鏡開き

禁転載

「お祝い事には、鏡開きですよ」
「鏡を開いてどうするんですか?」
 金槌を持って胸を張る雫に、やってきた魔女は怪訝な顔をした。どうやら直訳したせいで、余計に分からないことになったらしい。雫は改めて仕切り直す。
「こうやって、酒樽を叩き割ってお祝いするんです」
「叩き割ったらお酒がこぼれませんか」
「更に訂正します。割るのは蓋だけです」
 この世界には日本酒の樽などない。だから、雫が前にしているのは果実酒の樽だ。ファルサスの城に納入されたそれを、雫は自費で買い上げてきたのだが、一人で飲みきれる気はまったくない。だから城の中庭に樽を持ちこんで、それを開けようとしている。
 木槌が見つからなかったので金槌を構えている雫は、果実酒の樽目がけてそれを素振りした。
「さあ、私がこれを割りますから、一緒に飲みましょう!」
「構いませんけど……私もさすがにそんなには飲めませんよ」
 黒髪の魔女は首を傾げる。雫の何十倍も生きている彼女は、酒が苦手というわけではないらしいが、さすがに二人で一樽空けるのは無理だ。
 しかし雫は、どんと薄い胸を叩いた。
「大丈夫です! 開けたら城の人に振る舞いますから! 今、ティナーシャさんだけに声をかけてるのは、王様に見つかったら金槌取られそうだからっていうのと、不測の事態が起きた時、助けてもらえるようにです!」
「すごく分かりやすい」
「じゃあ行きますよー!」
 金槌を木樽に向かって振りかぶる。
 割られるように作られていない樽であるからして、思いきりは必要だ。
 だがそうやって勢いよく振り下ろした右手を――横から男の手が掴んだ。
 ティナーシャが思いきり苦い顔になる。雫はぎょっとしたのも一瞬、すぐにその相手に叫んだ。
「何するんですか、王様!」
「楽しそうなことやってるなー。俺もやりたい」
 いつどこから現れたのか、面白そうな話は見逃さないこの国の王、ラルスは、目を輝かせて樽を見ている。雫は自らの上司とも言える男に、きっぱりとかぶりを振った。
「嫌です。この樽買ったの私ですから。中身はあとで配ります」
「俺も割りたい」
「くっ……本当に人の話を聞かない主君だ……」
「あー、もういいですよ、雫さん。私が相手しますから。お好きに樽を割っててください」
 黒衣の魔女が歩みでる。その右手に複雑な構成が組まれるのを、ラルスは好奇心たっぷりの目で見やった。男は魔法無効化の力を持つ、腰の王剣に手をかける。
「お前が出るのか? 俺、一応アカ―シア持ってるぞー?」
「私が何百年、その剣を持つ連れ合いと一緒に生きていると思ってるんですか。ちょうどいい機会ですから、身の程を教えてあげます」
「ティナーシャさん、すぐ割りますから、すぐ! ちょっとだけ持たせておいてください!」
 三者三様の混沌が繰り広げられる中庭は、割といつもの光景である。
 結果として、その後庭には大穴が空き、粉々に砕かれた酒樽から、酒の水たまりが広がることになった。駄目になった酒は女二人に「犯人」と看做されたラルスが弁償したという。
 そんな平和な日のお話。