異世界の中心で愛を叫ぶ

彼女が立っている場所は見渡す限り何もない荒野であった。
乾いた地面はところどころひび割れ、赤茶けた草が力なく風にそよいでいる。
人影は見えない。動物の姿さえもない。見上げれば空が、薄白く茫洋と広がっていた。
雫は背後を振り返ると、そこに座っていた黒猫に問う。
「い、いいんですか?」
「どうぞ」
間髪入れず返された肯定に雫は息を飲んだ。
だが意を決すると、前を向きなおして叫ぶ。
「ああああああああああああああいいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃ」
意味の分からぬ絶叫。
それを黒い子猫は、前足に抱えたチョコレートを齧りながら聞き流した。
広い荒野。二人の他に彼女の絶叫を聞く者は誰もいない。

ことの起こりは十数分前、雫が雇い主であるファルサス国王と繰り広げた口論にある。
もともと気が合うとはとても言えない二人だ。口論など別に珍しくもないことであるが、その時はのらくらかわす国王に、雫が真剣に激怒するという状態にまでなりつつあった。
このままではさすがに不味いくらい不敬罪に突入するのではないか、と周囲の人間たちが気をもみ始めた頃―――― そこに黒い子猫がふらっとやって来たのである。
人語を話す猫は二人を適当に仲裁すると、雫をその場から連れ去った。
そして「何処か人気の少ないところでストレス解消したい」という彼女の希望に応えて、猫は何もない荒野に雫を連れてきたのである。

「落ち着きましたか?」
「だ、大分すっきりしました。ありがとうございます」
「いえ。私も人間だった頃はよく、誰もいないところで雷落として鬱憤晴らしたりしてましたから」
「…………」
なんだか凄いことを言われた気もする。
だが雫は気にせず深く息を吸い込んだ。ファルサスのものよりも大分冷えた空気が肺の中を満たしていく。
黒猫はチョコがなくなってしまった手の中を淋しそうに見下ろすと、改めて雫を見上げた。
「で、何で『あいー』なんですか」
「私の出身世界にはそういうお話があったんです」
「なるほど」
「読んだことがないからただのイメージなんですけど。世界の中心で……って」
そこまで来て雫はふと気になることを思い出した。
今まで気にはなっていたが、何となく聞くのが憚れる気がして黙っていた疑問。
彼女は少し迷ったが、しゃがみこむと声を潜めて黒猫に問うた。
「そ、そういえばこっちの世界ってどういう形してるんですか?」
「?? というと?」
「私の住んでた星って、球体だったんですよ。で、こっちはどうなのかなーって」
実は雫も気になって調べたことがあるのだが、大陸では少なくとも天動説に似たものが信じられているらしい。
しかしだからといって事実はどうであるのか彼女には分からず、今まで夫にも何も聞けぬままこの疑問は彼女一人の胸にしまわれていたのだ。その疑問をぶつけられた黒猫は首をしきりに左右に傾げる。
「へえええええ、なるほど。でも球体だったら、下の人落っこっちゃいませんか? 下は何もないんですか?」
「万有引力が……ええと、つまり真ん中が下になるんですよ。そこに重力で引き寄せられるっていうか。
 で、球体だからずーっと西にいったりすると東に出たりするんです。繋がってて……」
「へえええーおもしろいですね!」
黒猫の反応からいって、この世界が球体であるという仮定はあまり一般的なものではないらしい。
猫は「おもしろいおもしろい。調べてみようかなー」とひとしきり頷くと、改めて雫に返した。
「実はですね。この世界ってあちこちで区切られてるんで、ずーっと一方方向にいっても壁につきあたっちゃうんですよ」
「え? か、壁ですか?」
「水の檻って言って、この大陸の人はまず知りませんけどね。他のある大陸の海にはあったりします」
「え、えええええ? なんですかそれ、海が滝にでもなってるんですか?」
「滝!? それ下どうなっちゃうんですか」
「ぞ、象が支えてるとか……」
まったく噛みあわない会話はしかし、雫が帰らねばならない時間になったことにより中断された。
別れ際に黒猫は「今日のお話は内緒ですよ」と釘をさし、結果雫は死ぬまでこの問題について口を噤むことになったのである。