背中合わせの記憶 094

mudan tensai genkin desu -yuki

悲鳴も上げられぬまま凶器を凝視するティナーシャはしかし、それが肌に触れる直前で別の剣によって弾かれ、回転しながら空中を飛んでくのを見た時も何も言えなかった。
それを為した男はアカーシアを引きながら勢いをつけると、ラナクを力いっぱい蹴る。
祭壇横に吹き飛ばされる彼を見もせず、オスカーは少女を抱き起した。
「間に合ったな。だからこいつと遊ぶなと言ったろう」
「オ、オスカー……何で」
「立って、戦え。出来るな?」
男の強い言葉に押されてティナーシャは戸惑いながらも頷いた。祭壇を下りて彼の隣りに立つ。
周りでは突然現れた闖入者に魔法士たちが怒りの形相を浮かべていた。各々が詠唱を開始する。
「男を殺せ!」
蹴られた腹を押さえたままラナクが叫んだ言葉に、ティナーシャは蒼ざめた。
幼い頃からよく知っているはずの男は、いまや見たこともない憎悪の形相で彼女を睨んでいる。
呪いをかけられたかのように硬直したティナーシャの肩をオスカーが叩いた。
「大丈夫だ。何とかしてやる」
その時二人に向かって魔法士たちが放った劫火の渦が迫った。
ティナーシャは結界を張ろうとするが、動転していた為上手く構成が組めない。
オスカーは少女を自分の後ろに押しやると、火炎に向かってアカーシアを一閃した。
構成を切り裂かれ火炎がかき消える。
魔法士たちに動揺の波が走った。
「結界を張れ。自分を守れ」
オスカーは後ろの少女に短く命じると、一番近くにいた魔法士に向かって駆け出す。
慌てて魔法士は防壁を張ったが、オスカーは無造作に踏み込みながら防壁ごとその体を斜めに切り裂いた。
短い絶叫と血飛沫を上げて魔法士が床に倒れる。
続いて隣の魔法士を見たオスカーは、自分に向かって不可視の刃が飛んでくることに気づいた。
アカーシアで相殺しようと腕を上げるが、それは空中で消滅する。
祭壇を見ると少女が構成を組んでいた。
オスカーはその姿に唇を上げて笑いながら、二人目の魔法士の懐に一足で入ると、驚愕に引きつる首を薙いだ。
ゆっくりと倒れる死体の向こうで、ティナーシャの放った光球が二人の魔法士を弾き飛ばし、彼らがもんどりうって階段下に落ちていくのが見える。
残る魔法士はラナクを除いてあと3人。
オスカーが彼らに向かって踏み出した時、背後で狂ったような笑い声が響いた。
ティナーシャがびくっと体を震わせる。
振り返るとそこには短剣を拾ったラナクが高らかに笑っていた。
ラナクは心底おかしそうに、一頻り笑うとすっと目を細めた。
表情が消える。
彼はその髪の色と同じ雪のような冷たさでティナーシャを見つめた。
「まったくアイティ……何処からそんな男を連れてきたんだ。君は僕の為に居るんだよ?」
「だから生贄になれというのか? これの血肉を触媒に魔力を召喚すると?」
答えたオスカーの声はラナクのものと同じくらい冷ややかだった。
ティナーシャはその内容に目を瞠って二人の男を交代に見やる。
オスカーを疑うわけではない。
それでも彼女は、ラナクに否定して欲しかった。
生まれてからずっと一緒にいてくれたのだ。
たとえどちらかが王になり、もう片方がその配偶者になるとしても、それはどちらでも変わりがないと彼女は思っていた。
実際にラナクが自分に短剣を振り下ろそうとしたのを見た今でも、ティナーシャは彼を信じていたかったのだ。
縋る様な彼女の目を見て、ラナクは微笑む。
「アイティ……憐れなアイティ。君が好きだよ。綺麗だと思ってる。
 でもその魔力は邪魔だ。見ているだけで苛々する」
憎憎しげに吐き捨てられた言葉に、ティナーシャは何も言えなかった。 足元が崩れ落ちる感覚に立っていられなくなる。
祭壇にもたれかかるようにして体重を支えた少女を救ったのは、オスカーの声だった。
「聞くなティナーシャ。こいつの言葉は毒だ。
 お前は越えていける。強く在れる。信じろ」
確信に満ちた、迷いのない言葉だった。
ティナーシャは唇を噛む。泣き出しそうになる瞼を押さえて顔を上げた。
オスカーを見る。彼は頷いた。
彼女はゆっくりと顔を動かし、真っ直ぐラナクを見返す。
憎しみに燃える彼の姿は、とても遠く、小さく見えた。
少女は小さく呟く。
―――― 憐れなのは、私たち二人ともだ…………
心の中が静まっていくのが分かる。
自分の足で立てる。
彼女はそうして背筋を伸ばした。
唯一の理解者であった少年に向き直る。
「貴方が私を嫌いでも、憎くても、もういいです。今まで有難う。
 そして…………私を殺したいというのなら、受けて立ちましょう」
最後の言葉と共に、彼女が纏う空気が変わった。
不安定な少女のものから、王者が持つそれへと鮮やかに色を変える。
蛹が羽化するように、美しくもしなやかな羽が広がった。
彼女を中心に強大な魔力が凝っていく。
ラナクは彼女の放つ威圧感に気おされて、半歩下がった。
その目に初めて焦りが生まれる。
ラナクは自分を見据える二人の敵に目をやった。息を呑み短剣の感触を確かめる。
失敗するはずがないと思った。
これで全てが変わると信じきっていたのだ。
だが今や彼は窮地に追い込まれている。
ここで退けない。
退けば彼は女王候補を私欲で殺害しようとした犯罪者として裁きを受けることになるだろう。
そしてそれ以上に、彼女に屈するのは我慢がならなかった。
力さえあれば……
歯噛みしたラナクは、二人の後ろで動転している魔法士たちを見やった。
数秒のうちに決意する。
彼らに鋭い声で命じた。
「詠唱を始めろ!」
「で、殿下……」
「早くしろ!」
戸惑いながらも三人の魔法士たちが詠唱を始める。
オスカーは眉を顰めてそれを見やった。
冴え冴えとした月光が大聖堂の中を照らしている。
ラナクは深く息を吸い、短剣を掲げると、叫んだ。
「我が希求せしは純粋なる力なり!
 この血肉を触媒として、力よ! 現出せよ!」
彼はその言葉と共に、短剣で自分の腹を裂いた。
血が鈍く飛び散る。
余りの事にティナーシャは絶句した。
詠唱の声がどこまでも響く。
とても長い数瞬を経て、ラナクの上に、巨大なる魔力が現出した。

ティナーシャは、腹を押さえて床に蹲りながらも野心に目を光らせるラナクを呆然と見つめた。
彼は召喚した魔力を取り込もうと、その手を伸ばす。
空中に凝っていた魔力は、ラナクの意志に答えて徐々にその体に入っていった。
腹の傷が異様な速度で塞がる。
次々と生まれ吸い込まれていく力にラナクは歓喜の声を上げた。
「見ろ! アエテルナ! 僕はお前を超える!」
ラナクは立ち上がった。
ゆっくりと二人を見る。
「まずはお前からだ……王の力を見せてやろう」
オスカーに向かってラナクは手をかざした。その手に膨大な魔力が集まる。
軽く舌打ちしてアカーシアを構えたオスカーはしかし、ラナクの手に一向に構成が生まれないことに首を傾げた。
それはラナク本人にとっても予想外なことらしく、彼は自分の手の平を裏返してみる。
「何だ……?」
その間にも魔力は次々と召喚され、ラナクの体内に入り込んでいく。
自分の手を注視するラナクの眼が異様に充血しているのに気づいて、ティナーシャは叫んだ。
「いけない! 召喚を中断しなさい!」
「黙れ小娘!」
彼女を怒鳴りつけながら、なおもラナクは構成を組もうと必死になった。
だがどうしても形にならない。魔力が大きすぎて上手く動かせない。
体が軋む音がした。
全身に激痛が走る。
腕に内出血が起こり、みるみる肌が赤黒くなっていくのを見てラナクは愕然とした。
これ以上は無理だ。
召喚を止めようとするが、声が出ない。
魔力はどんどんと押し寄せてくる。
とても近くで何かが切れる音がして、ラナクの意識は暗転した。

白目を向いたラナクの体に入り続ける魔力を見て、ティナーシャは短く詠唱した。
召喚を留めようとラナクに向かって魔法を放つ。
オスカーは背後に走り、詠唱していた三人の魔法士を続けざまに切り捨てた。
「駄目。止まらない……」
ティナーシャの放った魔法はラナクに到達する寸前で弾かれた。
彼を中心にすさまじい魔力が渦巻いている。
オスカーが立ち尽くすティナーシャの後ろに戻ったその時、ラナクの体は注がれる魔力に堪えきれず、ついに内側から弾け飛んだ。
腹に大きな穴を開けながら、血肉を撒き散らして床に倒れる。
息を呑むティナーシャの肩を後ろからオスカーが抱いた。
あまりにも突然で呆気ない彼の死に、悲しむことも出来ない。
しかしそれでも魔力の現出はやむことがなかった。
ラナクの飛び散った血と肉片を媒介として更なる魔力が世界に流れ出る。
宿主を失った魔力は凝り、やがて巨大な竜巻となりつつあった。
「嘘……」
「まずいな」
オスカーは凍りついた少女を小脇に抱えて階段を飛び降りながら下がる。
その間に竜巻はゆっくりと回転し、聖堂内のあらゆるものを巻き上げ、破壊し始めた。
異様な音か魔力に気づいたのか、見張りの兵士たちが駆け込んでくる。
彼らはティナーシャと、聖堂内の竜巻を見て呆気に取られた。
「アエテルナ様、これはいったい……」
「ラナクが自分を媒介に魔力を召喚して……制御に失敗したんです。
 このままだと……国が滅びるかも……」
ティナーシャの言葉に兵士たちは蒼ざめた。
その間にも竜巻は聖堂の天井を突き破り、徐々にその大きさを増している。
「へ、陛下を呼びに……」
「臥されていらっしゃるのだぞ! とてもこれは……」
何も出来ずただ一同が魔力の塊を見上げるだけの絶望の中で、オスカーは溜息を一つつくと、ティナーシャの肩を叩いた。
「お前がやれ。制御するんだ」
言われた少女は驚きに目を丸くする。
「無理です! ラナクを見たでしょ!?」
「出来る。俺は知ってる。お前はそれが出来るんだ」
ティナーシャはオスカーを見つめて息を止めた。
信じて疑わない、むしろ本当に知っているかのような目。
強い光がそこにある。
隣に居るだけで、自分も強く在れるような気がした。
少女は男の目に映る自分の姿を眺めながら問う。
「本当に……?」
「ああ。お前の国だ。大丈夫。間に合う。お前が守るんだ」
オスカーは後ろから少女の両手を取った。
その華奢な体を支える。
彼女の耳元で囁いた。
「余裕で勝とう。俺がついてる」
ティナーシャは深く息を吸い込んだ。男の温もりが心地よい。
目を閉じずとも、魔力の流れが手に取るように分かる。
暗示にも似た男の言葉が繰り返し頭の中に響いた。
出来る……
少女は意を決し、息を細く長く吐ききると
「行きます」
と宣言した。