魔女 012

禁転載

かつて魔法士は、その能力を恐れられ異端視されながらも、凄惨な迫害までは加えられていなかった。
大陸西部において彼らは主に、人里から少し離れた森の中などに家を構えて、たまに訪れる人々を助けたり、或いは村々を回って占いや治療などで生計を立てていた。
より偏見の目が強い東部では、魔法士たちは裏町などに追いやられ、触れてはならぬ穢らわしい存在として扱われてはいたが、彼らに進んで危害を加える者などはいなかった。
その状況が一変したのは、ある一つの戦争が原因である。
今から二十年以上前のこと、大陸東部にて二つの国が衝突している最中に、第三国が奇襲をしかけた。
―――― その際の攻撃に使われたのが、一人の女魔法士だったのだ。
鎖に繋がれ戦場に現れた彼女は、強大な魔法によって千人の命を刈り取ったという。
そしてその時から魔法士は、人ではなくなった。
戦乱に明け暮れる東部の国々は、こぞって魔法士を捕らえ兵器として用いり始めた。
それを知った民の憎悪は魔法士へと向き、裏町でひっそりと生きていた彼らは武器を以って追われるようになった。
悲劇であったのは、多くの魔法士がほんのささやかな力しか持っておらず、振るわれる刃にろくな抵抗が出来なかったということであろう。
迫害に対抗出来る程力のある魔法士たちは、その時既に西に逃げるか権力者の手に捕らえられており、野に残った者たちは無力な獣のように狩られ、逃げ出すことを余儀なくされた。
積み重なる血の連鎖。戦乱ばかりが続き、暗黒の世だと囁かれる大陸。
だが魔法士たちにとってその闇は、多くの人間が見るよりも遥かに深いものであったのだ。






着替えをしたヴェオフォルミネが寝台に横になるのと、安らかな寝息が聞こえ始めるのはほぼ同時だった。
歩きながら寝そうになる少女を励まして、何とか寝かしつけたオーティスは向かいの寝台へと座る。
―――― 先程から凄まじい眠気が意識にのしかかってくる。
それはルクレツィアが別れ際に放ってきた魔法に由来するものなのだろう。
オーティスはこめかみに手を当て、かけられた魔法を解こうと試みたが、眠気のせいもあって上手く行かない。まるで底なし沼にずぶずぶと飲み込まれていくかのようだ。
「くそ……何なんだあの女」
はっきりとした構成解析は出来ていないが、かけられたものは精神に作用する魔法のようだ。
「夢をあげる」と言っていたのだから、その類のものなのだろう。
どちらかというと複雑な魔法が苦手で力押しに頼りがちなオーティスは、女の繊細極まる構成に歯噛みしながらも感嘆の念を禁じえなかった。
そうしている間にも、眠気は強烈な圧力となって押し寄せてくる。
「こりゃもう……だめか」
口を開くことさえ出来ない。穴の中へと引きずり込まれるような感覚に、オーティスは倒れこむ。
瞼が重い。閉ざしたなら二度と開けそうにない。
朦朧とする意識の中で、オーティスは半ば無意識にヴェオフォルミネを探した。
寝台で丸くなっている少女は、いつもと変わらぬ穏やかな寝顔を見せていた。






元々眠りは深い性質ではない。
だからオーティスは、戸を激しく叩かれた瞬間その場で飛び上がった。
寝床にしていた藁山を離れると、急いで納屋の掛け金を外す。
外は暗い。時刻はまだ真夜中だ。だが戸を叩いていた壮年の男は、昼となんら変わらぬ格好で鋤を持ちそこに立っていた。
厳しい表情の男は、村外れの方角を指差す。
「奴らの軍が来た。急いで準備するんだ」
「……わかったよ」
―――― 思っていたよりも早いが、覚悟は出来ていた。
オーティスは素早く藁山に走り寄ると、中からなめし皮の上着を引っ張り出す。
それは彼が森での作業時に着ているもので、既にぼろぼろではあったがないよりはましだろう。
他に木の皮を削る為の短剣を拾い上げて戻ると、男はオーティスに布袋を差し出した。
「裏に馬を繋いである。お前はこれ持って逃げろ」
「え……?」
自分も共に戦うのだと、そう思い込んでいた少年は気の抜けた声を上げた。
だが男は黙って頷くだけだ。袋をぐいぐいとオーティスに押し付けてくる。
「早く行け。あいつらは、お前みたいな変わりもんは殺しちまうんだそうだ。今ならまだ間に合う」
「でも」
「行け。どさくさに紛れてお前になんかする奴がいるかもしれん」
男の言葉は、少年が未だに村でも異端視されているという現実をまざまざと示した。
―――― 分かっていたことだが、それでも実際言われると堪えるものはある。
魔力を持つがゆえに親に捨てられ、八歳の頃から多くの集落を渡り歩いてきた彼にとって、この小さな村はようやく得た居場所であったのだ。
男の納屋に間借りして、森での仕事を手伝いながら魔法で村人の怪我や病気を治療していた日々。だがその平穏も、広がりつつある戦乱の波に飲み込まれようとしている。
オーティスは三十戸程しかない粗末な村を見渡した。
「本当に大丈夫? リアガの村は皆殺しにされたって」
「リアガとは違う。こっちは抵抗するつもりもないさ。それで殺されてちゃばかばかしいからな。
 食糧さえ渡しちまえばそれでおしまいだ。今年の冬は厳しくなるが……地下にはまだ蓄えがある」
男は自らに言い聞かせるように頷くと、オーティスに布袋を無理矢理握らせた。
感触からいって、中には食べ物が入っているのだろう。少年は多くを飲み込んでそれを受け取ると、納屋の裏へと向かう。
その途中で足を止め、男を振り返った。
「あの、今まで本当にありがとう。俺……」
「行け。戻ってくるんじゃあねえぞ」
そっけない言葉は、いつもの男のものだった。
決して優しくはなかった相手。だが信頼はあった。情もあっただろう。彼が父親だったらと思ったことさえあった。
オーティスは無言で頷き痩せた馬の手綱を引くと、二年間を過ごした村を最後に見納める。

一年後同じ場所を訪れた時、小さな村は焼き尽くされて跡形も残っていなかった。






「魔法士の国を作る? 正気とは思えないね」
足を組んで石の玉座に腰を下ろした青年は、呆れたようにそう言った。
秀麗な顔には皮肉さが浮かんでいたが、それはどちらかというとオーティスよりも大陸の現状に向けられたものだろう。
稀少な力を持つ魔法士として森の中の神殿に繋がれている彼は、外を旅しているオーティスと比べてひどく厭世的な考え方の持ち主だった。
他に誰もいないがらんとした石の神殿。玉座の後ろには崩れかけた神像が設置されている。
顔の削れた像は主神アイテアを模したものらしい。高い位置にある窓からは、淡い光が斜めに差し込んでいた。
その光の届かぬ場所に立つオーティスは、友人の視線にかぶりを振る。
「正気だ。ってかやってみなくちゃわかんないだろう。いきなり気を挫くなよ」
「冗談かと思ったね」
「本気だっつの」
オーティスはぼりぼりと頭を掻くと、自分の懐を探る。
気づけば腐れ縁となっていたこの友人には、会う度に馬鹿にされている気もするが、それでも本気で考えたことを頭ごなしに否定されては面白くない。彼は服の中から手書きの地図を探り当てると、それを青年に向けて広げた。
「ほら、この辺土地空いてるだろ。西の野っぱら。国建てるのにちょうどいいって思わないか?」
「場所が空いてたら国が建つと思っているその思考回路が分からない。頭の中空っぽなのか?」
「だから人集めるんだよ!」
さすがに小屋などを建てるのとは話が違うということくらい、オーティスも分かっている。
国を作るには金と、何よりも人が必要だ。少しずつ真摯に理想を説いて、それに賛同してくれる人間を集めなければいけない。
だからこそ真っ先に友人である青年を訪ねたというのに、当の本人の反応は散々なものなのだ。
オーティスは落胆を抱くと地図を懐にねじ込んだ。
「ま、いいさ。もうちょっと現実味が出てきたらまた来るから。後で吠え面かくなよ」
自分でも格好の悪い捨て台詞だと思ったが、今更体裁を気にするような相手でもない。
踵を返したオーティスに、だが背後から友人の声がかかる。
「オーティス」
「何だよ」
「誰もが幸せになることなんて出来ない。それを分かってて言ってるのか?」
「……分かってるよ」
夢想家のようなことを口にしているという自覚はある。
だがそれでも、何もしないではいられないと思ったのだ。少しでも何かをしたい。そしてそこから大陸の流れ自体を変えていきたい。
野心というにはあまりにも切実な願いは、若干十七歳のオーティスが辿りついた始まりだ。
何と言われようともそれを曲げる気はない。静かに意気込む彼に、青年は笑うわけでもなく鋭い視線を投げかける。
「オーティス、今、不遇である多くの魔法士を救いたいなら、今、不自由でない人間たちを踏みつける覚悟を持つべきだ。
 国を作れば敵が生まれる。敵が生まれれば新たな戦が始まる。お前にはそれを踏み越える覚悟があるのか?」
―――― 同胞を救う為に、はたしてそうではない人間を犠牲にすることが出来るのだろうか。
もしオーティスが、魔法士を迫害する人間たちに復讐心を抱いているのなら、それは迷うまでもないことだろう。
先に傷つけた方が悪いのだと言い切ればいい。悪びれず堂々と立ち向かえばいい。
だがそれでは、大陸に蔓延る連鎖から逃れることは出来ないのだ。
ならば国を作ることを諦めるしかないのか。向けられる悪意からただ逃げ続けるしか術がないのか。
次から次へと沸き起こる矛盾と煩悶。オーティスはしかし、正視しがたいそれらを正面から見据えた。
数分の沈黙を経て答える。
「分かってる。いや、分かってるつもりだよ。
 場合によっちゃ俺はとんでもない悪名持ちになるかもしれないし、そうしたら周りの人間も巻き添えになるだろう。
 分かってるんだ。だが、それでも」
友人の目を見返す。
神代からの血脈を継ぐという青年は、黒い目に見透かせない深遠を湛えていた。
オーティスは人知れぬ深遠を前に、静かな声で宣する。
「俺は……たとえ犠牲を生もうとも、人が二種類に分けられぬようにしたい。その為になら何でもする」
新たなる道の始まりとなる言葉。
それを聞いた友はほろ苦く笑って、「……ならばお前が王だ」と言い切った。






暗転する世界。
夢は途切れる。そしてまた次の過去が始まる。
オーティスは積み重なるそれらを渡っていく。
精神の世界に時間はない。
自分が何処にいるのか、今の彼には分からなかった。