無名の薔薇 04

mudan tensai genkin desu -yuki

「それで、わたくしは何をすればよろしいの?」
声そのものが甘い香りを纏っている。
誘うような紅い唇に男は顔を寄せた。
溶ける温もりに目を細めた女に彼は囁く。
「情報を。オルトヴィーンについての全てを教えて欲しい」
「今までのこと? それともこれから?」
「全てだ」
女は嫣然と笑うと、白い指を鍛えられた男の体に這わせる。熱い息が零れ落ちた。
「ならばこうしてまたいらっしゃって。お会い出来なければ話せることもありませぬわ」
「いいだろう、セイレネ。尻尾を掴ませるなよ」
「勿論。誰に仰ってるの」
毒を孕みながらそれを隠すように目を閉じた女の顔を男は見下ろす。
彼の目の奥にはしかし、熱されきれない、冷ややかな光が宿っていた。

オルトヴィーンは前王の子の中で二人だけいた男児のうちの一人であった。
もう一人は正妃の子であったが17の時に病で亡くなっている。
側室を母親に持ちながら13歳の時に王の後継者として看做された彼は、それと前後して憑かれたかのように支配者としての勉学に励むことになる。
その本当の理由がどこにあるのか、知っている人間は誰もいない。
ただ結果としてオルトヴィーンは申し分のない程の優秀な王になった。
彼はまずは不正を正し、慣習に捕らわれない改革を為し、民衆たちの絶大な支持を受けた。
これで国が落ち着き世継ぎが出来れば当分安泰だと皆は思ったものである。
しかし、涼やかな目の奥に時折剣呑な光をちらつかせていた男はまた、単なる治世を保つ王ではなかった。
他国を下し覇者となる意気をこの王が持っていたと人々が思い知るのは、アンネリが滅ぼされたその時のことである。

彼は机の上に並べなられた数振りの剣を前に眉を寄せていた。
いずれも実用的なそれらは試作品として王の前に提出させたものだ。
そのうち最も厚みのある刃の剣を手に取った彼は、唐突に後ろから名を呼ばれて振り向いた。
「オルトヴィーン」
抑揚はあるが情味がない声は、自然の水晶を叩いたかのように澄んでいる。
この城一番の異端者である王女は振り返った王に頭を下げた。
彼は小さな頭を見て苦笑する。
「もうそんな時間であったか。俺が約束を取り付けたのにな」
「別に、いいです。あなたは王だから。いそがしいのなら出直す」
「いや。もう終わる」
オルトヴィーンは剣を机に戻すと、彼女の傍に歩み寄った。
健康な生活を送るようになったリースヒェンは花が咲くように日毎美しさが増していく。
枝のようだった四肢がしなやかな線を描き、頬にも丸みが出来た。
初めて出会った時は一種超然とした空気を帯びていた彼女も、ここでの生活に慣れてきたのか穏やかな目をしていることも多い。
その全てを自分が与えてやったのだと思うとオルトヴィーンの心には少なくない満足感が生まれた。
半分寝ているドラゴンを椅子の上に置いたリースヒェンは、彼の背後に視線を送ると「剣?」と尋ねる。
「ああ。試作品だ。形や重さは人によって使い勝手が異なるからいつも何種類か出させる」
「ロズサークのためのもの?」
「そうだ。他国にも警戒されているからな」
彼女は頷く。硝子の器に黒い水を湛えたかのような瞳が不分明に揺れた。
目の前の男によって自国が滅ばされたことを思い出しでもしているのだろうか。
オルトヴィーンはそれを見て、落ち着かなさに舌打した。
「何だ。言いたい事があるのならば言え」
「魔法具を作ればよいのに」
「は?」
想像していなかったことを言われてオルトヴィーンは唖然とした。彼女は真面目な顔で続ける。
「剣よりも多く、いつも使うから。安くして数を売ればいいと、思う」
「ひょっとして魔法板か」
それは上流階級の生活に密着した魔法具で、金属の精製時に魔法を使い紋様を込めることで、魔法を使えぬ人間でも熱板や冷却板が使えるというものだ。
200年程前にファルサスで作られたものが始めだが、普通の魔法士でも金属の精製に立ち会えば簡単に作ることが出来るため、宮殿や貴族の間にあっという間に広まった。
ただ大抵の魔法板は銀を使って作られる為、平民にはまだまだ手が出ないものと言っていい。
リースヒェンはそれを鉄、或いは鋼で作ればいいのに、と言っているのだろう。
大胆な発想だが、今まで誰もそれを試みなかったわけではない。
銀よりも安価な鉄はしかし、他の高価な金属と比べて遥かに魔法が馴染みにくいのだ。
魔法を帯びた鋼鉄の剣などはどれも強力な魔法士が技能を凝らして作った一品で、大量に作れるものではない。
訝しげな表情になったオルトヴィーンに彼女は続ける。
「実は、実験しているのです。リマたちと。多分、できます」
王はさすがに愕然とした。
本当だとしたら画期的なことだ。これだけで平民の生活が一変するだろう。
きっと停滞していた文明が進み始めるし、ロズサークも潤う。
それは長らくオルトヴィーンが望んでいたことだ。
野心の一つが急に目前に現れたことに、彼はすぐには何も言えなかった。
ただリースヒェンの大きな瞳を食い入るように見つめる。
「オルトヴィーン?」
彼女の声に我に返った王は、しかし途端に苦い顔になるとかぶりを振った。
他の人間ならば飛びついたであろう提案をにべもなく拒絶する。
「駄目だ。魔法には頼らぬ。それではファルサスの二番煎じだ」
「狭量」
「……何だと?」
王に向かって辛辣な言葉を無表情で言ってのけた彼女は、見ようによっては少し怒っているようにも見えた。
小さな体で胸を張り、真っ直ぐオルトヴィーンを見上げている。
「あなたが、何にこだわっているのか、民には関係ない。
 戦争で勝っても、戦いの犠牲以上のものを与えねば、人は救われない」
「言ってくれたな」
オルトヴィーンは自分の頭に血が上りつつあるのを自覚した。
彼女の言うことは正論だ。それが分かっているからこそ腹立たしい。
だが、彼のことを何も知らない彼女に何が分かるというのか。
男は手を伸ばし彼女の肩を乱暴に掴む。リースヒェンは苦痛を表情に浮かべたが、声は上げなかった。
眠っていたドラゴンが頭をもたげる。オルトヴィーンは彼女の顎を指で拘束した。
「お前はその狭量な王のおかげで今、生きていられるのだが」
嬲る言葉にリースヒェンの口が肯定の形に開きかける。
しかし答が形になる前に男の唇が彼女のそれを塞いでいた。
舌が乱暴に小さな口内を侵す。
突然のことに彼女は男の腕から逃れようともがいた。だが男は半ば彼女を抱きすくめて離さない。
言論によってではなく、力で、性差で相手を捻じ伏せようとする行い。
征服欲だけが先に立つその暴力に応えたのは、やはり力だった。
ドラゴンの刺す様な声と共にオルトヴィーンは顔を離す。
熱い痛みに彼は自分の頬に触れた。
そこにはいつかの夜よりも深い、肉が見える程の裂傷が走っている。
温かな血がゆっくりと肌の上を濡らしていくのに気づくと、王は冷笑を浮かべながら傷口を指でなぞった。
「これで魔法制御の訓練をしているというのか?」
「……ごめんなさい。なおします」
「触るな」
突き放す言葉にもまったく怯まず、リースヒェンは白い指を男の頬に伸ばした。
詠唱なしに力が注がれ傷が塞がれていく間、オルトヴィーンは激情の残滓に目を閉じる。
何もかもが中途半端だ。自分も、彼女も。
もどかしい問答、逡巡。
行き着く先が彼には分からない。見えてこない。
ただそれは、もしかして二人どちらかの死ではないかと、この時オルトヴィーンはぼんやりと思ったのだ。

「こちらです、殿下」
女の声に従って、幼い少年は頷いた。
城壁に開けられた穴をくぐり、荒れ果てた庭へと侵入する。
自分が住んでいた時とはまったく異なる惨状に、少年は唇を噛んだ。
「父上と母上は…………」
「城の裏庭に葬られたそうです」
残酷とも言える事実に少年は黙って頷く。
人気のない庭を二人は裏手へと回った。
かつては色とりどりの薔薇が咲き乱れた裏庭も、今は主人を失って寂寥感が漂っている。
その隅、掘り起こされた土色が見えている場所の前に女は少年を案内した。
何の墓標もない、けれどこれがこの国の王と王妃の墓なのであろう。少年は力ない足を引きずって膝をつく。
「父上……母上……」
王子とは言え、まだ若干11歳の少年だ。だが彼の負いしものの重さを考えると女は顔を曇らせざるを得なかった。
人がいるところでは泣く事もできないだろうと思い、彼女は少し離れた場所に見張りに立つ。
ロズサークは属領となったアンネリに治安維持の為の軍や文官を送り留めたが、アンネリの城を使おうとはしなかった。
侵略によって荒廃した城に手をいれるだけの価値を見出さなかったのだろう。彼らは城から少し離れた軍の施設を本拠としている。
その為二人はここに入り込むことが出来たのだが、かつての居城の現状は明るい未来を示すものではなかった。
王子の護衛として傍付きをしていた彼女、エイリーデは小さく溜息をつく。
落城したその日、すんでのところでアーベル王子を連れて城を逃げ出したはいいが、今のところ手詰まりな状況と言っていい。
共に落ち延びた大臣や再起を誓う武官や兵も、多くはないが地下に集まってはきている。
だがいかんせんロズサークと正面から争える程ではない。
国を取り戻すとしても好機を待つ必要があった。
白い空を見上げ、思いを馳せる時間。
気づいた時、アーベルはエイリーデの背後に戻ってきていた。
自覚はなかったのだが刹那忘我していたらしき彼女は失態に慌てて跪く。
「申し訳ございません、殿下……」
「いい。それより姉上のいた離れに行ってみたい」
エイリーデは驚愕に凍りつく。
誰が彼に教えたというのだろう。
王女はいないものとされていたのだ。特に彼に対しては。
リースヒェンより6年遅れでアーベルが生まれるにあたって、王は徹底的な緘口を命じた。
それ以来、彼女の名も彼女の存在も城において口に出すことは重大な禁忌となっていたのだ。
だがいつの間にか全ては彼の知るところになっていたというのか。我知らず冷や汗が背中を伝った。
アーベルは苦笑すると屈んで彼女の顔を覗きこむ。
「大臣たちが話しているのを聞いてしまった。姉上はロズサークの王に連れて行かれたのだと」
「それは……その通りでございます。今まで黙っておりまして申し訳ございません」
「構わぬ。離れを見たい。案内してくれ」
強い命にエイリーデは頭を垂れた。
王も王妃もいない今、彼女の主君たるはこの少年しかいない。
その彼の命令とあっては拒否することは出来なかった。
二人は裏庭の更に奥、3階建ての石作りの離れへと向かう。
中もまた外と同様荒れた様相を呈していた。
アーベルはあちこちにある鎖や壊された鍵を眉を顰めて見やる。
攻め込まれた為だけではなく朽ちた廊下を抜けて、二人は王女が幽閉されていた部屋の前に立った。
そこにはもう彼の姉はいない。
分かっていながらも息を殺し、足音をさせないよう入り込んだ少年は、何もない質素な部屋を見回して呆然とした。
粗末な寝台とテーブルと椅子が一脚ずつ。後は本の一冊もペンの一本もない。
寝室から続く小さな浴室に、着替えが少し畳まれていただけだ。
アーベルは思わずほぼ息の声を吐き出す。
「何だここは……人が暮らせる場所ではないだろう……」
彼の姉がここに閉じ込められていたのは数日や数週間ではない。17年間なのだ。
その間彼女は何の娯楽もなく、ただ寝起きして最小限の食事を取り、窓から外を見つめるだけの生活を送っていたというのか。
怒りとも悲しみともつかぬものが少年の胸を焼く。
彼が両親の愛情を受け何の不自由もなく暮らしていた頃、同じ血をわけたはずの姉がこんな生を強いられていたということ自体が信じられなかった。
決して父も母も薄情な人間ではなかったはずだ。なのにこれはどういうことなのだろう。
アーベルは震える声を紡ぐ。
「姉上は……何故、こんなところに」
「―― リースヒェン様は、両陛下のどちらにも似つかぬ髪と瞳の色をなさってらっしゃいました。
 それだけではなく恐ろしい程の魔力をお持ちだった。
 城の魔法士は揃って彼の方を生まれるはずのない、魔女の生まれ変わりだと指摘したのです」
「馬鹿な! 魔女など単なる御伽噺ではないか!」
少年の苛烈さにエイリーデは恐縮したが、彼女に罪があるわけではない。
アーベルはすぐに感情を収めると首を振った。
「それで今となってはロズサークに連れ去られたとは……姉上……」
「おいたわしいことでございます」
心からそう言っているのであろう従者の言葉にアーベルは頷く。
まだ幼い顔立ちに強い決意を込めて少年は顔をあげた。
「ともかく姉上を取り戻すにしてもロズサークを何とかしなければならぬが……」
「力を貸して欲しいか?」
第3者の声が、突如がらんとした部屋に響く。
アーベルとエイリーデの二人は反射的に抜刀した。
声のした方を睨む。
つい先程までは誰もいなかった部屋の隅に、いつの間にかローブを着た魔法士が立っている。
声は若い男のものだが顔はローブで隠れていて見えない。エイリーデは王子を庇って前に立ちながら誰何の声を上げた。
「何者だ!」
「大声を出して見張りに見つかったらどうする。力を貸してやろうかと聞いているんだ」
「あやかしの者の力など借りぬ!」
「あやかしではないのだがな。利害が一致する者とだけ言っておこうか」
警戒を色濃く滲ませるエイリーデとは対照的に、アーベルは緊張はあるが冷静な声で問う。
「具体的には何をしてくれるのだ」
「そちらの希望による。国を取り戻したいか?」
「取り戻したくないと言えば嘘になる。ただそれで平穏に暮らすことを許された民が戦乱に巻き込まれるのなら話は別だ」
「ほう。まだ子供なのにたいしたものだ。賢王になれるかもしれんな」
魔法士の言葉は王族に対するものとは思えぬほどぞんざいなものだったが、アーベルはそれを受け入れた。
激昂しかけたエイリーデを留めながら少年は前にでる。
「ただ、できれば姉は解放したい。アンネリも滅んだ。これ以上国の為に身を費やすことはない」
「なるほど」
男は鷹揚に頷く。その声に温かみが混じっていたように聞こえたのは錯覚だろうか。
魔法士は真っ直ぐ指を上げるとアーベルの顔を指した。
「ならば取り成してやる。他人事ではないナドラスはお前たちの力となるはずだ」
突如出されたもう一つの隣国の名に二人は目を瞠る。
この魔法士の男がナドラスの間諜を務めていると彼らが知るのは、男の申し出を受けたその後のことだった。