魔女 011

禁転載

人が普通に持って生まれることの出来る魔力には、限界があるとオーティスは推測している。
それは人が人の腹を介して生まれる以上当然のことで、つまり強大な魔力を持った胎児が存在すると仮定した場合、母親の体はその力に耐えて出産することが出来ない。
結果として母親自身が死亡するか、子供の方が流産するかは状況次第であろうが、確実に言うことが出来るのは、生まれながらに跳びぬけて強力な魔力を持った人間など存在しないということである。
だからこそ異常な程の魔力を持った人間は、皆後天的にその力を得ている。
―――― その前提を踏まえて問題であるのは、後天的に魔力を増大する為の手段が、判明している限りいずれも「まともではない」ということだろう。
惨禍の子たちが母親の犠牲によってその力を得たように。
そしてオーティス自身が、ある契約によって人外の魔力を身につけたように。
だからあの金色の目の女も、おそらく何らかの過去を負った人間であるのだ。
そんな人間がどうして自分たちの目の前に現れたのか。オーティスは気にしすぎてはよくない、と思いつつ、だが用心する必要はあるだろうと考えていた。

「あの人も、お母さんがいないのかな」
「どうだろうな」
日も落ちかけた黄昏時、宿の寝台に寝そべっているヴェオフォルミネは、三つの人形を並べて座らせての遊びに先程から夢中である。
そこに「昨日の女にまた会ったら気をつけろよ」と声をかけたオーティスは、予想外の返答に肩を竦めた。
「何か変な感じの女だったからなあ。俺と一緒で外見年齢通りの年じゃないのかもしれない」
「百歳くらいとか?」
「さすがにそこまで行ってるかはわからんけど」
彼女から受けた第一印象は、たちの悪い女だ、というものだ。
気紛れな挙動からは、どちらかというと老練さよりも子供の稚気に近いものを感じる。
そしてオーティスは、そういう何をして来るか読めない相手が苦手だった。
そんなことをトゥルダールで口にしようものなら、「これまで散々王として魔族を使役しておきながら何を言うのか」と苦笑されてしまうだろうが、契約を交わしている相手と見も知らぬ女ではまったく話が違う。
ましてや彼は、使役していた相手にさえ裏切られた経験を持っているのだ。これ以上の面倒は御免こうむりたかった。
「もう会わなきゃそれでいいんだけどな」
自然と顰め面になりかけていたオーティスはけれど、人形でままごとを楽しんでいる少女を見て、表情を緩める。
―――― 母親を犠牲にして生み出された惨禍の子たちのうち、ヴェオフォルミネはただ一人、「母親が死ななかった」子なのだという。
それは彼女の母が出産時の禁呪に耐え切ったということであり、他の母体と比べて随分強い魔法士であったことが推察されるが、その母もヴェオフォルミネが幼い頃に、兵器として濫用されて死んだ。
けれど、少女の中に残るたった数年間の母との触れ合いは、かけがえのない思い出であるのだろう。
そのせいかヴェオフォルミネは「母子」というものにひどく敏感だった。

大きさの異なる二つの人形を、親子に見立てて遊んでいる少女は、オーティスの視線に気づいたのか顔を上げる。
「どうしたの?」
「何でもないよ。それより、夜も宿で食事でいいか?」
「うん」
当初の予定ではしばらく広場に通って占い修行をさせるつもりだったが、また昨日の女にでも会ったら面倒だ。
少なくともあと三日は宿から出ずに様子を見た方がいいだろう。
そう思ってヴェオフォルミネを夕食に連れて行ったオーティスは、だが食堂に足を踏み入れた瞬間、脱力してしゃがみこむ。
そこには当然のように酒を飲んでくつろいでいる、昨日の女がいたのだった。

「何なんだ一体……」
「あ、ようやく来たわね。こっち来て座りなさいよ」
振り返った女は二人に気づくと軽い声で手招いた。
そう広くない食堂は六つのテーブルが置かれているが、そのうちのもっとも奥にある一つに女は悠々と落ち着いている。
夕食時にしては若干時間が早い為、まだ他の客の姿はないが、それにしても堂々としすぎているだろう。
オーティスは何と言い返そうか迷ったが、ヴェオフォルミネがさっさと女の向かいに座ってしまったので色々諦めた。
幸い女からは何の敵意も感じない。あまり最初から身構えてしまうのも失礼だ。
渋々ながらオーティスが席につくと、女は人の悪い笑みを見せる。
「何よ、もっと再会を喜びなさいよ」
「再会っつっても昨日の今日だろ。用件を言えよ」
「別にー? ただ目についたから。面白いのがいるなって思って」
あくまでも軽い様子の女は、名を聞くとルクレツィアと名乗った。
得体の知れない彼女は、どうやら大陸中を目的もなくふらふらしているらしく、二人に出会ったのも本当に偶然であるらしい。
オーティスはヴェオフォルミネに食事を頼んでやりながら、女自身の話に耳を傾けた。
あまり脈絡のない旅の話。それらを聞くだに、ルクレツィアはやはり外見よりもずっと長い時を生きているようだ。ヴェオフォルミネが母親について尋ねると「大分前に死んだ」と、何の抵抗もなく教えてくれた。
テーブルの上には次々よい香りの皿が並べられ、酒瓶が追加される。
食堂には客も少しずつ入り始め、オーティスは途中から会話が外に洩れないよう結界を張った。
その間にもルクレツィアは、多くの時代、多くの国の話をテーブルの上に重ねていく。
歴史に残る戦乱の話、森の中のささやかな集落の話、とうに滅びた国の話、今なお残る城の話。
作り物めいて劇的で、だが確かに事実であるそれらの話に、オーティスは黙って聞き入り、ヴェオフォルミネでさえも興味ありげな顔を見せた。
神代についての話はさすがに創り事なのだろうが、子供に語る御伽噺としては若干の苦味が現実を思わせるのだろう。
食事が終わり話が一段落すると、オーティスは薄い茶を啜った。
「で、用件は何なんだよ」
「んー、世間話?」
「そうなのか……」
何度目か分からない脱力感にオーティスはお茶のカップを握り締めたが、ルクレツィアはからからと笑っているだけである。
ヴェオフォルミネも食べ終わったことであるし、そろそろ部屋に帰った方がいいかもしれない。
彼がそう切り出す時を窺っているのが分かったのか、ルクレツィアは空になったグラスを指で弾いた。
澄んだ音がテーブルの空気を変える。
「で、その子についてだけど」
―――― やっぱり来たか、とオーティスは身構える。
こういう話になるのではないかと思っていたのだ。だから彼は、勧められた酒にまったく口をつけていなかった。
予知の異能持ちである少女について何を言われるのか、オーティスは細めた目で女を射抜く。
ルクレツィアはそれに対し、真意の見えぬ微笑を浮かべた。挑発的な視線が彼に向けられる。
「あんたはさ、いつまでその子と一緒にいるつもり?」
「何故そんなことを聞く?」
「んー。好奇心? その子はこっち寄りなんじゃと思って」
「どっちだよ。お前さんと何処が似てる?」
言いながらもオーティスは、自分が緊張しているということを自覚していた。
彼は横目でヴェオフォルミネを確認する。食事を終えた少女は、茶色の砂糖菓子を少しずつ齧っていた。
ルクレツィアの瞳が、光の加減か金に輝く。
「分かってるんでしょう? その子は普通に生きるには外れすぎてる。魔力も、性質も。
 どれだけ常識を教えたって、力がそれを裏切るわ。だったら最初から先を見越して育てた方がいいんじゃない?」
「ちょ……」
「なんだったら私が引き取るけど。むしろその方がその子にとっては楽なんじゃない?
 ずっと一緒にいられるわけじゃないって、あんたも思ってるんでしょ?」
最後の問いかけは、まるでオーティスの思考を抜き出して目の前に置いたかのようだ。
いつまでもヴェオフォルミネと一緒にいられるわけではない―――― そう思っていたのは事実である。
だが今、目の前の女からそう言われたことで、オーティスはちりちりとした落ち着かなさを味わっていた。
答えない彼に、ルクレツィアはふっと微笑む。
「あんたはさ、自分のことをまず考えてるでしょ? 自分だけが異常で、まっとうじゃないって。
 だから目が眩んでるんだろうけど、ちゃんと冷静になって見てみなさいよ。その子も充分に普通じゃないのよ。
 人を外れた王と惨禍の子の何処がどれだけ違うわけ? その子があんたと同じかそれ以上に外れた道を歩く可能性は充分にあるわ。
 だったら無理にその子を常識にはめ込むんじゃなくて、自由に生きられるようにした方がいいんじゃない?
 私たちみたいなのはそうやって、人の世を渡ってるんだし――」
テーブルを叩く乱暴な音が女の話を遮った。ヴェオフォルミネが目を丸くしてオーティスを見上げる。
立ち上がった男は、怒りを顕にしてルクレツィアを睨んでいた。その左手には強力な結界構成が浮かんでいる。
「お前は何だ?」
冷え切って響く問いは、他のテーブルまでは届かない。
夕食時に賑わう食堂の中で、彼ら三人のいる周囲だけはどうしようもなく異質だ。
女は琥珀色の目を笑みに染める。
「私は、魔女よ」
そう言ってルクレツィアは、白い指をオーティスへと向けた。



―――― この女は、自分たちの出自を知っている。
彼女の言葉はオーティスに更なる用心を促したが、それ以上に彼は言われた内容に憤っていた。
一度歪められて生まれた子はもうまともにはなれないのだと、ルクレツィアはそう言ったのだ。
ヴェオフォルミネはオーティスとは違う。望んでそうなった訳ではない。好きで強い魔力を得たのではない。
なのに彼女はもう戻れないのだと、女は笑う。
オーティスはその残酷さに焼け付くような苛立ちを覚えた。
「ヴェオフォルミネはまだ十五だ」
「そうね。だから今のうちだと思うわ。無理に人に馴染もうとすれば、後でもっと傷つくだろうし」
「お前がそれを決めるってのか?」
「あんたは決めようとしてたでしょ」
「俺は」
言い募ろうとしたオーティスの眼前に、白い指が迫る。
細い、金色の光。打ち出された繊細な構成は、一瞬で彼の結界を貫通して額へと吸い込まれた。
感じられる変化はない。だがオーティスは、自分に何らかの魔法がかけられたと直感した。右手が捕縛の構成を組む。
しかしその時には既に、ルクレツィアはテーブルを離れて出口へと歩き出していた。柔らかな声だけが耳元で聞こえる。
「夢をあげるわ。ちょっとは身に染みるように」
「待っ……」
「オーティス」
構成を打ち出しかけた彼の服を、ヴェオフォルミネが引っ張る。
菓子を食べ終わった少女は、いつの間にか蒼い瞳をとろんとさせていた。
「オーティス、ねむい」
「ヴェオフォルミネ……」
しきりに目をこする少女の姿は幼い。―――― それを可能性と言い換えることは、大人の傲慢なのだろうか。
オーティスは口にしかけた多くの言葉を飲み込むと、そっと彼女の手を引いて立たせる。
「部屋に戻るか。寝る前にちゃんと着替えて口すすげよ」
「もう寝そう」
「あとちょっと頑張れ」
素直に後をついてくる少女は、その容姿も相まって騒がしい食堂ではやはり浮いて見える。
だがオーティスは振り返ってそれを見つめることなしに、彼女を連れて自分たちの小さな部屋へと戻っていったのだ。