緑の蔓 067

mudan tensai genkin desu -yuki

面倒くさそうに頭をかきながら、オスカーは将軍たちに向き直った。
「さて、とりあえず俺が出るとして他の二人はどうするか……」
彼は首の後ろを掴んだままの猫を目の高さにつりあげる。
「強い順といったらこいつなんだが、猫だしな」
その時不意に猫がその輪郭を歪めた。小さな黒い子猫は一瞬で元の女の姿に戻る。オスカーは顔を顰めて女を叱り付けた。
「戻るなと言ったろう。仕置きをされたいのか」
「いくら猫でもずっと首の後ろを持ってたら窒息しちゃうんですよ!」
突然現れた魔女に、将軍たちは驚きで何も言えない。あんぐりと口を開けて彼女を眺めた。
魔女は自分の首の後ろをさすりながらこともなげに言う。
「私が出ますよ」
「却下」
「最後まで聞いてくださいよ……。あの二人のうち、背の低い方の男は多分魔法士です」
オスカーは守護者の言葉に、広場に立っている二人の男を眺めた。 筋肉質の巨漢と小柄な男は、それぞれ剣を佩いていて魔法士には見えない。だが、魔女がそういうのなら間違いないのだろう。
「分かった。あいつはお前に任せる」
「承りました」
魔女は軽く答えると、服と剣を取りにその場を離れた。
オスカーはそれを見送ると最後の一人を決める為、ガジェンを見やる。彼ならアルスほどではないが、腕も立つし妥当な選択だ。
しかし、そこに突如一人の若い兵士が走ってきて手を上げた。
「陛下! 俺を出してください!」
オスカーは必死な形相で訴える男を一瞥する。 まだ十代だろう、幼さの抜け切らない瞳には憎しみが漂っていた。
「何故だ」
「やつらに襲われた村の者です。父を殺されました」
突然の無礼に男を下がらせようとしたエドガルドをオスカーは押し留める。強い妄執に囚われた彼を注視した。
「名は?」
「カレルと申します」
「分かった。お前も出そう」
王の決定にカレルは喜色を浮かべる。これで仇が討てるのだ。
そう思ってカレルがエルゼを見ると、彼女は蒼白な顔をしたまま、じっとハヴィを見つめていた。

最初の決闘はカレルと、ホアキンと名乗る筋肉質の巨漢との戦いになった。
大勢が息を呑んで見つめる中、二人は剣を抜いて向かい合う。
カレルはどちらかというと細い体型をしており、ホアキンと向かい合うとまさに大人と子供のようだった。
ホアキンは対戦者を見下ろし嘲笑する。
「村の生き残りだって? 大人しく隠れていればよかったのにな」
「黙れ! この蛮族が!」
カレルは剣を構える。しかしそこに未熟さが漂うのをホアキンを始め、一同は見抜いていた。
始まる前から勝敗が分かるような空気の中、だがハヴィだけは一人眉を顰める。彼はカレルの持つ剣に見覚えがあったのだ。
それはイトの首領に古くから伝わる、一振りしかない無銘の剣によく似ていた。
だがその剣は確か前の首領の時に、戦闘の最中折れてしまったはずなのだ。
ハヴィは不審に思ったが、単に似ているだけだろうと頭を振る。広場の脇に立つエドガルドが開始の合図を出した。
カレルは大きく剣を振りかぶると、ホアキンに向かって走り出す。
そのまま打ち下ろされる渾身の一撃を、ホアキンは笑いながら受け止めた。
一合、二合と繰り出される斬撃は、一つも巨漢の男を傷つけることができない。カレルはそれでも正面から剣を打ち込み続けた。
ホアキンはしばらく楽しそうにそれを受けていたが、唇を上げて笑うと、上段から強烈な一撃をカレルに打ち下ろす。
カレルはそれをかろうじて受けたが、支えきれずに尻餅をついてしまった。見物していたイトたちがどっと笑い声をあげる。
「くそ……っ」
カレルは自分の頭にかっと血が上るのを自覚したがどうすることも出来ない。
ホアキンの剣が、立ち上がる間を与えぬまま彼に向かって打ち下ろされた。カレルはそれを間一髪で座ったまま後ずさってかわす。
続けての第三撃。
避けられないことを悟って目を閉じたカレルは、しかしいつまでたっても衝撃がこないことを不審に思い目を開けた。
細身の剣が彼の眼前に突き立てられている。その剣に方向をそらされ、ホアキンの剣は横の地面に埋まっていた。
「勝負はついている。次は私だ」
長い黒髪を結い上げた魔女は、氷のような声でそう言った。

「女を出すのか? ファルサスも人が居ないらしい」
ハヴィの揶揄にオスカーは軽く答えた。
「世話焼きな奴で困っている」
観衆の視線が集まる中、ティナーシャは無造作に剣を構えた。
体に沿う黒い服は、彼女の華奢な肢体をくっきりと目だたさせている。
イニゴと名乗った二番目の男は、好色な笑いを浮かべながらティナーシャの体を舐め回すように見つめた。湾曲した刀を抜いて彼女に向ける。
「少し細すぎるがいい女だな。剥いてやろうか」
「出来るなら好きにすればいい」
魔女は酷薄な笑みで答えた。エドガルドの合図と共に軽く地を蹴る。
力は決して強くないが、恐ろしい速度で切りかかってきた女を、イニゴは反射的に剣をかざして受けた。
油断すれば即首が飛ばされそうな剣の動きに、所詮女と侮っていた態度を改める。
彼は冷や汗を浮かべながら何とか三合を受けきると、全身の力を込めて大きく剣を横に薙いだ。魔女はそれを避けて大きく後ろへ跳ぶ。
充分な間合いが保たれたことを確認したイニゴは剣を女へと向けた。構成を組み、魔力を注ぐ。
生み出された不可視の蔓。その先端が女の細い体に向かって走った。蔓はそのまま剣を構える彼女の四肢に絡みつき、束縛する。
両腕を吊り上げられたティナーシャは、手首を締められ剣を取り落とした。ファルサスの観衆にざわめきが広がる。
イニゴの力を知っているイトたちは、予想できた展開に下卑た笑いを浮かべた。
剣を持つ魔法士は少ない。
ましてやイトのように粗野な格好をしていれば、その可能性を疑うものさえ居ないのだ。実に愚かだと、イニゴは思う。
彼は過去数十人を同じ様に嬲り、殺してきた。身動きが取れないと知った時の彼らの恐怖の表情はたまらないものがある。
イニゴは捕らえた女に歩み寄ると、その胸元に切っ先を当てた。女は怯えるわけでもなく、平然と彼を見返している。
「魔法を使ってはいけないと、言わなかっただろ?」
勝利を確信した笑いを口元に湛えながら、彼が女の服に刃を滑らそうとした、その時―――― イニゴは自分の剣が砕け散るのを見て、口をぽかんと開いた。 剣の破片が煌きながら地面に落ちていくのを見つめる。
何かの気配が間近に近づいたことを感じて顔をあげると、残酷な微笑を浮かべた女が浮かび上がって彼を覗き込んでいた。
イニゴはそれを信じられない思いで見上げる。歌うような美しい声が彼の耳を打った。
「魔法を使ってはいけないと、確かに言わなかったな」
伸ばされた女の白い手が彼の喉を掴む。
次の瞬間、広場には男の絶叫が響き渡った。

「これで今のところ引き分けか」
歓声の中、戻ってくる魔女を見ながら、オスカーはこともなげに言った。 横でハヴィが唖然としている。
「イニゴに何をしたんだ……あの女は何者だ」
「魔法士が魔法でやられて何をしたもないと思うがな」
帰って来たティナーシャは髪をほどきながらオスカーの隣りに立つと
「体内の魔力をぐちゃぐちゃにしてきました。正気が残ってても、もう構成は組めませんね」
と、どうでもいいことのように言い捨てた。オスカーはその肩を軽く叩く。
「さて、では俺か。ティナーシャ」
呼ばれた意味を分かっている魔女は軽く浮かび上がると、男の耳の後ろに指で自分の血を塗った。軽く詠唱も加える。
これで剣は通すが魔法は通さない。ハヴィには魔力がないので充分だろう。
施し終わった術を確認する彼女の白い耳朶を見て、オスカーは不意にそこに舌を這わせた。
「ひゃああ」
背筋を走り抜ける震えに、魔女は赤面して飛びのく。 猫であったら毛が逆立っていただろう。
耳を押さえながら逃れた彼女に、オスカーは意地の悪い笑みを見せた。
「言いつけを守らないからだ。馬鹿猫め」
「うううう」
恨めしそうな守護者をその場に残して、オスカーは広場に歩み出る。ハヴィもその後に続いた。
中央までくると、オスカーはエルゼを振り返る。力のある目で彼女を見据えた。
「さて、お前はどうして欲しい? 仇を殺して欲しいか?」
急に問われた彼女は、目を見開いて王を見る。
何も考えられない。
自分の中に答えがない。
彼の隣りでは深い緑の瞳が、彼女を何処までも追うように見つめていた。

答えないエルゼから視線をはずすと、オスカーはハヴィに向き直った。
横目で観衆を見やると、彼の魔女は心配もしていないのか、既に猫に戻って石段の上で箱を作っている。
その姿に小さく笑いをこぼしながらオスカーはアカーシアを抜いた。
「さっさとかかってこい。まだ仕事が残ってる」
「若造が……覚悟しろ」
ハヴィは長く厚みのある剣を抜いた。
切れ味より重さを重視した作りだ。 これを上段から全力で打ち込まれては、受けた手ごと砕かれてしまうだろう。
相対するものを怯ませるその剣を、しかしオスカーは気にもしていない。ハヴィは舌なめずりをしながら、己の剣を構えた。
駆け引きのない踏み込みで、目の前に立つファルサス王に向かって剣を振るう。
食らっても受けても致命的な怪我をする強烈な斬撃を、オスカーは後ろに跳んで避けた。
重い割りに素早い切り返しで、ハヴィは剣を薙ぎながら間合いを詰めてくる。
オスカーは二撃目を同様に避けると、ハヴィが突進しながら振り下ろした一撃を、アカーシアで軽く弾いて逸らした。
そのまま空いている左手で、剣を持ったハヴィの右腕を掴む。
アカーシアを刹那で引くと、王は恐るべき膂力を以って、その腕をあっさり切断した。
腕が地に落ちる鈍い音。続いて獣の咆哮に似た悲鳴が広場を揺るがす。
ハヴィは激痛に膝をつきながら、それでも地面に落ちた手が握る剣を取ろうと左手を伸ばした。
だが、その喉元にアカーシアがつきつけられる。オスカーの冷徹な声が響いた。
「勝負ありだな。約束は飲んでもらうぞ」
ファルサスの兵士たちは王の勝利にわっと歓声をあげる。イトが驚愕に息を呑んだ。
ハヴィは唇を噛んで自分の右手と剣を睨みつける。

勝負の結末に、エルゼは軽くよろめいた。ガジェンがその体を支える。
熱狂の中にあって、彼女の体は不思議と冷え切っていた。
世界から色が無くなる。
ただ、腕を失って地面に這い蹲る男と、その血の色だけが鮮やかだ。
何も聞こえない。
何も言えない。
男の緑の目が自分を捕らえる。
その口が、自分の名の形に僅かに動いた。
視界が歪む。
気が付いた時、彼女は血だまりに膝をついて、男の顔に手を伸ばしていた。

オスカーは一旦将軍たちのところまで戻り、 肩に猫を乗せると、振り返って広場の中央にいる男女を眺めた。
腕を失くした男と、呆然としたままそれを必死で止血しようとする女。
ファルサスの兵士もイトも、ただその異様な光景を見つめている。
オスカーは面白くもなさそうに鼻を鳴らすと、肩の上の猫に話しかけた。
「ティナーシャ、腕を繋げられるか?」
細い女の声がそれに答える。
「お断りです」
「まぁそうだな。じゃあ止血してやれ」
魔女は舌打ちしたくなった。
もともと契約者も腕を繋いでやるつもりなどないのだ。
しかし受け入れられない要求を先にしたことで、続く要求の止血程度なら魔女も飲むと思ったのだろう。
文句を言おうかと思ったが、彼女は黙ってその場から構成を組んだ。 魔力を注いで男の止血を施し痛みを減らす。
オスカーはアカーシアを鞘に戻すと二人の傍に歩み寄った。
門付近にいるイトたちが殺気立って剣を抜く。ファルサスの兵士たちもそれを見て臨戦体勢をとった。
場が一触即発の空気に包まれる中、魔女が冷ややかな声をあげる。
「身の程知らずめ……全員殺すことを提案します。何なら私がやりますよ」
黒猫の不穏な発言にハヴィが蒼い顔を上げた。オスカーは苦笑して猫の背を撫でる。
一緒にいて分かってきたことだが、彼女は自分に対する敵意には無頓着だが、契約者へのそれには容赦がない。
特に敗北が明らかになっても刃向かってくる人間に対しては、彼より余程冷酷だ。
自分の力に自信がある二人の男女は、 男はその余裕のために敵をしばしば見逃すが、女は将来の報復を摘み取るため徹底的に叩く。
怒気を帯びた魔女の手綱を取るのも、なかなか大変なのだ。
「ほっとけ。何でも背負うな」
オスカーは毛を逆立てる猫を再び首の後ろで吊り上げながら、ハヴィに顎でイトを止めるよう示した。
イトの首領はエルゼの手を借りて立ち上がると、仲間たちに向かって残った手を広げる。
「やめろ。こちらから申し出た勝負で敗北したんだ」
「腑抜けたか、ハヴィ! このまま引き下がれるか」
イトの中でそれに賛同する声があがる。 ハヴィは声を張り上げた。
「俺の我儘につき合わせて悪かった。でもここで皆を無駄死にはさせられない。
 お前達が死ねば一族の他の者も生きていけないじゃないか」
首領の言葉にイトたちは沈黙する。
辺りを見回せばファルサスの兵士たちはみな剣や弓を手に彼らを注視していた。その中には明らかに殺意を漲らせている者も多い。
イトたちはしばらく逡巡していたが、やがて一人また一人と剣を鞘に戻す。
ハヴィはそれを見て安堵すると、仲間のところに歩いて戻った。振り返って、王の傍に血塗れで立ち尽くしているエルゼを見つめる。
何を言えばいいのか分からない。
あの時彼女の前で左腕を失った男は、今度は右手を失って、また彼女の手を取ることができなかった。
エルゼは糸の切れた人形のように、意思のない目で男を見つめている。
「行きたいなら好きにすればいい」
頭上からの王の言葉に、エルゼはゆっくりと顔をあげた。その貌はまるで空虚である。
「……あの男は夫を殺しました」
「別に俺はどっちでも構わんがな。夢に見るほどあの男が気になるなら行けばいい。自分のことは自分で決めろ」
エルゼは再びハヴィを見た。二人の視線が絡み合う。
感情は千々の泡となり、何をしたいのか、何を望んでいるのか、自分が何を思っているのかさえ分からなかった。
エルゼはしばらく男を見つめていたが、やがて頭を振ると、男に背を向け砦の中に消えた。
それを見送ったハヴィもまた、イトを引きつれ砦を後にしたのである。

「何だかすっきりしませんね」
元の姿に戻って風呂に入った魔女は、寝台の上で髪を乾かしながらそう洩らした。横では彼女の契約者がうつ伏せになって書類を読んでいる。
「気にするだけ無駄だ」
「そうなんですけどね」
「これでイトの略奪がなくなれば問題ない。まだ続くようだったら出方を考えるさ」
魔女は嘆息すると考えることをやめた。
男と自分はやり方が違う。それは当然のことだし、揃える必要もないだろう。
そしてここは彼の国なのだ。自分は彼を守護することだけ考えていればいい。
伸びをして横になったティナーシャを、オスカーは呆れた目で一瞥した。
「お前、学習能力がないぞ」
「エルゼならもういませんよ。さっき砦を出て行くのを見ました」
オスカーは小さく笑った。それは予想の範囲内である。
彼女が、そして男がこれから先どうなるのかは分からない。別に知りたいとも思わなかった。それは彼の知らない物語だ。
隣にいる魔女もそうらしく、とろとろと眠りかけている。オスカーは魔女の漆黒の髪を軽く引いた。
「そのままで寝るのか」
「貴方の理性が頑丈なのは知ってます」
「そのうち痛い目にあうぞ」
「ずっと猫でいるのって疲れるんですよ。吊り下げる人がいますし……一時間だけ寝かせてください」
「……ちゃんと寝とけ」
魔女はその言葉に安心したのか、すっと目を閉じてしまった。小さな寝息が聞こえ始める。
オスカーは彼女の無防備な寝顔に苦笑を禁じえない。
初めて会ったときよりは大分懐かれてきたが、方向性が間違っている気もする。ただ今はそれでも別にいい気がした。
夫を殺した男に惹かれる気持ちは、彼には分からない。
きっと魔女にも分からないのだろう。だから彼女はこうして眠っていられる。
オスカーは彼女の髪を撫でると掛布をかけてやった。

ファルサスにおけるイトの略奪はこの日を境に二度と行われることはなかった。
その後、イトの隻腕の首領を見た者はなく、また砦から姿を消した女の行方を知る者もやはりいなかったのである。