魔女 014

禁転載

目を覚ましてすぐ、寝台に座っている女を見つけても、オーティスは驚かなかった。
むしろ当然だろうと思ったくらいだ。強力な魔法士に精神魔法をかけることは難しい。特に繊細な術であればある程、近くで調整を行うことが必要になってくる。
今もそうして彼の夢を操っていたのだろうルクレツィアは、オーティスと目が合うとにんまりと微笑んだ。
「どうだった?」
「疲れた」
短い返答に女はからからと笑う。
オーティスは彼女の意図が分かってしまうだけに、それ以上何を言う気にもなれなかった。
机に置かれた燭台の火だけが暗い部屋を照らしている。ルクレツィアは、向かいの寝台で眠ったままの少女を見つめた。
「あの子は、境遇には恵まれなかったけど、母親と仲間には恵まれてた。
 ちゃんと愛情を知ってる子なのよ。でも皮肉なことに、だからこそあの子はいつも手を放されてきた。
 普通の幸せを得られるようにって置いていかれて。でも一人ぼっちが幸せなわけないのにね」
「……自分にもう先がないって分かってたら、一緒には連れていけないだろ」
「そうね。でもあんたには先がある」
―――― ルクレツィアは、はたして何処までを知っているのだろう。
永遠さえもあるではないかと言わんばかりの女に、起き上がったオーティスは苦い息をつく。
ヴェオフォルミネはまだ規則的な寝息を立てていた。
「お前、魔女って言ったな」
「そうね。あんたよりずっと長生きしてるわよ? こういう女、もう一人いるけどね」
男の体は魔法的には不安定で、強大過ぎる魔力を持てば反動が出る上、延命には向かない。
それはエルシリアにも言われていたことで、オーティスは「魔女とはよく言ったものだ」と苦笑したくなった。
じっとりと汗をかいている額を、彼は手の甲で拭う。
「お前は、俺がどうなるか知ってるんだろ?」
「人じゃなくなるってこと? 別にいいんじゃない?」
「軽く言ってくれるよ」
オーティスにとっては全てとの決別とも言える変貌も、この魔女には大したことではないらしい。
その気軽さに幾分自分自身も気楽になれるようで、オーティスは声に出さず笑った。乾ききった喉から肺の中の空気を全て吐き出す。
小さな宿の部屋は、今はかろうじて安息の領域にあるようだ。
ルクレツィアは弾みをつけて立ち上がると、彼の前に立った。
「で、答は? 私ならあの子が自由に生きられるよう面倒見てあげられるけど?」
「新しい魔女としてってか? 断る。あいつはまだ子供だ」
「ふーん?」
「その代わり……俺が変わっちまった後、あいつを傷つけるようだったら、その時は連れてってやってくれ」
―――― 彼女が普通の幸福を掴めるのなら、それが一番いいのだと今でも思っている。
だがヴェオフォルミネにとっては、もっと大事なものがあるのかもしれない。
その為の自由と時間こそ彼が守らなければならないものだろう。
魔女の手を借りるのは、それがかなわなくなってからでいい。
そう割り切ってしまえば、不思議と肩の荷が軽くなる気がした。

ルクレツィアは彼の頼みに何か言いたげな顔になったが、結局は腰に手を当て短い溜息をつくに留まった。
光の加減か金に見える瞳がオーティスの上を撫でていく。
「……ま、いっか。それくらいなら」
「ってか、本当にお前なんなんだよ。ヴェオフォルミネを追ってきたのか?」
「センがあんたを心配してたわよ」
「へ?」
王であった時に使役していた精霊の一人、今は二代目の王に継がれている魔族の名を挙げられ、オーティスはさすがに虚を突かれた。
エルシリアを御しきれず玉座を降りた自分を、他の精霊がそのように思ってくれているとは想像もしていなかったのだ。
気恥ずかしいような、後悔混じりの温かさが心中に湧き出してくる。
オーティスは口の中で精霊への感謝を呟くと、ルクレツィアに微苦笑を向けた。
「手間かけさせたな」
「別にいいわよ。こういうの好きだもん」
「にしてもヴェオフォルミネにまで過去の夢見せるこたないだろ」
「あの子にとっちゃそんなこと、大したことじゃないのよ。あんたもそれが分かったでしょ?
 あんたはそれをちゃんと理解してなきゃいけない。これからもあの子と一緒にいるならね」
「分かってるよ」
耳に痛いが言われるだけの理由はある。
一方ルクレツィアはもう帰るつもりなのか、手の中に転移の構成を生んだ。「じゃ、またね」と悪戯っぽく笑う女に、オーティスは手を上げて返す。
「ずっと、って約束するのは怖いもんだな」
「先のことばっかり見てるからそう思うのよ。今を見てなさい」
説教臭さを感じさせない明るさは彼女の持ち味なのかもしれない。
ルクレツィアは最後に魅惑的な微笑を見せると、音も無く姿を消した。



「あー……本当つかれた……」
夢の中の疲労感をそのまま引き摺ってきてしまったのかもしれない。
精神だけでなく肉体までも妙に重く感じられて、オーティスは両手を上げ伸びをした。
そうして彼は自分の寝台を立つと、ヴェオフォルミネのもとへ歩み寄る。
蹴られた掛布を戻そうとした時、けれど少女の瞼がうっすらと開いた。まだ半分以上夢の中にいるような青い瞳が、オーティスを見上げる。
「もう朝?」
「まだ夜だ。寝てていいよ」
「わたし、夢見てた」
ぽつりと零された一言に、思わず身が強張りそうになる。
オーティスはそんな自分を恥じると、出来得る限り優しい声で返した。
「ただの夢だ。忘れちまえ」
「でも、おいしかった」
「……ん?」
魔法をかけられた影響で記憶が混濁しているのだろうか。オーティスは少女の額に手を当ててみる。
「何が美味しかったんだ?」
「お菓子。お菓子の家に住んでる夢を見てた」
まだ口の中に夢の味が残っているのか、ヴェオフォルミネは珍しくうっとりとした笑顔を見せた。
オーティスはその言葉に頭の後ろが冷えていく気がして、顔を強張らせる。
「お前が見てた夢って、それだけか?」
「うん。また見られる?」
「…………やられた」
ルクレツィアは今頃さぞや笑っているだろう。
―――― つまり彼が夢の中で会ったヴェオフォルミネは、本当にただの夢でしかなかったのだ。
「おかしいと思ったんだよな。こいつにまで過去の夢見せるなんて」
ルクレツィアが懲らしめたかったのはオーティスだけだ。その為にヴェオフォルミネまで苦しめることはないと、彼は思ったのだが、実際少女はあの夢とは無関係に眠っていたのだろう。
とは言え、夢の中の彼女が本物の少女から移しとられたものなのだということは窺い知れる。
そうでなければ意味がない。あれは、オーティスが見ようとしていなかったヴェオフォルミネの側面なのだ。



少女はまだ寝たりないのか目を細める。
眠りに落ちるのをかろうじて堪えているらしい彼女は、長い睫毛の下からオーティスを見上げた。寝台に座った彼はその頭をそっと撫でる。
「寝てていい」
「うん……オーティスは寝ないの?」
「寝るよ。お前が寝たらな」
こうして共に迎える夜をあとどれだけ積み重ねていくのか。
オーティスは煌々と光を放つ燭台を見やった。
その先の暗い窓から外は見えない。ただ夜を覗き込もうとする自分が見えるだけだ。
目を閉じた少女の指が、オーティスの袖を引く。
「近くにいて」
「ああ」
それは、この手が伸ばされる限り続く約束だ。オーティスは少女の手を握る。
「―――― ずっと傍にいる、ヴェオフォルミネ」
彼女の願いにオーティスは、彼自身である限り応え続けるだろう。



その晩彼は、彼女と何処までも同じ道を歩いていく夢を見た。
目的地はない。
ただ終わりない旅路において、少女の手を取る彼は、理由無く幸福だった。