コケシの旅 06

禁転載

誰しも仕事をやめたくなる瞬間というものは、一度は経験するものなのかもしれない。
彼にとってそれは一度どころではないほど経験しているものなのだが、このところ平穏続きの日々の中ですっかり忘れかけていた。
ニケは城都の街並みの中、不機嫌そうに人ごみを縫いながら後頭部を押さえる。
午前中王太子の部屋を仕事で訪れた時、たまたまイルジェに捕まって散々「馬役」をやらされたのだ。
その際に後ろ髪を手綱代わりに引っ張られ続けていたので、今でも違和感が残っている。正直薄くなっているんじゃないかと疑いたくなるほどだ。
だが、たとえ幼児に円形ハゲを作られようとも文句は言えない。
それが宮仕えの人間の運命であり、大前提なのだ。ニケは苦いものを飲み込むと、なじみの食堂の店先をくぐった。

炉が備え付けられたテーブルを持つ小さな料理店。
数年前には何やらこの店でおかしな男女に出くわし、えらい目にあった気もするが、もはやそのように瑣末なことなど記憶の彼方である。
そう思ってテーブルについたニケは―――― けれど隣のテーブルに座る男の横顔に気付いて、ぎょっと身を引いた。自分の記憶と正気を疑う。
確かに妙に印象的な二人組で、両方が目立つ容姿をしていた。
記憶に残っている理由はそれだけではないのだが、そこにいた男はまぎれもなく、あの時の男と同じ顔をしていたのだ。
ただし同じすぎて、そこには本来あるべき年月の経過が見られなかったのではあるが。

見間違いか、人違いだろう。
その結論をニケが出すまでにそう時間はかからなかった。彼は気を取り直すと店の人間に注文し始める。
しかし彼の声に、今度は隣の男の方が気付いた。整った顔立ちの男は青い双眸でまじまじとニケを見やる。
「何だ、また会ったな」
数年が昨日のことであるかのような軽い挨拶に、ニケは手に持った紙の品書きを握りつぶしたくなった。
だがそれを堪えると、出来るだけ平静な口調で男の方を見ぬようにして答える。
「何のことだか分からん。人違いではないか?」
「そうか? 魔力の波動が同じなんだが」
「気のせいだろう」
「あの魚、不味かったか?」
「……聞かなければ分からないのか?」
やっぱり同一人物であるらしい。ニケは面倒くささに開き直るとそっけなく吐き捨てた。何が楽しいのか笑い出す男を横目で睨む。
「そう言うな。あれも料理の腕がまともに戻った。機会があったら口直しをさせてやろう」
「もう御免だ」
いくら美人であっても壊滅的な味の料理を食べさせられるのは勘弁してもらいたい。
ニケはテーブルに頬杖をつくと男から視線を逸らした。ついつい深い溜息をついてしまうと、穏やかな声がかかる。
「疲れているようだな」
「そんなことはない」
「後頭部が薄くなっているぞ。気苦労か?」
「精神的なものではない!」
気にしていることを指摘され、ニケは慌てて手で頭を押さえた。
男は苦笑すると懐から何かを取り出す。
「お前にはあれが迷惑をかけたからな。面白いものをやろう」
「面白いもの?」
男が投げてよこしたのは小さな水晶球だ。手のひらに収まるほどのそれは、目を凝らすと中に青い光が浮かんでいる。
「俺の妻が遠い国から絵本を買い込んできてな。それを元に魔法生物を作った。飼い主に幸運をもたらすよう祝福が組み込まれているらしい」
「生物? これがか?」
「一晩月光にあてて置けば孵る」

魔法生物を作れるなど尋常な魔法士の技術ではない。
ニケは男の言葉を怪しんだが、それ以上に興味を持った。密かに水晶球に魔力を注ぎ、攻撃構成が含まれていないと判断すると、それを懐にしまいこむ。
「貰っておく」
「ああ」
「お前も魔法士なのか?」
「さぁ?」
笑って流す男はひどく得体の知れない存在に見えた。
ニケはそれを警戒しながら、だが懐にしまった水晶球に見過ごすには惜しいものを覚える。
本当に魔法生物を作れるような魔法士であるなら、城にとって利になる人材かもしれない。
最近は隣国ガンドナの魔法具技術向上も目覚しく、キスクでも魔法具研究に力を入れようという動きが出てきているのだ。
彼は少し考えると懐から別のものを取り出した。それを男のテーブルの隅に置く。
「何だこれは?」
「もしこれを作った魔法士が宮仕えに興味があるならキスクの城に来い。これを出して俺の紹介だと言えば話が通るようにしておく」
「……何だか既視感を覚えるんだが、これ」
男は訝しげな表情をしたが「分かった。渡しておく」と答えると木の人形を受け取った。盃に残っていた酒を飲み干し席を立つ。
まったく足音をさせずに長身の男が店を出て行くと、ニケは改めて手元に水晶球を取り出してみた。
魔力を滑り込ませてもう少し詳しく構成を読み解こうとしてみるが、さっぱり分からない。
「何なんだ? 人外じゃないだろうな……」

色々と怪しみながらも彼は城の研究室に水晶球を持ち帰ると、何重にも結界を張った上でそれを窓辺に置いた。言われたとおり一晩月光にあててみる。
翌朝様子を見に行って驚いたのは、そこに本当に青い小鳥がいたからで――――
だがニケが小鳥を解析しようと構成を組んだ途端、小鳥はぎょっとした目でバタバタ翼を動かし逃げ回ると、開いた窓から飛び去ってしまった。
結局、残されたものはただ、激しく脱力した男一人だけだったのである。


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