盲目の魚 07

禁転載

キスク城の内部は、あまり知られていないことだが、複雑極まりない構造をとっている。
三国が婚姻により一国となって生まれた起源のせいか、争うように建物の増改築が繰り返された為だ。
―――― そのことは依頼人より聞いていたが、具体的に地図を渡され女王の部屋を指示されていなければ、ここまで行き着くことは出来なかったかもしれない。
二本の短剣を携えた男は息を潜めて廊下を走りながら、目的の部屋を見つけると注意深く辺りを見回した。
周囲に人影はない。衛兵の姿もないということは誰かに先をこされたのだろうか。彼は少し迷ったが扉に手をかけた。
鍵のかかっていない大きな扉はゆっくり奥へと開く。
僅かに開いた隙間から見えたのは荒らされた部屋の惨状。
自分が纏っているものとは出所が異なる血臭に、男は誰か他の人間が先にここまで到達していたことを知った。
この分では標的は既に殺害されているかもしれない。そして手柄を取られたのならば早急に脱出した方がいいだろう。
彼が身を引きかけた時、だが部屋の奥から誰かが出てくる。
纏められていない長い髪に細い躰。薄暗い部屋であっても浮き立つ繊細な容姿。
物憂げな美貌は間違えようもなく指示された標的のものだ。―――― 妖姫とも呼ばれる、若きキスク女王。
男は刹那で判断すると扉を大きく開いた。部屋の奥にいる女に向かって投擲用の短剣を振りかぶる。
だがその剣が指を離れる前に侵入者に気づいた彼女は目を見開き
「待て! 殺すな!」
と叫んだ。

それが、彼の人生において最後に聞いた言葉となった。






「女王陛下が何者かに重傷を負わされた?」
夜中に突然呼び起こされた重臣たちの一人、ヤウスは暗い廊下を足早に行きながら、その知らせに微妙な表情を作った。同様に呼び起こされた何も知らないらしい同僚の様子を横目で伺う。
転移陣管理局の人事を任された彼が、部下に命じて十数人の暗殺者を城都に侵入させたのは、まさに今夜オルティアを暗殺する為だ。
長い間、優れた才を誇りながらも残虐な性質を剥き出しにしてキスクの城奥に君臨していた女。
ヤウスは彼女こそが王位を巡る争いの中、父を謀殺したのだと信じて疑っていなかった。
未だその真相は明らかにされてはいないが、父は王を決める審議の直前に殺されたのだ。何があったかなど考えなくとも分かる。
父に代わって領地を治めるようになった長兄は「女王に関わるな」と彼を叱った。「真実など既に隠されている」と。
だが、証拠全てが葬り去られようとも、起こされた事実までもが変わるわけではない。
今までオルティアは何十人もの人間を影で処分し、また処刑台へと送り続けてきたのだ。 この所業が真実を雄弁に物語っていると言っていいだろう。
ならばすべきことは失われた真実を明るみにすることではなく―――― 彼女を父と同じ目にあわせること。
ヤウスはその為にこの一年半色々と策を練ってきた。
なにしろ相手は王冠を抱く女王である。復讐を為そうにも簡単には近づくことさえ出来ない。
彼はまず夫候補として彼女の傍に寄ろうと狙った。だがその試みは彼の能力不足によって空しく頓挫している。
ならば重臣の中に食い込み、事を起こすしかない。
ずっと機を狙っていたヤウスは、転移網の配備が行われるという情報を得てその役目の一つに立候補すると、新しい立場を使いようやく絶好の機会を得ることに成功したのだ。



「お怪我が重くなければよいが……」
ヤウスは夜の廊下を行きながら本心とは真逆の言葉を口にする。
実際、今夜こそが最初で最後の好機だと思っていたのだ。
今ならば普段彼女の傍についている魔法士もいない。城の中にいれば安全と思っている皆の足下を掬うにはまたとない時だ。
だがそれも、昼の失敗と同じく怪我を負わせただけで終わってしまったのだろうか。彼は隣の同僚に気づかれないよう歯軋りする。
単なる怪我であれば、魔法の治療によりすぐに回復してしまう。
そうなればあの女王はすぐに自分を殺そうとした人間が誰なのか突き止め、ヤウスは二度と目的を達せられなくなってしまうだろう。
まだ女王の命が残っているというのなら、完全に復調する前に何とかもう一手を打たねばならない。
ヤウスは暗殺者たちがよく用いるという毒が女王を蝕んでいることを内心期待した。建物同士を繋ぐ渡り廊下を抜け、更に奥の建物へと向かう。このような時にでもなければ彼でさえ立ち入ることが許されない奥宮へ、二人は足を踏み入れた。
人気のない廊下。
夜の窓からは人の心と同調する闇が染み込んでくるようである。ヤウスは落ち着かなさを噛み殺して先へと進んだ。
やがて目的の部屋が見えてくる。
建物の中でも奥まった場所にある女王の部屋。その入り口には既に何人かの衛兵が立っていた。
彼らの敬礼を受け中に入ると、本来客を迎える為の広間は、荒らされた状態を慌てて片付けたのか雑然とした様相を呈している。
奥の扉の前に立っていた文官が二人に気づくと頭を下げた。彼は「陛下のご容態は?」と聞かれると表情を曇らせる。
「思わしくありません。投擲された短剣に毒が塗られていたようでして……現在、魔法士たちが解析を行っておりますが」
「……そうか」
心中の喜色を押し隠してヤウスは項垂れた。間を置いて「面会出来るか」と問う。
返って来た答は意外にも「少しの間でしたら」というものだった。
文官が退いた先の扉。そこに手をかけたヤウスは、袖口に仕込んでおいた毒針を意識する。



扉に僅かな隙間が開いた途端、その奥からは噎せ返る程の甘い香が漂ってきた。
鼻孔を侵し脳を痺れさせるような重い匂い。
その香りに一瞬ぎょっとしたヤウスはけれど、部屋の中で焚かれている香に気づくと、気を取り直して寝台へと向かう。
広く豪奢な部屋。
普段は天蓋から下ろされているのであろう紗布は、しかし今は全て寝台の奥側に寄せられ留められていた。
白い掛布が理由の分からぬ忌まわしさを醸し出して、歩み寄る彼を待つ。
「美しい」と、その一言では言い表せない存在。
それが彼女だと、寝台の上、沈み込むように目を閉じているオルティアを見ながら、ヤウスはぼんやり考えていた。
美しいだけではない。人を支配し縛る妖艶を彼女は持っている。
造作だけでいうなら絶世と謳われるファルサス王妹の方が彼女よりも上だ。
だが誰もがそれを分かっていながらも、オルティアの前では彼女から目を逸らせない。
そこに見てはいけない、けれど知りたくてたまらない「何か」があるかのように、人々は彼女を見つめ、そして捕らえられていくのだ。



ヤウスは取り出した針を注意深く意識する。
確実に復讐を為せるのなら、自分の身など惜しくはない。
オルティアを生かしておけば、あの妖姫は同じことを何度でも繰り返すだろう。いずれ国を傾けてしまうほどに。
その前に彼女に罪の清算をさせる。
父の為に国の為に、これは今ここでやらねばならぬことなのだ。



寝台脇から見下ろす女王は人形のように仰臥しぴくりとも動かない。
ヤウスはその細い腕を見下ろした。針を持った手を気づかれないよう伸ばす。
共に入ってきた同僚はオルティアの顔ばかりを見ていて彼の行動には気づかない。
誰にも見咎められないまま、隠し持った針先が女王の腕へと触れようとする―――― だがその時
「寝台……の下……を……」
女の声。
目を閉じたままの女王が洩らす呟きにヤウスは思わず硬直した。隣の男が聞き返す。
「寝台の下? 陛下、寝台の下がどうされたのです」
だが彼女は答えない。ヤウスは半歩退いて跳ね上がった鼓動を落ち着けると、女王の顔を窺った。同僚の男が振り返る。
「念のため寝台の下を見てみようか」
「あ、ああ……」
オルティアの言葉が何を意味しているのかは分からぬが、まだ目標は達せられていない。
不審に思われぬ為にもヤウスは床に片膝をつくと寝台を覆う布に手をかけた。右手で捲り上げると明かりの届かない下を覗き込む。



まず気づいたのは強い血臭。花の香よりも濃いその匂い。
そして次いで目に入ったのは男の体。彼のよく知る、部下であった……
「っひいぃぃぃいいっ!!」
悲鳴を上げて腰を抜かしたのは隣の同僚だった。ヤウスは愕然と変わり果てた男の姿を見つめる。
寝台の下に転がされた男は拘束されていない。する必要もないのだ。
―――― その四肢は全て切り落とされ、胴体だけの無残な生き物へと変えられていたのだから。



「『それ』はお前にくれてやろう、ヤウス」
鈴のように鳴る声。頭上に降り注ぐ声に男は体を震わせた。
のし掛かる圧力に顔が上げられない。彼は染み一つない床を睨み続ける。
その間に体を起こしたオルティアは、蕩けるような柔らかい笑みを浮かべ臣下であった男を見やった。
艶のある笑声が紅い唇から漏れ出す。
「既にこの件に関わった者は全て捕らえたぞ。後はお前だけだ。残念であったな」
「へ、陛下……」
「おや? まだ妾をそう呼んでくれるのか?」
あからさまな嘲弄がヤウスの頭を叩いた。その声に押しつぶされるようにして男は床に両膝をつく。
部下が捕らえられ、拷問を受けたということは既に全てが筒抜けであるのだろう。
好機を好機として使い切ることが出来なかった。彼は敗北したのだ。
がくがくと震えだすヤウスにオルティアは冷笑を投げかけた。
彼女が指を弾くと共に、部屋の影に隠れていた武官が彼を拘束する。
上流貴族相手とは思えぬ乱暴な扱い。
その最中にありながらヤウスが僅かな可能性を求めて反駁しようとした時、だが寝台の奥から男の声がかかった。
「左手に針持ってるぞ。多分毒針だから注意」
軽い声。
寄せられていた紗幕を上げて、一人の男が現れる。
本来女王の寝台に持ち込まれるはずもない長剣を当然のように抜いた男は、ヤウスと目が合うと人の悪い笑みを見せた。
「オルティアの声が間に合ってよかったな? もう一秒遅かったらお前の手首を切断していたところだ」
「どうせ処刑だ。手首があろうとなかろうとどちらでもよいわ」
「もう血塗れだもんな、この部屋」
「ファ、ファルサス国王……」



―――― 全て断たれた。
オルティアが重傷など嘘だったのだ。全ては彼をここに導き、真意を確かめる為の罠。
そんなことを知りもしない彼は、注視されているとも気づかず女王を弑そうと自ら動いた。
結果、言い逃れも聞かない程の袋小路に自身を追い込んでしまったのである。



武官が二人、左右から彼を拘束して引きずっていく。
それとは別の武官が、寝台下から彼の部下を引きずり出した。
魔法で延命されているだけの惨たらしい姿。女王を裏切った者の末路に、ヤウスの中で何かが弾ける。
「こ……この妖女が! 呪われろ! 忌まわしい女!」
狂乱する男。だが突然の罵声にもオルティアは動じない。ただ横目でヤウスを一瞥しただけだ。
「お前は……っ! いつか! この国を滅ぼす! お前の悪名は永遠に残る!」
四方の壁にぶつかる叫び。敗者の讒言をラルスは鼻で笑う。
オルティアは乱れた髪をかき上げると立ち上がった。去り行く男へ向かって言い放つ。
「それはお前の知り得ることではない。妾への評価は生きた人間のみが下すであろう」



笑うわけでも怒るわけでもない、ただ泰然と響く声。
女王の毅然は誰にも侵すことは出来ない―――― そう思わせるだけの威厳を以ってオルティアはそこに在った。
居合わせた者たちは畏怖を覚えながらもその威に対し粛然と居住まいを正す。
ヤウスは彼女の存在感に打たれ、何も言えぬまま武官たちに引き摺られていった。
彼の姿が見えなくなると、オルティアは隣の部屋に控えていたティゴールを呼びつける。
「あれの兄に釘を刺しておけ。どうせ弟の計画が成功しようがしまいが、邪魔者のどちらかは排除できると思って誘導したのであろう。
 いかにもあの男のやりそうなことだ。今回のことはいずれ清算させてやる」
「かしこまりました」
側近の男が退出するとオルティアは寝台に座ったままの男を振り返った。
女王の部屋に到達した暗殺者を悉く切り捨てた王。契約上の情人を半眼で見やる。
「……面倒をかけたな」
「別に。おもしろかった。他所の揉め事を見るのは楽しい」
「…………」
溜息をつく女王からはつい先程まで濃厚に漂っていた酷薄がさほど感じられない。
だがオルティアは玉座に在る者として、自らの纏う汚名や恐怖をも使い国を動かしていくのだ。
長く続くであろう茨の道。けれど彼女はその道を選んで歩いていく。
その果てにあるものが賞賛か悪名か。まだ誰もが分からないままだ。
オルティアは「犠牲になった者たちを丁重に弔ってやれ。遺族には見舞金を」と文官に命じると、男の隣に腰掛ける。
感情を封じ込めたその横顔をラルスは何か物言いたげに見やると、しかし何も言わずに欠伸を一つしたのだった。