無名の薔薇 11

mudan tensai genkin desu -yuki

意味の分からぬ叫び声と共に向かってきた刺客を、逆に一刀のもとに切り伏せたオルトヴィーンは、リマが駆け寄ってきたことに気づいて軽く手を上げた。
顔に軽い傷を負った魔法士長は王に素早く結界を張ると、現状報告をする。
「刺客の数はおおよそ80人程かと、応戦にあたっていますが城内中に散ってしまっておりどこに潜んでいるのか分かりません」
「目的は俺か」
リマは難しい顔をして首肯する。
世継ぎがいない為、常に暗殺の危険性がある彼だったが、これ程までに堂々と刺客を放たれたことはない。
忌々しいことだが誰がやりそうなことかも想像はついていた。
「ベレンキか……手段を選ばなくなったな」
それが何ゆえか、オルトヴィーンは既に分かっていた。
あの日言ってしまったこと、リースヒェンの可能性。
それは孫を王の座につけたいと思うベレンキ侯にとって、今しかないと思わせる程の魅力があったのだろう。
リースヒェンが正室にでも迎えられては遅い。
今のうちに彼女を確保できれば政治的にも軍事的にも利用価値があるのだ。
オルトヴィーンは周囲を警戒しながらリマに問う。
「リースヒェンの居場所は分かっているか?」
「それが、手分けして探してはいるのですが未だ連絡はなく……」
「面倒だな」
そこまで言ってオルトヴィーンはおかしなことに気づいた。
ベレンキ侯にはああ言ったものの、彼は魔法板の構成の武器への応用について、実際には何も手をつけていない。
可能か不可能かも分かっておらず、魔法士たちに命も下していないのだ。
つい言ってしまった思いつきのようなものだ。つまりそのことを知っている者はあの時あの場にいた人間しかいない。
その内の誰かがリースヒェンに洩らしたというのだろうか。ベレンキ侯を除いて信用できる重臣ばかりだった彼らの内の誰かが。
オルトヴィーンは知らずうちに唇を噛む。おぼろげな思考が形を取り始めた。
「……ベレンキから聞いた誰かがあれに吹き込んだか……?」
これだけの襲撃、ベレンキ侯単独で潜入させられるはずがない。
おそらく城内部から手引きをした人間がいたはずだ。
その人間がリースヒェンに構成についての話を伝えた人間と同一人物なのだとしたら。
オルトヴィーンは緊張に背筋が冷える。
もし、そうなのだとしたら、リースヒェンはおそらくその相手を味方と思っている。
王を害し、彼女を手に入れようと企む侯の手先を。
彼はリマや周囲に集まってきた護衛兵を見回すと口を開いた。
「不味い。リースヒェンを探せ。至急だ!」
命に打たれた彼らは最低限の護衛を残し、再び城の中に散っていく。
誰が敵で誰がそうでないかも分からぬ夜の中、混迷はゆっくりとその厚みを増しつつあった。

ディータはリースヒェンを連れると巧みに刺客たちをすり抜け、城内を進んでいく。
戦闘を避け、二人が下りていくのは城の地下、魔法実験などに使われる石畳の広間へと通じる階段であった。
燭台を手に先に石段を下りながらディータは苦笑する。
「まったく姫は無用心だ。この城であなたの味方など誰もいないのに」
「誰も? それは違うわ」
「違わない。オルトヴィーンは何と言っていた? どうせあなたを怒っただけだろう」
つい二時間前まで陛下と呼んでいた相手をディータが呼び捨てにしたことにリースヒェンは驚いた。
不審を感じながら男の表情を窺おうとする。
しかし彼の顔は燭台の火の作る影でよく分からなかった。
返事をしないリースヒェンになおもディータは続ける。
「リマもそうだ。王に忠実な魔法士。あなたの味方ではない。
 あとは、あなたに読み書きを教えていた文官、あの男はナドラスの間諜だ」
「まさか」
「本当だ。今頃オルトヴィーンのところにも報告がいっている頃だろう。
 あの男はナドラスがアンネリ征服後の混乱に乗じて送り込んできた人間だ。
 姫の味方は……そうだな、せいぜい何と言ったかあの侍女くらいのものだろう」
リースヒェンは慨歎の溜息を飲み込んだ。
ロズサークの人間を自分が味方だと思っていたかどうかはわからない。
だがディータの言葉に少なからず衝撃を受けていることは確かだった。
闇は二人を飲み込むかのようにその顎を開いている。
規則正しい足音を立てて階段を下りていく男に向かって、リースヒェンは問うた。
「あなたは何? オルトヴィーンの臣下ではないの?」
「違う。目的があってこの城に来ていただけだ」
「何の目的が?」
男は答えない。
そして二人は広間へと到着した。

「オルトヴィーン、あなたはファルサス王家の血を継いでいるのよ。そのことを誇りに思いなさい」
「ちをついでいるって?」
「その内分かるわ。だから分かるまで他の人に言っては駄目よ」
彼女はにっこり笑うと立ち上がり、本棚から一冊の古びた厚い本を取り出してきた。
紺色に染められた皮の上、銀色の装飾が施された本には裏表紙に何だか分からない魔法の紋様らしきものが描かれている。
彼女はそれを膝の上に広げると、オルトヴィーンに見せた。
「字ばっかりだよ。よめない」
「そう。でもこれには色々なことが書いてあるのよ。本当にあったことも、今はもう起きていないことも……。
 私があなたのお父様より貰ったもの。そして、私が死んだらあなたがこの本を継いでいくの」
「かあさま、しぬって?」
無垢な息子の問いかけに女は哀しそうに微笑む。
彼女は目を伏せて本の中身を捲った。
「この本はきっとあなたの力になる。でも、オルトヴィーン、気をつけて。
 絶対この本をファルサスに持ち込んでは駄目。ファルサスの人間に見せても駄目よ。約束して」
何を約束すればいいのか、彼にはよく分からない。
ただ大事なことなのだということは分かって、むしろ母を安心させたくて、彼は頷いた。
彼女は嬉しそうな笑顔を見せる。
花のような美貌の顔を寄せて彼女は幼い息子の額に口付けた。再び本を閉じると本棚に仕舞う為に立ち上がる。
その時、本の隙間から1枚の紙が滑り落ちた。オルトヴィーンは目の前に落ちてきたそれを拾い上げる。
裏返した紙にかかれていたのは ――――

未だ騒ぎの只中にある城内は、戦場に出た経験のある者なら微かに血の匂いが漂っていることに気づいたであろう。
抜き身の剣を手に広い城を歩き回るオルトヴィーンは、まだ見つからないリースヒェンに苛立ちを募らせていた。
もう城から連れ出されてしまったのだろうか。
取り返しのつかないことになっていたらと思うと血が冷める気がする。
何故怒鳴り込んできた彼女と冷静に話をしようとしなかったのか。手元に留めておかなかったのか。
今更言っても仕方ないことばかりが心に浮かんだ。
その時、走っているのと同じくらいの速度で廊下を行く彼の視界に、ふと薄紅色の何かが入る。
城の地下へと下りる階段。石壁になっている入り口の隅に千切れて引っかかっていたのは、女物のドレスの切れ端だった。
見覚えのある色。オルトヴィーンは手を伸ばして布を摘む。
「陛下? どうされましたか?」
護衛の兵が怪訝そうに彼に問うた。オルトヴィーンは暗闇に閉ざされた階段の先を睨む。
この下にある広間も既にリマたちが見たはずだ。だがリースヒェンは見つからなかった。
けれどこの時、彼は何かしらの確信を持った。
探している女はこの先にいるのではないかと。
「明かりを持て。下に下りる」
「はっ!」
護衛のうち二人は燭台を手に王の前を行き、残りの二人が後ろを固めた。
まるで泥濘のように広がる闇の中、五人は黙々と下りて行く。
三階分を地下へと下がり、広間へと続く扉に手がかけられた。
内側に魔法防御が施された石の扉は音もなく奥へと開く。
緊張に息を呑む兵を先頭に全員が中に入った時、扉は自然と閉じた。同時に広間に魔法の明かりが灯る。
表情を険しくする若き王の睨む先、広間の奥には四人の人間が彼の到着を待っていた。

「どういうことだ?」
相手に萎縮を強いる王の声に、しかしディータは小さく笑っただけだった。
彼は実験に使う石造りの椅子の背によりかかりながらオルトヴィーンを見返す。
椅子には美しい女が苦悶の表情を浮かべて座っていた。その腕には5つの腕輪が嵌められている。
封飾具かもしれない、そう思ったのはオルトヴィーンの勘だったが、それは正しいようだった。
リースヒェンは浅い呼吸を繰り返しながら王を見つめる。
一方隣に立つディータは不敵な笑みを浮かべていた。
「どうと言われる程のことはない。王が彼女を探してここに来るのを待っていただけだ。
 先に来た人間には悪いが目晦ましの魔法をかけさせてもらった」
「その女に何をした」
「何も。封飾具をつけはしたが。魔力を制御できないらしくかなり力が暴れ狂ったからな」
見ればリースヒェンのドレスはところどころ裂けている。おそらく自分の力の余波に耐え切れなかったのだろう。
オルトヴィーンは剣を意識しながら残る二人へと視線を転じた。
剣を携えた一人の少年とその隣に立つ魔法士。
少年は虚ろな瞳でオルトヴィーンに顔を向けている。
どこかで見た事があるかもしれない、そう思った彼はリースヒェンが先程弟について叫んでいたことを思い出した。
「もしかしてお前がアンネリ王子か……」
「そう。リースヒェンの大事な弟だ。傷つければ姫が悲しむ」
答えたのはアーベルではなくディータである。オルトヴィーンは将軍であった男を睨んだ。
「ベレンキの手先だな。将軍として入り込んだのも擬態か。目的は何だ」
「目的か……さぁ、何だと思う?」
「知るか。話さぬつもりなら洗いざらい吐いてもらう」
オルトヴィーンは長剣を片手に一歩を踏み出す。四人の護衛兵たちもそれに倣った。
だが、ディータはリースヒェンの黒髪を指に絡めながら余裕の態度を崩さない。
代わりに魔法士が王に向かって手をかざした。詠唱が始まる。
「魔法士めが!」
何らかの攻撃を感じ取ったオルトヴィーンは魔法士に向かって駆け出した。
詠唱が終わる前に男を切り捨てようと長剣を首を狙って打ち込む。
一撃で生命を奪えるほどの苛烈な攻撃。
だが王の剣は、間に割り込んだアーベルの剣によってかろうじて遮られた。鋼がぶつかりあう金属音が広間に響く。
純粋な力の差にアーベルは押されてよろめいた。
隙だらけな姿だ。戦場にあっては子供と言えども容赦はされない。
だがその時、第二撃を仕掛けようとしたオルトヴィーンの脳裏にリースヒェンの必死な顔が、声が、甦る。
いつも正面からぶつかってくる、子供のような女。
真っ直ぐなだけの闇色の瞳。
奪われ続けた彼女の言葉は、だが少しも曲げられていなかった。
オルトヴィーンはそんな女の弟を前に瞬間硬直する。止めをさす為の一歩が踏み出せない。
しかし、王が僅かに記憶に囚われた隙に魔法士の術は完成していた。
「破砕せよ!」
宣言と共に構成から渦を描く衝撃波が巻き起こる。魔力で作り出された力はオルトヴィーンに正面から肉薄し、護衛兵もろとも飲み込んだ。
短い悲鳴は空気を震わせる余波に掻き消える。石畳の表面が砕け、粉塵が広間を覆った。
「死んだか?」
ディータの確認の声。
粉塵が徐々に晴れる。
次第に明瞭になる視界の中、ただ一人長剣を杖のようにして踏みとどまるオルトヴィーンにディータは不快げな表情を見せた。
指に絡めていた女の髪を強く引く。
「姫……庇ったな。魔法を使えば苦しい思いをするだけだぞ」
腕輪の嵌められたリースヒェンの腕からは血が数条垂れていく。
魔法に反応して、つけた人間に苦痛を与える腕輪なのだろう。それを見て取ったオルトヴィーンは怒りに顔色を変えた。
「その女には利用価値があるはずだ。何故徒に傷つける」
「ちょっとしたお仕置きだ。大切なものが多すぎるようだから減らすのを手伝ってやっているのさ」
ディータが指を鳴らすと、体勢を整えたアーベルが剣を構えた。
再び少年はオルトヴィーンに向かって踏み込んでくる。
型通りな剣の筋。実戦経験が乏しい少年の剣を一合、二合と受けながら王は横目でリースヒェンを一瞥した。
椅子にもたれかかるようにして顔を歪めている女は、しかし強い光を目に宿したままだ。
闇色の稀有なる瞳。
どこでそれを見た事があるのか、オルトヴィーンにはもう分かっている。
母が持っていたあの本。
いつの間にか後宮の中、どこへいったのか分からなくなってしまった本のことを今、彼は思い出していた。
オルトヴィーンは少年の剣を強く弾き上げると、無防備な懐に踏み込む。
勢いのまま左手でアーベルの腹に拳を打ち込んだ。
一瞬息を詰まらせると少年の体は床に崩れ落ちる。
気絶したらしい彼を見下ろして、王は肩で息をついた。
顔を上げるとディータと魔法士を順番に睨む。
「次はどちらだ?」
「思ったよりやるな。ロズサーク王は城に潜入してきたアンネリ王子に殺害される、という台本だったんだが」
「女子供を前に立たせるとは臆病の証拠であろう」
それは見え透いた挑発だったが、ディータは笑いながらリースヒェンの髪を手放すと剣を抜いた。
オルトヴィーンに向かって歩を進める。
「お前も姫も愚かで面白い。中々楽しませてもらったぞ。
 後宮の美姫を誘惑したり、姫に不信を吹き込んだりな。
 本当は姫にお前を殺させるつもりだったのだが、愚かな癖に妙に勘がよい女でな。
 俺の放つ殺気にも気づくし、肝心なところで動かない。おかげでいささか予定が狂ったが……まぁいいだろう」
ディータの隙のない足捌きに、オルトヴィーンは柄にもなく自分が緊張していることを自覚して苦笑した。
剣の腕によって将軍に推薦された男。一度手合わせしたこともあるが、その時相手は互角以上だった。
先程の衝撃波も致命的な部分はリースヒェンが相殺してくれたようだが、それでも右肩や膝などに鈍い痛みが残っている。
ディータの他にまだ魔法士もいるのだ。
果たして一人で勝てるだろうか。
だがオルトヴィーンは自らの弱気を打ち消した。
勝たねばならない。自分がここで死ねばリースヒェンは敵の手に落ちる。
そうすれば彼女を待っているのは今以上の苦痛であろう。
オルトヴィーンは深く息を吸うとそれを止め、相対する男に向かって剣を構えた。