今宵、月の下で 033

mudan tensai genkin desu -yuki

月の青白い光が部屋の中に差し込んでいる。
窓辺の椅子に腰掛けた魔女は使い魔からの報告を受けていた。
いつも探している男についての報告ではない。 先だってティナーシャの幼名を持って会いに来た、北の小国クスクルについての何度目かの調査だった。
ティナーシャはそれを椅子の背もたれによりかかるようにして頬杖をつき、目を閉じて聞いていたが、 報告が全て終わると揺らぐ闇色の目でただ青白い月を見上げたのである。

「ようやく結界の穴から入り込んだんですが、魔法士がかなりの数集められていますね。精霊術士も多いです」
翌日彼女は執務室でオスカーにその報告を伝えた。
彼は机の上に置かれた陶器の像を指先で弄びながら聞いている。 面白くない、と思っているのが明らかな顔だ。
「戦争でも起こすつもりか?」
「否定はできません。魔族の召還も試みているようです」
「普通の兵士は?」
「魔法士と同数くらいですね。二百くらいですから決して多くはありませんが、王宮には侵入できなかったので……」
「王政なのか?」
「そうみたいです。誰が王なのかは分かりませんが、元の領主やタァイーリの王族、貴族ではないようですね」
「そいつも魔法士の可能性が高いだろうな」
オスカーは頭の後ろで腕を組んだ。 ついでに足を机の上に乗せる。 普段はしない行儀の悪さは、彼が難しい考え事をしている時の癖だ。
「とりあえず定期的に調査を出してもらえるか?  何事もなく終わるとは思えん」
「了解です」
「悪い」
オスカーは足を下ろすと未処理の書類を手に取った。 ふと顎に手を掛ける。
「そういえばエッタードの具合がよくないらしい」
「そうなんですか?」
魔女は壁に寄りかかりながら聞き返した。 手にはルクレツィアから借りた魔法書を抱えている。
「もう年だからな。体が弱っていて起きられないそうだ」
「それにしても急ですね。アルスが心配しているでしょう」
「あいつはエッタードに随分可愛がられてたからな。俺も世話になった」
アルスは城に入る前からエッタードの屋敷に出入りして剣を学んだらしい。
若い頃には国一番の剣士だったエッタードは、その腕を子供たちに教える手間を惜しまず、 オスカーも幼い頃からよく手ほどきを受けていたのだ。
ある日呪いのことを知らされたエッタードは、彼に剣を教えながら
『絶望が人を腐らせるのです。意思を強くお持ちください。結果はそれに付随します』
と言った。その言葉は今でもよく思い出す。
オスカーは顔を上げると、自分を見ている魔女を見返した。
「お前は俺より後に死ねよ?」
魔女は少し驚いて、困ったような笑顔を見せた。

エッタードはそれから三日後、眠るように亡くなった。
家族のいない彼の遺品は、しめやかな葬儀の後、エッタード自身の希望により全てアルスに託された。
そしてエッタードが知らされていた魔女の呪いのことについても王の許可の下、アルスへと引き継がれることになったのである。
今までは名目上はエッタードがファルサスを代表する将軍であったが、いまや名実共にこの若き将軍が国を担う重要な一人となっていた。
「そんな呪いがあったとは……」
「迷惑な話だろ」
埋葬も滞りなく済んだ翌々日、執務室に挨拶にきたアルスは、オスカー、ラザル、ティナーシャとお茶を飲みながら しみじみとした感想を洩らしていた。
「ティナーシャ嬢が結婚してくれなかったらまずいんじゃないですか」
「断絶だな」
「しないよ!!」
妙に息を合わせているオスカーとアルスに、ティナーシャは顔をひきつらせながら反論した。
「解析だってちゃんとやってますよ! 今!」
「無理しなくていいぞ」
「やる気をそぐな!」
血圧をあげながら怒る魔女をアルスは不思議そうに見やる。
「殿下のどこに不満が?」
今まで聞かれたことのない率直な質問が魔女を直撃した。 彼女は目を丸くすると、真剣に悩み始める。
「ど……こと言われても……どこですか?」
「俺に聞くな」
それまで黙ってお茶を飲んでいたラザルが口を挟んだ。
「人をからかうことが好きなところが嫌なんじゃないですかね」
「そうかも」
「ラザル、お前……」
ラザルは主人の冷ややかな目に首をすくめた。 ティナーシャが言を引き取る。
「まぁあと半年以上ありますし、何とかなるでしょう」
「期待しよう」
オスカーは目的語を伏せたまま頷いた。
どうも会話が噛み合っていないような気がするが、魔女はあえて深く考えないようにした。 立ち上がろうと椅子を引く。
その時、足がテーブルにぶつかり、端に置かれていた砂糖壷が床に落下してしまった。清んだ音をたてて蓋が割れる。
「ああ、すみません」
「大丈夫か?」
ティナーシャは床に屈みこむと、砂糖壷を拾い上げた。 幸い本体は割れていないらしい。
魔女が手をかざすと零れ落ちた砂糖が舞い上がり、元通り壷の中に戻っていく。
ラザルがそれを受け取ると、彼女は蓋の破片を手で拾い集め始めた。 隣りから覗き込んだオスカーが問う。
「治せないのか?」
「壊れ物を戻したりはできないんですよ。時間を停滞させることはできても遡ることはできませんから。
 もっと破片が大きければくっつける事もできますが、砕けちゃうとちょっと無理ですね……すみません」
「いや構わない。指切るなよ」
「はい」
アルスはその様子を見ていて、誰にともなく嘆息した。
「魔法も万能じゃないんだな」
「それが死すべき生き物の常ですから」
魔女は笑ってそう返した。

温かい寝台の上で丸くなって寝ていた少女は、いつの間にか自分がそこから連れ出されていることに気が付いた。
眠気に重い目を開けると長い廊下を進んでいるのが分かる。
「目が覚めてしまった?」
心地よい振動と腕。 少女は自分を抱き上げている男を見上げた。
よく知っている、誰よりも自分に近い男。 少女は安堵の微笑みを浮かべた。
「どうかしたの?」
「これからいいことがあるんだ。是非見てもらいたいと思って」
「大事なこと?」
「大事なことだよ。君と同じくらいに」
男の優しい言葉に少女は噴出してしまう。 まだそんな言葉に揺らぐような年ではないのだ。
ただそう思ってくれる男が大好きで、何よりも大切であることは彼女にとっても確かだった。 安心すると再び瞼が重くなってくる。
「でもまだ眠い」
「寝てていいよ」
「……眠い……」
少女は再び目を閉じた。
そして二人は長い廊下を進んでいく。

日が沈みかけた頃、仕事が一段落したオスカーはクスクルの調査についてティナーシャに確認するため、彼女の自室の前に立った。
扉を軽く叩くが何の返事もない。
「ティナーシャ、いないのか?」
扉に手をかけると鍵はかかっていないのか簡単に奥に開いた。 その代わり、入り口に結界が張られているのが見て取れる。
オスカーは少し躊躇ったが、そこをくぐった。 彼は彼女の契約者であるためか、何の違和感もなく結界を通り抜ける。
部屋に入ってすぐ、彼は魔女の姿を見出した。
彼女は紋様が浮かぶ水盆のすぐ傍で、椅子に座ったまま転寝をしている。 軽くその肩に触れてみたが、疲れているのかぴくりとも動かない。
「椅子で寝るなよ……」
オスカーはそう呟くと、彼女の体を抱き上げた。 意識がない時はその体重を感じられるが、それでも軽い。
彼女は一瞬身じろぎをしたが目を覚まさなかった。
「無防備なやつ」
彼は腕の中の魔女の姿に目を落とす。
ほっそりとした柔らかな体。
普段は意識しないよう努めていることだが、 この蠱惑的な存在に触れていると、つい、手に入れたいという欲求が頭をもたげる。
白い陶磁の肌に口付け、印をつけて自分のものにしたい。 可能か不可能かではない、ただ捕らえたい。 気だるい焦燥に似た感情が胸の奥に燻る。
だが、それが望みの本質ではないことも彼はよく分かっていた。
彼女は実に無造作に、自分に預けてくる。 心や体ではなく、その命を。
いつでも殺せる。
分かっていてそれをやっているなら不愉快だ。そして 無意識にやっているのならば……愛しかった。
いつの間にこんなに執着してしまったのか。 曽祖父を笑えない、と彼は苦笑する。
彼女が魔女でなかったら、とは思わない。
もしそうだったらおそらく出会いもしなかっただろうし、 何より、彼女の経てきた永い時を、そこで重ねた決断を否定したくなかったのだ。
彼女は完璧によく似て、しかし不安定だ。
その過去を全て知りたいわけではない。 彼女が言わないのならそれでいいのだ。
自分が欲しいのは、心でも体でも魂でも命でもなく、ただ彼女からの執着なのだろう。
自分に執着して欲しい。この手を取って何よりも大事だと言って欲しい。 まるで子供だ。愚かだと思う。
でも今はその愚かさも、悪くはないと思うのだ。
オスカーは彼女の体を寝台に運ぶと、起こさないようにそっと横たえた。
しかし、支えていた手を抜こうとした時、ティナーシャは急に跳ね起きる。 驚愕、或いは恐怖に強張った目で彼女はオスカーを見上げた。
オスカーは見たことのない魔女の顔に驚き、反射的にその頭を抱く。
「どうした」
「あ……オスカー……?」
「そうだ」
腕の中で彼女が深い息をつき、体から力を抜いていくのが分かった。
手を離すと彼女は若干青ざめてはいたが、その目の中にはいつもの光が戻っている。
「すみません、夢見が悪くて……」
「椅子で寝るからだ」
頭を軽く叩くと、ティナーシャは微笑みを浮かべたが、それはどこか弱弱しいものだった。
「何か御用ですか?」
「いや、またでいい。ちゃんと寝とけ」
オスカーは頭に置いたままの手をぐりぐりと動かしてその髪を乱す。
夢の中でさえも、何も彼女を脅かすものがなければいいと願いながら。