悲劇の後に飛ぶ鳥は蒼く 004

禁転載

低い丘の上には道がない。
ただ一面背の低い薄茶色の草々が風に吹かれているだけだ。地面はからからに乾いて砂が積もっている。
だが、その上に蔓状の草が生い茂っているところを見ると、そう不毛の土地でもないのかもしれない。
オーティスはほんの短い間にそんなことを考えた。ヴェオフォルミネを振り返る。
「悪かったな」
「どうして?」
「嫌な思いをさせた」
―――― 最初からもっと気をつけていれば、あのような人の悪意を彼女に見せなくて済んだ。
本当を言うなら彼は、年若い魔法士にあまり強い被差別感を持って欲しくはないのだ。
だがオーティスが嘆息を噛み殺していると、少女は不思議そうに首を傾ける。
「べつに、嫌じゃない」
「そうか?」
「だから、わたしがごめんなさい」
「ん?」
無表情のままながらも、首を垂れたヴェオフォルミネは少しだけしゅんとして見える。オーティスは驚いて同じことを聞き返した。
「なんだ。どうして謝るんだ?」
「わたしがいたから、あんなことになった」
「何言ってんだ。お前のせいじゃないだろ」
慌てて彼はそう否定したが、少女は素直に飲み込んだようには見えない。青い眼が小さな鏡に似て彼を見つめた。
「オーティスは、怒ってる?」
「怒ってないよ」
「でも、うれしそうじゃない。何を感じてるの?」
素朴な問いは、幼児のするものによく似ている。
大人となってから、自分の感情を単純な言葉として口に出すことがなくなっていたオーティスは、予想外な質問にすぐには答えられなかった。思わずヴェオフォルミネの瞳に映る自分を見返す。
―――― 怒っているわけではない。苛立ちは覚えているが、それは怒りの為ではないだろう。
今の大陸の現状を、そして自分の歩いてきた道を想起したオーティスは、口元をほんの僅か歪めた。
「そうだな……悲しいのかもな」
「かなしい?」
「ああ。俺がそんな風に思うのは傲慢なんだろうけど」
彼は、力ある魔法士だ。そして世の中にはそうではない魔法士の方がずっと多い。
オーティスは彼らが暴力によって虐げられるのと同じく、暴力を振るう者たちを力によって排除してきた。そんな人間が「悲しい」などとはおこがましいだろう。
自嘲気味に苦笑する男を、ヴェオフォルミネはじっと見上げる。彼は少女の頭を撫でて「ごめんな」ともう一度言った。


他に誰の姿も見えぬ景色。空気は乾いた砂の匂いがする。
二人の立つ丘の裾から先は、同じ色の平野が広がっていた。薄茶色の茫洋たる土地の遥か向こうにはそして、一つの白い街が見える。
城を中心として円形の壁に囲まれた都。オーティスは懐かしい風景を、絡まりかける感情を飲み込んで指差した。
「あれがトゥルダールだ」
彼の作った魔法士たちの国。終着点であり出発点でもある場所をオーティスは見つめる。少女の青い目が目的地である街の姿を映した。
「あそこ?」
「ああ。後はここまで城の人間に迎えに来させる」
「すぐだから、自分で行く」
「いや、歩くと結構あるぞ」
「飛んでいくから平気。ありがとう」
オーティスは驚いたが、ここは既にトゥルダールの領地内だ。国境には結界が張られている上、中は定期的に見回りや探知がされており、魔法士に危害を加えるような人間は入ってこられない。
彼はそれでも迷ったが、ヴェオフォルミネがこれまでも一人で移動していたことを思い出すと、頷いて彼女に守護の魔法をかけた。
「これで大丈夫だ。あとこれもな」
「指輪?」
ヴェオフォルミネは手渡された指輪を目の上にかざす。外側に彫り込まれたトゥルダールの紋章が、淡い日の光に煌いた。
建国者である彼だけが持つ王の指輪。その意味を知らないのだろう少女は、自分の指には大きすぎるそれを手の中に握りこんだ。
「あなたの指輪、くれるの?」
「ああ。それを城の人間に見せれば話は通じる。何も心配することないからな。これからは普通の暮らしが出来る」
「ふつう?」
「そうだ。時間が経てば、きっともっとよくなる」
今は魔力を持つ者たちの避難場となっているトゥルダールだが、それが彼の求めた理想ではない。オーティスはこの国の存在を足がかりとして、いつか魔法士の存在を人々に認めさせたいのだ。
魔者でもなく異能者でもなく、何よりも第一に「人」だと思われたい。それが本来、人間同士が築く当たり前の関係だろう。
何十年かかるか何百年かかるかは分からないが、オーティスはそのような新たな時代の流れを生む切っ掛けをこの大陸に作りたかった。
そして今、王座から退いた彼は、未来を生きていくのであろうヴェオフォルミネを、慈しみと憧憬の眼差しで眺める。
少女は指輪を握った手に視線を落とすと、もう一度男を見た。
「ありがとう」
「気をつけてな。落ち着いたら仲間に連絡を取って呼べばいい。何かあったら城の人間に相談しろ」
「あなたは?」
「ん?」
「あなたの仲間は?」
意表を突かれて、オーティスは言葉に詰まった。
彼の仲間と言える人間は、ずっと共に旅をしていた親友、トゥルダールの現王である男をはじめ、宮廷に残っている者がほとんどだ。そしてだから、もう二度と城に戻るつもりのないオーティスは、今後彼らと会うこともない。
とうに飲み込んだはずの欠落を思い出し、男は苦笑した。
「そうだな。城で誰かに俺のことを聞かれたら、元気にしてるって言ってくれ」
「それだけでいいの?」
「それだけでいい」
少女はこくりと頷くと、右手を小さく振る。
何の構成もそこには見えない。だが彼女の痩せた体は音もなく空中に浮き上がった。
ぎょっとするオーティスに、ヴェオフォルミネは口元だけで微笑む。
「じゃあ、いってくる」
「あ、ああ」
「また」
短い挨拶を残して、彼女は空中で身を翻した。ゆったりと飛ぶ鳥に似て遠ざかる少女を、オーティスは驚きの覚めやらぬまま見送る。
「……何だあれは」
構成なしに浮遊することなど不可能だ。
構成を持たない魔力の塊では、単純な攻撃や防御は出来ても、それ以外の複雑な効果を得ることは出来ない。
―――― だからヴェオフォルミネはおそらく、魔法構成を組んでいないわけではないのだ。
オーティスは、彼女が髪を乾かす構成を組もうとした時のことを振り返る。
「まさか、あの時あいつが作ったものは魔力の塊じゃなくて……」
少女の手の中に生まれたものは、単なる構成以前の塊にしか見えなかった。
だがそれは彼の目にそう映っていただけなのかもしれない。髪を乾かす構成は、浮遊よりもずっと単純なものだ。
だからきっとあの時も構成はあったのだ。ただオーティスにはそれを見ることが出来なかっただけで。
「構成が完全不可視の魔法士なんているのか……」
手練の魔法士であれば、他の魔法士に構成が見えないように迷彩をかけることは出来る。ただそれは余程の技術と実力差があってようやく可能になることだ。少なくとも彼の目から構成を隠せるような魔法士は存在しないと言っていい。
―――― もしそのような人間が実在するなら、それはもう異能の領域だろう。
思ってもみなかった少女の特殊性に、オーティスは嘆息した。「治るのか」と聞いてきた彼女の言葉を思い出す。
「凄い能力だな……ま、魔法士間でしか意味ないって言えばそうなんだろうが」
トゥルダールの人間が彼女の異能に気づいたら、さぞや驚くことだろう。ようやく驚愕から抜け出したオーティスは、その様を想像して笑う。
だがかつての王はすぐに笑いを収めると、城に背を向け目の前に転移門を開いた。
「また、か」
それは再会を願うささやかな言葉だ。人と人との縁を期待する言葉。
だから、ヴェオフォルミネ自身と再び会う日がなくとも、いつか遠い未来、彼女の血を引く誰かに相見える時が来るのかもしれない。
オーティスはそんな可能性を思い描いて……その時まだ、自分が彼女のことを覚えていられればいいと、願った。






一人の女を探す旅はあてどなく思えるものだが、実際のところまったくあてがない訳でもない。
エルシリアはあの晩、「契約は終わった」と言ったが、それはあくまで主従の決裂という意味合いでのことで、二人の間にはまだかぼそく呼応する魔力が繋がっているからだ。
彼女を召喚し契約した際に生まれたこの繋がりは、彼女が一旦自分の住処である別位階に帰らなければ切れることはない。
そしてエルシリアがこの世界に居続けているままだということは、契約の指輪が無事であることを見れば明らかだった。
「っつってもあいつ、見事に隠れてるからな。遠距離からの探知は効かないんだが」
草木の生い茂る山道、人気のない細い道をのんびりと進む馬上で、オーティスは古びた大陸地図を広げる。
戦乱が絶えないこの大陸では有効な地図自体稀少品であるのだが、彼の持っている一枚はそのようなものとはまた違って、国境や国名の一つも書かれていない特殊なものだった。ただそこには、大きな砂漠や山脈、そして別位階に近い力場が癖のあるペン筋で描きこまれている。
「この中のどれか……あと三つか」
契約が残っているにもかかわらず、探知が効かない程綺麗に隠れられる場所など限られている。
元々違う位階の住人である高位魔族は異質な存在なのだ。その異質を誤魔化すには、やはり別位階との境界が曖昧な土地に潜むしかない。
オーティスは神代から伝わるという古地図を頼りに、今までそういった場所へ片端からあたってきていた。
残りはあと三つ。このうちのどれかにエルシリアがいる可能性は高い。
「とりあえず一番近いところから行くか」
オーティスは手綱を軽く引くと曲がる方向を指示する。栗毛色の馬はひなびた三叉路を、もっとも細い坂道を選んで進みだした。
険しい山を大回りに迂回するこの道は、道幅の狭さと落石などの状態の悪さもあって、普段からほとんど通る人もいない。だがその分、野盗には会わずに済むだろう。
道に影を落とす木々の葉を、一陣の風が音を立てて揺らしていく。それと同時に辺りには、むせ返る程の青臭い匂いが漂った。
軽く汗ばむくらいの気温は、季節の変化を肌身に感じさせてくる。オーティスは手の甲で額にかかる前髪をかき上げた。
「そろそろ髪切るかな」
「切るの?」
背後に生まれた魔力の気配。続く抑揚のない問いかけは、完全に彼の意表を突いていた。
思わず愕然とした一瞬後、慌てて振り返った彼の目前で、ヴェオフォルミネは馬の鞍に下り立つ。
少女はそのままオーティスの後ろに横座りになった。
「髪切るの? 切らない?」
「いや切るけど……って、そうじゃないだろ!」
「うん?」
「お前……何でここにいるんだ」
城まで送らなかったとは言え、確かに彼女とはトゥルダールで別れたのだ。
それが何故自分のところに戻って来ているのか、オーティスは自分が幻覚を見ている可能性を疑った。
しかし彼の動揺にも構わず、透き通るような白金の髪の少女は、彼に握った拳を差し出す。
「これ」
開かれた手の中から出てきたものは、彼女にくれたはずの王の指輪だ。
魔法陣をかたどったトゥルダールの紋章が、木漏れ日を受けて鈍い光を放つ。
「わたしの用事は、終わったから。あなたへ、用事をたのまれた」
「俺に?」
「そう。―――― 『あなたが持っていなさい』って。『いつでも忘れないように』って」

西からの風が吹く。
少女の声に、ずっと共にいた友人の声が重なって聞こえた。オーティスの夢に、理想に、そして現実にずっと付き合ってくれていた男。一番の理解者であった友の言葉が、かつてと同様、彼の背を押す。
「……忘れないように、か」
それだけの言に含まれる意味は多すぎる。義務と責任、信頼と心配、そしてただの願い。
だがその全てが彼に伝えたいことなのだろう。オーティスは返ってきた指輪を手に取った。ゆっくりと右手の空いた指に冷たい銀を滑り込ませる。
手に馴染む感触は、彼を現実へと繋ぎとめる一片だ。オーティスは苦笑してヴェオフォルミネを見た。
「お使いさせて悪かったな」
「ううん。ついでだから」
「ついで? 何のついでだ?」
「あなたのところに、戻るついで」
「――は?」
思ってもみなかった答に、オーティスは手綱を取り落としそうになった。咄嗟に馬の歩みを止めて彼女を見返す。
「なんだそりゃ……何でだ?」
「わたしは、あなたと行く」
「いやだから、なんで」
予想外過ぎて、どう対応したらいいのか分からない。
偶然出会って少し話しただけの少女がどうして自分のところに戻ってくるのか、オーティスはさっぱり見当がつかなかった。
「あいつに会ったってことは城まで行ったんだろ? そこに住めばいいだろ」
「やだ」
「こら、何言ってんだ」
「あそこには行かない。わたしは、あなたについて行く」
ヴェオフォルミネは、水面に似た青い瞳に彼の顔を映す。
そこに感情は読み取れない。オーティスはだから、単に子供の無知か気紛れなのだろうと断じた。
「あのな、俺と来てもいいことないんだぞ? 金稼ぐのは面倒だし、変な奴らには絡まれる。
 いいものも食べさせてやれないし、服だって買ってやれない。手に入らないものばっかでいつも埃まみれだ。
 な? トゥルダールで暮らした方がいいだろ?」
多少あざとくはあるが、オーティスはあてのない旅の辛さを一つずつ挙げて説得しようとした。
だがヴェオフォルミネは首を横に振るだけである。
「……なんでだよ」
どうしてこのようなことになっているのだろう。
溜息をつきかけた彼に、だが少女は真っ直ぐに左手を伸ばした。ひんやりとした白い掌が、添うように彼の右頬に触れる。
「わたしは、あなたと行く。―――― あなたが、悲しくならないように」

それは、慰めというよりも宣告だった。
風よりも自由に、けれど未来から過去を貫いていく言葉。無意識に息を飲んだオーティスは、けれどその言葉に心当たりがあった。
―――― 『何を感じてるの』と。
ささやかな疑問に、「悲しい」と答えたのは彼だ。ヴェオフォルミネはそんな彼を見ていた。
今も同じ、水を思わせる瞳が彼を見上げる。
「オーティス」
彼女の声は頑なではない。そこには感情が窺えない。拘泥も執着も嗅ぎ取れないのだ。
ただヴェオフォルミネは、届くまで淡々と繰り返し続けるのだろう。愚鈍に、何にも囚われず。
それは未来を生きる子供に許された権利だ。驚きから覚めた男は、終わりに始まりを重ねる意義があるのか考える。
友人と、「彼女」。長い旅の中で出会い、別れていった者たち。
ままならぬ理想の上に重なるものは、世界の無常だ。今はもうそれを知っている。知っていて進む。子供だった自分が「是」と呟く。
探していた答はいつも、忘れた頃に現れた。



「―――― ヴェオフォルミネ、俺と一緒に来るか?」
迷いながらの言葉は、口にしてみればそう悪いものでもないように思えた。彼女は当然のように頷く。
「うん」
「なら、ちゃんと俺の言うこと聞くんだ。あとトゥルダールで暮らしたくなったらいつでも言うんだぞ」
「分かった」
右手の指輪は、全て過去から続く彼の枷だ。
だがこの手がまだ何かの役に立つこともあるかもしれない。頬に触れている少女の手に、オーティスは自分の右手を重ねる。
負ってきたものの異なる手。そっと取った小さな掌に目を落として、彼はほろ苦い微笑を浮かべる。
ヴェオフォルミネはそんな彼の顔を、澄んだ眼差しで見ていた。



国を作りし王の話は終わった。
これは、その後に始まる物語だ。
かつての王と少女は、人知れず、何を変えることもなく広い大地を旅していく。本当の終わりと始まりに向けて歩き出す。
そんな幸福の物語だ。