もしもBabelが○○だったら その2

禁転載

「姉がどのような世界で暮らしているのか、一度自分の目で見てみたい」
それは、澪がながらく温めていた野心であったが、まさか実現する日がくるとは思ってもみなかった。
現在社会人一年生の彼女は、初めて足を踏み入れた「宮殿」を前に、素直な感嘆の声を上げる。
「凄いね、お姉ちゃん」
「凄いよね。私も初めはそう思った」
「よし、感動終わり。じゃあ挨拶したいから案内して」
「澪のその切り替え、久しぶりに見ると感動するなあ……」
雫はいささか暢気にそう言ったが、特に異議はないようである。
勝手知ったるキスク城を、彼女は妹を案内して進んだ。既に約束を取り付けていた女王の執務室に到着すると、二度ノックして返事を待つ。
すぐに美しい女の声が返ってきて、澪はさすがに緊張の面持ちになった。
だが姉はそんな妹の背を叩くと「大丈夫」と笑う。澪は頷きつつ、執務室の扉に手をかけた。

「顔をあげよ」
初めにかけられた言葉は、そのようなものである。
澪は礼儀として部屋に入ってすぐ頭を下げた為、件の女王の顔をまだ見てはいなかった。
その為玲瓏な声が彼女の第一印象となったのだが、印象の具体的な中身は「人種が違う」というものである。
勿論、異世界に来ているのだからして人種は違うのだが、もっと通俗的な意味合いで「生きる世界が違う」。
人の上に立ち、人を支配する力を持った個人。王族の威を目の当たりにして、澪は無意識に固唾を飲んだ。
だが彼女はそこで臆することなく、むしろ堂々と顔を上げる。
「お初にお目にかかります、女王陛下」
微笑む訳でもなく、怯むわけでもなく、澪は女王を真面目な面持ちで見つめた。
姉の通訳の声が、心地よく部屋に響く。

オルティアは珍しい人形でも見るように、来訪者の顔をまじまじと眺めた。視線を何度か二人の姉妹の上に彷徨わせる。
「なるほど。似ているな」
「似てますか?」
「似ておる」
二人のやり取りは、言葉の分からぬ澪にはまったく通じていない。
しかし彼女は動揺することもなく、ただオルティアの次の言葉を待っているようだった。
そのある意味無謀とも言える毅然を、女王は微笑して見やる。
「初めて妾のところに来た時のお前に、よく似ておる。懐かしいわ」
「ああ……。あの時私、妹みたいに振舞いたいと思ってたんですよ、姫」
「あれもお前の地であろう」
「地になったというかなんというか」
私的な場では仲のよい友人同士である二人は、今も半ばそのように振舞っていた。
雫は肩を竦めかけて、妹の視線に気付くと姿勢を正す。
「澪、何か姫に聞きたいことある?」
「え? 私から?」
「うん。いいよ。事前に許可は頂いているから」
雫が共通語で同じことを言い直すと、オルティアは軽く頷いた。
澪はこの部屋に入ってきてから初めて、困ったような顔をして辺りを見回す。
「……お姉ちゃんがいたら聞きにくいよ」
「え。いやでも通訳」
「私、これがあるから」
スカートのポケットから妹が取り出したものは、一枚の紙片である。
開かれたそれを覗き込んだ雫は、書かれているものが、かつて自分が作った勉強用メモの写しだと気付いた。
共通文字の単語にカタカナの読みを対応させただけのリストを、澪は再び畳みなおす。
「だからお姉ちゃんちょっと、席外してて」
「だ、大丈夫?」
「大丈夫だから」
常々妹は豪胆な性格の持ち主だと思っていたが、さすがにこれは予想以上である。
異世界の女王を前に一対一で平気なのか、雫は気を揉みつつも返答を迷った。オルティアに「どうした?」と聞かれ、妹の要望を説明する。
女王はあっさりとその要望を了承した。
「構わぬ。外に出ておれ」
「姫」
「安心しろ。お前の妹を取って食いはせぬわ」
二人にこう言われては、外に出ないわけにはいかない。
雫は躊躇いつつも執務室を出て、廊下に待機した。「大丈夫なのかなあ」と呟きを洩らす。



残された二人のうち、先に口を開いたのは澪の方だ。
彼女は無言の視線に促され、紙片を見ながら用意していた質問を口にした。
たった一つ、だがもっとも聞きたかったことを問う。
「―――― あなたは、おねえちゃんの、こ、こと、が、すき? ですか?」
拙い言葉。
子供のような口調と、だが真摯な内容。
それを聞いたオルティアは目を瞠り…………そして微笑む。



雫は五分ほどで執務室内に呼び戻された。
一体どのような会話があったのか、知りたく思いつつも女王は教えてくれる気がないらしい。
オルティアは美しい容姿に穏やかな微笑を乗せて、二人の姉妹を眺む。
そしてその女王を見る澪も、不思議と安堵したような素直な表情をしていた。雫は外では珍しい様子の妹をますます怪訝に思う。
しばらくの歓談の後、二人で執務室を退出すると、雫は妹に尋ねた。
「ねね、何の話してたの?」
「教えないよ。当たり前のことだもん」
「何、当たり前って? 分からない」
「何だろうねー」
遠い異国の城。その長い廊下を、二人の姉妹は並んで歩いていく。
その足跡は変わりない温かさに満ちて、別々の家に帰る彼女らの心を確かに強く寄り添わせたのだった。






おまけ
「はじめまして。ミナセミオです」
「また面白い名前の子だ。ミナセが姓だったよね?」
「ミオです」
「うん。エーゴ話せる? その方が直接話せて楽」
「………………魔法使い容赦ねえ」