mudan tensai genkin desu -yuki
一同は国境北のイヌレードの砦に転送されると、慌しくそこで馬を借りてドルーザの魔法湖に向かって国境を越えた。
七十年前の戦争の影響か、未だに辺りには一年中灰色の霧が立ち込めている。
少し先もよく見えない中を、彼らはしかし迷いなく進んで行った。
「何で方向が分かるんだ?」
オスカーの問いに、先頭を走るティナーシャは振り返って笑う。
「魔力が洩れてるんですよ。魔法士なら皆分かります」
彼の後ろについてきている魔法士もまた頷いた。オスカーはそんなものかと首を傾げる。
やがて一時間も走った頃、霧の中僅かに見える景色が変わり始めた。
ところどころに生えている木々がやけに歪んでいる。
葉のない捩れた木々と転がる岩ばかりの景色は、一部の人間の間でまことしやかに語られる死後の世界を連想させるようなものだった。
荒れ果てた風景に何人かは怯んだらしく如実に会話が途切れる。
そしてそれは敏感な馬も同様だったようで、彼らはたちまち走る速度を落としてしまった。やがて全ての馬は押しても引いても前に進んでくれなくなる。
仕方なくその辺りの木々に馬を繋ぐと一行は徒歩で進み始めた。
「あとどれくらいだ?」
「もうすぐです。ってあ……」
ティナーシャは後ろを振り返ると足を止めた。
ついて来ている人間は、程度の差こそあれ全員が気分が悪そうに青い顔をしている。
「御免なさい忘れてました。結界を張りますね」
彼女は軽く詠唱する。と、周りの空気が清んだものに変わった。
呼吸が楽になったことで、彼らはほっとした顔を見せる。
「どうかしたのか?」
「瘴気が出てたんですよ。普通の人は息苦しいはずです」
「俺が平気なのはお前のおかげか」
「ご名答」
魔女はにっこり笑った。その後ろで、ドアンと名乗る男の魔法士がうめく。
「テミスの調査では瘴気の発生は記録されていなかったのですが……」
「何かが起きてるんだろうな」
オスカーは全員の様子を確認すると、急ぐぞ、と再び歩き始めた。
彼らが魔法湖に到着したのはそれからすぐのことである。
そこは、水も草もないむき出しの空き地であった。相変わらず周囲には霧が立ち込め、向こうがよく見えない。
罅割れた大地はカラカラに乾いていたが、しかし時折、まるで波があるかのように、地面の少し上を何かの波紋が通っていった。
「初めて来たな……普段もこの波があるのか?」
「若干は」
ティナーシャは手短に返答すると、先ほどより少し長い詠唱をした。地面に大きな円状の紋様が広がる。
詠唱が終わるとその外周から赤い糸状のものが数十本浮かび上がり、紋様の上で絡み合って半球状に一同を囲った。
「ちょっとここ出ないで待っててください。見てきます」
魔女はそういい残すと、背後を見ぬまま空中に浮かび上がり、一瞬で霧の向こうに消える。
ドアンはその姿を見送って唖然として呟いた。
「彼女何者なんですか……」
「さぁな」
オスカーは苦笑すると振り返る。
とその時、一人の兵士の慌てた声が最後部で上がった。
「メレディナがいません!」
「何だと」
騒然とした空気が結界の中を支配する。
困惑が走る中、オスカーは青い両眼を細めて霧の向こうを睨みつけたのだった。
魔法湖の上を、魔力を放って探りながら魔女は上空を一周する。
時折出来る霧の切れ目から見た景色は何ら代わり映えがなかったが、隠しようのない瘴気と平常時より明らかに高い魔力の波がその異常を物語っていた。
「地下かな……」
魔女は舌打ちをすると、一旦結界のところに戻る為に降下する。
彼女が戻ってくると待っていた者たちはほっとした雰囲気を見せたが、同時に皆が困ったような顔をした。
ティナーシャはすぐその訳に気づく。
「あれ、殿下は?」
その問いにシルヴィアが申し訳なさそうに手を上げた。
「はぐれたメレディナを探しに行ってしまいました……。お止めしたんですが、一番耐性があるからと仰って……。
どうしましょう、ティナーシャさん」
それを聞いたティナーシャは、自分の血圧があがりすぎて血管が切れるんじゃないだろうかとぼんやりと思った。
しかし言葉になったのは別のことである。
「あ……の……馬鹿王子がっ!」
怒りで彼女の全身が震えるのを、一同は発言の無礼も忘れ、恐々と眺めたのである。
メレディナはどことも知れぬ霧の中を足取りも重く歩いていた。
気はもっと重い。
何故自分はこんなところに来てしまったのだろう。
オスカーがあの魔法士をつれてきてからというものの彼女は今までにない劣等感を味わう羽目になった。
比べる必要などない、そんなことは分かっている。
しかしオスカーの隣に立つ彼女を見る度に、メレディナは自然と彼女と自分を比べていることに気づいてしまう。
彼女がアルスのところに訓練に来ており、その腕が自分より上であるということを知ってからはなおさらだ。
居場所のない敗北感が重苦しく彼女を打ちのめしていた。
皆に早く合流しなくては、という思いとしかし彼女に会いたくないという思いの間でメレディナは揺れ続けている。
だがその時前方の霧の中に人影を見て、彼女はハッと我に返った。
武官たるものつまらない感情にとらわれるべきではない。
彼女はそう自分に言い聞かせると、人影に向かって走りよる。
しかし間近まできてようやく、彼女はそれが人ではないことに気づいた。
「ヒッ」
思わず叫びかけて口を押さえる。
それは、ぼろぼろになった鎧を着た動く死体であった。
彼女の声に反応してか、死体はゆっくりと振り返る。
空っぽの眼窩には何の感情もない。
それは持っていた剣をゆっくりと構えた。
よく見ると死体は一体だけではなく、霧の中にいつの間にか無数に蠢いている。
メレディナは震える手で腰に手をやると、何とか自分の剣を抜いた。
前方から思わぬ速度で打ち込まれる剣を受ける。その威力に腕が痺れた。
後ろに跳んで距離をとるが、後ろからもゆっくりと足音が聞こえてくる。
彼女を中心に徐々にせばまってくる死体たちの輪に
メレディナは絶望的な思いを感じながらも、再び剣を構えた。
一方、結界に残った者たちも死体との戦いに直面していた。
結界内にいれば手出しはされないが、辺りを死体に囲まれては帰る道もなくなってしまう。
彼らは結界を拠点に、終わりが見えない戦いを強いられていた。
「こいつらファルサスの紋章をつけてるぞ!」
「ドルーザの紋章をつけたやつもいる」
「七十年前の亡霊か……!」
切り倒してもなぎ払っても迫ってくる死体たちに一同は焦りの色も濃くなってくる。
ティナーシャは舌打ちすると、肩の上のドラゴンに命じた。
「ナーク! 私の契約者を探して連れてこい。さっきいた青い目の男だ。印があるから分かるだろう?
女も一緒のはずだから両方連れてこい。食うなよ!」
ドラゴンは一声鳴いて肩から降りると、伸びをするような仕草で馬より少し大きい大きさになった。
驚く一同を尻目に翼を広げて飛び立つと、霧の中に消える。
ティナーシャは切りかかってくる死体の剣をかがんで避けると自身の剣でその首を刎ねた。
「二人が帰ってきたら一帯を焼き払います。しばらく持ちこたえてください」
彼女のゆるぎない声に皆は安心する。
いつの間にか彼女はその確かな実力を以って、一行の精神的支柱になり始めていた。
彼らは気合を入れなおすと、再び目の前の敵に向き直る。
メレディナは切っても切っても迫り来る死体に叫びだしそうになるのを何とか堪えていた。
後ろをとられることも多くなってきたが、何度か紙一重でその剣を避けている。
もっと、アルスの色々言うことをちゃんと聞いていればよかった、そんな後悔が彼女の心に染みを作った。
その時右後方から彼女のわき腹に向かって剣が突き出される。
メレディナはかろうじて攻撃に気づくと身をよじった。
―――― 避けきれない。
彼女が思わず目を閉じた時、だが誰かが霧の中から彼女の手を引き寄せる。
「迷子も大概にしろ」
そう言って突き出された剣を払ったのは彼女の最愛の主君であった。
「で、殿下……」
「戦えるか? 突破するぞ」
甘えを許さない声の響きに、メレディナは浮かびかけた涙を堪えて頷く。
「お供いたします」
彼女の言葉に男は無言で頷いた。
先を行くオスカーは霧の中から突き出される剣に対し、無造作に何も持っていない方の手を向ける。
何もないはずなのに、何かが剣を彼の手に触れる直前で砕いた。
メレディナはそんな光景を不思議そうに見つめる。
「ぼけっとしてるな。行くぞ」
「は、はい」
オスカーについていこうとした時、背後に何か大きなものが降り立った音がして彼女は足を止めた。
振り返るとそこには、燃える様な赤い両眼が彼女を見つめている。
それが、ティナーシャの肩に乗っていたドラゴンだと気づくのに彼女は数瞬を要する事になったのだった。
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