飛ばない鳥 08

禁転載

そう作られたのです。
でも選んだのは私。主体は私一人。
ですから私は、己の罪を忘れることが出来ません。



「自分がどのような役割を振られ、どう育てられたのか」
レウティシアが断続的に語る間、アルノはじっと水滴のような彼女の言葉に耳を傾けていた。
憐れむわけでもなく慰めるわけでもなく、ただ沈黙を保って話に聞き入り、そしてだからこそレウティシアも取り乱さずに話すことが出来たのだろう。
生まれて初めて血族以外に王家にまつわる歪みを吐露した彼女は、ふっと言葉を切ると冷めかけたお茶に視線を落とした。薄茶色に澄んだお茶は蒼い瞳を映しこんで微かに震えている。
重く沈殿する静寂。それは闇の只中に立つ彼女と俯瞰する男の間に音もなく横たわっていた。
カップを見下ろしたまま動かないレウティシアに、アルノは沈着な声音で返す。
「殿下に直接申し上げることは非礼かと存じますが、廃王以来ファルサスが王への抑止力を必要としたことは当然の結果でございましょう。
 それを血を分けた方同士で担うということは残酷なことでもありますが、直系の方と並び得る方というとやはり直系しかおられない。
 陛下もそれをよくご理解くださっているのではないのですか?
 殿下についても平時には無意味な役割でしょう。今、陛下の為に尽力されている貴女は堂々としてらっしゃればよい」
アルノの言うことは正論だろう。
ラルスは幼い頃から妹がいざという時自分を粛清する人間になると知っていた。
知っていたからこそ彼は精霊継承を放棄したのだ。妹が自分に勝ち得るように、そして自分が第二のディスラルにならないようにと。
だが、今のところラルスは有能な王としてファルサスを統治し続けている。
そして兄がそうである限り、レウティシアもただの王妹として王に仕えることが出来るのだ。
気に病む必要はないと指摘する男に彼女は微笑しようとして失敗し、苦く歪んだ表情を見せた。蒼い瞳が影を帯びて昏くなる。
―――― もし彼の言う通りであればどれほどよかったか。
彼女が断罪者として完全であったなら、そう割り切ることも出来ただろう。自分はファルサスにとって必要な刃なのだと。
だが、そうなれなかったのは彼女自身のせいだ。レウティシアは目を閉じると捻れた精神に思いを馳せる。
「断罪者とは、言わば潜在的な王の競争者でもあるの。
 たった六十年の間にどうしてこれ程までに直系が激減したと思う? 
 それはディスラルの協力者の存在に彼らが疑心暗鬼になったから、というだけではないわ。
 王は自分と廃し得る者を、そして廃し得る者は王位の継承者を、彼らはそれぞれ潜在的な敵手とみなした。
 それまで血族結婚を繰り返し絡み合った彼らは、切っ掛けを得て血族同士争うことを知ったのよ。そしてそれを正当化出来る理由を得た。
 単に相手を敗北せしめ『ディスラルの賛同者』だと言えばそれでいいのだから」

血が騒いだのかもしれない。
自身の実力を最大限に揮える程の敵手と戦い得るということに。
或いは淀んだ血の清算をしたかったのか。戻らない時間を巻き戻したかったのか。
国の為か驕りの為か。誇りの為か恐れの為か。自らを正義と信じたのか。自らの欲に殉じたのか。
一人一人の理由を窺い知ることは出来ない。ただ彼らは殺しあった。

「そして私たちもその血を引いているわ。血族を敵手として闘争する王家の一員。
 私ね、どうして兄上が王妃を迎えられないのか、その理由を分かっていたの。でも分からない振りをしていたかった」
レウティシアはかぶりを振る。ひどく疲れ果てた時と同じ息苦しさが込み上げ、彼女は乾いた唇を動かし喘いだ。一人の時幾度となく思考を彷徨わせたように己の歩いてきた道筋を振り返る。
約一年前、大陸は突如現れた魔女の脅威にさらされた。
その時彼女は確かに、兄に代わって己の命を懸け力を揮おうと思っていたのだ。
結局戦いにおいて彼女は致命的な怪我を負わなかったが、レウティシアは「外敵」に集中出来ていた時間が遠くなるにつれ、こう思う。
―――― いっそあの時そうして死していたなら、自分たちは楽になれたのだろうか、と。
けれどその思考もレウティシア自身によってすぐに否定されるのだ。彼女は負けることを許されていない。それが叶う相手は王のみだ。
王の為に生きて王の為に死す。そして王の最大の敵でもある人間。ならばその終わりは何処にあるのだろう。いつまで、いつになったら
「……きっと兄上もその時を待っていたわ」
「殿下?」
「終わる時を待っていたのよ。でも私がいつまで経っても決心をつけられなかったから、兄上は王妃を迎えられなかった。
 殺しやすい人間が宮廷内にいたならまずそちらから狙われるでしょう? だから後継も作れなかった。子供は自分を守る力がないから」
「殿下」
様子のおかしさを感じ取ったアルノが鋭い声をかける。しかしレウティシアはそれにも気付かず交差させた自分の十指を睨んでいた。
細く白い指はそれぞれが他の指を折ろうとしているかのように震えながら食い込み絡み合っている。徐々に赤黒く染まっていく女の指先を見て、アルノは厳しい顔で席を立った。
「でももう限界なの。時間がない。兄上は玉座がお嫌いだから……
 だから王妃を迎えずに子供だけを……そうすれば私から遠く離れた場所で子供を産ませられる。
 殺せない女を選んで私に示すの、『全て分かっている』と、それは私が……」
「殿下、落ち着いて」
男の手が横から彼女の手首を取る。眉を寄せ自分を覗き込んでくるアルノを見て、レウティシアは初めて自分の指が凝り固まったかのようにじくじくと痛むことに気付いた。人形の如く空虚な女の目に、彼は一つ息を吐くと穏やかな視線を注ぐ。
「落ち着いて下さい。陛下が王妃を迎えられなかったことの原因が何故殿下にあるとお考えになるのです。
 単に今までお気に召す女性がどなたもいらっしゃらなかっただけかもしれない。今回たまたまそれが他国の方でいらしただけでしょう」
「……そうかしら?」
ラルスがオルティアを選んだと知った時、彼女はまず安堵し、そして直後慄いた。
やはり兄はかの女王が気に入ったのだと、これでようやく後継者を得られると思いながら、しかしレウティシアはすぐに、彼が妹を意識して害しにくい女を選んだ可能性を考えてしまったのだ。
王を殺して簒奪を計ろうとする者も、隣国、しかも大国の女王など容易には手にかけられない。下手をしたら同時に二国を相手にする覚悟さえ必要だ。
レウティシアは転移によってキスク城内にも侵入が出来るが、他国の城で守られていた方がファルサスの王妃であるより安全であるだろう。
王の子を身篭る間、その母は彼女から遠く離れた場所にいられるのだ。
ラルスはそこまで計算してオルティアを選んだのではないか。



アルノは歪に傾いた女の目に少し驚きを見せて、だが彼女の手を離そうとはしなかった。
嵐が来る直前の海に対するように、静かな意思を以ってレウティシアを見下ろす。
「殿下、貴女が潜在的には王の敵対者であろうともそれは可能的な問題に他ならないでしょう。
 実情がどうであるかは殿下ご自身がよくお分かりのはずです。
 それでも納得できないと仰るなら陛下に直接お尋ねになっては如何ですか? ご自分一人で思いつめられてはよろしくない」
彼の声は確かで、それだけが崩れ落ちそうなレウティシアの精神をかろうじて今に繋ぎとめていた。
一つ一つ言い含めるようなアルノの言葉に聞き入る彼女は、けれど自嘲ぎみに首を左右に振る。陰惨を水に溶いて落としたかのように蒼い瞳が濁った。
「聞かなくても分かる。兄上は私が敵対者だと分かっているもの」
「ならば弁解されればいい。その認識は事実とは異なると」
「違わない」
「―― は?」

『お前は忠実すぎる、レウティシア』
何に忠実なのかは言われなかった。だがレウティシアにはそれが何であるかはっきり分かったのだ。
「ファルサスの血に忠実すぎる」と。
血族殺しの末裔として彼女はその性に囚われている。逃れたくとも己の罪を忘れられないのだ。
レウティシアは片手で己の両眼を覆う。
「私は……」
―――― それは、二人の運命を変えた夜のことだ。






兄を殺せるようになれと言われてから四年。レウティシアは己に課せられた役割に日夜苛まれながら、それでも魔法の腕を上げていった。
だが、あっという間に宮廷魔法士のほとんどを抜き去ったその実力を以ってしても、彼女は常に兄には勝てないという意識を持たざるを得なかったのだ。
それくらいラルスは剣の技量に秀でておりそれを磨くことを怠らなかった。五歳の年齢差を差し引いても二人の実力の差は歴然としていたのである。
成長すればいつか兄を追い抜ける日が来るのだろうか。
それは彼女が抱くささやかな希望の可能性ではあったが、その度にレウティシアは己の甘い考えを否定した。
王となる彼はいつかアカーシアを継ぐ。そうなればおそらく魔法士である彼女にもう勝ち目はないだろう。レウティシアはラルスを殺すことが出来ない。
ならば何故自分はこのような役割を振られているのか。このままでいていいのだろうか。
そんな考えに悩まされる彼女に「その夜」はやってきた。



「傷を見せてください」
掠れた声で頼むと少年は頷いて上着を脱いだ。痣だらけの上半身の中、魔法で切り裂かれた腹部が目に入る。
誰がこの傷を負わせたのか。レウティシアは自分よりはるかに勝るであろう魔法士の正体に瞬間想像を巡らせた。
だがすぐに兄の傷口からとろりと流れ出す血に気付いて止血の為の構成を組む。様々な疑問を頭の隅で考えながら彼女は治癒を始めた。しばらくして兄の声が彼女を呼ぶ。
「レウティシア」
「何でございましょう、兄上」
「誰にも言うな」
いつも誇りと自信を備え持つ強靭な少年の瞳は、その時ひどく疲れているように見えた。
喪失と屈辱、混乱と諦観、怒りと自嘲、そんなものがないまぜになって蒼白な兄の顔をレウティシアは注視する。
そして彼女は、ふっと思ってしまったのだ。
今まで一度も得られなかった可能性を囁くように―――― 「今なら殺せる」と。



その夜から七晩、彼女は兄を殺す夢を見続けた。
レウティシアは朝方目が覚める度に泣き叫び……そうして一人、染み付いた己の性に絶望したのである。