うしなうもの 016

禁転載

「この大陸の先がどうなるのか、見てみたい」
出来たばかりの城の露台に立ってそう呟いた時、側にいた二人の反応はまったくそれぞれのものだった。
親友である男の方は言葉なく冷笑し、エルシリアはあっさり返す。
「見ればよいじゃろう。ほれ」
「いや、そういうんじゃなくてさ。もっと何百年も後まで見てみたいんだよ」
「見ればよいじゃろう」
「お前、俺の話聞いてたか?」
気軽に言われてもどうしろと言うのか。寿命がない魔族と同様に言われても困る。
しかし、オーティスに呆れて返された彼女は、それこそ呆れたような表情になった。
「人の器などに縛られておるからじゃ。好きなように生き、好きなように見ればよい。おぬしにはそれが可能じゃ」
長い銀髪を手で流しながら笑う女は、風の吹く更に先を見つめている。
その目に映るものはきっと、人が見るものとは違う景色であるのだろう。
オーティスは肩を竦めた。
「軽く言うなよ。人には器が必要だっての。器から出たら死ぬんだよ」
「その器を変えればよいだけじゃ」
何を言っているのか、と言わんばかりの女は、自分の意見が当然のものだと疑っていないようだ。
願いの為に人であることを捨てる―――― 元々人でない彼女にとって、そのようなことは大した変化ではない。
オーティスは価値観の違いをどう諭そうか考えて、だがそれをやめた。お互いの違いを尊重出来ねば、彼女と契約している資格はないと思ったのだ。
切り出されたばかりの石の匂い。作られつつある国の景色に、オーティスは目を細める。
「ま、俺は無理でもお前が見てくれればいいさ」
人である自分はやがて死ぬ。
その後は精霊となった彼女が、この国の行く末を追ってくれるだろう。
それでいいと、思っていた。
―――― もはや過去の話だ。






地上に広がる遺跡部分は、古い神殿そのものだった。
朽ちた柱に石段、そして台座。そう大きくはない神殿跡をオーティスは見回す。ついでに転移座標を取得してしまったのは、半ば身に染み付いた癖のようなものだ。
転移の使える魔法士ならば皆やることだろう。もっともこの座標を使うことがあるのかは分からない。
オーティスは、隣で台座に座っている少女を見下ろした。
「じゃあ、ヴェオフォルミネ。俺はちょっとこの下行ってくるからな」
「うん」
「そう時間はかからないと思うけど……飽きたら宿に帰ってていいからな。転移出来るだろ?」
「うん」
「待ってるなら自分に結界張っとけよ。あと知らない奴についていくなよ」
「うん」
素直に返事をする少女は、細い両足をぶらぶらさせながら頷く。オーティスはその頭をそっと撫でた。
このように森に囲まれた辺境に人が来るとは思えないが、一人で待たせるのだから用心は必要だ。
幸い陽気は悪くない。乾いた風には砂が混ざっているが、ヴェオフォルミネは口元と首を布で覆っている。
オーティスは長い睫毛に混ざった砂を指で払ってやった。少女の首に、白い石を通した皮紐をかけて付け足す。
「あとな、もし戻ってきた俺がおかしかったら―――― すぐ逃げろ」
それこそが、一番重要なことだ。
エルシリアを殺した後に待っている変化とは、どのようなものなのか。
契約を破棄し、人ではなくなった彼が、ヴェオフォルミネを傷つけるなどということはあってはならない。
そのようなものに変貌してしまうのなら、すぐ死んだ方が幾分ましだろう。
可能性を考えながら念を押すオーティスに、けれど少女は返事をしなかった。青い目が彼を仰ぐ。
「オーティス」
「ん」
―――― その目に映るものは、なんであるのだろう。
外れることのない未来視の異能。彼女と出会ったばかりの時、自分の未来について何と言われたか、オーティスは覚えていない。
覚えていてもいいはずのそれを忘れてしまったのは、彼女と過ごした一年が楽しかったからだ。
まるでまだ自分が普通の人間であるかのように、当たり前の苦労を楽しんだ。それは自分には過ぎた幸福であったろう。
ほんの少しだけ未来を借り受けた。だがその借りを彼は返さねばならない。
オーティスは右手を軽く握り、感触を確かめる。問題はない。そう勘は鈍っていないはずだ。
少女は頷くようにまばたきをする。
「いってらっしゃい」
「ああ、行ってくる」
気負う必要はない。
そうして彼は、地下へと続く階段に足を向けた。



「死の町」と呼ばれるこの遺跡の起源は、遠く神代の終わりにまで遡る。
当時ここには一人の神と、彼を崇める人間たちが集まって小さな集落を形成していた。
地下に街を作った理由は明らかになっていない。一説には、神を外敵から守る為にそうしたと言われている。
何故なら主神アイテアの子の一人であった彼は、一年のほとんどを眠って過ごしており、その間あまりにも無防備になってしまうからだ。
人々は何人たりとも外から入ってこられぬよう、街の入り口を石によって閉じた。
そうして地下の神殿に眠る神と、彼の力を借りて共に暮らす人々は、隔絶された場所で百年に渡る平穏を手にしていたのだ。
その終わりをもたらしたのは、一人の若い女である。
彼女は外の世界への憧れから神を殺そうとし、それを咎めた街の人間たちの手で逆に殺された。
神殿は彼女の血によって穢され、目が覚めた神はそれは誰の血であるのか問うたのだという。
人々はその問いに、女の罪が知られることを恐れて「鶏の血です」と返し―――― だが偽りを見抜いた神は彼らを呪い、街を去っていった。

「で、取り残された人間たちは、神の力がなくなった町で死んでいった……か」
薄暗い地下遺跡を行きながら、オーティスは独りごつ。
冷たい石の通路は壁にも床にもまったく継ぎ目が見られない。伝えられている話全てが本当だとは思わないが、この技術は魔法でも不可能なものだ。かつてこの町を作った存在は、尋常ならざる力を持っていたというのは事実だろう。
空中を浮遊する明かりが照らし出す景色を、彼は眺め渡す。
胸の悪くなるような瘴気は、結界によって遮っているが、その圧力はひしひしと肌身に伝わってくる。
オーティスは神の存在など信じてはいないが、過去ここで何があってこのような状態になっているのかは、少しだけ気になった。
「ま、単なる好奇心だけどな」
やがて長い通路が終わり、急に空間がひらける。
灰色の石材によって作られた地下の町。今は誰の姿もなくただ沈黙しているそこを、男は軽く顔を顰めて見据えた。指を上げ、空中を梳く。それに応えて魔法の明かりが、町の上をすいと滑っていった。
石造りの家々や飾り柱、広場や浴場がぼんやりとした光の下、束の間姿を現す。
淡い白光に照らし出される死の町は、静謐というよりも無機質だ。
まるで墓所と変わらぬそこは、数百年を経た後も新たな死者の為に場所を空けているようである。
オーティスの放った光球は、町を縦断すると最奥の神殿前で静止した。
そこだけは中に灯りが灯っているらしく、崩れかけた入り口に薄青い光が漏れだしている。
来訪者に存在を示しているのかもしれない。彼は、女がどれくらいその光を灯していたのか考えかけて、だがすぐにその思考を打ち切った。
「じゃあ、まあ、行くか」
迷いはない。それはきっと、時間が経ちすぎたせいなのだ。

「おぬしは馬鹿じゃ」と。
そう言われたのは一度や二度ではない。
馬鹿だ、雑だ、考えが足りない、と、共にいた時は散々に罵られた。その言い分は大半事実だったので、度々腹が立って言い返した。
思えば彼の周りには、彼を甘やかす人間はほとんどいなかったと思う。
皆、彼に厳しかった。それはつまり甘やかしていると同義だ。
トゥルダールは、不出来な王をそうやって皆で叱咤して、何とか作り上げられたものだ。
最初の頃は毎日走り回って、毎日誰かしらと怒鳴りあっていた。
滅茶苦茶な過去の記憶に、オーティスは神殿の廊下を歩きながら微苦笑を洩らす。
「まったく、懐かしすぎて駄目だな」
「何が駄目なのじゃ?」
「年取ったってことだよ」
息を吐いて、止める。
視界の先には独りの女がいる。
他には誰もいない。かつて神がいたのであろう神殿の奥の間は、崩れた柱や床で散々な有様になっていた。
或いは死の町と呼ばれる遺跡において、この場所が一番荒廃しているのかもしれない。
青い光で照らされた部屋を、オーティスは見回す。
「お前がやったのか?」
「いいや、元からこうだったのじゃ」
部屋の奥の台座で膝を抱えている女は軽く両手を広げて見せた。
長い銀髪は砂埃だらけの床にまで届いて、だが淡い艶を放っている。
薄く笑みを湛えた口元。黒い双眸はかつてと変わらず彼を正面から見つめていた。
黒いドレス姿のエルシリアは、皮肉さの欠片もなく微笑む。
「事実を知る者が誰一人いなくなると分かっているなら、他愛もない嘘に希望も持てよう。
 人は己の愚かさだけでなく、他者の愚かさまで拭おうとする。その愚かさが、自分の大事なものに瑕をつけると思うからじゃ」
「何だそりゃ。何のことだ」
「大した話ではない」
エルシリアはそう言うと立ち上がった。膝の中に抱き込んでいた小さな箱を台座に置く。
翻る黒い裾。白い素足が砂を踏む、ざりという音が聞こえた気がした。
オーティスは目を細めて彼女を見つめる。
―――― 懐かしいと思う。
それ以上に「帰って来た」という感慨があった。時が急速に巻き戻るような錯覚が、胸の中に湧き上がる。
何を言おうかと考えていた、その全てが今は思い出せない。
オーティスは笑って頭を掻いた。
「久しぶりだな。待たせちまったか?」
「魔族に時の経過を問うてもな。大したことはない。おぬしがそう感じているだけじゃろう」
「そうか。そうだよな」
そのようなことは今までも散々言われてきたことだ。忘れるわけではないが、つい気にしてしまう。
結局人は、人間という枠を通してでしか彼女たちを見ることはかなわないのだろう。
オーティスは自らの業を思う。
「さてと、なら改めて聞いていいか。エルシリア」
「なんじゃ、王よ」
「何故殺した」
「あれが邪魔だった」
「そうか……」
彼女はそれ以上を言う気がないようだ。
オーティスは右手の指輪を確認する。魔力を封ずる指輪はしてきていない。今あるのは王の指輪と契約の指輪だけだ。
彼女とのか細い繋がりを意味する指輪を、オーティスは右手ごと顔の前に示す。
「エルシリア、元の位階に帰るつもりはあるか?」
それは、決着の一つの形だ。彼女が人間階を去り、二度と干渉しないという結末。
代わりに契約は宙ぶらりんになり、オーティスは異形としての死を免れなくなるが、それはあらかじめ受け入れていたことだ。
軌道修正を図る気があるか、問う男にエルシリアはからりと笑う。
「ない。当たり前じゃ」
「やっぱそうか。だったらとっとと帰ってるもんな」
「少しは頭を使え。まったく馬鹿じゃの」
「やかましい」
このようなやり取りをするのも何度目のことか。
オーティスは、潮時を悟ると右手を前へと差し伸べた。
遠く、通る声で告げる。
「なら俺は、お前の主人としてお前を殺す。仲間殺しの罪だ。……それでいいな?」
王を裏切った精霊は、そうして裁かれねばならない。
彼女を放置しては、残る国に障りが生まれる。それを拭っていくのは彼ら二人の責だ。
青く照らされた広間は、まるで海の中のようにも思える。
静かに、人知れず至る終わり。エルシリアは微笑んでかつての主人を手招いた。
「そうじゃの。異論はない。やってみるがよかろう」
その言葉と同時に、広間いっぱいに魔法構成が展開する。
人を越えた圧倒的な力は、だがとてつもなく美しい。
鮮やかに埋め尽くされる視界を前にして、オーティスはそんなことを考えながら―――― ただ一人の女に向かって、白い槍を打ち出した。