もしアージェが自覚のある女たらしだったら

禁転載

最古の皇国の女皇として在るレアリアは、常に周囲からの目に曝され気の抜けない日々を送っている。
それは彼女が一度ディアドに去られていることや、二十歳になった今でも後継を生んでいないことなどに起因しているのだが、長年の問題であったディアドの件が解決した今、レアリアは違う意味で気の抜けない日々を送ることになっていた。

いつもと変わらぬ午後。
執務机に向かっていたレアリアは、部屋に入ってきた青年を見てびくりと身を竦める。
本当は席を立って逃げたかったが、それが通用する相手ではない。むしろ状況が悪化することは明らかだ。
騎士の略装を身に纏ったアージェは、顔を上げない主君に気づくとその傍に立った。
「陛下」
「な、なに?」
「どうしてそんなに逃げ腰なんですか」
「に、逃げてない」
「そうですか?」
こくこくと必死で頷くと、アージェは穏やかな笑顔を見せる。
しかし、彼がそういう表情をしている時ほど油断ならないと知っているレアリアは、今度こそ反射的に席を立った。彼とは反対側に逃げ出そうとする。
──── だが一瞬遅く、その手を掴まれた。
「どちらへ?」
「ちょ、ちょっと休憩しようかと思って。それだけなの!」
「なら俺もお付合いしましょう」
「い、要らない!」
「陛下がいらっしゃらない場所にいる気はありませんよ」
青年はさらりとそう言うと、掴んだままの指先に口付けた。レアリアは、瞬間で耳まで真っ赤になる。
何も言えずに口をぱくぱくさせている彼女を、アージェは更に腰に手を回して引き寄せた。
よく鍛えられた男の腕の中に捕らえられ、レアリアは真っ赤を通り越してわずかに青ざめる。
「アージェ、ちょっと……あの、これは」
「逃げようとするので」
「逃げてないから!」
「休憩するんですか? 寝室にお連れしましょうか」
「ひ、一人で行けるわ!」
じたばたと暴れてなんとかアージェの手の中を脱したレアリアは、数歩駆け出したところで青年の笑い声に気づいた。
振り返ってみると、彼は楽しそうに口元を押さえて笑っている。その様子にレアリアは頬を膨らませた。
「私をからかったの?」
「いえ、警戒する子犬みたいで可愛かったので」
「……そういうのをからかったっていうのよ」
「割と本気です」
「え?」
驚いたのも束の間、レアリアは距離を詰めてきた青年に再び捕まってしまった。
逃げる間もなく歩幅の違いで彼女を捕らえたアージェは、細い体を軽々抱き上げる。
「さて、何処に行きましょうか」
「仕事! 仕事するから!」
「そろそろ俺を皇配に選ぶ決心はつきましたか? 一生大事にしますよ」
「あ、あなたの笑顔はうさんくさいの!」
「では本気だってことを分かってもらえるよう努力します」
「っ、どこ触ってるの、アージェ!!」
爪を立てて叫ぶ主君を、青年はまた床に下ろす。レアリアはよたよたとその場を逃げ出した。
──── その後真っ赤になって逃げては捕まってを繰り返したレアリアは、すっかり疲労して最終的には執務机に突っ伏してしまったのだった。






「へ、変な夢見た……」
「ん。起きたか」
城の中庭で昼食を取っていたレアリアは、そのまま木陰で転寝をしてしまったらしい。
やたらと疲労して現実に戻ってきた彼女は、隣に座る青年を見上げた。おそるおそる頼んでみる。
「ア、アージェ、笑ってみて?」
「は? 何故また」
「いいから、試しに」
「って言われてもな」
怪訝そうな青年はそれでも主君の願いを叶えようとしてか、どう見ても苦笑としか思えない表情を浮かべた。
彼の性格を象徴するようなその表情に、レアリアは安堵して抱きつく。
「よ、よかった……」
「……なんなんだよ、一体」
「い、いつものアージェがいいの!」
「はぁ」
ぎゅうぎゅうとしがみついてくる主君を、青年は困惑顔で見下ろす。
何だかよく分からないが悪い気分ではない彼は、内心「胸が……」と思ったのをいい加減学習して黙ったのだった。