無名の薔薇 09

mudan tensai genkin desu -yuki

「お前はどうやって俺を見つけたんだ?」
魔女は少年にそう問われて首を傾げた。
二人がいるのは旧トゥルダールの奥地の森、人が踏み入らぬ場所に立てられた館の一室である。
かつて王であった彼の死と共に塔を引き払い、この館に移り住んだティナーシャは、90年の孤独の時を経て再び彼を見出したのだ。
メンサンの山村で一人暮らしていた少年の前に突然現れた美しい女。
記憶が戻っていなかった彼は最初彼女のことを訝しく思ったが、その記憶もつい先日取り戻した。
外見年齢が逆転してしまった妻の髪を撫でながら問うオスカーに、ティナーシャは穏やかに微笑む。
「魔力ですよ。貴方の魔力を探ったんです」
「魔力?」
「ええ。成長するに従って体の作り変えが進んで本来の魔力が戻ってきますから。
 大陸全土にわたってずっと貴方の魔力を探していました」
「それは……凄いな」
オスカーはかつて彼女が滅びた祖国の為に一人の魔法士を探していたことを思い出す。
あれと同じかそれ以上の捜索を彼女は90年間ずっと行っていたのだろう。彼が戻ってくる、その時を待って。
言葉に出来ない感慨に少年は目を閉じた。女の髪の中に指を差し入れると軽く引く。
「俺もできないと不味いな。あとでやり方を教えてくれ」
「貴方、魔法苦手ですからね……でも私の魔力の方が大分大きいので分かりやすいと言えば分かりやすいです」
「お前は外見も目立つしな」
「人のこと言えますか。山村でかなり浮いてましたよ、貴方」
起毛を敷いた床に直接腰をつけているティナーシャは小さく欠伸をすると姿勢を変える。
椅子に座る少年の膝に小さな頭を乗せた。
「あとは記憶が戻れば自力で戻ります。いつになるか分かりませんし、二人ともなくなってたらかなり大変ですが……」
「まったく面倒なことだ。最初から記憶があった方がいいんだが」
「子供時代に私たちの記憶は重いですよ」
魔女は苦笑すると宙にさかさまに浮かび上がった。
白い両手で少年の顔を包むと微笑む。
青い瞳と黒い瞳がそれぞれお互いの姿を鮮明に映し出した。
「それに、これは私たちの精神を保つ為の、一つの仕掛けではないかと思うのです」
「仕掛け?」
「ええ。記憶を持たず出会い直しても、変わらず相手の心を得られるかどうか。
 愛情に慢心してしまえば心が倦んでしまうでしょう?
 そうならぬように喪失と出会いを繰り返すのではないかと」
「またか」
逸脱者である二人の中には既に、かつて記憶を失い出会い直した経験がいくつもある。
彼らは出会いと別れを何度も繰り返し、永い時を渡りながら最後に二人だけの異質になったのだ。
他に誰も共有することの出来ない運命の外周に放り出された今でも、彼らは試されなければならない。
それは絶望でもあり希望でもあるのだろう。オスカーは小さく笑った。
「まぁそれも面白いかもな」
「です。頑張りましょう」
「先に断っておくが、見つけた時お前が誰かと結婚していたら相手を殺すからな」
「うわぁ……。それ多分、貴方の方が可能性高いですよ。私は殺しませんけど」
「国ごと滅ぼすぞ。腹が立つから」
「人間に無茶苦茶な干渉しないでくださいよ。魔女じゃないんですから」
呆れたような言葉に、オスカーは無言でティナーシャの手に触れると力を注ぐ。
「ちょっ……!」
魔力を乱された魔女は、さかさまのまま彼の膝の上に落ちてきた。
彼の体内にはアカーシアがあるのだ。意識して触れられれば魔法は使えない。
打ち所が悪かったのか頭を押さえて床にしゃがみこむティナーシャにオスカーは人の悪い笑みを見せる。
「俺が嫌いになったらいつでも言うといいぞ?」
「ならないから安心してください! 別にそんなこと言ってないじゃないですか。
 単に死産した子供の体を借りて生まれたなら、その子が本来負うはずだった責任くらいは果たしていこう、って思ってるだけです!」
「なるほど。覚えておく」
オスカーは嘯きながら立ち上がると妻の体を抱き上げる。大切な、二つとない宝物のように。
いつかは再会できるのだ。そうは分かっていても、やはり相手を失いたくない。失わないほうがいい。
ティナーシャはオスカーを失って90年を一人で過ごした。
二度と彼女にそんな思いをさせたくはない、そう決意した彼はしかし、自分もまたやがて喪失を味わうであろうことを覚悟していたのだ。

途中でアンネリの魔法士と合流し、転移門を使ってアンネリへと戻ったアーベルは、顔を隠すと数日かけて広くはない国土を回った。
そして彼は再確認する。全てを見たわけではないが、民はおおむね平穏に暮らしていることを。
弾圧や酷使が行われているわけでもなく、税も妥当なものだ。ただ収める相手がアンネリ王家からロズサークに変わっただけ。
安堵と残念さの微妙に入り混じった感情を抱いて隠れ家に戻ってきたアーベルは、しかしそこでようやく今広まりつつあるという 噂を聞くこととなる。
「姉上のことが広まっている?」
「ええ。城の奥で密かに育てられていた姫がロズサークに連れ去られたのだと」
エイリーデの言葉にアーベルは眉を寄せた。
幽閉という事実が微妙に誤魔化されているが、そもそもリースヒェンの存在自体かなりの機密であったのだ。
城に仕えていた人間たちでも限られた人間しか知らない事実。それが流布しているとはどういうことなのだろう。
始めに隠れ家に出入りしている文武官たちには確認したが、当然ながら誰も秘密を洩らしたという人間はいない。
情報を集め、どうやらリースヒェンとアーベルについて話して回りながら農民たちの反抗心を煽っている人物がいるらしいと突き止めた時、少年は困惑を禁じえなかった。
「一体誰が、何の目的で行っているのだろう」
「殿下の行方を存じ上げない者が、殿下の再起を期待して広めているやもしれません」
文官の意見にアーベルは頷く。
だがそれは楽観的な意見ではないかとは誰もが感じていた。
アンネリを本当に思う人間がわざわざ民を煽り、ロズサークに警戒を抱かせるようなことをするだろうか。
アーベルの脳裏に城の離れで出会った妖しい魔法士の姿が思い浮かぶ。
「他国の人間かもしれないな……次にその人物が現れたら教えてくれ。どんな人間だか見てみたい」
「殿下自らがお行きになるのですか!?」
「僕は確かに姉上を取り戻したい。だがその為に民に叛乱を起こさせたくはないのだ。
 ロズサークへの無用な悪感情は収めたい。けれどそれには誰が噂を流しているのか見極める必要があるだろう」
少年の言葉に理を感じて臣下たちは黙する。
アンネリ城近くに、流言を流す件の人物が現れたのは、その二日後のことであった。

あの日談話室に現れて以来、ディータはエルシーにとって要注意人物として認識されていた。
彼はいつの間にかふらりと現れるとリースヒェンによからぬことを吹き込んでいく。
王女自身は気にしておらず、むしろ男の話を聞きたがっているようなのだが、エルシーからすると彼が話すことはことごとくリースヒェンにオルトヴィーンへの不 審を抱かせるようなものばかりなので、出来るだけ王女にディータを近づけないよう目を光らせなければならなかった。
今も談話室のテーブルでお茶を飲みながら周囲を窺っているエルシーにリースヒェンは肩をすくめる。
「そんな気にしなくていいのに」
「お気になさらないでください。わたくしが個人的にあの男に注意しているだけですから」
「でもディータの言うことは事実みたい」
リースヒェンの感想にエルシーは浮かない顔になった。
確かにあの男は嘘は言わない。
オルトヴィーンが公明正大ではないということも確かだ。
だが事実を話すとしてもそこに微量な主観が入れば、聞き手は錯覚させられてしまう。
オルトヴィーンが政治的な価値があるとしてリースヒェンを城においていることは事実だが、彼がそれ以上のものを彼女に見ているであろうこともまた真実なのだ。
にもかかわらず前者だけを巧みに主張するようなディータの話術にエルシーは眉を顰め、いつも訂正や否定をさしはさむことになる。
ディータの方もそれが煩わしいらしく、エルシーがやむなくリースヒェンの傍を離れる時を狙っているようだった。
「ともかく、あの男の話にはあまり耳を傾けられませんよう。よくないですわ」
「分かった。話半分にしておく」
心配げな表情で頷いたエルシーは後ろ髪を引かれながらも、引継ぎの為彼女の前から退出する。
その後2-3分で問題の男がやってくるのだから、本当にどこかで見張っていたのかと疑ってしまうくらいだ。
当然のように椅子を引いてリースヒェンの隣に座った男は、菓子を摘みながら笑ってみせる。
「姫、ご機嫌はいかがか」
「あなたとあまり話すとエルシーが嫌がる」
「悪い虫だと思われているようで残念だ」
常に余裕をうかがわせる男に彼女は首を傾げて反芻した。
「悪い虫なの?」
「どうだろう。姫次第だな」
誘いともとれる言葉だが、リースヒェンは表情を変えず何の返答もしなかった。代わりに自分の口にも菓子を押し込む。
ディータといる時にリースヒェンが自分から多くを喋るということはほとんどない。
いつも彼が一方的に話し、それに二、三質問を返すくらいだった。
だがこの日は違った。
ディータはお茶を飲んで喉を湿らすと、「アンネリで王子が消息を絶ったらしい」と口にしたのだ。
その意味を理解したリースヒェンは顔色を変え、思わず立ち上がっていた。
男の両肩を掴み、上から顔を覗き込む。
「本当? だって今までも行方不明だったのでしょう?」
「どうやら本当のようだ。少し前から王子の目撃証言があちこちで相次いでいた。アンネリの様子を窺っていたのかもしれない。
 だが先日、あなたについての情報を民衆に流していた魔法士と共に王子がいたらしいという証言を最後に行方をくらました」
「なら、ロズサークから隠れたんでしょう」
「と、普通なら思うが、ここからがおかしい。昨日、アンネリに駐在している文官のところに王子の護衛だという女が飛び込んできた。
 当然拘束されたが、彼女は『殿下を返せ』と主張しているらしい」
「なん……で?」
それが事実なら、アーベルは味方からも行方をくらましているということになる。
一体どこに行ってしまったというのか。
リースヒェンの両手から力が抜ける。無表情ながらも愕然としているらしき女をディータは苦笑して見上げた。
「さぁ? ロズサークの誰かが捕まえたのかもしれないし、彼自身が進んでいなくなったのかもしれない。
 姉君を取り戻したがっていたらしいから、今頃どこか近くに潜んでいるのかもな」
「私を?」
「たった二人の姉弟だ。当然のことだろう」
彼女はディータの言葉に何も返せなかった。
一度も顔を合わせたことのない姉弟なのだ。しかも自分は忌避され、幽閉されていた。
にもかかわらず彼は自分を取り戻そうとしてくれていたというのだろうか。
声にならない息が喉につかえた。
目の奥が熱くなる。
彼女は泣き出しそうな顔を片手で隠すと、ドレスの裾を引いて踵を返した。小さな後姿に男の声がかかる。
「どこへ行く? 姫」
「オルトヴィーンのところに。弟のことを聞いてくる……」
「陛下は姫の味方ではないが」
「言えば、分かってくれる。オルトヴィーンは本当は優しい」
ディータはリースヒェンの純真が可笑しいのか、鼻を鳴らして笑った。
涼やかな声に陰惨さが混じる。
「陛下は姫を道具としか思っていないぞ。その証拠を教えてやろうか。
 姫が苦労して作っている魔法板の構成を、陛下が何に使うつもりなのかを」
思わず足を止め振り返ったリースヒェンにディータは微笑む。
既に窓の外は日が落ち、澄んだ青色が広がりつつある。
昨日と何ら変わりのない夕暮れの風景。
しかしこの夜が、長い夜になるであろうことを知っている者は、まだ城内にはほとんどいなかったのだ。