うしなうもの 017

禁転載

オーティスはどちらかというと、構成の未熟さを力で押し切る種類の魔法士である。
勿論、普通の魔法士と比べれば構成技能は段違いだが、上を見れば圧倒的に上だ。そのいい見本が、親友の男と彼女―――― エルシリアだろう。
自然の均整を思わせる美しい構成。一つの穴もなく完成されたそれに、オーティスは思わず見惚れそうになった。
もしかしたら意識の一部は見惚れていたのかもしれない。けれどそれ以上に、彼自身は冷静だった。
「ったくよ!」
言いながら彼は、自分の放った槍の後を追って駆け出す。
威力を極めた白い槍は、エルシリアの構成を貫いて彼女へと向かった。そこに開けられた穴に、オーティスは無理矢理干渉する。自分に向かって閉じようとする構成を、強引に力で裏返した。
さすがにそれを、そのまま彼女に返すまでの技術はない。
だが彼の魔力によって捩れた構成は、錆びた扉のような耳障りな音を上げ、空中で爆ぜた。
空気を揺らし四散する魔力を、オーティスは左手の一閃でかき集める。
既に槍を無効化したらしい女が、楽しそうな声で笑った。
「本当におぬしはやることが雑じゃな」
「性分だよ!」
集めた魔力で狙う先は、エルシリア自身ではない。彼女の立つ石床だ。
ろくに整形もされていない力の塊が、床に衝突して神殿を揺るがす。
オーティスは立ち込める砂煙を遮るよう結界を張った。
エルシリアの姿は見えない。魔力の気配を頼りに、オーティスは追撃の構成を組む。
だがその構成を打ち出す前に、砂埃の中から女の白い手が突き出された。
指先には一つだけ小さな赤い光が灯っている。それを見たオーティスは、反射的に目前の結界を強化した。
赤い光は、攻撃の為の構成を溶かして彼の頭へと迫る。
「……っ!」
身を逸らし、何とかそれを避けた、と思った時、強烈な衝撃が額を襲った。頭を揺らされ、オーティスは昏倒しかける。
追い討ちをかけるように、腹に重い何かがぶつかった。
それは渦を巻く空気の塊で、抉るように彼の体を薙ぐと呆気なく石床へと押し倒す。女の艶笑が聞こえた。
「おぬしの防御は相変わらず拙いのじゃ。妾の教えを聞いておらなんだか?」
「……色々言われすぎて、忘れちまったんだよ」
勘は鈍ってないと思ったが、気のせいだったかもしれない。
オーティスはようやく晴れてきた砂煙の向こうに、女の姿を見た。
彼女自身が近づいて来ないのは、予想外の切り返しを用心してのものだろう。
エルシリアは中距離戦を好む。彼女が自分の手を汚して敵を屠ったところなど見たことがないのだ。あの、最後の夜以外には。
眩暈が残る額を押さえて、オーティスは体を起こす。
「よし、目が覚めた」
「今まで寝ておったのか?」
「そんな感じだな」
トゥルダールを出てから、魔法士相手に手合わせする機会など激減した。
おまけに例外である少女は構成不可視という変り種だ。いつのまにか意識がそれにあわせて切り替わってしまっていたのだろう。
落ち着いてみれば構成を視認してその効果を読み解くことも可能になる。
石床に手をついて立ち上がった彼は、宙に浮いているエルシリアを見上げた。
彼女の周りに展開している三つの構成。その全てを視界に入れる。
一つは対魔法の防御結界。魔法士同士の戦闘であれば間違いなく常に張られているものだ。
もう一つは対物理の防御。強度はかなりのものだが持続型ではない。状況に応じてエルシリア自身が発動させる構成だ。
そして最後の一つは――――
「おい、なんだよそれ」
「なんじゃ?」
「その構成はなんだっての」
「おぬしに見習おうというだけじゃ」
エルシリアは笑って、複雑な構成に魔力を注ぐ。
途端、青白く発光しだすそれに、オーティスは顔色を失くした。
間違えようもない。一目見れば分かるその構成は、膨大な破壊魔法だ。
それもオーティス一人を目標にしたものではなく、もっと広域の、この遺跡そのものを対象とした破壊。その構成が、エルシリアの力と意図を汲んで発動しようとする。オーティスは咄嗟に相殺の為の構成を組んだ。
「馬鹿か、エルシリア―――― !」
青白い光に満たされ、先が見えない。
見えないままオーティスは、己の構成に魔力を注ぎ続けた。



薄青い空は無限の広さを持っている。
地上の遺跡にて男を待つヴェオフォルミネは、その広い空をぼんやり眺めていた。
時折近くの森から小さな鳥が飛んできては、崩れた柱に止まって軽い鳴き声を上げる。
風に舞い上がる砂埃。服の隙間に入ってざらざらと痛みをもたらすそれを、少女はけれど遮ろうとはしなかった。
何の変化もない景色を、彼女は飽きることなく見つめる。

かつて彼女が塔の一室に閉じ込められていた時。
その時もこうして、窓の外から景色を眺めることしかしていなかった。
構成を組めない失敗作を看做されていた彼女は、占いを続けることしか許されていなかったのだ。
だから飽くことはない。それはもはや慣れきった、当然のことだ。
自分に見えたものが、決してはずれないのと同じように。
風が吹く。新たな砂が眼に入る。ヴェオフォルミネは瞼の上からそれを擦った。
だがすぐに、そういうことをしてはいけないと、言われたことを思い出す。
「……オーティス」
男の名を呼んでみる。
彼は、いつも彼女と一緒にいる人間だ。
その関係を何と呼ぶのかは知らない。他にそのような人間はいないのだから、言葉にして区別する必要はない。
ただヴェオフォルミネは彼を待っている。
まもなく人ではなくなり、永遠を生きることになる彼を。

薄青い空は無限だ。
乾いた風。柱の上から小鳥が飛び立つ。重い地響きが地下から伝わってくる。
ヴェオフォルミネはその揺れに急きたてられるようにして立ち上がった。首にかけられた白い石を摘みあげる。
「もうすぐ……?」
未来を知っている。それは既に決まった、当然のことだ。母の死も国の滅亡もそうして知った。
悲しみを知らない少女、国を滅ぼした占い姫は、曖昧で決められた時間を渡っていく。
それを残酷とは思わない。
だがそれが絶対とも、今は思えなかった。
少女は地下への階段を一瞥する。そうしてしばし考えこんだ彼女は、何の躊躇いもなくそこを下り始めた。



苛烈な魔法によって吹き飛ばされ崩された町並みに、覚えるものは罪悪感だ。
神殿から爆風に乗って弾き出されたオーティスは、滅茶苦茶になった遺跡を空中から眺め渡す。
先程までは完全な形を保っていたものばかりだったそこは、今は瓦礫の山に等しい。
いくら滅多に人が入らないとは言え、遺跡が残っているといないでは大きな違いだろう。オーティスは汗に濡れた額を拭う。
「あー、やっちまったな」
「半分はおぬしのせいであろうに」
女の声はいささか濁って聞こえた。
もはや原型を留めていない神殿入り口に立つエルシリアは、己の左腕に冷めた目を注ぐ。
強力な構成を強引に破られたせいか、彼女の腕は半ば骨から砕けて血みどろになっていた。
それだけではなく内臓に損傷が出ているのだろう。彼女は軽く咳き込むと、血と胃液をその場に吐き出す。
オーティスはその姿を痛ましげに見やった。
「大丈夫か」
「無理じゃな。肉体というものは不自由で困る」
「そうか」
彼が知る限り、エルシリアがここまでの重傷を負ったのは初めてだ。
もっと痛みを感じさせないよう殺せればよかったと思ったが、そこまで実力に違いがあるわけでもない。
だがこれ以上長引かせては、彼女が苦しいだけだろう。
オーティスは改めて魔法で槍を形成する。
結界を貫通することを計算に入れて作られた穂先は白く、ひたすらに鋭かった。彼はそれを構える。
「エルシリア、何か言うことはあるか?」
「ない。さっさとやれ」
「分かった」
―――― 本当は、彼女の真意を聞きたかった。
だがエルシリアは、言わないと決めたことなら、死に瀕しても言いはしないだろう。
結局そこまでの関係しか築けなかったのか、とも思うが、そのような言葉を口にしてしまえば、自分で自分の大事なものに瑕をつけてしまう気がした。
ただ愚かなのだろう。その愚かさを今まで許容してくれた女に、オーティスは口に出来ない渾然とした感情を抱く。
最後となるであろう呼びかけを呟いた。
「エルシリア」
「言うな。余計なことじゃ。やらぬのなら妾がやる。もっとも、おぬしの死体などいい加減見飽きたが」
「俺の……?」
「遅い、オーティス」
不機嫌そうな声に急かされ、オーティスは意を決すると、白い槍を打ち出す。
連れ添った時の終わりを決める光。視界の中に佇む女は、満足そうに微笑んでいた。



決められたそれからの未来を挙げるなら。
エルシリアは死に、オーティスは契約破棄を以って人外へと変貌する。
そして大陸で永劫を生きる。それが全てだ。数十回の試行を経てようやくたどり着いた未来。
エルシリアはその結果を切望していただろう。
切望して、だから微笑んでいた。
だがその未来は―――― 一人の少女によって変えられたのだ。
命中する直前で掻き消された槍。エルシリアは、横からそれを為した少女を睨む。
「誰じゃ。何のつもりじゃ」
「……ヴェオフォルミネ」
いつの間にやってきたのか、瓦礫の山の上に立つ少女は、澄んだ目でエルシリアを見ている。
そこに恐れや怒りはない。ヴェオフォルミネは足場の悪さに転びそうになりながら、エルシリアに向かって手を差し出した。
「やっぱり、それ、わたしが代わる」
「は?」
「わたしが、あなたの力を受け取って、ずっと生きる」
「お前何を―――― 」
オーティスは少女を制止しようと空中を蹴る。しかし短距離転移をしようとした瞬間、不可視の構成がそれを阻んだ。
目に見えぬ魔法は、完全に不意を突いて彼の全身に絡みつき、近くの柱へと結びつける。
オーティスがそれを解こうとする間に、ヴェオフォルミネは崩れた町を、瀕死の女に向かって進んでいった。
もたもたとぎこちないその姿を、エルシリアは理解出来ないといった眼差しで見る。
「何故そのようなことを言い出す? おぬしも魔法士のようだが、力が欲しいのか」
「いらない。けど、変わるとオーティスが悲しそうだから」
「悲しそう?」
「オーティスは、ずっとずっと悲しそう。この先ずっとそう。でもわたしなら、悲しいって知らないから。きっと大丈夫」
悲しみを感じる魂が欠けている。
それを当然のものとして受け入れ提案してくる少女を、エルシリアはじっと注視した。そのままの姿勢で、オーティスに問う。
「おぬしは悲しいのか?」
「エルシリア、俺は」
「悲しんでいるのか。ずっと先を見たいと言っていたじゃろうに」
「俺は、そんなものは望んじゃいなかった」
―――― 望んでいたものは、何だっただろうか。
魔法士の救済か、恒久的な平和か、それとも近しい人の幸福か。
オーティスはそのどれにも届かなかった。届かぬまま死んで行く。それでいいのだろう。それが人だ。
エルシリアは男を見る。美しい黒の瞳から燻る情が零れた。血に汚れた唇がわななく。
「妾は、おぬしを生かしたかった。未来に背いても、そうしたかったのじゃ」
だから禁忌にも手を出した。
何度失敗しようとも、それを諦める気はなかったのだ。



食い違う望みが導く結末は、いつでも何かしらの喪失だ。
崩れた石の山を越えて女の目前に立った少女は、同じ言葉を重ねる。
「わたしも、未来にそむいてみる」
「ヴェオフォルミネ! 阿呆か! 怒るぞ!」
「……おかしな娘じゃな。契約の肩代わりには代償がいるぞ」
「じゃあ、わたしのこの目を」
ヴェオフォルミネは、女の右手を取った。血に汚れた指先を己の瞼にあてる。
未来を見る異能の眼。その力を感じ取ったらしいエルシリアは、小さく息を飲んだ。ほろ苦い微笑みが口元に浮かぶ。
「そうか……ならばこれを受け取ろう」
「うん」
「待て、エルシリア!」
捕縛の構成を、オーティスはようやく解きほぐす。二人に向かって崩れた町を駆け出した。
あの夜よりもずっと柔らかなエルシリアの声が聞こえる。
「オーティス、あの珠は封じるのじゃ。おぬしには不要なものじゃからな」
何の珠か、心当たりを問う暇はない。オーティスは短距離転移の構成を組む。
そのまま二人の女が立つ神殿の入り口へと、間をおかず飛んだ。
縮めた距離はあと少しだ。懐かしい双眸が、駆け寄る彼を見やる。エルシリアは汚れた指を彼に伸ばし―――― 笑った。
「そうか、おぬしは幸福に死ぬのか……」
嬉しそうに細められた目が閉じられる。掠れた言葉を最後に、女の体は石畳へと崩れ落ちた。
傍らには血に濡れた手の少女が立っている。
その終わりを、オーティスは何も言えずただ目の当たりにした。