨てる。
「お父さんの為に探しているなんて口実でしょう? あなたは自分があれを欲しいんだ」
「違う……」
「だってそれだけの為にこんなことする? ファルサス王が知ったら、あなた破滅ですよ。
 正直になったらどうですか。あなたが、あれを欲しいんです。秘された歴史を知って利用したがってる」
「―――― っ、黙れ!」
部屋中に突き刺さる怒鳴り声。
その滅裂さに動揺したのは言われた方よりも言った方だった。
感情も顕に肩で息をつくシロンは、平然としたままの雫に気づくと目を逸らす。逃げ出すようにそのまま踵を返した。
決裂が目に見える程に明らかである空気。
それ以上一言も発せずに男が部屋を出て行くと、彼女は元通り床の上に座りながら悪びれもせず「図星かぁ」と呟いたのだった。






メディアル西部の街の一つ、ベルブは高山地帯に位置し、冬場は徒歩や馬でたどり着くことはまず不可能と言われている。
ただその代わり国内への転移陣が充実しており、交易商人や冒険者が多く立ち寄る要所にもなっていた。
北の高山から流れてくる冷気。
大通りだけは人が多いせいかほとんど雪が積もらないが、屋根や路地に積もったそれは固く凍り付いて当分溶けないのではないかと思われる程だ。
旅人たちがみな防寒着に身を包む往来。そこを行くエリクは、ファルサスより直接合流した兵士の一人から、メディアル西部での魔族襲撃の状況について簡単な調査結果を受け取っていた。
「ファルサスよりも頻度が高いね。人を攫うって事例はあるの?」
「女性ばかりですがかなりの人数が。中にはファルサスと同様魂を抜かれたと思しき犠牲者もおりました」
「ああ。あれか」
先日の事件の際、雫の魂は抜きにくかったらしいということが分かっているが、それでも抜けないとは限らない。
エリクは顎に指をかけて考え込んだ。肝心なことを聞き返す。
「何処が魔族の大本かってのは分かってるの?」
「正確には分かっておりません。ただ……魔族が現れ始めた初期に雇われた傭兵たちで、生き残った者が何人か言っているそうです。
 ―――― 『山の中に城があった』と」
「城?」
それはおかしな話だ。
この辺りはメディアルの城以外、領主の城も他国の城もなかったはずだ。
第一ここより西部の高山地帯は国がない空白地帯となっている。
西や北の海際まで行けば小国が存在するが、それらはメディアルと国境を接しておらず、「空白の向こう」の国なのだ。
「その傭兵ってまだ近くにいるの? 直接話を聞きたいんだけど」
兵士からいくつかの酒場や宿屋の場所を聞いて、エリクはその一つへと足を向ける。
そしてそこで、思いもかけぬ人物と再会することになったのだ。

「あれ、お前生きてたのか」
あっけらかんとした言葉に、酒場に入ってすぐのエリクはさすがに少し面食らった。中の薄暗さに目が慣れると得心して返す。
「君か。生きてたのか」
「おかげさまでな」
カンデラ国内で一度会ったきりの相手。しかし禁呪事件の際、雫を連れてカンデラ城へ襲撃をかけたという傭兵を忘れることはさすがに出来ない。
長身の鍛えられた体躯を持つ男―――― ターキスは酒瓶を手に、にやにやと笑いながら立ったままのエリクを見上げた。
「雫は? 無事なんだろう?」
この男と雫はカンデラ城にてお互いの安否が分からぬまま別れたと言うが、雫が「やっぱり無事じゃないかな」と思うと同様相手もそう思っていたらしい。
今となっては皮肉な問いに、エリクは「昨日まではね」と感情を抑えて答えた。
「昨日? 今は?」
「行方不明。だから情報を集めてる」
簡潔かつ不穏な返答。
それに思わず眉を顰めた傭兵の向かいにエリクは座ると、「魔族について知っていることがあったら教えて欲しい」と本題を切り出した。






勝手の分からない他国の城ではあるが、見逃しがあっては不味い。
レウティシアの命令でメディアルへと派遣されたハーヴとユーラは、それぞれに与えられた部下に指示を出しながら広い城内に捜索をかけていた。
一通り目ぼしい場所を調べてしまうまで約半日、だがそれでも雫を発見することが出来なかった二人は、メディアルの人間たちの白い目をかいくぐって小さな会議室で落ち合う。ハーヴは自分でお茶を淹れながら年下のユーラに問うた。
「どうだった?」
「駄目ですね。正直、雫さんが入れられたのが隠し部屋だとしたら見つからないと思います」
「だよなぁ。メディアル王も本当に知らないみたいだし……」
西部へと向ったエリクは「宰相が怪しい」と伝言していったが、その宰相についても決め手はない。
ハーヴは自分のお茶を一口啜ると大きな溜息を吐き出した。
「やっぱり西部なのかな。不味いよな」
「その可能性もありますが、やはりこの城は不審ですね」
「え、そう?」
きょとんとするハーヴにユーラは頷いた。捜索と平行して調査していた内容を口にする。
「昨日の襲撃事件、証言が噛み合っていませんよ。
 応戦した兵士たちは有翼の魔族が人を攫ったと言っていますが、同時刻に外庭に出ていた女官たちは誰もその姿を見ていません。
 他にも死亡者や行方不明者は、普段戦闘になど出ない兵士や魔法士たちばかりで、その中には宰相の子飼いも数名混ざっています」
「いなくなっても構わない人間を犠牲者に仕立てたってこと?」
「もしくは犠牲者に見せかけて地下に潜ませたかですね」
ユーラはそこまで言い切ると、新しいカップにお茶を注いで口をつけた。
笑顔を繕う気にもなれないらしく、彼女の眉の間には深い皺が刻まれている。
疑惑は募るが、もし本当に黒だとしたら相手も本気で雫を隠しているだろう。
ファルサス程ではないとはいえ、広い国土を持つ国だ。違う街にでも移されたら追いきれない。
「参ったな……何で彼女なんだ」
「そもそも最初から雫さんを名指しで呼んだんですよね? 宰相とやらの希望で。それって何故なんでしょう」
ユーラの疑問にハーヴは目を瞠る。
―――― 何故、雫は狙われたのか。
今まで考えてもみなかった動機の分からなさに二人はしばし黙考すると、予定通りレウティシアに報告を入れ、彼女の命令でメディアルを後にしたのだ。



「だそうですよ。兄上」
「最近舐められてないか? この国。誰のせいだまったく」
「兄上のせいだと思います」
「まぁいい。ファルサスが怖くないというのならもっと怖い奴を動かしてやるさ」