うしなうもの 018

禁転載

召喚し、現れた女に心底驚いたのは、彼女がただ綺麗だったからだ。
奇跡のように美しい女。その姿に見惚れていて何も言えなかった。
後から思うと随分間抜け面を晒していたのだろう。彼女は眉を上げて、不機嫌そうに言った。
「名を名乗れ。おぬしが妾を呼び出したのじゃろう」
「……あ、ああ」
「どうした。答えられぬのか。馬鹿なのか?」
「おい」
随分ときつい中身だ。もっとも魔族なのだから仕方ないと言えば仕方ない。
オーティスは頭を掻いて気を取り直すと、己の名を名乗った。
それが彼女との始まりだった。



死した女の体からは黒い霧が洩れだし、それは音もなく砂だらけの空気の中へと消えていった。
呆然とその姿を見つめていたオーティスは、隣に立つヴェオフォルミネを見やる。
血に濡れた手の少女はその手を拭おうともせず、鏡の如き眼で彼を見上げていた。
何を言うべきか、何を言いたいのか、思考が揺らいで働かない。
このようなことは望んでなかった、と言うことさえ、愚かな行為に思えた。
オーティスは片手で顔を覆う。
「ヴェオフォルミネ」
「うん」
「俺は、馬鹿だ」
全てを背負うつもりでいた。背負えるつもりでいたのだ。
だが結果としては自分に巻き込んだ全てを破滅させただけだ。何一つ救えなかった。それが傲慢さの報いだろう。
声を殺して泣く男を、ヴェオフォルミネは無言で見つめる。
異能の眼はない。その未来を知ることは、もはや彼女には出来なかった。






「結局、それでどうなったのです?」
女の声は気遣わしげなものだ。何を気遣っているのかと言えば、彼自身かもしれない。
老年にさしかかりかけた男は、書斎の机に書きかけの書物を置く。
「無事成功、といったところだろうか。あれはトゥルダールの城に送られた。
 何事もなければこのまま死蔵されることになるだろう。ようやく落ち着いた」
それこそが、彼の求めた次善だ。ここに至るまでに気の遠くなるような時を翻弄され、それを越えようと手を打ってきたのだ。
苦労が無事、実った男は、穏かに微笑む。
だが若い女は、望みどおりの結末を聞いてもすっきりとした表情にはならなかった。書きかけの本の表紙に視線を落とす。
「ですが、トゥルダールの城に送ることが目的であれば、あそこまで彼女に肩入れなさる必要はなかったのでは?
 試行を教えながら無理に書き換えさせずとも、他の者に渡してしまえば済んだことでしょう」
―――― 王の死を書き換える。
それはかなり骨の折れる仕事ではあった。第一には、その話を彼女が信じないことがほとんどだった、ということがあるだろう。
だから彼は、それまでの失敗を添えて根気強く彼女に説いたのだ。―――― 次は間違うな、と。
しかしそのような苦労など、本来の目的からすれば不要ではなかったかと女は問う。
彼は苦笑して、書きかけの本を開いた。
「何、これはトゥルダールへの礼のようなものだ。
 そもそも王を殺す魔族が召喚されたということ自体、あれを前に使った者が遠因で生じたものであるしね。
 私はそれを元に修正しただけのことだ。計算外であったのは、彼女の望みが王の死の回避ではなかった、ということくらいだろうか」
けれど、予想以上に長引いた書き換えもようやく終わった。
男はインクの色も新しい最後の一文を眺める。
「これで私も休めるよ」
願わくば、いつか誰かが本当にこの枷を打ち破ってくれるように。
男はそう願って、己が記録を終えた。






乾いた道は、何処かへ続いている。
果ての見えない荒野を行く道。オーティスは手綱を操り緩やかにその道を進んでいた。
彼が乗る馬の他に馬影は見えない。このような辺境を旅する者などいないのだろう。
淋しい景色ではあるが、それはそれで面倒がない。野盗や戦闘に出くわさないのは重畳だと、オーティスは思っていた。
目的のない旅路を進む男は、腕の中に眼を落とす。
彼の胸に寄りかかり転寝をしていた少女が、小さく声を上げて身じろぎした。
「……オーティス」
「ん、起きたか」
「ねてる」
「どっちだよ」
掴み所のない少女は、その魔力が倍増しても掴み所がないままだ。
だが、彼女が未だ彼女のままであるということは、オーティスにとって救いでもあった。
肩代わりの代償に渡した未来視が大きかったせいか、或いはその出生から特異である彼女が、魔力に高い親和性を持っているのか。ヴェオフォルミネは結局、記憶を失うことも人格が変わることもなかった。ただ以前より、眠っている時間が増えただけだ。
一方契約を失いただの魔法士となったオーティスは、人のままの自分の手を一瞥した。少女の頭をそっと撫でる。
「ごめんな、ヴェオフォルミネ」
「なにが? なんで?」
悲しみを知らない彼女は、彼の感情を理解出来ない。空を映す澄んだ目を男に向ける。
長い睫毛は相変わらず砂粒を乗せて、だが彼女の瞳は初めて会った時よりもずっと安らいでいた。
オーティスは黙ってかぶりを振る。少女は不思議そうに首を傾げた。埃に乾いた手が彼の頬に触れる。
「オーティス、わたし、ずっとこの大陸を見ていく」
それはかつて交わした約束だ。未来を生きる子に預けた約束。
今は永劫を生きることになった少女の誓いに、オーティスは言葉を詰まらせた。己の他愛無い願いが狂わせたものの多さを思う。
彼は腕の中の少女を片手で抱き締めた。
「……無理しないでいいからな」
「平気。一人もきらいじゃないし」
―――― その代わり、生きてる限りはずっといて、と。
ヴェオフォルミネは、拙い言葉で彼に願った。