幕間のおはなし

禁転載

荒涼とした戦場には血の臭いだけでなく、魔物たちの死骸が放つ耐え難い異臭もまた立ち込めている。
長く続いた戦闘の果て、ぶつかり合った両陣営の勝敗はほぼ決したとは言え、続く掃討はまだ終わってはいなかった。
前線を支える男に向かい、空中から鉤爪が振り下ろされる。白く鋭い切っ先を兵士の男は咄嗟に剣で受けた。
まるで捻れたような形状の豪腕。人ならざる怪力で爪を押し込んでくる魔物に、彼は歯を食いしばる。
ここで力負けをしようものなら、自らの体が無残に切り裂かれることは間違いない。
男は全身の力を剣を支える両腕に込め、逆に刃を押し出そうとした。
だがその時ふっと魔物の力が緩む。異形の体を狙って放たれた矢を避け、有翼の魔物は空中へと飛び上がったのだ。
あっという間に剣の届く間合いから逃れでた相手を兵士は忌々しく睨んだが、命拾いしたこともまた事実である。彼は近矢を射た味方に手だけで謝意を示した。息を整えると上空を見上げる。

魔女の宣戦から始まったこの度の戦争は、ここ廃都ヘルギニスを舞台として人と魔物の壮絶な衝突へと発展した。
召喚された数十万の軍勢を相手に戦わざるを得なくなった人間たちは、当初あまりの光景に絶望を抱き、敗北を覚悟しかけたものである。
だがその戦況も、一帯の空気を変える浄化結界の発動により、一気に人間側優勢へと傾いた。
全体の指揮を執っていたファルサス王妹レウティシアは、敵が激減したことを確認すると王の安否を確めるため城へと向かい、今、戦場では掃討戦が行われている、といった状況である。
現時点、残る魔物は当初の数を考えればごく僅かだ。
だがその僅かのうちの大半が、攻撃されることを厭って上空を飛び回っているという状態は、はなはだ芳しくない。
先程から魔法や矢がそれらの魔物を射殺そうと絶えず打ち出されているのだが、大きな翼を持つ異形たちは巧みに逃げ回って、彼らを上方から威嚇し続けていた。先程の兵士は大きく舌打ちする。
「もっと大きな魔法で吹き飛ばせないのか?」
「無茶言うな。今ここにいる人間じゃ無理だ」
「だがこれではいつまで経っても―――― 」
言いかけた瞬間、上空で白い光が炸裂した。見上げていた人間たちの目を焼くほどの強い光。
無音の閃光に、場の人間たちは皆、反射的に目を覆いながらも何があったか探ろうとする。そこに、大きな羽ばたきの音が重なった。上空から風が吹き降ろされる。
「何だ……?」
いちはやく視力を取り戻したうちの一人、その場の指揮を執っていたロズサーク国王オルトヴィーンは指の隙間から空を仰いだ。
広い空を悠々と飛んでいく紅いドラゴンが見える。その背から女が一瞬、彼の方を振り返った。
「リースヒェン?」
それが誰だか分かってしまえば謎は解ける。彼女が上空に残っていた魔物を薙ぎ払ったのだ。それだけのことが彼女には可能である。
―――― だが何故今、「彼ら」が現れたのか。
オルトヴィーンは聳え立つ城に向かうドラゴンを、不可解そのものの表情で見送る。
しかし彼の疑問とは別に、周囲はようやく訪れた戦闘の終わりに、安堵の空気が流れ始めていた。

強い風が女の髪を舞い上げる。まとめられていない黒髪は前からの風を受け、空中に長い帯となってはためいた。紅いドラゴンに乗って空を行く彼女は物珍しげに広がる景色を見回す。きょろきょろとしすぎて軽くよろめいた体を、隣の男が支えた。
「気をつけろ、リースヒェン。落ちるぞ」
「ごめんなさい」
素直に謝った彼女は男の腕の中に収まる。
既に彼らの行く手にちらついていた魔物の影は微塵も見えない。それらは全てリースヒェンが消し去ってしまった。
「人を傷つけないようにな」との男の注意のもと、殲滅用の魔法を放った彼女は、改めて近づきつつある城へ視線を戻す。
「オスカー、魔女はどうするの?」
「さて。一応は主張を聞く。それによってどうするか決める」
「戦うとか?」
「と、いう風になったとしてもお前は下がってろよ。俺がやる」
「うん」
魔力が大きいということがすなわち強いわけではないと、リースヒェンはよく知っている。
彼女などはその典型で、魔法の構成は組めても戦いの場においてどう立ち回ればよいのかまったく分からないのだ。
だからここは素直にオスカーに任せた方がいい。
彼女は自分の両膝を抱えると、男の胸に背を預けた。闇色の目をしばたたかせ、高い塔のような城を見つめる。
「あ……」
「何だ?」
「あんなところに人がいる」
リースヒェンが指差す先、城の最上階は、中で戦闘でもあったのか壁が一部崩壊していた。
そしてその開いた穴のところに、確かに誰かが立っている。オスカーは自分でもその人物に目を凝らした。
みるみる近づいていく距離。その誰かが小柄な女であると判別がついた時、しかし彼女は―――― 自ら床を蹴り、空中へと身を投じる。
それを見ていたリースヒェンが「え?」と小さな声を上げた。オスカーが表情を変える。
「リースヒェン! 受け止めろ!」
「は、はい!」
「ナーク!」
落ちていく女をリースヒェンの作った構成の網が受け止めた。紅いドラゴンはその場所に向かって速度を上げる。
すんでのところで地面との激突を免れた女。黒髪の幼い顔立ちの彼女は、何処かで見覚えがある顔をしていた。
オスカーはドラゴンを留めると血塗れた彼女の体を抱き上げる。
そうして彼女の落ちてきた最上階を見上げた彼は、そこに必死の形相で下を覗き込んでいる男を見つけ―――― いまいち把握出来ない事態に眉を寄せたのだった。

「返して」
「何で助けた」
胸に深い刺し跡があった女の治療を済ませ、最上階に上がったオスカーは、そこにいた二人の男に相反する声をかけられ沈黙した。
彼の影からリースヒェンが困惑顔でその様子を見やる。
「何で助けたと言われてもな……。助けては不味かったのか?」
「不味くない。ありがとう」
「不味いに決まってる。その娘の意思を無駄にする気か?」
「とりあえず事情を話せ。順番に」
事情が分からぬだけではなく、まったく意味が分からない。
オスカーは傲岸な方の男に「大体お前は何者だ」と問われたので、自分の持つ剣の柄を示した。相手は「なーんだ」と頷く。
彼は助けた娘を抱き上げたまま、「先に話せ」とどちらにともなく促した。
二人の男は顔を見合わせ……藍色の目をした魔法士の男がそれを引き受ける。
「彼女の中にはある呪具が眠っている。それを破壊しようと彼女は試みたんだ。
 けどだからって、こういうやり方を取るべきじゃない。彼女とはこの件について話し合う必要がある」
「あ、お前、適当にはしょるな! 話し合う以前の問題ってことを伏せるな!」
「以前の問題って何? そんな訳ないよ。早急な結論を出しすぎだ」
「どうしようもないから以前の問題だというんだ。大体お前は自分一人色々隠して―――― 」
「…………」
二人がどういう理由で言い争っているのか、聞いてもまったく理解できない。
オスカーは元からいた三人目、黒髪の女に視線を投げかけたが、彼女も首を左右に振るばかりだった。
もう両方とも殴ってから話を聞きなおそうか……とオスカーが投げ出しかけた時、しかし背後からリースヒェンが彼の袖を引っ張る。
「どうした?」
「この人と、あの人、前に会った、よね?」
「ん?」
彼女が指している二人は、オスカーが抱き上げている娘と、口論している魔法士の男だ。
その指摘に彼は記憶を辿って、随分前に小さな田舎町で彼ら二人とすれ違ったことを思い出した。
納得すると共に、オスカーは魔法士の男に声をかける。
「お前がこの娘の保護者の方か?」
「そう」
「じゃあもう一度最初から、過不足なく説明してくれ」
魔法士の男は頷く。だがそれを隣からもう一人が「こいつは都合の悪いこと伏せるから駄目」と止めた。
ファルサスの王剣、アカーシアを腰に佩いた男をオスカーは疲れた目で見やる。
「都合の悪いことって何だ」
「外部者の呪具」
「―――― は?」
もう「魔女はどうしたのか」や、「何故自殺未遂者が出ているのか」など、そういう疑問を全部ひっくるめて、その単語は押し流していく。
そうして口論し続ける二人から何とか情報を引き出し、整理したオスカーは……「全部俺が悪い。破壊するからちょっと待ってろ」と項垂れると、自身の剣を無形の力と変え、彼女の中に潜むそれを破壊したのだった。
心痛でちょっと禿げそうになった。