無知と無垢 005

禁転載

宿の部屋の内側には部屋全体を包み込む結界が張られている。
中の魔力を外に洩らさないようにし、探知を防ぐ為の結界。その中では二人の魔法士が向かい合って床に直接座っていた。
オーティスは両手の中に初歩的な浮遊の構成を組む。
「よし、同じの作ってみろ」
「うん」
ヴェオフォルミネは青い瞳をまたたかせると、同様に両手を広げた。白い掌の間に魔力が凝る。
「できた」
「そうかそうか。まったく見えないな。―――― ちょっとあそこの花瓶浮かしてみろ」
オーティスが窓際に置かれた茶色い花瓶を指すと、ヴェオフォルミネは頷いた。魔力の塊にしか見えないものを花瓶に向かって放る。
小さな茶色い花瓶は、すぐにその場でふわりと浮き上がった。 そのまま空中で静止する。
オーティスはそれを感心の目で眺めた。
「安定してるな。ちゃんと出来てるみたいだ」
「できたの」
見せた構成をすぐに作り直せるということは、なかなかの構成能力を持っているらしい。
だが彼が構成を視認出来ないこのままでは、更なる魔法を教えにくいというのもある。
オーティスは少し考えると、浮いたままの花瓶に向かって手を振った。
申し訳程度に白い花が二輪挿されたそれを、彼は手元に引き寄せる。
「これは本来魔力視が出来ない人間に、構成を説明する手法なんだけどな」
言いながら彼は、薄い花弁をむしり始めた。ヴェオフォルミネは目だけは興味津々にその様を見つめる。

オーティスなどは、魔力を持った者を総称して「魔法士」と呼ぶが、実際のところ魔法を自由に操れるようになるまでは、大きく分けて三段階の訓練が必要になってくる。
まず一つは魔力の制御訓練。
ある一定以上の魔力量がある人間は、この訓練をこなさなければ成長するにつれて魔力を暴走させてしまうことが多い。
実際、今大陸に広まっている魔法士を忌避する風潮は、制御訓練の方法が確立されていなかった時代、魔力を暴走させた人間が相次いだ為のものなのだ。
暴走は一度起きてしまえば周囲の人や物に被害を及ぼすことが多い。
だからこそトゥルダールでは、逃げ込んできた人間たちには皆、きちんと制御訓練を義務づけるようにしていた。
そして制御を身につけた後、魔法を使う為の前段階として待っているものは、ぼんやりとしか感じ取れない魔力を明確に視認出来るようにする魔力視の訓練だ。
「とはいえ、お前は制御はちゃんと出来てるみたいだし、魔力視も出来る。あとは構成だな」
「うん。よくわからない」
「大事なことだぞ。お前のいた東の方じゃ、魔法士は魔力が大きけりゃ強いって思われてるみたいだけどな。
 実際物を言うのは構成だ。同じ効果を出すにもどんな構成を使うかで必要な魔力は違ってくる。
 基本のやり方さえ身につければ、自分だけの構成とか考えて組めるようになるぞ」
「そうなんだ」
「そうなんだよ」
だからこそ三番目の訓練である構成訓練に、明確な終わりは存在しない。
上を望むなら果てはないのだ。持って生まれた魔力量が変えられない才能ならば、構成はそれぞれが磨かねばならぬ技術だ。
オーティスは右手の指を一本立てると、その上に小さな構成を生む。
「お前は浮遊とか転移は使えるみたいだからな。他に必要そうなのを教えるぞ。
 で、そっから自分で色々研究してみればいい」
「うん」
「じゃあ、まずはこれだ」
オーティスは言うなり、床の上に溜め込んだ白い花びらを一掴みする。
「ヴェオフォルミネ、転移構成組んでみろ」
「どこに飛ぶの?」
「何処でもいい。ああ、じゃあ俺の後ろで。組むだけだぞ。発動させるなよ」
「やってみる」
少女は頷くなり両手を広げた。その中に魔力が凝っていくのをオーティスは注意深く見守る。
おそらく彼女の構成技術は元々それなりに高いのだろう。浮遊や転移の構成を詠唱の補助無しで組める魔法士は極少数だ。
それが出来ている彼女は、普通に考えれば一人前の魔法士なのだろうが、オーティスの見るところ才能だけに恵まれた子供のような危うさもまた持っていた。
彼は手に掴んだ花弁をヴェオフォルミネの構成の上に散らす。
白い花弁はひらひらと舞いながら、だが十数枚が何もない空中に留まった。
微かに震えながら宙に浮く花びらに少女は瞠目する。
「これ、なんで?」
「花ってのは軽い上に、それ自体生命力を持ってるからな。構成の要所に引っかかって止まるんだ。
 こうやって確かめりゃ、大体どんな構成か推察がつく。……どれどれ」
魔力視の訓練でよく取られる手段を用い、オーティスは彼女の構成を確かめた。
複雑で、緻密な構成。―――― だがそれは、転移する為だけのものにしては複雑すぎる。
オーティスは何度か頷くと「もう消していいぞ」と手を振った。
「お前これ、誰かに習ったのか?」
「うん。トウザのを真似した」
「仲間か?」
「そう」
「なるほど」
独学か、或いは東では一般的な構成なのか、それはオーティスからすると数箇所の無駄が見られる。
彼は手元にそれらの部分を直した構成を作った。
「こっち作れるか? 違い分かるか?」
「うん」

魔法の訓練は、子供の方が得てして上達が早い。
それは好奇心と飲み込みのよさのゆえだろう。ヴェオフォルミネは素直にオーティスの指示についてきた。
いくつかの構成を修正し終えた後の休憩時間、彼は少女に焼き菓子を与え、自分は渋茶を啜る。
「少しずつ教えてくからな。覚えきれなくなりそうだったら言えよ」
「うん。大丈夫。でも、どうしてできることをなおすの?」
「あー」
彼女ほどの魔力量の持ち主なら、無駄のある構成でもさして支障はない。
支障がないにもかかわらず最適化を図ろうとしているのは、確かにそれなりの理由があった。
オーティスは、菓子を齧る少女を苦笑して見やる。
「あのな、お前くらい魔力があるなら、お前の子もまず間違いなく魔力を持って生まれてくるんだ。
 その時、子供に魔法教えるのはお前になるだろ? でもその子がお前くらい魔力があるとは限らないからな」
「それだけ?」
「そう」
魔法士の技術平均を底上げしたいという欲がないわけではないが、第一の理由はやはり個人の為だ。
一人一人の魔法士が不自由なく生きていけるように、少しずつ変えられるものを変えていく。
ヴェオフォルミネのように抜きん出て魔力を持った少女には特に必要なことだろう。
両手で菓子を持っていた彼女は頷くと、お茶を啜るオーティスを見上げた。
「じゃあわたしは、あなたの子供を産めばいいの?」
その問いに、オーティスは飲んでいたお茶を盛大に噴き出した。



「いやいや待て待て、どうしてそうなるんだよ!」
汚してしまったテーブルを拭きながらオーティスが声を荒げると、当の少女は何に驚くわけでもなく新しい菓子を手に取った。
「子供は、魔力が大きい者同士で作るもの」
「いやお前それは―――― 」
頭ごなしに「違う」と言いかけて、彼はかろうじて言葉を飲み込んだ。
彼女に理不尽を憤っても仕方ない。魔法士同士の婚姻で魔力の多い子供が生まれやすいことは事実なのだ。
十数年前には、それを狙って胸の悪くなる実験さえ行われている。
多くの死者を出したローステンの魔法実験。つい一月程前に滅びたという東国の忌まわしい名を思い出し、オーティスは顔を顰めた。
苛立たしげに頭を掻く男を、ヴェオフォルミネは不思議そうに眺める。
「オーティス?」
「……ああ、悪い」
―――― 一つ一つ説いていけばいいだろう。
それが自分だけの理想に過ぎずとも、まだ若い彼女には多くを知る権利がある。知った後に選べばいいのだ。
オーティスは気を取り直すと少女に向き直る。
「確かに両親の魔力が多いと、子供の魔力も多くはなる」
「うん」
「でもな、ヴェオフォルミネ。お前がしたいことは魔力の大きな子供を産むことなのか?」
少女にとってその質問は予想外なものだったらしい。青い瞳がきょとんとして見開かれた。
たっぷり数秒の後、ヴェオフォルミネは首を横に振る。
「わからない」
「そうか。じゃあ分かってから決めればいい」
「なにを決めるの?」
「自分のことを。―――― 子供じゃなく自分のことをまず考えろ。お前自身がまだ子供なんだからな」
オーティスは軽く指を鳴らした。同時にテーブルの中央に小さな布人形が現れる。
この宿に来る途中で買ったそれは、他愛ない子供の玩具ではあったが、陶器の釦で出来た青い瞳がヴェオフォルミネによく似ていた。
オーティスはそれを少女に手渡す。
「けどまぁ、結婚なんて気に入った人間とすればいいと思うけどな」
彼自身、妻帯の経験はないが、理想はそう思っている。
穏やかな微苦笑を浮かべる男を、人形を抱いたヴェオフォルミネは顔を上げて眺めた。
「じゃあ、わたしがオーティスを好きになったら、あなたと結婚していい?」
「…………言っとくけど俺はお前の三倍くらい生きてるからな」
娘のような年の少女にそのようなことを言われても激しい脱力感しか沸いてこない。
二十六歳の時から外見に変化のない男は、それ以上考えることをやめると、しばし本当の休憩を味わうことにしたのだった。



予定外の同行者が出来たとしても、旅の大まかな道筋に変更はない。
オーティスは大陸中央部の更に北東にある山を越え、ドアートという国を目指していた。
目的地はドアートの北にあるという古城だ。八十年程前に突如出現したという城は、今は魔物の棲家になっているとも聞く。
おそらく瘴気の濃い場所なのだろう。そのような土地は、得てして別位階との境界が薄い。 エルシリアが潜むには充分な条件だ。
テーブルに広げていた古地図を元通り懐に戻した彼は、人形で遊んでいる少女に声をかけた。
「次の次の町についたらそこでちょっと待ってろよ。俺は用事があって出かけるから。結界は張ってく」
「一人で行くの?」
「終わったらすぐに帰ってくる」
いくらなんでもヴェオフォルミネを魔物の棲む城には連れて行けない。
厳重に結界を張っておけばこないだのようなことにはならないだろう。
布人形にお茶を飲ませようとしていたヴェオフォルミネは素直に頷いた。
「わかった」
「ああ」
「氷に気をつけて」
「ん?」
向かう古城は確かに寒い土地にあるが、随分具体的な心配だ。
オーティスは瞬間心の中で首を捻ったが、彼女の言うことに大した意味もないだろうと断じると、意識をこれからの問題に引き戻す。
右手に嵌めたままの契約の指輪に変化はない。
それはエルシリアから送られる声無き言葉のように、彼の目には映っていた。