蜂蜜

禁転載

「蜂蜜レモン?」
「レモンがなかったんですよ……」
城の中庭にて、木陰の下で座り込む雫の膝上に置かれた皿の中身を、エリクとハーヴは覗き込む。
そこにはファルサスではありふれた柑橘類であるデウゴが輪切りになって沈んでいた。沈んでいる液体の方は蜂蜜。沈めたのは雫である。
「蜂蜜レモンって何処で区切るの? 呪文?」
「いや、どう考えても蜂蜜とレモンだろ? レモンがないって言ってるんだし」
「接尾語かもしれない」
「蜂蜜とレモンです」
本題に入る前に激しく脱線してしまった。雫はてっとりばやく「試作品のおやつです。食べてください」とまとめる。
ファルサスの城に滞在するようになってから、彼女はおやつをもらったり作ったりする為に日に一度は厨房に出入りしているのだが、 今日はそこで大きな瓶いっぱいに詰まった黄金色の蜂蜜を見つけたのだ。その色合いがあまりにも見事だった為、「凄い!」と歓声を上げたところ厨士が 「ちょっとあげるよ」と小さい瓶に詰め替えてくれた。さて何に使おうかと考えた挙句、彼女は元の世界で部活の時などにお目にかかった「蜂蜜レモン」を作ることに決めたのである。
「色と形から漬けるものを選んできたんで、ちゃんと合ってるといいんですが」
雫はおしぼりを示して「どうぞ」と皿を差し出した。
一応自分でも食べてみたのだが、どうも念頭にオリジナルの味があるせいか、不味くはないが味のよしあしがよく分からなかったのである。
二人はそれぞれ手を拭くと、どれどれと言った様子でデウゴの輪切りを手に取り、口に入れた。
雫がまじまじと様子を見ていると、ハーヴが「美味しい」と返してくる。
「これ、皮まで食べていいの?」
「食べられるんだったらいいと思いますよ」
自分でも無責任な発言だと思うが、分からないのでそうとしか答えようがない。
厨房でもらった時は「食べても平気だよ」と言われただけで、味については言及されなかったのだ。
雫は何となく気になってエリクの表情に注目したが、彼が何かを食べて顔に反応を出した、という経験は今までまったく記憶にない。
一度梅干か何かを食べさせてみたいのだが、どうなるか微塵も想像できない時点で半分は負けている気がする。

雫は膝上の深皿から自分も一枚デウゴを取って食べてみた。レモンよりも酸味がなく、甘さが強い。
蜂蜜とあいまってそのまま食べるよりお湯で割った方がよかったかもしれないと、心の中で呟きながら手を拭く。
エリクとハーヴは物珍しさも手伝ってか黙々と蜂蜜漬けの柑橘類を消費していった。
ハーヴは向こう側が透けるほどに蜂蜜が染み渡った一枚をしみじみと眺めながら、口にしてはまったく関係ないことを話題にする。
「そう言えば雫さんの国ってどんなとこなんだ?」
「ぐ……」
ハーヴは、彼女が何らかの未知の力でこの大陸に飛ばされてしまったことを知ってはいるが、まさか「異世界から来た」とは知らない。
この城でそれを知っているのは王族二人とエリクだけであり、雫は情報開示についてはエリクに一任していた。
ハーヴは彼の親しい友人でもあるし、「別に教えてもいいと思うんですけど」と言った事もあるのだが、その時のエリクの返事は
「あれで歴史専攻の人間だからね。意外なところで好奇心が強い。お互いの為に知らないままの方が無難だよ」
という苦笑混じりのものだった。
その為雫は、出身国について尋ねられた質問に何処まで答えていいのか分からず、挙動不審に視線を彷徨わせる羽目になったのである。
「わ、私の国ですか」
「そう。どんな国? 出来てからどれくらい?」
これは不味い、と雫は冷や汗を流した。この調子で答えていったらいずれボロがでることは確実だろう。
今のところハーヴが彼女の出身地についてどれくらい怪しんでいるか、どのような予想をしているかは分からないが、それを自ら悪化させることは賢明とは思えなかった。詰まってしまった雫を見かねたのか、エリクが代わって口を挟む。
「彼女の国は魔法士がいないらしいよ」
「本当か!? 凄いな。別大陸にはまったく魔法がないって説もあるが……それで困らないのかな」
「ないのが当たり前、なので」
「そっか。当然だと思ってると不便も感じようがないだろうな」
ハーヴは納得しながらも何処か残念そうに首を横に振る。
出来ればこのまま話が逸れていって欲しい、そう念じた雫はしかし、すぐには新しい話題も降ってこず、 蜂蜜のたっぷり入った皿を抱えたまま怪しい笑顔を浮かべた―――― その時、目の前を上から下に何かが通り過ぎていく。
「……うわっ!」
弾ける金色の飛沫に彼女は皿を抱え込んだが、時既に遅し、である。雫は顔についた蜂蜜を手で拭った。皿の中を覗き込む。
「何これ」
「あー、ネコロだ。木の実だよ」
言われて見ると蜂蜜の中に沈んだそれは、どんぐりよりも少し大きいくらいの木の実であった。
三人が座り込んだ木陰がそのネコロの木なのであろう。
話題ではなく木の実が降ってきたことで、雫はすっかり蜂蜜まみれになってしまった自分を見下ろした。膝丈のスカートを広げてみる。
「ぐ……これは着替えかな」
基本として半袖の白いブラウスに紺色のフレアスカートを着ている彼女は、エプロン以外の場所にもふんだんに飛沫がついてしまっていることを確認すると、乾いた笑顔でかぶりを振った。その彼女から皿を受け取ったエリクはまったく表情を変えず空を見上げる。
「天気いいからすぐ乾くよ」
「蜂蜜のまま乾いたらひどいことになるので、洗ってきます」
「うん」
まったく不運だが、まだ休憩時間には間に合うだろう。
立ち上がった雫は顔の他に蜂蜜がついてないか簡単に確認した。剥き出しの膝頭にエリクが手を伸ばす。
「ここにもついてる」
「あちゃー。べたべたする前に拭いて来ますね」
「いってらっしゃい」
軽く手を振って宿舎の方に走っていく少女を魔法士二人は見送った。一人は平然と、もう一人は唖然として。
ハーヴは雫の姿が見えなくなると、皿を抱えて次の一枚を食べる友人を振り返った。
「お前、何やってんの」
「何って? 食べてる」
「見れば分かる」
とかくこの友人は連れの少女に対し過保護なところがあるが、それにも限度というものがあるだろう。
彼女の膝についた蜂蜜を手で取って当然のように舐めた男を、ハーヴは呆れ果てた目で見やった。
彼からすると異性間でそんなことをするのは余程親しい恋人同士か、それとも蜂蜜が死ぬ程好きな甘党かのどちらかだと思うのだが、どちらもそうとは思えない。
少なくとも雫は驚いていなかったのだから、ずれているのは二人かハーヴかの二択だろう。
黙々と蜂蜜漬けのおやつを消費するエリクに「恋人だったのか?」と聞くか「そんなに甘党だったか?」と聞くか彼は決めかねると、よく晴れた天を仰ぐ。
城の上空は雲一つない透き通る青空だった。