無知と無垢 009

禁転載

ローステンの行った魔法実験は、より強力な魔法士を作り戦場へ投入しようという意図のものだった。
王はまずその為に、五十人の魔法士の女を捕らえた。
そうして彼女たちを、やはり魔法士の男を使って孕ませたのだ。
魔力を持つ子供は、魔力を持たない親からも生まれてくる。
だが両親ともに魔法士であれば、子供も魔法士である可能性は高いのだ。
兵器としてより大きな魔力を持った人間を、出来るだけ多く所有しようとして行われた試み。
家畜のように番わされた彼女たちを待っていたものは、歴史に残る凄惨な結末だった。
臨月になって膨らんだ腹を持つ女たちは石の広間に集められ、そこで最後の術の犠牲になった。
母親の血肉と魂を犠牲にして、腹の中の子供たちに更なる力を与えようとした禁呪は、半分は成功し、半分は失敗に終わる。
女たちの腹が次々爆ぜていく中、生き残った赤子たちは三十一人。
その全員が、代償として生まれながらに魂の欠損を負っていたのである。



腕の中の体は温かい。
だがそれは、少女が幸福であるということを意味するわけではないだろう。
オーティスの頭の中で、自身の過去がぐるぐると蠢く。
人の差別の理不尽を目にしてきた子供時代。国を作ろうと足掻いた日々。
そして玉座についてからも耳に入り続ける惨たらしい現実のこと。
吐き出せぬ感情を喉元で押し留める彼を、ヴェオフォルミネは不思議そうに見上げた。
「オーティス、また悲しそう?」
「いや……」
出自がどうあれ、彼女は未来を生きる子だ。
むしろ「惨禍の子」であるからこそ彼女は先へと生きなければならない。
オーティスは一度目を閉じると、自らへと向かう憤りを全て押し込んだ。それから微笑んで少女に返す。
「ヴェオフォルミネ、俺がいるからな。お前には俺がついてる」
「うん」
「大丈夫だ」
その一言に、自らへと言い聞かせる気持ちがなかったとは言えない。
だがオーティスは少女に固く頷くと、女へと向き直った。銀の瞳の女は何処と無く悲しい目で二人を見ている。
彼女は既に分かっているだろう。けれどオーティスは、言葉として女に告げた。
「この子は渡せない」
「……そう」
「お前はどうする?」
憐憫を抱かないわけではない。ただ無条件に女だけを優先することも出来ない。
人外の女は横たわる我が子を見つめた。口元に穏やかな微笑が浮かぶ。
白い光の満ちる広間は、世界中で此処だけが人の争いと無縁であるようだ。
無知であるか無垢であるか、そのどちらかでなければ生きられないような場所。
ここで異物であるのはきっとオーティスだけだろう。そのような感傷を抱く彼に、透き通る女の声が自由なものとして響く。
「なら、殺して」
細い腕を伸ばして女は我が子の頭を抱いた。ヴェオフォルミネは寄り添う母子をじっと見つめる。
泣き声はない。
凍てつく城に、もはや氷風は吹かなかった。



空から見下ろす城は、上から下まで黒い石壁に覆われている。
淀んだ空気の中に黒々と聳え立つ城。外からは白い広間のことなど想像もつかない眺めは、異形の姿そのものだ。
主を失って再び瘴気が城の内部へと染み込んでいくのを、オーティスは無言で見守る。
何もない空中で、隣に立つヴェオフォルミネが男を見上げた。
「ここ、どうなるの?」
「しばらくは無人のままだろうな。人が暮らせるようなとこじゃない」
「どうして? 寒いから」
「瘴気が濃いから」
端的な返答を聞いて、ヴェオフォルミネはこくりと頷く。
風になびく白金の髪に氷片がこびりついているのを、オーティスは指を伸ばして取り除いた。
「お前の言う仲間ってのは、他の惨禍の子か?」
「うん」
「じゃあ、お前はトゥルダールに逃がされたのか?」
伝え聞く話では、ローステンは滅びてまだそう経っていないという。
滅亡の混乱のせいか、彼の国に何が起きたのか詳しいことまでは伝わってきていないが、それは惨禍の子らと無関係ではないのだろう。
ばらばらになったという彼らがそれぞれどういう道行きを選んだのか、オーティスは想像するしかない焦燥を覚えた。
そのような中でただ一人トゥルダールに向かわされたヴェオフォルミネは、仲間の手によって幸福になることを望まれた子なのかもしれない。
だが少女本人は、不思議そうな表情で首を横に振っただけだった。
「逃がされてない。用事を済ませただけ」
「用事?」
「伝えること」
瞳の蒼は、自由な空よりも幾許か氷の色に近い。
自らを知らぬ無垢。だがそれでも彼女は無知ではないのだ。
ヴェオフォルミネは白い右手を己の胸に添える。
「わたしたちのことを、本当のことを全部伝えて、残すように。ずっと先まで、これからの為に」
俯くことのない言葉。
誕生から踏み躙られた子供は、そうして遠い東の空を眺む。
人形を思わせる整った横顔はその時、見知らぬ美しい女のようにも見えた。

彼女と共に歩む道筋はどのようなものになるのだろう。
過去から点々と続いてきた足跡の先は、分かるようで分からない。オーティスは白金の髪を撫でた。
「ヴェオフォルミネ、俺もそれを聞いていいか?」
「うん。でも長いけど」
「いいよ。ああ、けど先に帰るか。風邪でも引いたら困る」
「わかった」
言いながらヴェオフォルミネは、両手の間に魔力を集める。
構成は見えない為転移をするのかとも思ったが、オーティスの目の前で少女の魔力はあっという間に膨らんだ。たちまち手の間から零れ落ちると眼下の城へと降り注いでいく。
何をするのかと魔力を目で追ったオーティスは、それらが一帯に立ち込める瘴気を打ち消し地に染み込んでいくのを見て、さすがに唖然となった。
「おい、ヴェオフォルミネ」
「なに?」
「何処までやるつもりなんだ」
「人が住めるようになったらいいかなって」
「…………」
この辺り全ての瘴気を払うだけでなく、それを恒常的に保つことなど普通に出来ることではない。
オーティスはしばらく黙って見ていたが、少女の息が上がり始めると不可視の構成を自分の手元に引き取った。
そうして受け取ったことで改めて、彼女の作っているものがきちんとした魔法構成であると確認しながら、彼は術を展開していく。
「こういうのは適当に始めると疲れるんだぞ。本当はもっと準備してやるもんだ」
「そうなんだ」
「そう」
思いつきだけで始まった構成を、オーティスは一つの巨大な術として一帯に放つ。
広がった魔法が地に染み入る様を、彼はしばらくの間上空から確認すると、頷いた。
「ま、こんなんでしばらくは持つだろ。余裕があったら後でちゃんと処置しに来るさ」
すっきりと晴れた景色。黒い城さえも心なし小さく見える。
オーティスは少しだけその眺めにほっとすると、少女を抱き取ってその場から姿を消した。
山間に差し込む光が、冷えた岩肌を柔らかく照らしていた。



小さな宿の一室に戻った男は、その晩少女から全てを聞いた。
三十一人の子供たちのうち、更に生き残った十四人の、絶望と屈辱と、憎悪と復讐の物語。
死んでいった同胞と劫火に消えた国に纏わる長い話を終え、子供は彼の腕の中で温かそうに眠る。
けれどそうして過去を引いて在る彼女の顔はやはり、少しも悲しそうではなかったのだ。