Aidaの変

禁転載

神殿から続く暗い廊下は、侵しがたい静謐に満ちていた。
ただ一つ響く足音は規則的なもので、奥から近づいてきたそれにティナーシャは顔を上げる。
暗がりから現れた祭司長は、中性的な顔立ちに似合う淡々とした声音で告げた。
「エチオピア軍が来てるんだってさ」
「へー。それは大変ですね」
「他人事みたいな感想だね」
「それ、お互い様だと思いますよ」
しなやかな体を鎧で包み、長剣を佩いた女は肩を竦める。
見るからにやる気のない彼女は、これでも一応エジプト軍では名のある将軍だ。
若いながらも一番の実力を持つティナーシャに、エリクは手元の書類を見ながら返す。
「多分、貴女に征討が任されることになると思うよ」
「ええ? 本当ですか? やだなあ」
「その代わり何か褒美が貰えると思うから。何か考えとけばいいと思う」
「うーん」
腕組みして考え込むティナーシャを置いて、エリクはさっさと仕事に戻っていってしまった。
一人残った女は石造りの天井を見上げる。
「うーん……人でもいいのかな。人とかもらえるかな」
「人によりだろ」
「うわっ」
暗闇の中から新たな声が聞こえ、ティナーシャは思わず飛び上がる。
この国で彼女に気配を気取らせない人間はそう多くはない。その一人であるエジプト王女の声に、彼女はおそるおそる振り返った。現れた人物をまじまじと見つめる。
「…………うわ」
「何だよ」
「いえ、なんていうか、すごくにあわない」
「…………」
「破壊力ありますよ」
白い絹ドレスの上にじゃらじゃらと装飾品をつけた長身の青年は、小さく溜息をついた。
王女であるにもかかわらず何故か長剣を佩いているアージェは、両手で引きずっていた裾をたくし上げる。
「こういうのはレアに着せろよな」
「私もちょっとそう思いました。でもあんまり動じてない貴方が凄いですよ」
「動じても仕方ないし。―――― で、褒美に誰が欲しいんだって?」
「あの人です」
ちょうどやって来た男を、ティナーシャは手で指し示す。
奴隷の服を着ていても隠し切れない威風。整った顔立ちに漂う気品は、平民のものではありえない。
アージェは自分につけられている奴隷の男を一目見て言った。
「あれは駄目」
「え、どうしてですか!?」
「自由を与えちゃ不味い人種だって、俺の勘が言ってる」
「ひどい! 横暴!」
「何を騒いでるんだ……」
顔を顰めてやってきたオスカーを、二人は何とも言えない視線で眺める。
重く落ちていく沈黙。ややあってティナーシャがぽつりと口を開いた。
「に、似合わない……」
「似合ってたまるか!」
引き攣った笑いと共に伸ばされた手。両頬を思い切りつねられたティナーシャは「みぎゃー」と情けない悲鳴をあげた。



出番ということでいたしかたなく来たアージェは、服が鬱陶しいから帰る、とさっさと立ち去ってしまった。
残るティナーシャは、不機嫌そうな男をしみじみと見上げる。
「タイトルロールなんですから、ちょっとは喜んでくれても」
「何か言ったか?」
「いえ、何も」
力ある視線で睨んでくる男から、彼女はついと目を逸らした。
正面から見たら笑ってしまいそうであるし、笑えば怒られるのは確実だ。結果としてティナーシャは壁を見ながら話すことになる。
「私、今度の出征の将軍に選ばれそうなんですよ」
「ほう? 相手は何処だ」
「エチオピアです」
祖国の名にオスカーは軽く目を細める。
探るような鋭い視線に、けれど壁を見ているティナーシャは気づかない。彼女は後ろから頭を撫でられ破顔した。
「頑張れば褒美がもらえるそうなんで頑張りますよ!」
「ほどほどにな。あと何か情報が入ったら教えろ」
「はーい!」
「じゃあ働いて来い」
「いってきます」
嬉しそうな彼女がその場から走り去ると、オスカーは口の中で呟く。
「さて、どうやって転覆させてやろうか」
―――― 敵国で奴隷となっているはずの男。その不穏極まりない発言を聞く者は誰もいない。



「な、なんでこんな配役に……」
「はいはい。もう泣くなよ」
玉座に座りめそめそしている女を、肘掛に寄りかかったアージェは慰める。
配役上は親子である二人は、しかしどう見てもレアリアの方が頼りない。
長い裾を適当に切ってしまった青年は、しょんぼりと萎れている女の肩を叩いた。
「それより、ちょっと用心した方がいいぞ」
「何が?」
「今、奴隷になってる男。あいつ絶対やばい。放置しとくと面倒なことになりそう」
「え?」
きょとんとしたレアリアは、それが誰のことかもわからないのだろう。思い出そうと必死になっている女にアージェは付け足した。
「今んところは何も出来ないだろうけど、こっちの将軍篭絡されたら不味いな」
「将軍ってティナーシャさん?」
「そう。早めに隔離するか、こっちに取り込みなおさないと。って、筋通り俺が結婚すればいいのか」
「やあああああああああああああああ!!」
突然の叫び声に、思わず転びかけたアージェは耳を押さえる。
「急に叫ぶな、吃驚するだろ!」
「私はアージェをそんな子に育てた覚えはないんだからね!」
「いや、俺も育てられた覚えはないし……」
「馬鹿!」
ぺしぺしと背中を叩かれつつ、アージェはそれを無視して考え込んだ。
―――― 手を打つならば、自分たちが圧倒的な有利にある今のうちだ。
残念ながらこれに関して、レアリアはあまり役に立ちそうにない。それは自国の将軍であるティナーシャも同様だろう。
アージェは自身の長剣を手に取った。
「これ、俺がやらなきゃ駄目か?」
「聞いてるの!?」
背中にレアリアをしがみつかせつつ、アージェは天井を仰ぐ。
権力者側にいるにもかかわらず、先行き不安なのは何故なのだろう、と内心でぼやきながら。



勝負をつけるのなら、余計な邪魔が入らない時を狙うしかない。
ティナーシャが遠征している時を狙って自室にオスカーを呼びつけたアージェは、自身の剣を示しながら言った。
「何で呼ばれたか分かってるよな?」
「さぁ? よく分からない」
「しらばっくれても無駄だし。悪いけど今のうちに排除させてもらう」
厚刃の長剣をすらりと抜く王女に、オスカーは小さく笑う。彼が黙って右手を床にかざすと、そこから両刃の剣が現れた。
オスカーは自身の一振りをアージェに向けて構える。
「ではこちらも護身をさせてもらおう」
「護身って感じじゃないだろ」
―――― 少しでも気を抜けば、やられるのは自分の方だろう。アージェは軽い緊張を覚えつつ、目の前の男に向けて意識を集中した。
「ま、やってみるか」
彼としても負けるつもりはさらさらない。
アージェは息を整えオスカーを見上げると、無言で最初の一歩を踏み込んだ。



「と、いうわけで、娘も奴隷になっているはずなんです」
「それは大変ですね……」
縄でぐるぐる巻きにした捕虜の縄を引いてティナーシャは城門をくぐる。
その隣を歩く雫は、ぐるぐる巻きの状態のまま器用に肩を竦めて見せた。
「私、このオペラの筋も知ってるんですよね」
「あ、そうなんですか?」
「戦死ルートですよ、私。まぁいいんですけど」
「でも筋なんてあってないようなものの気がしますけどね……」
ティナーシャは城の奥から聞こえてくる轟音を聞いて遠い目になる。ぐるぐる巻きの雫が首を傾げた。
「何が起きてるんですか……」
「大体想像つくようなつかないような。まさか凱旋の場面までいかないとは思いませんでした」
「二幕二場ですよね」
「半分もいってないし」
何となく足を止めた二人の前に、城の中からエリクが現れる。
彼は雫を見て迷わず短剣で縄を解くと、彼女の手を引いた。頭を掻いているティナーシャを見やる。
「僕たちは撤退するけど、貴女はどうする?」
「あー……止めなきゃ不味いんじゃないですかね」
「なら頑張って」
「お先に失礼します!」
軽く手を振って城の外に消える二人。
ティナーシャはその姿を見送ると、腕の中に構成を組んだ。
轟音の元となっている場所を探査し、その近くへと転移する。
既に半壊した大広間にて剣を振るっている男二人を見つけると、ティナーシャは黒い目を大きく瞠った。
「意外にいい勝負」
「アージェ、がんばって!」
両手をぎゅっと握って応援しているのはこの国の王である。
ティナーシャは、若干押されぎみながらも善戦している王女と、彼目がけてアカーシアを振るっている男を見た。
割って入ることも難しい応酬に、ティナーシャは眉を寄せる。
「これ、どう収拾つけたらいいんでしょうね……」
「アージェ、危ない!」
「なんかもう、国がどうとかそういう話じゃない気がします」
―――― これは決着がつくより城が全壊する方が早いかもしれない。
ティナーシャはそう判断すると、とりあえず結界を張って被害が城外に広がらないように予防策を張ったのだった。
一時間後、レアリアの命を盾にアージェを脅迫して、ようやく戦闘は終わった。