飛ばない鳥 03

禁転載

無断で兄と会ってはいけない―――― それは或いは父の優しさだったのかもしれない。
いざと言う時、情に鈍らないように。深い悲しみに囚われないように。
だが、レウティシアの欲しかった優しさとはそのようなものより、もっと






ガルヴァノ家から届けられた調査報告書は整然としたものだった。
突然の令嬢の死について事故状況その他が不足なくまとめられており、最後には調査責任者として先日出会ったアルノともう一人城都の大貴族であるシバルド公爵が連名で記されている。
これは、領内だけで事件を片付けてしまうことにより生じる不透明さを避けるがゆえの配慮であろう。城都の貴族に依頼したのは、王族が不審を抱いた時すぐ彼から詳細を聞き取れるようにとのはからいに違いない。
レウティシアはアルノの人のよさそうな顔を思い出す。
あの時は凡庸な人間だと思ったが、なかなかどうして如才ない人間らしい。彼女は全て読み終えると、彼に書信を書くべくペンを取った。

ファルサス城において、レウティシアが一身に担う仕事は魔法に関する全てである。
魔法士たちの人事から教育、研究内容の把握と実験の許可、様々な最終決定が彼女のところに届けられ、レウティシアはそれらに采配を揮っていく。
もし一般に魔法大国と見なされるファルサスが本当に魔法のみの国であったなら、女王としてその頂点に立ったのは魔法士である彼女自身かもしれない。そうでなくともラルスが面倒がって放り投げた仕事などもそつなくこなしていく王妹に「兄妹が逆だったらよかったのに」と不敬な感想を抱いた者もいるだろう。
だが、そのような感想をレウティシアが聞いたなら、真っ向から否定されることは確かだ。彼女は自分が「どういう人間として作られたのか」よく知っている。レウティシアは執務室に自分の精霊と二人きりになると嘆息した。
「結局私は処理型の人間なのよね。そつなく、益ある結果に向けて、今あるものを処理していくっていう」
「それが問題なのでしょうか」
「問題とは言わないけれど、王の器ではないわ」
「何処の国であっても、王がかならずしもその器の持ち主であるとは限りません。その逆もまた然りです」
淡々と返す精霊の言いたいことは分かる。
王が常に名君の器を持っているのなら、この大陸にはそもそも暗黒時代など訪れなかっただろう。
消え去った国、今も残る国、それらの玉座に在った人間の多くがいわゆる「ただの人間」だった。そして野には器を持ちながらも王になれなかった者、その座を選ばなかった者も無数にいるのだ。
能力だけが王を決めるわけではない。その度し難さをレウティシアはよく知っている。
実際彼女の生きる国は「王族の血に意味がある」国なのだ。
彼女自身が自分の才を不十分と思っても、他に直系がいないのなら王として立たねばならない。
―――― そして彼女に課せられたものはそれだけではなかった。
「シルファ」
「はい」
「貴女が今まで仕えた主人たちは、どのような人間だった?」
千年を越える長い年月、人間界において「精霊」とされた上位魔族は、もっとも若い主人の問いに目を伏せた。
銀色の瞳が感傷に似た何かを刹那宿し、それは統御の向こうへと消え去る。
「皆様、ただの人間でした」
温かいとも温度がないとも取れる声音。
人であるレウティシアには、その言葉の意味は分からない。



不足なく整えられた報告書の中でただ一つだけあった書かれていない点。それは死亡した女が残した遺書の内容だった。
念のため書信にてそれを尋ねたレウティシアは、数日後届いた返信を見て目を丸くする。
それはアルノ自身からの返事で「遺書は自分宛の私信であるから、城の要請であっても公開出来ない」というものだった。
王族からの直々の要求をやんわりとかわすその態度に、不快よりも感心を覚えて彼女は苦笑する。
「中々面白い人ね。度胸もあるようだし。……でも」
レウティシアが取り上げたもう一枚の紙は、彼女が直接派遣した密偵からの報告書だ。
そこには「今回自殺した姉とアルノは目だって険悪というほどではないが、姉はアルノを嫌っていたらしい」と記されている。
どこまでが真実でどこからが虚偽なのか。レウティシアは絶世の美貌と謳われる顔を思考で染めた。いくつかの命題を次々と挙げていく。
「女の死は自殺か否か」「自殺ではないとしたら、事故か、殺人か」「そうであるならば何故自殺に見せかけるのか」「侯爵令嬢が死して益を得る人間はいるか」「彼女の家族関係、交友関係はどうであったか」
水泡のように現れては弾ける疑問。その大半を「保留」で終わらせ、レウティシアは椅子の背もたれに体を預けた。いつも自分が日中を過ごす執務室の天井を見上げ、長い息を吐き出す。
兄弟の不仲などというものは何処にでもあるのだろう。ファルサス然り、キスク然り、そして彼女たちのように身分が上になればなるほど。
だがそれらの全てが悲劇で終わるわけではない。終わらせたくないのだ。たとえそれが無駄な足掻きであっても。
彼女だけが味わう静寂。レウティシアはしばらくそのまま彫像のように停止した。生命を欠いたかのように時を止める。
そしてこの一瞬がとても長い年月と同義に思えた時―――― 彼女は転移魔法を発動し、唐突にその場から消え去ったのである。



ガルヴァノ侯が領地として治めている地方はファルサス城都から見て南西、なだらかな丘陵地帯と一つの山から成る場所だ。
そこは決して広大な面積を誇るわけではないが、国境に面していないせいか数百年来戦争の舞台になったことはない。
平和な領地を変わりなく治め続けるガルヴァノ家も、かつて王族筋の姫が嫁いだことなどにより大貴族の一つと数えられ、ガルヴァノ領は現当主である慈悲深い領主のもと恵まれて穏やかな土地として知られていた。

温かな陽の光。小高い丘の上に建てられた城は周囲の領地を一望できる。
緑豊かな風景の中、つつましやかに寄り添って建つ眼下の家々をレウティシアは何処か空虚な目で見下ろしていた。
一面海のように揺れる緑草が魔法着の裾をくすぐっていく。風に舞い上がる黒髪を彼女は白い指先で手繰った。終わらない思考の中を泳いでいく。
―――― 決断する時が迫っているのかもしれない。
それはここ数ヶ月ずっと彼女が迷い続けていることだ。
いや、もっと以前から気付いていたのかもしれない。いつかこのような日がくるのではないかと。
だがその予感を覚えてから一度も、彼女は自分が何を選ぶのか想像することが出来なかった。
ここに至った今でも分からない。このまま気付かない振りをするのか、それとも――――
「どうしてこのようなところに」
背後からかけられた声は、走ってきたのか少し息が上がっている。レウティシアは振り返るまでの数秒の間に微笑を作ると男を視界に入れた。
「すぐに来られるから。この国の中ならば何処へでも行けるわ」
「調査書に不備がございましたか?」
微妙にかみ合わない会話が、それぞれにとって作為的であることは明らかである。
レウティシアは肩を竦めると、男の乱れた髪を指差した。
「走ってきたのかしら。私だと気付いたの?」
「窓からお姿が見えましたもので。もしやと思いましたが来て正解でした」
二人の後ろには灰色の城壁が聳えている。おそらくアルノはこの壁よりも高い部屋から彼女の姿を見止めたのだろう。
視力の良さを称えるべきか、ここまで走ってきたことを感心するべきか、レウティシアは言葉を選びかねて微苦笑した。先程の彼の疑問に答を返す。
「不備はなかったわ。よく出来た報告書だった」
「ありがとうございます」
「遺書には何が書かれていたの?」
「私への私信です。読まれて気分のよいものではないでしょうし、既に焼いてしまいました」
突然の切り替えしにも眉一つ動かさずついてくる。その豪胆さに彼女は好感を持った。それと同量の油断ならなさも。
「貴方は姉君と親しかったのかしら」
既に答の明白な問いかけにアルノは苦い笑みを見せた。茶色の瞳が一瞬、傷を帯びて煌く。
「いいえ。ご存知の通りで、それが真実です」
二人の間を風が吹き抜けた。生温いそれは、まるで倦怠感を誘うかのように全身に纏わりつき、肌の上を撫でて行く。
レウティシアは男から視線を逸らすと天を仰いだ。雲の流れが早い上空はもっと強い風が吹いているのだろう。その下を翼を広げて飛ぶ鳥の影が見えた。黒く大きな影を彼女の視線は諦観を持って追う。男はそんな姿をただ黙って見つめていた。



―――― 決断を、しなければ。
進むべきか、退くべきかではない。退くことは最初から許されていない。
そして留まることもまもなく出来なくなるだろう。彼女にある選択肢とは「いつ進むか」しかないのだ。
その時を兄が待っているのか違うのか、レウティシアには読み取れない。読み取れないから惑う。
気づいた時には既にどうしようもなく不自由で、「別の時代に生まれたかった」と、少しだけ思っていた。



不審にも思える自殺が、どうしても気になったわけではない。
彼女が死んで得をする人間は調べた限りでは存在しないのだ。本来ならばもっとも怪しいであろうアルノも、家督を継がない姉を排除する意味などまるでない。むしろ王妃候補として後押しする方がよほど有益だ。
だからこうしてここまで来たのは、単に少し外へ出たかったからなのだろう。彼女が居続けるあの城から、遠く離れた外へ。
「普段もこのようなことをされるのですか?」
風に親和し溶けてしまいそうな男の声。彼の言う「このようなこと」が何のことか分からず、レウティシアはアルノを見やった。
彼は「失礼」と断ると手を伸ばして彼女の髪に紛れた草を取り去る。
「どのようなことかしら」
「お一人で遠出をなさることです」
「……時々?」
無断での外出はさすがに月に一度あるかないかぐらいではあるが、他の王族と比べれば充分多いかもしれない。
彼女は目を閉じて微笑むと「自分で動いた方が早いこともあるわ」と嘯いた。男に背を向け丘の下を眺める。
遠い町並は平和そのものだ。あの場所で生まれ育った人間は温かな家族に恵まれうるのだろうか……そんなことさえ頭をよぎる。
レウティシアは目を閉じ、束の間の空想に浸った。もし自分が生まれていなかったら、今頃城はどうであったのかと。
「殿下はまるで、誰も信じていらっしゃらない方のようだ」
男の声は耳に心地よい。そしてその分だけ、レウティシアには物悲しく聞こえたのだった。