飛ばない鳥 01

禁転載

兄の私室に招かれたのは、その時が初めてだった。
当時既に彼女は九歳。そしてその兄が十四歳だったことを考えれば、むしろそれは遅すぎる機会で、異常なことであると思われただろう。
だが彼らは大陸でも最強と言われる国家の王族だったのだ。血族を愛しながら憎み裏切る王家の末裔。
だから彼女は深夜唐突に兄の部屋に呼ばれた時、何よりも意外さに驚き―――― 次に用心した。
一つの玉座を争う兄妹同士として、彼が自分を殺す気ではないのかと。






「もう面倒だから今年の式典は高山の上で開催することにしないか?
 転移禁止にして正装で山を登りきった者だけが参加できるという形式に……」
「いたしません。どのような国ですかそれは。他国から顰蹙を買います」
「参加者が絞れていいと思うんだがなー」
執務机に頬杖をついて溜息をつく兄に、レウティシアは冷ややかな視線を向ける。
毎年ファルサスにおいて国王の誕生日近くに開かれる式典は、大陸諸国が外交関係を調整する為に欠かせない場となっているのだが、当の王はそれが面倒で仕方ないらしい。何とかして参加者を削ってやろうという意思が見て取れ、先程から彼女は頭の痛い思いを味わっていた。王の手から書類を取り上げると彼女はそれに目を通す。
「例年通りで進めます。よろしいですね? 兄上」
「ファルサスの諸侯連中だけでも登山させてみないか? 他国の人間じゃなきゃいいだろう」
「例年通りで進めます」
「任せた」
まったく表情の変わらぬまま王が手を振ると、レウティシアは礼をして執務室を辞した。廊下を行きながら文官たちを呼び手配を始める。

ラルスが即位してから四度目の式典。
兄ももう二十八歳になるのだ。そのことに気付いた彼女は何とはなしに書類を手にしたまま窓の外を見上げた。
―――― あの夜からもう十四年だ。
彼は生まれてからあの時までと同じだけの月日を、今もう一度重ねた。
この年月の間に果たして何かしらの変化はあったのだろうか。本心を滅多に見せることのない彼からそれを窺い知ることはレウティシアには出来ない。
彼女は声にならない溜息を紙面に落とすと目を閉じる。
そしてレウティシアは、変われないことの愚かしさを自覚すると……心中で一人嘆いた。



魔法大国と呼ばれ強国の中でも抜きん出た存在であるファルサス。
だがその国を支える王族は、現在ただ二人しか存在していない。
一人は勿論王である男。そしてもう一人が王妹である彼女だ。
かつては百人近くいた「直系」と呼ばれる王族が、たった数十年でどうしてここまで激減してしまったのか。
それはある廃王の狂行に端を発している。
死と猜疑を王族たちの中に振りまいていった廃王ディスラル―――― 彼の残した爪痕は六十年を経てもまだ癒えてはいない。

しかしその傷自体は、宮仕えの者であってもほとんどが知らぬ事実だ。
もっと明らかな事実は、ラルスには妻も子供もいないということだけ。
そしてこれは非常に由々しき事態であろう。かつては後宮に美姫が十数人置かれていたこともあるが、ラルスは他国から献上された彼女たちに自分の子供を産ませることはしなかった。むしろ政治的に利用価値がなくなると彼女たちに次々暇を出していったくらいである。
結果、現在ファルサスの後宮は名目だけで空なのだ。これは放っておける状態ではない。
「ファルサスの人間でもそうでなくてもどちらでもいいわ。頭の切れる美しい娘を呼びなさい」
「家柄は気にしなくてもよろしいので?」
「いいわ。そんなもの兄上が選んだ後からでも付け足せるのだから」
通常の式典準備に加え、将来の王妃候補をも出席させようと目論んでいるレウティシアは、そこまで指示すると不意に沈黙した。より詳細な容姿を条件に付け加えるかどうか迷う。
ラルスは美しい女が嫌いではない。女の容色に惑わされることはないが、美食を愉しむ程度には彼女たちの美しさを評価する。
だが彼には好みの容姿はないが、代わりに「好きではない容姿」というものが存在するのだ。
それは例を挙げるならレウティシア自身―――― 透きとおるような白い肌に蒼い瞳の、ファルサス王家によく見られる容貌だ。
彼女の兄は昔から、魔力を保つため血族結婚を繰り返した王族の歴史を嫌っていたが、その考え方が彼の好みにまで影響を及ぼしているのかもしれない。後宮に納められた女たちの中でも、ファルサス王族に似た容姿を持った一人だけは彼の足が遠かったと、レウティシアは女官から聞いたことがあった。
「まったく……いい加減遊んでばかりいないで後継を作ってもらいたいのだけれど」
とかく破天荒な王ではあるが、いつか妃を得て落ち着いてくれるのだろうか。
想像しがたい光景を想像しようとしてレウティシアは眉根をよせた。招待客の名を書き連ねた書類を確認しながら、その中の一人の上で視線を止める。

もしラルスが誰かを気に入る可能性があるとしたら。
それは「彼女」ではないのかと、レウティシアは考える。何処となく兄と似たところを持つ妖姫。
ラルスはキスクとの停戦交渉の際、女王である彼女を自分の妃に誘ったという。
それはかなり異例なことだ。少なくとも面と向かって嫌がらせをしてやろうというくらいには相手のことを目に留めている。
実際彼はそういった嫌がらせの場において嘘はつかない。「王妃にしてやる」と言ったのなら、その資格があると考えているのだろう。
だが、残念なことにその彼女はファルサス王妃にはなり得ない人材でもあるのだ。
ファルサス以上にかの国は今、王族不足である。そのような状況で辣腕の女王が、玉座を退き他国の妃になることを選ぶはずはないだろう。まともな手段ではまず不可能だ。
「となると……あとは力ずくかしら」
王妃一人を得る為に、その国を奪う。
それは度し難いことではあるが不可能ではないだろう。事実先だっての戦争でファルサスはキスクを圧倒した。
大国といえどもキスクは歴史の浅い国である。魔法の技術的にも両国には明確な差があり、正面から力比べをして敗北することなどまず考えられなかった。
レウティシアは、かの女王が数度にわたり自分たちに暗殺者を差し向けていたことを思い出すと、紅い唇で優美な笑みを形作る。
兄が望むのなら女王でもその国でも、いくらでも罪の清算をさせてやろうと考えながら。






初めて入った兄の部屋は「妙にがらんとしている」という印象だった。
余分なものが何一つない部屋は、わざわざ命じて調度品を減らさせたのだろう。王族の部屋としては殺風景と言ってもよかった。
もっともレウティシアも人のことは言えない。彼女は他国の姫のように花や宝石や香水などを部屋に並べることには興味がなかった。
ただ毎日を魔法と政務の勉強に費やしており、そこには少しの甘えも許されない。父王は自分の子二人に対し平等に厳しかった。
「レウティシア、来たか」
鋭い声は部屋の奥から聞こえた。兄の姿は見えないが、彼女は思わず身を竦める。
殺されるのではないかという緊張。だが彼はアカーシアを持つ王ではないのだ。彼女の防御結界を破ることはきっと出来ない。
レウティシアは呼吸を落ち着け精神を統御しようと試みる。その時また、少年の声が響いた。
「……ちゃんと一人で来ただろうな」
「はい、兄上」
「ならいい。こちらへ来い」
それは、彼らの運命を変えた夜だ。

―――― 本当に罪人であったのは誰なのか。






式典当日、オルティアは出席はしていたが、必要以上にラルスの傍へ近づこうとはしなかった。一度儀礼的な挨拶を述べただけであとはものの見事に避け続けている。しまいには早々に帰ってしまった女王を見やってレウティシアは兄の隣に寄ると耳打ちした。「よろしいのですか?」と名を呼ぶことを避けて問うと、ラルスは不思議そうな顔で妹を見下ろす。
「何がだ? オルティアか? あいつがまた何かしたのか」
「いえ何も。ですが兄上を思いっきり避けてらしたので」
「あいつは俺を嫌いな虫でも見るような目で見るよな。結構楽しい」
「…………」
これはやはり見当違いだったのかもしれない。
レウティシアは残りの言葉を飲み込むと兄の傍らから離れかけた。しかしその背に王の低い声がかけられる。
「レティ、独断専行はするなよ」
「兄上?」
「あの女は女王となってからの方が手強いぞ? 余計な手出しをするな。足下をすくわれる」
何と答えるべきか分からない。
彼女は迷った結果、黙って頭を下げると煌びやかな広間を出た。喧騒から遠く離れた夜の廊下で足を止め、小さく嘆息する。
「何を考えているのかしら、兄上は……」
手強いと思っている相手を何故野放しにしているのか。
自由にさせていいのは先が読める相手だけであると、父は彼に教えたはずだ。彼女もそう叩き込まれたのだから間違いない。
それともこれは「キスクなどいつでも屠れる」という自信の表れなのだろうか。―――― レウティシア自身が、そうして自由を与えられているように。



「ともかくこれではいつまで経っても後継が出来ないわね。まったく……私が城から離れられないじゃない」
「ええ? それは貴女が第一王位継承者である為ですか?」
少し離れた暗がりから聞こえてきた声。それはお世辞にも明瞭とは言えない、ぼんやりとした男の声だった。
レウティシアは顔を上げるより早く、無詠唱で構成を展開させながら声のした方へと向き直る。
「どなた?」
「ああ、申し訳御座いません、殿下。アルノ・ガルヴァノと申します。本日は父の代理で参りました」
人のよさそうな表情。闇の中から現れた、ごくごくありふれた容姿の男は、ファルサス一領主の家名を名乗ると礼をした。
レウティシアはその頭に訝しげな視線を投げかける。本来聞き取れるはずもない口の中での独白を耳にした彼は、その視線が持つ意味に気付いたらしい。
「昔から耳がよくて……」と苦笑した。細められた目の悪気のなさに、レウティシアは警戒を解かないまでも空気を和らげる。
「貴方がガルヴァノ侯の代理? 予定では貴方の姉が来ると聞いていたのだけれど」
そしてその姉は、ラルスの妃候補としてみなされていた一人だった。目論みがささやかに外れたレウティシアは細い首を軽く傾げる。

すぐに忘れてしまいそうな平凡な出会い。けれどそれは、彼女にとって忘れられないものとなった。
アルノは貼り付けたような笑顔のまま頭を下げる。
「申し訳ございません。連絡が行き届いていなかったようで……。
 ―――― 姉は昨日死にました。それで弟の私が父の代わりをすることになったのです」