コケシの旅 07

禁転載

かつては習得するまでに苦労した転移も、今は歩くのと同じくらい意識せず使うことが出来る。
そうして森の奥にある屋敷へと戻ったオスカーは、妻がいる実験室の扉を叩くと中を覗き込んだ。
普段からほとんど彼が立ち入ることのない部屋は相変わらず硝子瓶で溢れかえっており、少しだけ硫黄に似た匂いが漂っている。
雑然とした室内に女の姿を見出した彼は、呆れよりも驚きが濃い声を上げた。
「まだやってるのか」
「うー、もうちょっとです」
今日は朝から魔法薬の研究にかかりきりになっているティナーシャは、硝子の容器を片手に振り返る。
何をやっているのか彼にはまったく分からないが、こういったものは「何か欲しいものがあって作る」のではなく「作れそうなものを思いついたから作る」のだという。暇つぶしに外に出ていた男は、悪戦苦闘しているらしき妻の背後に立つとその頭の上に手を置いた。
「大変そうだな。魔法具より大変なのか?」
「ものによりです。これはちょっと出来ると思っていた構成のあてが外れてしまって……」
「ふむ」
実験室の中央にある大きな机には、何だかよく分からないものが所狭しと並べられている。
同じ魔法薬の研究室でもルクレツィアのそれは、まるで厨房のような様相を呈しているのだが、ティナーシャの実験室はあからさまに色取り取りの試薬で溢れているのが常だ。オスカーはその中に何故か混じっている二つの菓子の瓶のうち、一つを手に取った。
「そういえばあれ、鳥の魔法具を人にくれてきた」
「え、そうなんですか?」
「まずかったか? 五つもあるからいいかと思ったが」
「まずくないですけど。あんまり魔法に詳しくない人を選んでくださいね。構成を怪しまれますから」
「…………いいものをやろう」
今更注意されても手遅れなことは間違いない。オスカーは懐から木の人形を取り出すと、それをティナーシャが向かっている実験台においた。
怪訝そうな闇色の瞳が人形に注がれる。
「何かこれ……どっかで似たようなもの見たことあるんですけど。どうしたんですか?」
「鳥を、キスク女王の側近と交換してきた。で、これを貰った。―――― 宮仕えをする気があるならこれを持って城に来いと」
「って、何、魔法士にあげちゃってるんですか!」
ぴしゃりと怒られても反論のしようがない。
オスカーは一通り妻の苦言を受け流すと、「お前の料理はもう懲り懲りだそうだ」と最後に付け加えた。



「何かに似てると思ったら……これ、あれに赤色が似てないか? お前が異世界から沢山持ち帰ってきた生首の置物」
「生首なんですかね、あれ」
「体がないじゃないか」
「確かに」
暢気な会話を交わしながらもティナーシャは試薬に構成を注ぎ続けている。
彼女の後ろで机に寄りかかっている男は、木の人形の既視感を探るのに飽きてしまうと、先ほど手に取った菓子の瓶を代わりに持ち上げた。
蓋を開け、中から焼き菓子を一枚取り出す。
「ここにある菓子は、食べてもいいのか?」
「いいですよ」
「なら貰う」
「あ、赤い蓋の方にしてくださいね」
「…………」
最初の即答時に既に一口齧ってしまったオスカーは、あらためて裏返しになっている蓋を拾い上げた。返してみると、そこには青い塗料で×が描かれている。もはや分かっていたが、もう一つの瓶を確かめてみると、そちらは蓋に赤い印がつけられていた。
オスカーは食べかけの菓子を摘んだまま、平静な声音で聞き返す。
「何だ。何か違うのか?」
「中に盛られてる薬が違うんですよ。ルクレツィアに焼き菓子の詰め合わせを貰ったんですが、魔法入りばっかで……。
 さっき調べて効果別に選り分けたんです」
「……そうか……」
妻が作ったものだろうと思って警戒もせずに食べてしまったのだが、よくよく考えれば実験室に置いてある瓶というところからして疑うべきであったろう。
ルクレツィアの作った魔法薬は、簡単には解くことが出来ない。
それを知っているオスカーはもう一度怒られることを覚悟すると、最後の質問をした。
「で、青い方には何が入ってるんだ?」
「媚薬です」
「……あの女は何百年経っても変わらないな」
既に彼が出会ってから三百年以上は経過しているが、まったく変わらない。そのことを指摘するとティナーシャは「七百年前から変わっていませんよ」と返してきた。途方もない性悪の魔女にかつての王は頭痛を堪える。
彼は齧りかけの焼き菓子を手の中で燃やしてしまうと、背を向けたままの妻を手招いた。
「ティナーシャ」
「何ですか」
「遊ばないか?」
構成を組んでいた細い指が動きを止める。
左手に試薬を持った女は、美しい眉を顰めて振り返った。呆れ顔で夫を見上げる。
「瓶間違えましたね」
「すまん」
「嫌です。今、忙しいんで」
「…………」
半分くらいは、こう返されるのではないかと思っていた。
だが悪いのはほとんど自分である。ルクレツィアは天災のようなものであり、彼女に原因を求めても仕方ないのだ。
そう現状を諦めた彼は、本格的に薬が効き始める前にその場を離れようと扉へ向かった。廊下に出たところで背後から声がかかる。
「何処に行くんですか?」
「寝る。寝て起きたらさすがに抜けてるだろう」
「十五分後に行きますよ」
「ん」
色々と失敗を重ねてしまったが、彼女はそれほど怒ってはいないらしい。
オスカーは寝室に続く廊下を歩きながら、ふと壁際に飾られている五つの赤い置物を見つけると、釈然としない顔でそれをぽんぽんと叩いたのだった。


コケシの行く末はいかにー。 9/5までアンケート