奇跡

禁転載

蛇行し、積み重なっていく歴史。
かつてそこに何があったのか、知る者は少ない。
語ることの出来る者は、最後にはいつも口を閉ざす。
だからやがて、全ては忘れ去られていくのだろう。
そうして古きものたちが自ずから退いていったように。






広がる荒野。乾いた砂が吹きすさぶそこには、朽ちた城跡が一つ残っている。
今はもう何であったかさえ分からぬ石材は端から崩れかけており、ひっそりと倒れた柱は中ほどから割れていた。
立ち寄る者もいないそこは、全てが降り注ぐ時と砂の中に埋もれつつある。
その中でもかろうじて形を留めている石壁の上に、一人の男が片膝を立てて座っていた。
端正な顔立ちに漂う気品。青い瞳が苦笑を湛えて眼下の斜面を見下ろす。
そこを歩いて上ってくる二人の女は、彼の視線に気づいてそれぞれの表情を見せた。
黒髪の女は愛しげに微笑み、金の瞳の女は悪戯ぽい笑みを刻む。
男は黒髪の女に向かって声をかけた。
「どうだ? いけそうか?」
「おそらく可能ですね。多少面倒ではありますが」
「ぱぱっとやっちゃいなさいよ。あんたなら出来るでしょ」
「面倒くさい条件つけたのは貴女じゃないですか」
千年以上前には人が住んでいた城跡。そこに集まった三人は、いずれも人ではない者たちだ。
ある目的の為に顔をあわせた彼らは、これから為すことのために簡単に打ち合わせをする。
黒髪の女は背伸びをすると、男の膝に広げられた地図を覗き込んだ。
「水脈が近いのはこれらの箇所ですか」
「もう千年も前の話だから、変わっているかもしれない」
「千年以上前の細かい記憶を汲み出せる貴方が凄いですよ」
「一応ここの城主だったからな」
女は点の打たれた箇所を確認すると荒野を振り返った。口の中で呟きながら地図と実際の場所を照らし合わせる。
それを隣から金色の目の女が遮った。
「適当でいいんじゃない? 水脈とか作れば」
「自分でやれよ! 面倒増やすな!」
「頑張りなさいよ、精霊術士。自然操作得意でしょ?」
「こっち別大陸だし!」
「だから私が来てるんじゃない」
軽く笑う友人に、黒髪の女は苦い顔になる。一筋縄ではいかない作業に向けて、三人は大体の分担を決め始めた。



時を遡ればそこはかつて、ある帝国の一部であった。
それ以前は、その帝国を作りし男の居城であった。
より時間を戻れば、そこは数人の愚かさによって呪われてしまった土地で、更に昔には戦火に焼かれた肥沃の地であった。
そして今はただの荒野である場所。積み重なる歴史を知る三人は、それぞれの感傷を以って「現在」に向かい合う。



変質した魔女、世界外の力を持つ呪具のティナーシャは、砂の絡んだ髪をかきあげる。
「にしても、突然また無茶を言いますね。
 貴女には借りが多いですし、この土地ですから協力はしますけど、ここまで人間に大きく干渉するなんて珍しいじゃないですか」
「そう? 昔から地形を変えたりとかよくしてたけど」
「そうでしたね! 八つ当たりでよくろくでもないことしてましたね!」
投げ返された言葉に、神の娘であるルクレツィアは舌を出しただけである。
どれだけ年月が経とうとも関係性の変わらない二人に、オスカーは小さく溜息をついた。何も持っていない右手を地へとかざす。
その大きな手の中から鏡のような両刃の長剣が現れると、ティナーシャは姿勢を正した。
「始めますか?」
「そうだな。とりあえず呪いの打破は俺がやろう」
「土地の復元は私が」
「で、私が祝福をかけるって感じね。よろしく」
ルクレツィアは軽く指を弾く。三人はその瞬間、元の場所から構成もなく荒野の真ん中へと転移した。ティナーシャは途端嫌そうな顔になる。
「こういうの見ちゃうと怖いですね」
「何言ってんのよ。あんたも出来るくせに」
「構成なしの力使うの怖いんですよ。制御出来なくなりそうで」
「でもあんたは、それが出来なきゃそのうち行きづまるわ」
―――― それは、ルクレツィアなりの忠告であるのかもしれない。
或る意味自分たちとは対存在とも言える友人を、ティナーシャは神妙な顔で見やる。
「そう言われるのも分かるんですけどね」
「あんた、元が人間なのに慎重すぎんのよ。人間ってもっと無茶苦茶なもんでしょ? つまんない限界を自分で作るんじゃないの。
 ずっと前にこの大陸の楔を斃したのも、ただの人間だったわよ」
「その話聞いた時には滅茶苦茶驚きましたよ」
「何、他人事みたいに言ってんの」
「色々耳が痛い!」
「いい加減始めるぞ」
放っておけば何処までも脱線していきそうな女二人の会話を、オスカーは呆れ顔で留める。
彼は魔女たちが向かい合い頷いたのを見ると、右手に持ったアカーシアを構えた。
あらゆる法則を拒絶して無に返す刃。世界でもっとも力がある一振りの主である王は、おもむろにその長剣を地へと突き立てる。
詠唱はない。だが男の力が剣を通して荒野に広がっていくのを、二人の女は感じ取った。
ティナーシャは両手を広げる。
「応えよ」
凛と響く声。膨大な魔力が構成を生み、水や土を呼び覚ましていく。
そうして地を作り変えようとする友人を、ルクレツィアはじっと見つめた。
ややあって位階を越える指が宙を動き始める。



祝福された土地を作りたいと、ルクレツィアが古くからの知己を呼んだ時、彼らが返してきたものは怪訝そうな反応だった。
―――― 何故自分でやらないのか、と。
そう言われるのももっともだろう。本来の彼女にとってそれは不可能なことではない。だがルクレツィアは二人の協力を求めた。
理由は一つでは収まらない。
人の土地を作り変えるのだ。もはや神代も忘れ去られた時代、そこには人であった者が関わるべきだと考えたのもあった。
しかし、それだけが全てではない。
祝福を編むルクレツィアは、険しい表情になっていくティナーシャを見つめる。
「難しいんでしょ?」
この大陸の神が残していった神具。その力に汚染された土地は、随分長い間荒野のままであった。
枯れて行く砂が降り積もり、多くのものから弧絶されていった場所。
その力こそオスカーが今退けてはいるが、悠久の年月によって歪められた土地を変質させるのは容易ではない。
ただ乾きを癒し、緑を戻せばいいという訳ではないのだ。神の娘が紡ぐ祝福と親和するほどに、根本から在り方を戻さねばならない。
自身の魔法を用いてそれを為そうと苦心するティナーシャに、ルクレツィアは穏やかな声をかけた。
「使いなさい。あんたのもう一つの力を」
構成を持たぬ力。世界の外から来たそれを使えと示唆され、ティナーシャは美しい顔を顰めた。
アカーシアを握ったままのオスカーが眉を上げる。
―――― 変質した二人にとって、その力は一種の禁忌だ。
特にアカーシアを持つオスカーよりも、「その力」を多く秘めるティナーシャは、自身のものになった異質の力に触れようとしない。
一度開いてしまえば何もかもが零れ落ちる匣のように、彼女はずっとその蓋を開けぬままでいた。


呼びかけにティナーシャは応えない。
ただひたすら詠唱を以って構成を組み、それを広げ続ける。白い額に汗が浮かぶのを、オスカーは厳しい目で見やった。
ルクレツィアの声が乾いた空気を支配する。
「あんたはそれを使えるようにならなきゃいけない。越えなさいよ。これからの為に」
―――― 終わりはいずれやってくる。
それを知らぬ者はいないだろう。だが、終われないままでいることは、すなわち妄執の残滓になるということだ。
そうしてこの大陸に縛られていた人間たちのことをルクレツィアは知っている。
だからこそ彼女は、幼い頃から知っている友人をそのままにしておくつもりがなかった。
「越えなさい。あんただって、それが出来るのよ」
積み重なる時。
重みに喘ぎ狂っていくとしたら、いつかは終わらない破滅が待っている。
誰よりもそれをよく知っているのは、ティナーシャ自身だった。


詠唱が途切れる。
闇色の瞳が、男を見た。
「オスカー」
硝子のような声には、人であった彼女の強さと弱さが窺える。
脆くも立ち続けた女。彼女の精神を知る男はただ首肯した。
「使え」
下された王命。
魔女は大きく目を瞠ったが、やがてゆっくりとその瞼を下ろす。
細い躰が弓なりに空を仰ぎ、小さな唇が開かれた。何処の言葉でもない言語で一つの謳が紡ぎ出される。
風に溶け、地に染み入り、それらを切り取っていく歌。
音もなく変わりだす景色にルクレツィアは微苦笑を浮かべた。オスカーは動じることなく巻き戻っていく風景を見据える。
遡る時。ひたすらに美しく、心を揺さぶる歌声によって変化の速度は上がっていく。風から砂が消え、白茶けた地が色を変えた。
女が紡ぐ力と祈りは細やかな旋律となり、世界に反響してそれを動かす。
しなやかな腕が紗布を舞わせるように天に伸ばされ、複雑に絡み合う力が声を媒介に繰られた。
神の娘はたゆまぬ歌を聞いて笑う。
悠久を越える祝福を、彼女はそこに重ねる。古き言語での詠が、変わりゆく地に浸透していく。
布を織るように交差する二種の力。二人の声は、見捨てられた土地を原初の姿へと引き戻していった。
そのうちに時の遡行が止まり、ルクレツィアの詠唱だけが残る。
そして荒野は、かつての古き緑野へと戻る。



「これが狙いか?」
慣れない力を使い眠ってしまった妻を抱き上げると、オスカーはルクレツィアに問うた。
金の瞳を持つ魔女は、食えない笑顔で聞き返す。
「何が?」
「初めからこの力を開放させる為に俺たちを呼んだんだろう」
「どうかしらね。私一人じゃ面倒だから呼んだんだけど」
嘯く女にオスカーは真意を探る視線を送ったが、それ以上の追求は無意味と断じるとティナーシャの体を抱きなおした。
「まぁいい。こちらも助かった、のかもしれん」
「はいはい。これからも精々苦労しなさいよね」
「お前もな」
短い挨拶と共に男の姿はその場から消える。
ルクレツィアは肩を竦めて二人を見送ると、改めて緑に覆われた土地を眺めた。ほろ苦い感傷が胸を焼く。
「―――― たまに、ふっと思い出すのよね」
本当の名を。かつて愛した男のことを。消えていった楔を。それを終わらせた人間たちのことを。
永く続いていく時の欠片。その記憶を奇跡のように思い出す時、「応えたい」と思うのは何故なのだろう。
ただこの感情を形として返したい。
それが人を愛した父に由来するものか、それとも父を愛した母の血か、彼女自身の情がゆえかは分からない。
ルクレツィアは胸に手を当て、溢れ出しそうな時への郷愁を嚥下する。
「だから、たまにはこういうのもいいんじゃない?」
稚気に富んだ述懐。
彼女は笑って地を蹴った。そのまま緑野から姿を消す。






神の名も、力も残らぬ広い大陸。
その中央に突如生まれた肥沃の地を、人々は後に「奇跡の土地」と呼んだという。