黄昏 156

禁転載

「あの城に行くって!? 正気か?」
「正気だよ。場所教えて」
話が終わったと思えば、とんでもない要求と共に地図を広げ始めるエリクに、ターキスは唖然と口を開いてしまった。
二百人もの傭兵が犠牲になったという今までの話を信じていないのだろうか、 そんな疑いを持ってつい藍色の瞳を凝視してしまったがどうやらそうではないらしい。
むしろ分かった上での言葉と知って、ターキスはさすがに眉を顰めた。思い留まるよう声をかけようと口を開きかける。
だが彼は、制止を口にする前にすぐあることに思い当たった。言葉を変え聞きなおす。
「ひょっとして、雫がそこにいるのか?」
「分からない。魔物に攫われたって言われたけど本当かどうかも不明だ。
 だから手分けして、僕は急を要するところから当たってみてる」
「急を要するって……外れたらどうするんだ。お前が死ぬぞ」
「そうなる前には救援を呼ぶよ。大丈夫」
軽く言ってはいるが、そう簡単なことではないだろう。
答えていいものかどうか、ターキスは苦い顔のまま髪に指を差し入ると、わしわしとかき回した。大きく溜息をつく。
「攫われたって言っても、もう手遅れかもしれないぞ?」
「その可能性もあるけど、もし君の言う女が一枚噛んでいるなら雫を殺していないかもしれない」
「何でだ」
「あの本の持ち主にとって彼女は利用価値があるからだ」
それがどういうことなのか、勿論ターキスには分からない。そしてエリクもただの憶測でしかなかった。
―――― けれど、そう考えれば全てが繋がる。彼女の特異性も何もかも。
紅色の本の持ち主もそれに気づいているかは分からない。だが、可能性を諦めるべきではないだろう。エリクは強い語気で問いを重ねた。
「教えて。何処?」
大陸北西部に焦点を当てた地図の上、ターキスはしばらく逡巡していたが、やがて諦めたようにある一点を指差す。
高い岩山に囲まれた荒地。かつて暗黒時代に一つの国があった場所を。
エリクは今は空白地帯となっているその場所を見て、約六百年前に地図上から消えた国の名を呟いた。
「……ヘルギニス、か」
その消失と共に暗黒時代の終焉を告げた国家。
一夜にして魔女に滅ぼされた国の跡地を、男の無骨な指は確かに指し示していたのである。



寒さは決して好きではない。
寒い中外に出るくらいなら一日中寝台にもぐっていた方がよほどましだ。
それでも仕事とあれば意識が切り替わるのか山歩きも平気になるし、余りにも寒さが厳しいようなら面倒だが魔法で調節することもできる。
―――― だが、仕事がないのならやはり外出はしたくない。
そういう訳で宿の寝台でまどろんでいたリディアは、けれど扉を叩く乱暴な音に目覚めざるを得なくなった。
瞼をこすりながら顔を上げる。
「誰?」
「俺だ。開けてくれ」
「何よ。眠いのに」
昔から付き合いのある男だ。彼女は微塵の警戒心もなく、着崩した夜着のまま寝台を離れると扉を開けた。
そしてそのまま顔を顰め、初対面の男をまじまじと見つめる。
その男の隣に立つターキスは彼女の格好を見て渇いた笑いを見せた。
「あー……リディア、客だ。ちゃんとした格好で出て来いよ」
「遅い!」
「ぐっ!」
すかさず脛を蹴られて男は蹲る。リディアはそれを見もせずに部屋の中に戻ると、上着を羽織り直した。
魔法で部屋の明かりをつけると見知らぬ男を手招く。
「誰? 何の用?」
「山中の城への転移座標を教えて欲しい。報酬は払う」
「―――― は? 馬鹿? あそこやばいって知ってる?」
「聞いたよ。ちょっと様子を見に行くだけだ」
平然と答えるエリクはカーテンの隙間から窓の向こうを見やった。
外はいつの間にか雪が降り出しており、北の山をぼんやりと白の中にけぶらせている。
今から徒歩なり馬なりで国境を越え山中の城へと向うのは不可能だが、転移ならそれが叶う。
その為彼は、「連れなら座標を知ってるかも」というターキスに連れられて、彼女のもとを訪ねたのだ。
ターキスは自分も部屋に入ってくると扉を閉めた。片手でエリクを指しながら肩を竦める。
「カンデラで会った雫って覚えてるか? あの子の連れなんだが、雫が行方不明なんだと。
 で、念の為に城を調査したいってことらしい」
「ああ、あの子か……」
そこで彼女が止まってしまったのは、ターキスと同じく「気持ちは分かるけど無謀だ」という結論に達したからだ。
人を助ける為とは言え、あのような城に立ち入ってただで済むとは思えない。
探し人を見つけられたとしても共に死んでしまうのがおちだろう。
リディアの表情を見たターキスが、頭を掻きながらエリクに向き直る。
「ほら、だから無茶だって言っただろ? 調査にしてもせめてもっと人集めてからにしろ」
「急いでるって言ってるんだけどな。……分かった。ファルサスに連絡取る」
「そうそう。って何でファルサス」
「今、僕も彼女もファルサス所属なんだ」
さらっと述べられた言葉に傭兵の二人は目を丸くする。
一体どういう紆余曲折があってそうなったのか想像がつかなかったのだ。
顔を見合わせる二人をよそに、エリクは魔法具を通じてレウティシアに連絡を取り始める。
硝子の向こう側の景色は次第に雪の勢いを増して、中にいる者たちに世界から取り残されたかのような錯覚を与えていた。






地は雪に、空は雲に覆われた世界は昏かった。
男は陰鬱さを感じさせる景色を前に不快げな視線を鋭くする。
吸い込むだけで鼻に痛みを与える冷気は、忌まわしいことこの上ない。
彼は軽い詠唱を持って自身の周囲に結界を張ると中の気温を上昇させた。
仕事と言えば面倒ごとばかりだが、だからと言ってやらないわけにもいかない。さっさと結果を出してしまえばいいだろう。
そう思って周囲を見回した男は、けれど視線の遥か先に何か光るものを見つけて、訝しげに眉を寄せたのである。



窓の外を見やるとまた雪が降り出している。
シロンは書類を置くと机上の時計を見やった。それは雫を外に追い出してから既に四時間が経ったことを示している。
一応見張りは巡回させているが、報告がないところをみると城に入ろうとはしていないらしい。
仮に道を降りていったとしても転移陣がある建物は現在封鎖させている。あの薄着で街までたどり着くことは不可能だろう。
或いは時間的にそろそろ死んでいるかもしれない。
「運の悪い娘だ……」
最初から素直に質問に答えていれば、こんなことにはならなかった。きっと元通りファルサスに帰れていただろう。
言うことをきかないからこそ魔族に攫われたことにしてファルサスを動かすことも考えたのであって、シロンも最初からたった一人の身柄であの魔法大国が動くとは思っていなかった。いわば効果があれば儲けもの程度のおまけにしか過ぎない。
だが、結局は「あれ」について、一人の少女の命を奪っても得られた成果はほとんどなかった。
シロンは少なくない後味の悪さを自覚すると、それを誤魔化すようにお茶に口をつける。
あの少女は「父親ではなく自分の為にあれを探しているのではないか」と穿ったことを言っていたが、そのようなことは決してない。
ただ、形だけの世襲制が意味するものが、「あれ」を隠匿し受け継いでいく為のものだと知った今は、自分の地位に不安を覚えていることもまた確かだった。
「全ての歴史が読める、か……本当にそんな力があったのか?」
直に「あれ」と接した事のない彼にはその真偽は不明だ。
しかし実際に神がかった洞察力を見せていた父を思うと、抑えきれない焦燥が沸き起こる。
「あれ」としか呼んではいけない宝物。
代々伝えられてきた真実の歴史を持たない自分は、本当にメディアルの宰相たる資格を持っているのか、と。



「宰相閣下! 大変です!」
そんな叫びと共に飛び込んできた文官に、シロンは煩わしげな目を投げかけた。いつも通りの抑揚で聞き返す。
「どうした。ファルサスが苦情でも寄越したのか」
或いは主君であるメディアル王が今回の一件に勘付いたか、そのどちらかであろうと思った彼は、しかし次の一言でペンを取り落とした。信じられない思いで立ち上がる。
「それは、本当か?」
「本当です! 既に使者が……」
「邪魔をするぞ」
二人の会話を遮って部屋の入り口に現れた男。
皮肉げな目つきが印象的な魔法士は、シロンを見止めると唇の片端を上げて笑った。自ら遮った文官の言葉を引き取り用件を述べる。
「キスク女王オルティアの使いとして伺った。この国である女が消息を断ったと連絡を受けてな」
「な、何故キスクが……」
ファルサスの隣国であり大国の一つでもあるキスク。
先だって両国間で小規模な戦闘があったことはシロンも知っているが、何故今キスクが出向いてくるのか分からない。
即位したばかりの女王の手腕と轟く悪名を思い出して彼は顔を引き攣らせた。
魔法士の男は嬲るような目でシロンの動揺を眺める。けれど彼は体面上、慇懃な態度で右手を広げてみせた。
「ああ。ご存知なかったのか。あの女は、正式な条約に基づいてキスクがファルサスへと引き渡した女だ。
 それがたった一月で行方不明では都合が悪い。だから女王は『徹底的に探せ』と仰られたのだ」
「それは……しかし、ファルサスも既に充分に探して……」
「探し方が充分ではなかったという可能性もある。
 現に俺は―――― 来てすぐにこんなものを見つけたのだがな」
一段低くなった声。
男の後ろに回していた左手が前に差し伸べられる。
そこにあるものを見て、シロンは絶句した。
断ち切られた鎖と金の鳥籠。その中には、雫と共に逃げたはずの緑の小鳥が眠っていたのだ。