mudan tensai genkin desu -yuki
「当たったか?」
「分からない。水中に入ってしまったようだ」
五人の男たちは水辺のすぐ傍の森の中からじっと湖面を見つめた。だが広がる景色には怪しいものは何もない。
先ほど人が水面に座っているように見えたのは目の錯覚だったのだろうか。
念の為一人がしばらく矢を番えて待ってみたが、人影は再び現れることはなかった。諦めて弓を下ろすと、一番若い男が肩をすくめる。
「水妖のお宝が手に入れば最高なんだけどな」
「本当に水妖で、怒らせたらどうするんだ。それに殺せてもあんな湖の真ん中まで取りにいけない」
「多分、魚かなんかだろう」
「人型に見えたんだけどなぁ」
落胆と安堵が入り混じる会話を交わしながら、彼らは踵を返してその場を立ち去ろうとする。
しかしその時、背後で水音がして男たちは振り返った。
森の木々の間から見える水辺に、いつの間にか一人の女が立っている。
足は水につかったままらしく、黒いドレスの裾が水面に広がっていた。
長い漆黒の髪に、輝くような白い肌の女は、人間とは思えないほど美しい。
男たちは思わず呆然と硬直したが、若い男が矢を取り出すのを皮切りに思い思いに武器を取る。
だが、それを見て、女は小さく両手を上げた。
「待って。人間です」
女の言葉に、男たちは訝しげな声をあげる。
「人間? 本当か?」
「本当です」
「こんなところで何してるんだ」
「休暇中です。ファルサスから遊びに来てます」
「やっぱり水妖に見えたのか」
知らない男の声に、男たちは驚いて死角になっていた木の影を覗き込んだ。
そこには剣を帯びた若い男が木に寄りかかっている。その体は泳いでいたのか、頭から足先まで濡れていた。
「あれは俺の連れで、本当に人間の魔法士だ」
「ああ……」
その説明に男たちはようやく納得した。
この辺りは田舎のため魔法士など滅多に見ないが、ファルサスくらいの大きい国にはそういった人間たちがいることは知識として知っていた。
男たちの中から、三十近くの年長らしい一人の男が歩み出る。
「申し訳ない。てっきり水妖だと思って大変失礼をしました。お怪我はないでしょうか」
「平気です」
女はにっこり微笑むと、湖を出て連れの男の傍に立った。
「普段は水妖なんて恐くて手も出さないんですが、つい気が急いていて……」
「何か問題でもあったんですか?」
「いえ、今日は村のお祭りなんですよ」
「お祭り……ですか」
それが水妖退治とどういう関係があるのだろう。
不思議に思いながらもティナーシャは手早くオスカーと自分の服を乾かした。
魔法士など初めて見たという男たちは、その技にすっかり感動している。
人が良さそうな彼らは、次々に頭を下げると、二人を迎え入れて祭りの説明をしてくれた。
「これが結婚相手を決めるお祭りなんですよ。
今はもう実際に結婚する人間はほとんどいないんですが、それでも中々盛り上がりましてね。近隣の町からも参加者が多いんです」
男たちのうち二人が手を上げて、隣町から来たのだと言った。
年長の男は、オスカーとティナーシャを見て、よろしかったら参加してはどうか、と勧める。
「参加ってどうするんですか?」
「女性の方は村で待つだけです。男は湖を回って贈り物を調達してくるんですよ。自然のものをね。
それを持って目当ての女性に求婚するわけです」
「なるほど」
地方には面白い祭りもあるものである。娯楽も少ない山の中ではこういった祭りが一年間にわたる労働の励みになっていたのかもしれない。
感心しながらも、参加は遠慮しようとティナーシャが口を開いた時、彼女の契約者はその頭を軽く叩いた。
「面白い。やろう」
「へ!?」
魔女は聞き間違いかと思ってオスカーを見上げたが、彼は何だか妙に楽しそうな顔をしている。
「ど、どうしたんですか」
「折角だし構わんだろう。お前は村にお邪魔してろ」
「ええ……だってアカーシアも」
持っていないのにと言いかけて、彼女はこめかみを締め上げられた。
「平気だから行ってろ」
「久しぶりに食らうと痛い!」
オスカーは、心配性な守護者の頭を撫でた。その耳に囁く。
「こんなところだ。危ないことはないから安心して待ってろ。たまにはこういうのも面白いからな」
「……分かりました」
ティナーシャは引き下がった。守護結界はあるし、何よりも彼は強いのだ。
彼の為に遊びに来ているのであるから、その意を汲もうと思い直す。
話がまとまったと見た村の男は、ティナーシャに村への道を教えてくれた。
今は五人だけだが、まもなくもっと多くの男が森に出てくるのだという。
オスカーは魔女に向かって軽く手を振った。
「知らない男について行くなよ」
「どこの迷子だ!」
ティナーシャは拭いきれない心配を残しながらも、こうして仕方なくその場を離れると村に向かったのである。
村はすっかりお祭り一色だった。
狭い道には人が溢れかえり、酒や食べ物があちこちで振舞われている。
空は完全に夜のものとなっていたが、柔らかい光が各所に灯され村中が明るかった。
子供の歌声が遠くから聞こえてくる。
一人村にたどり着いたティナーシャは、入り口に入った所で、見知らぬ中年の女性に肩を叩かれた。
魔女は突然のことに驚いたが、親しげに話しかける彼女に苦笑して返す。
「あんたよその子だね! どこから来たの?」
「ファルサスです」
「また遠いところから……歓迎するよ。一人?」
「連れが居たんですが、森に物を取りに行ってます」
「ああ、恋人がいるのね。じゃああんたは着替えだ」
「へ?」
何故着替え、と聞く間もなく、ティナーシャは半ばひきずられるようにして村の喧騒の中に消えた。
森に残ったオスカーは、村の男の一人に尋ねた。
「水妖は本当にいるのか?」
「たまに現れて悪さをするね。人死にが出ることもあるけど、湖に逃げられると手出しできないから」
予想の範囲内の答に彼は黙って頷く。
遠い土地で誰も彼の身分を知らない中にいる。
そのことが妙に面白くて、自然に笑みがこぼれた。
今はアカーシアもない。不思議な開放感が満ちていく。
彼は村の男と別れると、剣を抜いて軽く振ってみた。
手に感触がなじんでいく。
「さて何を採りに行くかな」
オスカーは無造作な足取りで歩き出す。木々の合間から見える湖には、青白い月が浮かんでいた。
普段は村の寄合所として使われている建物の中は、着替えをする女性でごった返していた。
ティナーシャがそこに連れてこられると、入り口近くにいた女たちはわっと歓声をあげる。
「美人だねぇ」
「ファルサスから来たらしいよ」
「都会の人だね。垢抜けてる」
ティナーシャは彼女たちの勢いに押されて、そのまま流される羽目になった。
口を挟むまもなく衣装を渡され、化粧をほどこされる。
「あ、あの……」
「しゃべらないで! 今、紅塗るから」
既婚者と思しき中年の女たちは彼女を取り囲むと楽しそうに化粧をしていく。一方若い女は自分たちの支度に夢中だ。
何故遠い土地に来て、城にいるのと似たような目にあっているのか分からない。
ティナーシャはつい眉を顰めそうになるが、そんなことをすれば化粧をしてくれている女たちに怒られてしまうだろう。
そっと溜息をつきかけて…………彼女はしかし目を瞠った。
契約者に張った守護結界に何かが抵触したのだ。
わずかな魔力の振動が彼女の中に響く。
「どうかしたの?」
顔を曇らせた彼女を、白粉を持った女が覗き込んだ。
「いえ……連れが心配になって」
「大丈夫だよ。もっと恋人を信頼しな!」
明るく背中を叩かれて、彼女は笑顔を作った。
それでも不安の沁みをぬぐうことは、どうしてもできなかったのだが。
女たちは支度を終えると、村の中央の広場に向かった。
若く明るいさざめきが広場に広がり、村の他の人間は楽しそうな娘たちを眩しげに見守る。
ティナーシャは白い紗のヴェールを渡されていたが、それを目深にかぶって顔を隠していた。
自分の容姿が目立つものであるという自覚は一応ある。
白地に朱色の線が入った民族衣装をつけた彼女は、既に寄合所で化粧をした女たちに、まるで巫女様みたいだねぇと感嘆の溜息を浴びていたのだ。
外でまで進んで目立つことはしたくない。
若い女たちがはしゃいで、求婚者を待つ中、ティナーシャは隅の方に立って契約者を待っていた。
先ほど数回揺らいだだけで、結界はその後変化がない。
彼のことだからおそらく大丈夫だとは思うのだが、それでも少しだけ心配だった。
広場には次々と男たちが戻ってきて、目当ての女に贈り物をしている。
その度にわっと喚声があがった。
ティナーシャはヴェールの隙間から空を見上げる。天には月が白く輝いていた。
迎えに行こうか、と迷う。
逡巡を繰り返し、決心がなかなかつかないまま下を向いていた彼女は、けれど不意にヴェールをはずされて顔をあげた。
「待ったか?」
ティナーシャはそこに立つ契約者を認めると、心から安堵の息をつく。
服は乾かしたはずなのに、何故かまたずぶ濡れになっていた。手を伸ばしてそれを乾かしながら彼女は微笑む。
「心配しました」
「信用無いな。手、出せ」
魔女は首を傾げながらも、両手を揃えて前に出す。オスカーはその手の中に右手に握っていたものを落とした。
五つの丸みを帯びた水晶は、うっすらと青みがかっている。
「これ……」
「懐かしいんだろ」
周りでそれを見ていた村人たちが、今はほとんど採れないはずの月水晶に息を呑んだ。
しかし彼女はそれも気にならない。
手の中の水晶をじっと見つめる。
大事にしていた、今はもうない石を思い出した。
胸が熱くなる。
まばたきをしたら泣いてしまいそうだった。
男を見上げると、彼は苦笑している。
「ありがとうございます。とても……嬉しいです」
ティナーシャは、子供の様に、そしてもう子供には戻れない女の顔で微笑んだ。
上手く笑えている自信はなかったが、本当に嬉しかったのだ。
オスカーが顔を寄せる。
彼女は目を閉じて、その口付けを受けた。
恋人に見えるとか、そうではないとかは関係ない。
言葉に出来るかといったら分からない。
ただ、彼が隣に居て、自分に触れる。
おそらくそれはとても自然で、そう在ることこそが本当なのだ。
服を着替え、村を後にした二人は、ナークの背から小さくなる湖を見送った。
ティナーシャはもらった月水晶を大事に握っている。
「これ、どこにあったんですか?」
「湖底。水妖に案内させた」
魔女は唖然として口を開けた。まったくこの男は何処に行っても危ないことをするのだ。
でも今は、説教する気は起きなかった。手の中の水晶が体温を帯びて温かい。
「城に帰ったら形を整えて首飾りにでもするか?」
「いえ……このままがいいです」
「そうか」
オスカーは隣に居る魔女の頭を撫でた。彼女は心地よく目を閉じる。
愛しむように触れられる温かさに、記憶を委ねて。
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