世界で一番パパが好き

mudan tensai genkin desu -yuki

その片田舎の小さな町において、誰が一番器量のよい女性かと人々に尋ねれば、彼らの答は様々になるであろう。
だが、その質問を「誰が一番美しいか」に変えれば、町民たちの返答は一つになる。
彼らが指し示す人物は、まだ女とは言えない一人の少女。
坂上の小さな家に父親と二人で暮らす、ミミという名の娘だった。



「ただいま!」
帰宅の挨拶と共に背中へ抱きついてきた娘の手に、廊下を歩いていたルースは微苦笑する。
彼は本を持っていない方の手を後に回し、娘の頭を撫でた。
「おかえり。今日はどうだった?」
「あのね、学校でね……」
毎日のやり取りから続く会話は、ありふれてはいるが平穏で温かなものだ。
部屋に戻ったルースはしばし仕事の手を休めると、娘の話に聞き入った。
彼の隣に座ったミミは、美しい容姿に年相応の笑顔を浮かべて友人の話を語っている。

親子として二人が暮らし出してから、既に十三年。
しかしミミには未だ、他の少女たちのように父親から一歩離れようという気配が見られない。むしろルースへの執着は年々増していっているようで、それはかつて本当に娘を持ったことのある彼から見ても、少し変わっていると思えるほどであった。
周囲の人間たちは仲のよい親子を、片親がいないせいと思っているらしいが、本当にそれだけの理由かは不明である。
或いは新しい体と名前を得た彼女は、まだ目覚めぬ記憶の奥底で彼のことを判っているのかもしれない。いくら説得しても魔力制御の訓練に町を離れたがらないミミに対し、ルースは困ったものを感じつつも、その執着に何処かしら安堵を覚えていた。
「それでね、エドが先生に……」
長椅子の隣で弾んでいた少女の髪から、小さな花飾りが滑り落ちる。
ルースはそれに気付いて花飾りを受け止めると、元通り娘の髪に挿してやった。嬉しそうにはにかむ少女の顔に、もっと大人の女の微笑が重なって見える。



今はまだ、彼女も子供と言って差し支えない年齢だ。
だがあと数年経てば本来の、息を飲むような美貌の女が出来上がるだろう。
ルースはその時どうするのが一番よいのか、答の出ない命題にもう何度目かも分からぬ思考を巡らせた。
黙り込んだ父親を見て、ミミは怪訝そうに首を傾げる。
彼は今まで彼女を育てるにあたって、彼女に自身の「特別」を必要以上に意識させないよう務めてきた。
容姿を「可愛い」と誉めることはあっても「美しい」とは言わない。
魔力についても、強大という言葉では収まりきらないほどの力であることは、慎重に隠し通してきた。
そうしてようやく保たれる平凡な家庭が、しかし彼ら二人にとっては得がたいものである。
その為の苦労がどれほどのものであっても、彼は少しも気にもならなかった。

けれど必ず訪れるであろう平穏の終わりがどのようなものになるのか、ルースはまだ何も決められずにいる。
その終わりを自分がもたらすのか、彼女がもたらすのか、それさえも今は不明のことであった。



「お父さん?」
「ああ、何でもない」
「変なの。ぼーっとして、風邪ならちゃんと寝ててね! 私ご飯作るから」
「平気だよ」
ひとしきり今日あった出来事を話してしまうと、ミミは自分の部屋へと走り去った。
まるでじっとしていない飛ぶような少女の足取りに、ルースは苦笑して再び仕事を始める。






彼が今の仕事を選んだ理由は、それが自分の家で出来る仕事であった為だ。
他の仕事に比べて、家にいられれば不測の事態にも対応しやすくなる。
そうして娘の周囲に起こりかけていた問題を何とか未然に処理したことが今までにも幾度かあったのだ。
しかしこの日訪れたそれは、中でももっとも胸が悪くなる部類の問題であっただろう。
ルースは、四人の供を連れて突如訪ねて来た貴族の男を睨む。
「今何と言った? よく聞こえなかった」
「何だその口のきき方は。平民の分際で伯爵によくも……」
「よい。もう一度言ってやる」
激昂しかけた従者を制して笑う若い男は、よく肥えた指を顔の前で動かした。
いくつも嵌められた指輪の大きな宝石が、不分明な光を反射する。
「町でお前の娘を見かけた。このような町に置いておくには勿体無い器量だ。
 わたしの館に迎えてやろう。金をやるから支度をしろ」
「断る」
即答での拒絶に、伯爵は不愉快げに顔を強張らせた。供の四人に不穏な空気が漂う。

隣の領地を治める領主の息子が、いささか偏執的な趣味を持って年端もいかない少女を集めているという話は、ルースも噂として耳にしたことがあった。だがその時は、全てが事実ではなく無責任な風評も混ざっているのだろうと思い、大して気にもしなかったのだ。
実際に娘を差し出せと言われたこの時までは。
貴族を前にしても一切怯むことなく、むしろ下卑たものを見るように自分を見下ろしてくる父親を、伯爵は気を取り直すと鼻で笑った。
「素直に言うこときいた方が賢いぞ? 耳や腕を失ってから更に娘を失うのは辛かろう」
「首を失う前にこの町から出て、二度と姿を見せるな、下種が」
「貴様……」
伯爵がこめかみを引き攣らせたのと、四人の供が剣に手をかけたのはほぼ同時であった。
一瞬で殺気が満ちる室内。ルースは何も持っていない右手を軽く握る。
抜かれた白刃が宝石よりも鮮やかな光を放って彼の方へと向けられた。
溜息も舌打もなく―――― 冷然と刃を見返したルースは己の力に現出を命じる。



「……少し鈍ったか」
肩から斬り落とした腕を見下ろし、ルースは気だるげに呟いた。
そのまま彼は右足を蹴り上げると、傷口を押さえのたうっていた男を気絶させる。
他の三人は、既にある者は気を失い、ある者は戦意を喪失して逃げ出しかけていた。
ルースは腰が抜けて立てないらしい伯爵に歩み寄ると、指輪の嵌められた手を容赦なく踏み躙る。
獣のものに似た悲鳴に彼は軽く眉を上げた。
「壁に返り血をかけないようにと気をつけたつもりなんだが、大分汚してしまった。
 最近書き物ばかりしていたからか。鍛えなおした方がよさそうだ」
「お、お、お前、いったい」
「確かに素直に言うことを聞いた方が賢かったな。
 記憶でも弄ってやろうか……もっとも俺は、そういう複雑な魔法が苦手だ。廃人になるかもしれんな」
「や、やめ……」
尋常ではない威を放つ男に、伯爵が意識を保っていられたのはそこまでだった。
恐怖の限界を越えたのか、糸が切れたかのように気を失った男を、ルースは面倒そうに蹴り転がす。
彼は少し考えると、その場に転移門を開き、男たちを適当に放り出した。最後に血に汚れた室内を嫌そうな顔で見回す。
「ミミが帰ってくるまであと一時間か? 不味いな。
 ああ、そうだ。―――― リトラ、俺の声が聞こえるか? 部屋を掃除してくれ」

遠く離れた屋敷から召喚された使い魔は、人間には不可能な時間で小さな室内を元通りにしていった。
しかし、これで全てが終わったと思われた数日後、ミミは件の伯爵の手の者に攫われかけ―――― 結果、少女たちを囲っていたという彼の屋敷は完膚なきまでに崩壊し、その主人は無残な屍を曝すことになったのである。






「お父さん、私ね、大きくなったらお父さんのお嫁さんになりたいんだ」
いつものように飛びついてきた娘の、少し照れくさそうな言葉にルースは目を丸くした。聞き間違いかと思い、しばし沈黙する。
確かに彼女がもっと小さかった頃は、毎日のように同じことを言われていた。
だが、今は彼女ももう十三歳だ。娘が父親の妻になれないことは知っているはずである。
もしかして、自分たちの間に血縁がないことに気付いたのだろうか―――― そんな考えに彼が思い当たった時、ミミは真っ赤になると慌てて両手を振った。
「あのね、お馬鹿さんじゃないの! 結婚する、って思ってるんじゃなくて、ただそういう心意気っていうか……」
「何だそれは」
「だから、ずっとこうして、お父さんと一緒に暮らしてたいなって……ご飯作ったり勉強教えてもらったり……」
言い繕う娘の目は、幸福そうでありながら何処か少しだけ不安そうでもあった。
その理由を探ろうとして、ルースは隣家の娘が先日遠い町に嫁いでしまったことを思い出す。
一人娘が家を去ってから、すっかり意気消沈してしまったその父親を見て、ミミも色々思うところがあるのだろう。自分たちはそうならないと思いたいのかもしれない。
父と娘は、永遠に親子である。
だがその関係性は、時が経てば自然に形を変える。娘は誰かの妻となり母となる。
しかしその時が訪れても、ミミは他の誰よりも彼の傍にいたいと、そう望んでいるように見えた。
自分の意思が上手く言葉にならないのか、複雑そうな表情の娘をルースはじっと見つめる。



いつか来るこの生活の終わり。
それはどちらがもたらすものなのだろうか。
彼ら二人はどちらもその時を予感しながら、だが何も決められないままだ。
ルースは微笑すると、大きな手を娘の頬に添える。
「お前の好きなようにしなさい」
「お父さん」
不安が消せない娘の額に、ルースは父親として口付けを贈る。
そうして彼は小さな頭を抱くと、目を閉じて囁いた。
「いつでも、何処にあっても、お前を愛している。
 ミミ。俺はお前が幸せであることを望んでいるよ」



全てはその為の時間だ。
長い歴史の中から零れ落ちた平穏。自身の手の中のそれを守ろうとする父の背に、娘の細い両腕が回される。
細い体を精一杯寄り添わせて、ミミは深く息を吐いた。
胸の痛くなる温かさ。
言葉はない。確かな未来は何もない。
けれどそのか細い力に安堵して―――― 彼は艶やかな黒髪をそっと撫でた。