mudan tensai genkin desu -yuki
ティナーシャは全身を支配する感情に恍惚と目を細めた。
視線の先には愚かなる敵が在る。
殺したい。
殺せる。
その為の力だ。
体の中に力が凝っていく。
世界が彼女の殺意に同調する。
この砂漠ごと、消し去れるほどの力が集まってくる。
単純な構成にその魔力を注ぎ現出させようとしたティナーシャはしかし、
視界の隅に恋人の小さな姿を見出して、手を止めた。
潮が満ちるように冷静さが戻ってくる。構成を消し、力を戻した。
こんなことをしてはいけない。皆が死んでしまう。
憎しみで人を滅ぼすことがないように、長い間人に関わらないでいたのではないか。
今、こんな力を揮うということは、彼を選んだ自分の選択を過ちにしてしまうということだ。
―――― そんなことは出来なかった。
構成を消したティナーシャを、レオノーラは不審そうに見つめる。
「どうした?」
その問いに、ティナーシャはそっけなく答えた。
「お前を憎むのはやめた」
「何故? あんなに力があるのに。あんなにも……」
美しいのに、という言葉をレオノーラは飲み込んだ。
それを口に出すことは彼女の矜持が許さなかった。
彼女は敵である黒髪の魔女を見つめる。
闇色の深淵には、もう憎しみはなく、そして楽しみもなかった。
代わりに夜の湖のように静かな光が湛えられている。
ティナーシャは瞳を瞼で覆うと深呼吸した。
ゆっくりと目を開けると微笑む。
「もっと余裕で勝とう。おいで。遊んであげる」
レオノーラは軽く目を見開いた。
彼女の緑色の双眸に憎悪が燃え上がるのを、ティナーシャは苦笑を以って見つめたのだった。
戦いが始まってから最大の魔力が上空で爆発するのをオスカーは感じ取った。
魔力の余波に守護結界が震える。
ウナイが唇の片端を上げて笑った。
「青き月の魔女は飲まれたようだな。後はお前だけだ」
「そうか?」
オスカーは聞き返しながら踏み込んだ。ウナイの鎌がアカーシアを受ける。
心配などしていなかった。ティナーシャは死んでいない。
体に馴染む守護の気配がそのままなのだ。
だがそれでも、自分を顧みない魔女が怪我を負った可能性はある。
こんなところで時間をとられているのも腹立たしい。
アカーシアがウナイの鎌を切り落とした。
しかしすぐにそれは再生する。まるで蛸か烏賊を相手にしているような気分だ。
人外なのは体のつくりだけで魔法を使ってこないのは助かるが、これだったら強力な魔法士を相手にする方が遥かにましに思えてくる。
そこまで考えて、オスカーは不思議な気配に目を細めた。
よく知る気配。
その意図。
言葉にせずとも分かる。
伝わってくる。
オスカーは人の悪い笑顔を浮かべると、ウナイの鎌を弾きながら後ろに下がり、距離を取った。
怒気に狂ったレオノーラの魔法を受け流しながら、ティナーシャは簡単に火傷の痛み止めをした。
これを見られたらまた色々苦情を言われるに違いないと思うと頭が痛い。
「何が可笑しいか、小娘!」
苦笑していたのを見られたのか、レオノーラの強烈な魔力が叩きつけられる。
ティナーシャはそれを角度を変えて無人の砂浜に落とした。
地上を確認する。
遠くにオスカーの姿が見える。
隣に居るわけではないのに、彼を見出しただけで不思議と安心が満ちてくるのが分かった。
彼女は右手をかざして空気の刃を相殺する。
レオノーラを殺すには小さな攻撃は必要ない。致命的な一撃があればいい。
そしてそのもっとも効果的な一撃は――――
心は決まった。
強く呼ぶ。
ティナーシャは防御壁を張ると、レオノーラに背を向け地上に向かって急降下した。
レオノーラの怒声が聞こえる。
「怖気づいたか! 逃がすものか!」
ティナーシャは振り返らなかった。白砂が眼前に迫る。
彼女は地上に落ちる寸前で角度を変え、砂を巻き上げながら砂漠と平行に飛んだ。
後ろにレオノーラが迫ってくるのが分かる。
ティナーシャは飛びながら小さく詠唱した。
眼下の砂が舞い上がると巨大な手の形を取り、レオノーラを掴もうとする。
呼ばれぬ魔女は速度を保ったまま、鼻で笑うとそれを吹き飛ばした。
飛び散った白い砂が日の光を受けて視界を埋め尽くす。
レオノーラは強い構成を右手に現出させると砂の向こう目掛けて突き出した。
「死ね!」
狩る者の愉悦に満ちた叫び。
しかしその魔法は打ち出されることはなかった。
レオノーラは不思議な衝撃に自分の胸元を見下ろす。
そこにはアカーシアが深々と刺さっていた。
「何故?」
小さな呟きと共に、魔女の体が砂の上に落ちる。
彼女の体からアカーシアを抜きながら、オスカーは笑った。
「こういうものは冷静さを失ったやつから死ぬのさ」
彼の背後では、ティナーシャに腹をごっそりと貫かれたウナイが、砂の上に伏していた。
「上手くいくもんだな」
「レオノーラ、短気ですからね」
アカーシアを鞘に収めたオスカーに、ティナーシャは軽く答えた。
砂を巻き上げ、視界を奪いながら飛んだティナーシャは追っ手に気づかれないように巧妙にオスカーの背後に回っていたのだ。
そして直前で、砕かれることを意図した砂の手を形成し最大の目くらましをする。
暗黙の了解で入れ替わったオスカーが魔力の気配を頼りにレオノーラを刺すと同時に、
ティナーシャは飛んできた勢いのまま、最大の力でウナイの体を打ち抜いた。
頭に血が上り、戦う相手を替えさせられたことに気づかなかったレオノーラは、魔法士殺しの剣に致命的な一撃を食らって息絶えたのである。
オスカーは彼の魔女の体を眺めて、顔を顰めた。
「何だそれは。また怪我か」
「き、聞こえない……」
「早く治せ。見ている方が痛い」
「うう、ちょっと待ってください」
ティナーシャはそういうと、小さく詠唱をしながら一帯に予め引いてあった召喚禁止の巨大な構成を引き取る。
そしてその内容を少し書き換えた。
「還れ」
迷彩をかけられていた構成が砂の上に浮かび上がる。
それはゆっくりと白い光を放ち始めると、上空に向かって収束した。
そしてその構成の収束と共に、一帯でレオノーラに召喚されていた魔族は全て消え去ったのである。
回廊で魔族たちを相手にしていたアルスは、白い輝きと共に戦っていた魔族が消失したことに、ぎょっとして剣を引いた。
辺りを見回すが敵は一体も残っていない。
後ろでは魔法士たちが取り上げられた構成に呆然としていた。
その近くで、敵の上位魔族を切り捨てていたミラがくすくすと笑う。
背後で戦っていたセンが「やれやれ」と呟いた。
「勝った……のか?」
隣りでメレディナが首を捻った。
「……みたい」
クムが魔法士たちに指示を出す。彼らは怪我人を治癒する為に散開した。
慌しく走り回る人間たちの中で、ネフェリィはただ東の空を見つめる。
これで終わったのだろうか。
何の実感もない。
自分は何も出来なかったのだ。
遠くにドラゴンの小さな影が現れる。
その姿を見て、彼女は安堵すると同時に淋しさが込み上げてくるのが分かった。
終わったのではない。
これからなのだ。
混乱した王宮に戻り、父と兄を支えられるのは彼女しかいないのだから。
砦に戻った二人は歓声を以って迎えられた。
死人が出ていなかったことにほっと胸を撫で下ろすティナーシャに、ミラが飛びつく。
「ティナーシャ様、誉めて誉めて」
「ありがとう。ミラは強い子だな」
頭を撫でる主人の言葉にミラは嬉しそうに目を細めた。
その襟首を掴んで引き剥がしたセンと共に、一礼をして消える。
オスカーは背後からティナーシャの頭に手を置いた。
「俺は後処理するから、着替えて来い。眠かったら寝てていいぞ」
「はい」
焼け爛れた肌は治したが、服はそのままで上からオスカーの上着を羽織っている状態だ。
ティナーシャは安堵に涙ぐんでいるパミラを労うと、共に砦の中に消えた。
彼はそれを見送ると、自分を見つめているネフェリィに向き直る。
「では、ネフェリィ王女、今回の件について簡単に取り決めを詰めておくか」
やはり見抜かれていたのだ。ネフェリィは苦笑する。
頭を下げて、身分を偽っていた無礼と今回の礼を述べると彼女はオスカーと並んで歩き出した。
ふっと気が緩む。
彼女はずっと気になっていた、素朴な疑問を言葉にする。
「10年前、どうしてファルサスは私たちの縁談を断られたのですか?」
オスカーは一瞬驚いたようだったが、すぐに答えた。
「俺には強い魔力があるみたいでな……普通の女じゃ子は生めないらしい。
平和の為に嫁いできた女性を身篭らせて殺すわけにはいかないからな」
ネフェリィはその言葉に少し目を丸くしながらも微笑んだ。
それが嘘でも本当でもどちらでもいい。
答を聞けて、不思議なほどすっきりとしたのだ。
彼と自分の人生は、共に歩むことはない。
ここでわずかに触れ、そしてまたそれぞれの道に分かれていくだけだ。
ネフェリィにはそのことが分かっていた。
彼女は王女の顔に戻ると、これからのことを思って口元を引き締めた。
軽く風呂で血と汗を流して部屋に戻り、魔法士の略装に着替えていたティナーシャは、馴染みの気配に小さく笑った。すぐに男の声が部屋に響く。
「随分苦戦してたじゃねーか。腕なまったか?」
「盗み見してたな。色々と新しい構成を試していたからな。
それでもお前とやりあった時の方が遥かにきつかった」
「当たり前だ」
嘲笑う声と共に、部屋に銀髪の男が現れた。
パミラが警戒するのをティナーシャは手で押し留める。
そこには魔族の王たるトラヴィスが腕組みをしてにやにや笑いを浮かべていた。
ティナーシャは濡れた髪を乾かしながら彼を見やる。
「それより約束は守ってくれるだろうな?」
「分かってる。お前の血が受け継がれる限りはファルサスには手を出さない」
「本当は私の血に限らず、ずっと手をださないで居て欲しいんだがな……」
「そこまでは御免だな。厚かましい」
「まぁそうだな。この条件で充分だ」
乾いた髪を確かめながらティナーシャは微笑んだ。
彼女がレオノーラの討伐を引き受けたのは、報復の意味も勿論あったが、
それ以上にトラヴィスの出したこの条件が破格だったからだ。
生きた災厄である彼の干渉を防ぐ確約など、そう簡単に取り付けられるものではない。
ましてやそれが自分の死後も続くとなれば受けない手はなかった。ティナーシャ以外は知らない取引である。
トラヴィスは髪を纏める魔女に首を捻った。
「お前はこれからどうするんだ?」
「あの男と生きて死ぬさ。子供を生むには体の時間を戻さないといけないからな」
「そうか」
自分で聞いたくせに興味なさそうにトラヴィスは手を振った。
彼が立ち去ろうとしているのに気づいてティナーシャは声を掛ける。
「オーレリアによろしく。礼を言っておいてくれ」
「分かった」
何の構成もなく男の姿が掻き消える。
彼女は男のいた場所に背を向けると、パミラに向かって笑った。
「これで一段落ですね」
あまりのことに驚愕していたパミラは、
主人の悪戯っぽい笑顔を見て「まったくこの人は……」と心中で嘆息した。
ティナーシャは窓の外に視線を送る。
魔女が一人減った。
そのこと自体には何の感慨もない。
魔女とは、強すぎる力を得た女たちを、人々から浮き立たせるためにつけられた記号に過ぎない。
そこには何の権威も意味もない。ただ空虚なだけだ。
レオノーラが何を望んで生き、何を捨てたのか、ティナーシャは知るつもりはなかった。
だからその記憶だけ留めて置く。
ティナーシャが知るほんの瑣末な断片だけを。
それを感傷と呼ぶのだと、彼女は知っていた。
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