お祭りごと

禁転載

始まりはエリクとのちょっとした会話だった。
すぐに雫はこれを「口は災いの元」として後悔することになる。

「ガクエンサイ?」
ファルサス城の談話室。そこで一緒になった休憩時間に妻とお茶を飲んでいたエリクは、彼女の言葉をそのまま聞き返した。
雫は頷くと共通語に訳しなおす。
「学校のお祭りですよ。数十人単位で店を開いたり出し物をしたりするんです」
「店を開いたりって、学生が?」
「です。私も高校の時はやりましたよ。大学のお祭りは参加する前にこっち来ちゃいましたけど……」
雫の出身世界の行事である「学園祭」。何故それが今話題になっているかというと、まもなくファルサス城都でアイテア祝祭が行われる為だ。
月の半分はファルサス城に出向いてそれぞれ研究に携わっている二人も、祝祭が行われる間は通常の仕事が休みになる。
その間祭を見物でもしようかと思っていた雫は、ふとかつての学校行事を思い出し、それについて他意なく口にしたのだ。
「ヤキソバ焼いたりお化け屋敷開いたり……。で、集客数を争うんですよ。場所によっても違ってきますから結構熾烈ですね」
「ほう。面白いな」
―――― 背後から聞こえてきた男の声は、夫のものではなかった。
それが誰のものか、振り返らずとも分かった雫は凍りつく。何となくいやーな予感に顔が強張った。
エリクが無表情でお茶を飲む間、この城の主である男は雫の真後ろに立つと満面の笑顔を浮かべる。
「で? 詳しく聞かせてもらおうか。俺もやってみたい」
「…………うわぁ」

この時点で今年のアイテア祝祭は無事には終わらないと決定した。
ファルサス暦八百三十六年。時のドサドな国王が三十一歳になる直前のことである。






「というわけで、今年の祝祭は城の一部を開放して模擬店を開く。
 人数は一組最大三十人まで。予算は城から出そう。その上で純利益を争い、一位になった組には褒美を与える」
突然の王の布告に集められた文官武官は何も言えない。皆それぞれ気を挫かれた顔で主君を見つめる。
その中で激しく頭を抱えていた雫はラルスと目が合ったことで反射的に逃げ出したくなった。しかしその前に王の指が真っ直ぐ彼女を指す。
「ちなみに原案者は逃亡禁止だ。はりきって参加しろ」
「いつの間に原案者に……」
「一位になった組には『お願いを叶えてあげる券』が配られる。使用は各人一度きり。対象は城内の人間なら誰でもいい。
 ただし個人的な願い事に限る。勿論とんでもない要求だった場合には拒否権をやろう。
 揉めたら俺のところに持って来い。適当に裁量してやる」
子供の遊びに用いられるような名の褒美。
だがその意味するところの大きさに、一同はざわめいた。
王が関わる競争で「願いを叶える」券が配られるというのだ。個人的な願い事に限られるとは言え、その使いどころは無限にある。
途端に色めき立つ臣下たちを前に、王は晴れ晴れしすぎて嫌な笑顔を見せた。
「勿論俺も参加するからなー。手加減しないから覚悟しろ」
一体何の勝負だというのか。臣下たちの中でも四十代以上の人間たちはいつもながらの王の気紛れに溜息をついたが、若い人間はむしろやる気になったようである。―――― そしてそれは、強制参加を命じられた雫も例外ではなかったのだ。






家に帰って来て妻の話を聞いたエリクは目を丸くした。彼はその時研究室に詰めており、ラルスの話を聞いていなかったのだ。
祝祭当日も研究発表があり模擬店どころではない男は雫に聞き返す。
「で? 君もやるんだって?」
「強制って言われちゃったんですよね。何かいつのまにか首謀者みたいになってて……」
「僕が断ってくるよ。その体だし」
夫の言葉に雫は丸く膨らんだ自分の腹部を見下ろす。出産までにはまだ四ヶ月はあり、体調も安定しているので仕事に出ているのだが、確かに肉体労働に向く体ではないだろう。だが彼女は笑って首を左右に振った。
「大丈夫ですよ。出来ることだけやりますし。ユーラも一緒にやってくれますから」
「本当に? 無理しない方がいいよ。あの方の気紛れに強制力はないんだから」
「気をつけてやりますから見逃してください。―――― それに私、一位狙いますから」
にやりと笑う雫に、エリクは数秒考え込むと好きにさせることを決めた。
見るからに妊婦である彼女なら周囲も気をつけるであろうし、自分が仕事をしている間、彼女が友人たちと楽しんでいるなら、それで問題ないと思ったのだ。彼は「何か手伝うことがあったら言って」とだけ言ってこの件についての話を終えると、料理の盛られた皿を運び始める。
そうしてどたばたと日々の雑務に追われているうちに、祝祭の当日はあっという間にやってきたのである。






異世界の城内に学園祭の風景は似合わない。
それが雫の抱いた第一印象だった。広い城のうち、一番城門近くの建物を開放しての眺めに彼女は複雑な表情を浮かべる。
普段城内には入れない国民たち。彼らが困惑の顔で入場してくる中、不思議な着ぐるみを着た客引きが花束を手に跳び回っていた。
何処からか撒かれているらしき紙ふぶきが、よく晴れた日の風に乗って降り注ぎ、子供たちを喜ばせる。
あちこちから漂ってくるいい香りは模擬店からのものだろう。雫は肉の焼ける香ばしい香りに神妙な顔になった。
「負けてられないなー」
もともと実力主義を謳って憚らないファルサス城だ。そこに仕える人間たちは得意分野は分かれていても、皆がそれなりに優秀な者たちである。
そんな彼らが私欲の為に本気になっているこの祝祭、雫もいつまでも傍観はしていられないだろう。
彼女はクリームをたっぷり詰めた袋を抱え中庭へと向かった。そしてそこで、意外なことにもう一人の主君に出くわす。
「そのような体で何処へ行っていた。一人で歩き回るな」
雫の顔を見るなりそう言い放ったのは隣国キスクの女王である。
護衛を連れているとは言え、女王が祝祭の只中にいることに雫はさすがに唖然としてしまった。クリームを抱いたまま聞き返す。
「姫、どうされたんです」
「この国の馬鹿王に呼び出された。おかしな勝負をしているから来いと」
「それは…………申し訳ありません」
首謀者ではないのだがさすがに謝りたくなってしまう。多忙で知られるオルティアに雫は深々と頭を下げた。
だが大して気にもしていないらしい女王は、「構わぬ」とだけ言って雫のいる露店の売り物を覗き込む。
「魚の形をしているな」
「ああ、タイヤキです。前にティナーシャさんが気に入ってらしたので、この世界の人は好きかなと思いまして」
昔雫がエリクの為に作ったドラ焼きは、いつの間にか「ヴァレンティンまんじゅう」として城内に広まっているが、今回雫は更に魚の鋳型を発注してタイヤキを売ってみることにしたのだ。この世界には動物の形を模したお菓子などほとんどない為、上手くすればうけるかもしれない。
実際人が城内に入り始めてから、子供たちを先頭に露店には多くの人が集まり始めていた。
彼らの接客をユーラや女官たちに任せた雫は「何が入っているのだ?」とオルティアに尋ねられ、何種類か用意した中身の見本を示す。
「アンコと卵クリームと苺クリーム……あとこれはジャガイモを炒めたものですね。
 本当はチョコレートも考えたんですけど、予算超えちゃうんで諦めました」
「金なら妾が出してやろう。後でキスクに持ってくるがよい。―――― とりあえずどれか一つ貰おうか」
「はい」
オルティアの菓子の好みはよく分かっている。雫は焼きたての苺クリームタイヤキを一つ袋に入れた。
しかしそれを女王に差し出す前に、オルティアの細い体は宙に浮き上がる。
「オルティア、来たな! よし、遊んで行け!」
「っ、放せ! 人を持ち上げるな!」
「と言ってもお前歩幅が狭いからな。合わせるの面倒だし我慢しろ」
とても間に子供がいるようには見えない犬猿の国王同士。
男女二人の応酬に周囲の人間は慄きながらも注目したが、ラルスはそれには構わなかった。
すぐ傍にある臨時の建物に向かってオルティアを持ち運んでいく。木で出来た壁にはおどろおどろしい絵が書かれているが、それは下手だからこそおどろおどろしく見えるのかもしれない。国王特製の「お化け屋敷」に拉致される女王を見やって雫は慌てた。
「さ、入るぞー。怖いぞー」
「誰が怖がるか! 妾を子供のように扱うな!」
「姫! そこに入っちゃ駄目ですよ!」
ラルスがどういうものを作ったのか、「お化け屋敷」について根掘り葉掘り聞かれた雫はよく知っている。
だが彼女の忠告にもかかわらずオルティアは妙な対抗心を刺激されたのか、隣国王に向かって啖呵を切った。
「下ろせ! 一人で歩けるわ! 怖いことなど何もない!」
「あ、そう? なら俺後ろからついてくぞ? お前が降参した時に回収出来るように」
「降参などするか! このような作り物に……」
応酬を繰り広げながらお化け屋敷の中に消えてしまった二人の国王。取り残された護衛たちの一人に、雫は行き場のなくなったタイヤキを差し出した。
苦々しい表情の男はそれに気づくと受け取りながらも雫の腹を一瞥する。
「……元気そうだな」
「うん。あんたも」
キスクではたまに会うが、このようにファルサスで顔を合わせることは珍しい。
ニケは溜息をつきたそうな顔で受け取った菓子に口をつけた。そして、そのまま絶句し硬直する。
「…………これ、滅茶苦茶甘いぞ。どうなってるんだ」
「だってそういうものだもん。じゃがいもの方にする?」
「これでいい。二つは食えん」
甘い、と不平を言う割にきちんと食べるのは根が律儀だからだろうか。
雫は何となく彼の隣に立ちながら、まもなく訪れるであろう変化を待った。
―――― 一分後、予想通りお化け屋敷の方から女の悲鳴と男の爆笑が聞こえてくると、彼女は頭を抱えて「やっぱり……」と呟いたのである。



ラルスはすぐに気を失ったオルティアを抱いて戻ってきた。深く溜息をつく雫に可笑しそうに笑って見せる。
「虫の穴に落ちて気絶したぞ。やわだなー」
「だからそれお化け屋敷じゃないですよ……。反則です。生きてる虫ですし」
「毒のない奴だから平気だ。落ち着いて這い出ればいいだけ」
「それが出来る人間の方が少数派です」
どうもこの国王は前に雫が話した「ぞっとするシチュエーション(洋画版)」と「お化け屋敷」を混同しているらしい。
彼女は美しい顔を歪めて意識を手放している女王と、次々お化け屋敷の中から聞こえてくる絶叫に心の中で謝罪した。
ラルスが「オルティアを置いてくる」と言って護衛たちごと姿を消すと、雫は露店へと戻る。
既にそこは物珍しい食べ物を欲しがる人々で長い行列が出来ており、黙々とタイヤキを焼くメアを筆頭に女官たちが対応に追われているところだった。雫は彼女たちに加わって生地の追加を作りながらユーラに囁く。
「何かちょっとした世間話で大事になってしまった……すみません」
「あら。でもこれ、とっても楽しいですわ。ヴィヴィアさん」
滅多にないお祭りごと。その中でも前例のない行事に嬉しそうなユーラを見やると、雫は破顔して「ありがとうございます」と笑った。
―――― そして実際この露店は、終始好評を呼んで城内での利益一位を勝ち取ることに成功したのである。






機嫌のよい妻に研究発表を終えたエリクは苦笑する。
途中、窓から見た人出の多さにどうしているかと心配したものだが、彼女は何の問題もなく祝祭を楽しんでいたらしい。
一位を取れたとの報告に彼は食後のお茶を受け取りながら尋ねた。
「で、何を願うか決めたの? その券貰って」
「もう使ってきましたよ。王様に」
「へぇ。何を頼んだの?」
雫がラルスに頼みそうなことなど沢山あってすぐには想像がつかない。
夫の問いに彼女はしてやったりといった笑顔を浮かべる。
「殿下の前では好き嫌いなく人参も食べるようにって、頼んできました」
「……なるほど」
それはこの企画を強行したラルスも自業自得の結末であろう。
特に好き嫌いのないエリクは妻の腹部を見ながらお茶に口をつけた。ふと思い当たることがあって聞き返す。
「そういえば何か途中で爆発音がしてたけど、あれ何があったの?」
「あー……レウティシア様がお化け屋敷に吃驚して建物を破壊されちゃったんですよ。
 でも仕方ないですよね、あれは」
折角のお化け屋敷を半壊させられたラルスも、妹とオルティアの両方に責められては諦めざるを得なかったらしい。
ある意味非常に妥当な結末となった祝祭にエリクは何も言わず笑った。
こうして平穏極まりない彼らの日常はまた一つ夜を越えていく。



アイテア祝祭において、城を開放しての行事は好評を得たものもあったが、某「虫穴」のせいで二度と開かれることはなかった。
またこのあとしばらくファルサス城都では、魚の形をした菓子が流行ったということである。