うしなうもの 015

禁転載


高い木々がまばらに生えている林の中は、真上にある太陽からの木漏れ日で充分に明るかった。
茶色の落ち葉が厚く降り積もり、その上には光の斑模様が出来ている。
見通しは決して悪くない。それは追う側のオーティスにとって便利ではあったが、相手からこちらもまた丸見えということだろう。
いつの間にか相手の足音はやみ、木々の間にもその姿は見えない。
どうやら何処かの影に潜んでしまったようだ。ここまで徒歩で相手を追い立てていたオーティスは、面倒くささに息をついた。
「もちっと派手に捕まえてればよかったか?」
ある大きな町にて人々を騙し金品を奪い取っていた男を、オーティスは依頼を受けて捕まえようとしたのが、途中で相手には気づかれ逃げ出されてしまった。
上手く魔法を使って捕縛出来ればよかったのだが、間の悪いことに町中では人目があったのだ。
結果外まで泳がせた方がいいだろうと判断しての現状である。オーティスはぼさぼさの髪を手でかき回した。
「まったくな、相手も魔法士だとどうも加減が面倒だよなあ」
普通の人間であればほんの少しの魔法で捕らえられるのだが、相手も魔法士であればそうはいかない。
傍から見て「どちらも魔法を使っていないように」捕縛することは至難の業だ。
だが他に人がいない林の中までくれば、そろそろ打てる手も増えてくる。
オーティスは聞き取られぬよう小声で詠唱を開始した。広範囲に広がる探査と捕縛の構成を組む。
しかし―――― その構成が完成する直前、林のはるか前方からは、どん、という衝撃音が響いてきた。
木々の倒れる音。気のせいか中には男の悲鳴が混ざっている。
それが誰の仕業かすぐに分かったオーティスは、溜息未満の息をついた。
「魔法士にとっちゃ構成不可視ってのは、天敵みたいなもんだろうしな」
慣れている彼と違って、逃げていた男は何も分からぬまま吹き飛ばされただろう。
あとは彼女を止めて男を回収するだけだ。
オーティスは使わなかった構成の代わりに転移の構成を組むと、厚い落ち葉を蹴って連れの少女のもとへ跳んだ。



「だから加減しろっつってんだろ」
男を町に引き渡してきた後の夕食。それを宿の部屋で取っているのは、人には聞かせられない反省会を兼ねているからだ。
小さなテーブルには食堂から持ってきた皿が所狭しと広げられている。
そのうちの一枚から煮込み肉を自分の皿に取り分けているヴェオフォルミネは、不思議そうに首を捻った。
「手加減したけど。殺さなかった」
「周りの木がいっぱい倒れてただろ。ああいうのも本当はよくないの」
「むずかしい」
「ちょっとずつ頑張れ、って……ま、前よりはずっとましになったか」
「本当?」
「ああ。よく出来たな」
構成が不可視であるということは、今まで誰も構成の細かいところを正せなかったということだ。
おそらく仲間などから見よう見まねで構成を覚えたのだろう少女は、分かっているのかいないのかこくこくと頷く。
二人が出会ってから一年ちょっと。その間にオーティスは、魔法の使い方を中心にヴェオフォルミネに様々なことを教えていた。
しかしながら少女本人は、その半分以上を聞き流しているとしか思えない。
何をどう言っても彼女らしさを失わないヴェオフォルミネに、けれどオーティスは懐かしい心地よさを抱いていた。
今は定住地を持たない自分にとって、彼女こそが「家」なのではないかとさえ思える。
彼は自分の為に酒を注ぎながら、食事を頬張るヴェオフォルミネを眺めた。
一見無表情に見えるが、煮込みの味が気に入ったのだろう。いそいそと食べては新たな分を取り分けている。
オーティスはそれに「ちゃんと噛めよ」と注意だけして酒盃を傾けた。
穏かと言って差支えないひととき。窓から見える町の夜は、明かりに乏しい。
城壁を持たない町の中には夜襲の対象とならぬよう灯りを制限しているところもあるが、この町の場合は単に燃料の余裕がないのだろう。
たった五百人程度の人間が寄り集まって暮らしている小さな町は、そうしてここ数年間を何とか乗り越えてきたのだ。
そのような町の中にあって罪を犯した男は、これから町の住人の手で裁きを受けることになる。
オーティスは自分が関わった相手の運命にしばし思いを馳せた。
その向かいで、ヴェオフォルミネが自分の杯に温められた卵乳を注ぐ。
「魔法士でも、悪い人はいる?」
「そりゃいるさ」
苦笑の中に毒が混ざりそうになったオーティスは、一呼吸置いて少女を見た。
「ヴェオフォルミネ、そもそも俺たち魔法士が善で、それを迫害する人間が悪ってわけじゃないんだ」
「そうなの?」
「そうだよ。魔法士と普通の人間の違いなんて、大したもんじゃあない。
 ただ早く走れるか否かくらいのもんだ。それくらいで人の性格は変わらないだろ?」
「うん」
今、魔法士たちが直面している問題について、上手く説明することは難しい。
だがいずれは伝えなければならないことだろう。それは大人の役目の一つだ。オーティスは慎重に言葉を選んだ。
「絶対正しい人間なんていない。みんなただ、自分の中に『多分正しい』って基準を持ってるだけだ」
「それが違うから、争うの?」
「そうとも言える。加えて、分かって悪いことをしてる奴なんていっぱいいるしな」
空になった盃をオーティスはテーブルの上に戻す。
底に残る澱混じりの赤い酒は、何処にでもある淀みを思わせた。それを全て取り除くことはきっと出来ない。
飲み下していくしかないこともあるだろう。だが、人が普遍的に抱える事実を、そういうものとして彼女に伝えるのは、卑怯であるように思えた。
オーティスは暗い窓の外を眺める。
「ヴェオフォルミネ、自分で自分を正しいなんて言うやつは、馬鹿か悪党かだ。
 お前は常に自分を疑え。―――― 迷うことは悪いことじゃない」
あえて苦味を抑えての声音は、冷めかけたスープよりも味気ない。
ヴェオフォルミネは青い目を一度まばたきすると、だが素直に頷いた。


物知らぬ少女に世のことを教えながら旅していく過程は、まるで人の歴史をなぞっていくかのようだ。
或いはそれは、自分自身を振り返る旅であるのかもしれない。
オーティスは、少女がよく眠っていることを確認すると、寝台から離れた机に明かりを生んだ。古い大陸地図をその下に広げる。
残る目的地は一箇所。だが彼は、そこを訪れることを今までずっと先延ばしにし続けていた。
「もう待ちくたびれちまったか? 魔族は時間の感覚が薄いんだったか」
ヴェオフォルミネと一年以上旅をしているということは、エルシリアが出奔してからはそれ以上の時間が経っているということだ。
未だ人間階にいるままの彼女は、今頃何を考えているのだろう。
かつてもっとも近かった女の思考は、今はもう分からない。ただ何処にいるかは見当がついていた。
神代の終わり、人の愚かさによって呪われてしまったという土地。その存在を知る者からは「死の町」と呼ばれる地下遺跡の場所を、オーティスは人差し指で押さえる。魔力を込めた指先が黄ばんだ紙にじんわりと黒い染みを落とすのを、彼は無言で見つめた。
―――― 子を持つ親の気持ちとは、どんなものかと思っていた。
親となることを放棄してからオーティスは、そんなことを何度か考えてみたりしたのだ。
だが、考えても分からなかったそれを、今自分は体験しているのかもしれない。
もっと多くをヴェオフォルミネに伝えたかった―――― そんな迷いが頭の中をよぎるが、彼は小さくかぶりを振る。
「弱気になってちゃ駄目だろ」
エルシリアを殺す反動として、完全に人外へと変質したとしても、彼自身が即失われてしまうわけではない。
記憶を失っても残るものはあるだろう。そう信じればいい。彼女を守ることはまだ出来るのだと。
「最初から投げてると、またルクレツィアがちょっかいかけてきそうだしな……」
打てる手は打つ。布石を置いて、清算を始める。
それはとうに決まっていた彼の義務だ。
オーティスは右手の五指を自分のこめかみにあてる。そして一度深呼吸すると、小さく詠唱を始めた。