無名の薔薇 12

mudan tensai genkin desu -yuki

ディータは何の前触れもなく打ち込んできた。
正面から受ければ手を痺れさせる程の斬撃をオルトヴィーンは剣を使って受け流す。
視界の隅で魔法士が何やら詠唱しているのが見えた。
王は油断なくディータの剣を受けながら徐々に入り口に向かって下がり始める。
二人がこうして接近戦をしている限り、魔法士は大きな魔法を打てない。
また入り口に近づけば剣戟に誰かが気づくかもしれないと思ったのだ。
オルトヴィーンは決して無謀な人間ではない。
今の自分で二人を打ち破れるかといったら、彼は完全な自信を持ち得なかった。
だからリースヒェンから出来るだけディータを引き離しつつ、彼は戦って時間を稼ぐことを選んだ。
暗い広間に金属音が響く。
詠唱が終わった魔法士が手をかざした。その手の中から黒い蔓のようなものがオルトヴィーンに向かって伸びる。
王は舌打すると横に大きく跳んだ。標的を失った蔓を剣で薙ぐ。断ち切られた蔓は塵となって掻き消えた。
魔法士が新たなる詠唱を開始したのを確認してオルトヴィーンは溜飲を下ろす。
だが、その代償としてオルトヴィーンは続くディータの剣を完全に受けきることが出来なかった。
澄み切った音を立てて弾き飛ばされた王の長剣は床の上に転がる。
楽しそうな男の声が勝利を宣告した。
「さて。姫に何か言い残すことはあるか?」
「オルトヴィーン! 逃げて!」
「……リースヒェン」
オルトヴィーンが見ると、リースヒェンは椅子から崩れ落ち、石の床に這いつくばりながら震える右手を前に差し伸べている。
魔法を使うつもりなのだ。
ディータもまた振り返ってそれに気づくと、不機嫌な顔でオルトヴィーンの腹を強く蹴った。
衝撃に膝を折る王に見向きもせず彼は踵を返す。
「姫。お仕置きが足りないようだ。
 ベレンキは姫を捕らえろとは言ったが……俺は殺してしまっても別にいいのだぞ?」
信じられない言葉にオルトヴィーンは蒼ざめる。
リースヒェンの命だけは保障されていると思っていたのだ。
剣を片手に真っ直ぐ王女のもとへと向かう男の背を睨むと、オルトヴィーンは自分の剣を拾い上げる為によろめきながらも立ち上がった。
魔法士の詠唱が終わる。 魔力の集まる手の平に灼熱の炎の球が生まれた。
ディータは後ろを振り向かぬまま、くすりと笑う。
彼はリースヒェンの前に立つと無造作に白い右手を踏みにじった。彼女は唇を噛んで痛みの声を堪える。軽い笑い声がリースヒェンを鞭打った。
その声を聞いて怒りに震えるオルトヴィーンに、しかし反撃する間もなく炎球が打ち出される。
半ば確定された勝敗。
オルトヴィーンの脳裏に母の顔がよぎる。
ここまでなのだろうか。
父にも、母にも届かなかった人生。
民どころか一人の女さえ守れなかった。
自分の生は、ここで終わるとういのか。
目前に迫る死に彼は目を閉じなかった。
ただ傲然と顔を上げてディータを睨む。
時間の流れが遅れて感じられるひととき、王の耳に誰かの足音が聞こえた。
「陛下っ!」
オルトヴィーンと炎球の間に誰かが飛び込んでくる。
小柄な女の体。
危ない、と叫ぼうとした時、彼女から炎球よりも巨大な炎が放たれ、魔法攻撃を飲み込んだ。
同時にもう一人が彼の横をすり抜けディータへと向かう。
「何だ、お前らか」
リースヒェンの手を踏んだままの男は眉を顰めて闖入者たちを見やった。リースヒェンが彼らの名を呟く。
「エルシー……オスカー……」
「リースヒェン、こいつは殺すぞ」
鏡のように煌く刃を持つ長剣。
本来世界に二振りと存在しないはずの剣を抜いてディータに相対したのは、彼女に読み書きを教えていた文官の男だった。

咄嗟に理解しきれない事態にオルトヴィーンは唖然とする。
振り返ったエルシーは胸に紅いドラゴンを抱いていた。おそらく先程の炎はこのドラゴンが放ったのであろう。
ナークはもぞもぞともがいて女の腕から脱すると、魔法士に向かって飛び掛る。
一方新たに現れた男は、文官とはとても思えぬ殺気を放ちながらディータに向かって歩を詰めた。
ようやくリースヒェンの手から足を離した男は笑いながら新手へと向き直る。
「ナドラスの間諜か。随分遅いご登場だな。目的は姫か」
「そいつの魔力をほいほい封じないでもらおう。俺は魔法が苦手だ」
「おや、お前の正体は魔法士と聞いていたが違ったか」
「確かに魔法士のようなこともしているがな。得意なのはこっちだ。それを教えてやろう」
オスカーは言うなり強烈な一撃を繰り出す。
胴を薙ごうと軌跡を描く男の剣を、ディータは両手に持った剣で受けた。
とても重い剣だ。ディータは数歩左によろめく。
僅かに生まれた彼とリースヒェンとの間を広げるように、オスカーは剣を打ち込んできた。
その斬撃を数合受けるうちにディータの顔から余裕が消える。
今までまみえたことのない、格上の相手。
あり得るはずもない敵に彼はみるみるうちに蒼ざめた。
これまでどんな相手でも軽く下すことができた。自分が負ける相手はいないと思いながら、危険な仕事を選んで楽しんできたのだ。
戦慄に顔が強張る。
弱い相手を嬲る戦いだけを重ねてきたディータは、一対一で不利な立場に立たされる経験が皆無だった。
次第に恐怖が精神を支配していく。
震えを受けて剣までもが鈍った。
ディータの変化に気づいたオスカーは皮肉な笑みを見せる。
「お前などより余程あの王の方が強い。この程度の腕に慢心した道化が……俺の女を傷つけてくれた報いは受けてもらうぞ」
低い、本気の声。
本能がディータに逃走を囁く。
それに従うべきか否か逡巡した彼の目前に、最早受けきれない白刃が迫っていた。

圧倒的な技量を以ってディータを切り捨てたオスカーは、剣を振って血を払うと剣自体をいずこともなく消してしまった。
まだ床に這いつくばっているリースヒェンの元に戻り彼女を抱き上げる。
彼が手を触れると5つの腕輪は軽い音を立てて砕け散った。
リースヒェンは目を丸くして、男の、オルトヴィーンよりも深い青色の瞳を見上げる。
「オスカー、剣つかえたの?」
「こっちが本業。遅くなって悪かったな」
「大丈夫。ありがとう」
リースヒェンは微笑んで礼を言うとオルトヴィーンとエルシーを見やる。
既に敵の魔法士はナークによって絶命させられており、エルシーが王の手当てをしているところであった。
階段を下りてくる複数の足音が聞こえる。 王を呼ぶリマの声が響いた。
オルトヴィーンは、リースヒェンと彼女を抱き上げる男の姿を驚愕を以って見つめる。
そこにいる二人は本来いるはずのない人間、かつて母の本に挟んであった一枚の絵に描かれていた、ずっと昔のファルサスの王夫妻と同じ顔をしていることに、彼 はようやく気づいたのだ。

「お前は何だ」
「口の利き方に気をつけろ、若造」
事態が全て収拾された真夜中、オルトヴィーンは謎の男の前で混乱する頭を抱えていた。
襲撃者からの証言を元にベレンキ侯は捕らえられ、アーベルは魔法士の治療を受けることになった。
戦死者への処遇やその他仕事をやっと処理し終わった王は、リースヒェンが眠っている部屋を訪れ、そこにいた怪しい男から事の真相を聞きだそうとしていたのだ。
オスカーと名乗る男は平然と返すと読みかけの歴史書を捲る。
二人の男の間に漂う何とも言えない空気に、リースヒェンについていたエルシーが困惑の顔を見せていた。
オルトヴィーンは何故自分が譲歩しなければならないのか分からなかったが、とりあえず怒りを静めると再度口を開く。
「悪いが口の利き方は直らん。だが今回の件については感謝している」
「別にいい。当然のことだ」
「ナドラスの間諜だというのは本当か?」
「本当。この城に入り込むのに便利だったし、これの弟も安全な場所に確保しておきたかったからな」
用は済んだからもう手は切った、と言う男にエルシーは疑わしい目を向ける。
だがオスカーはそれを黙殺すると淡々と続けた。
「大体、人死にが出ないように、国家間に問題が起きないようにと俺が回りくどく立ち回ったにもかかわらず
 余計な陰謀を練ってる奴はいるわ、弟は勝手に抜け出してしまうわで散々だった。
 折角ナドラスにこいつを引き渡させて、その途中で事故死したことにして連れ去ろうと思っていたのに拒否はされるし……
 最初、俺が力を乱されて動けない状態でなければさっさと回収できたんだがな。まぁ骨を折らされた」
言っていることの半分も二人には分からなかったが、この男がどうやら色々苦労したらしいということだけは伝わってきた。
オルトヴィーンとエルシーは顔を見合わせる。
ずっと彼のことを人畜無害な文官だと思っていたエルシーはおずおずと手を上げた。
「あの、あなたは何なのです?」
「これの片割れ。人外だ」
「……魔族?」
「はずれ」
ますます分からない。
理解不能の限界点を越えそうな表情をしているエルシーに、王はしばしの退出を命じた。
眠っているリースヒェンを除き二人だけになるとオルトヴィーンは気になっていたことを尋ねる。
「お前と、リースヒェンの顔には見覚えがある。昔のファルサス王夫妻の顔だ」
「何だ、城の肖像画は随分前に処分したんだがな。どこかに残っていたか」
それは婉曲な肯定と取っていいだろう。オルトヴィーンは息を呑む。
彼の幼少時の記憶が正しければ、彼ら二人がファルサスの玉座についていたのは数百年も前の話なのだ。
人外だという男の言葉とその事実がどう繋がるのかは分からないが、ファルサスの名はオルトヴィーンの心を冷えさせるのに充分なものだった。
自然と自嘲が口の端に浮かぶ。
「とんだ魔法大国だ。まさかこんな存在を擁しているとはな」
「俺たちはもうファルサスの人間ではないが……お前が言うのもおかしいな。お前はファルサスの直系だろう」
見破られた。
オルトヴィーンの目の前がかっと熱くなる。
どろどろと渦巻く感情に彼は唇を歪めた。
「滑稽か? ファルサス王の異母兄弟でありながらロズサークの王となっているこの俺が……」
「異母兄弟? 従兄弟だろう。何を言っているんだ」
呆れたような男の声にオルトヴィーンは顔を上げる。
リースヒェンの枕元に座るオスカーは出来の悪い子供を見るような目で彼を見ていた。
従兄弟だというオスカーの言葉を飲み込めないまま、オルトヴィーンは弱弱しく説明する。
「俺の母は、先代ファルサス王の子を身ごもった。俺は不義の子だ」
「何だそれは……さてはちゃんと説明されなかったな。困った親だ」
オスカーは開いていた本を閉じるとオルトヴィーンを指差す。正確には彼の顔より少し上の何もない空間を。
「お前の母は、ファルサスの王女だった。先王の妹だな。
 ファルサス王女がロズサークに嫁げば近くにあるキスクの警戒を煽る。
 だからファルサスは王女を死んだことにして侯爵令嬢としてここに嫁がせたんだ。
 その時は既に正室がいて側室とならなければいけないのもファルサス王家にとっては問題だったしな。
 だがそれくらいお前の母はお前の父に惚れ込んでいた。お前は間違いなくファルサス直系で……ロズサーク王の息子だ」
だから従兄弟。分かったか? と続けた男にオルトヴィーンはすぐには何の返事も出来なかった。
言われたことを何度も咀嚼し、整理する。
それが真実だとしたら、自分は今までまったくの勘違いのもとに母を、ファルサスを、そして自分を憎んでいたことになる。
まるで喜劇のような悲劇だ。
男の言葉を信じたいと思いつつも、オルトヴィーンは憎しみに囚われていた10年間を思うと、それを素直に受け入れることができなかった。
かすれた声でオスカーに問う。
「それが本当だと……どうして証明できる」
「証明と言われてもな。ロズサークにはアカーシアのようなものがないから、今となっては難しい。
 ただお前の母は顔立ちがリースヒェンに似ていただろう?
 ファルサス王家には先祖返りか、たまにこいつ似の女が生まれる」
オルトヴィーンは、まるで初めて見るかのようにリースヒェンの寝顔をまじまじと見つめた。
白い肌、形のよい眉、大きな瞳に高い鼻梁の全てが、言われてみれば母に似通っている気がする。
初めは気づかなかった。母の顔を忘れたいと思っていたし、彼女自身の肖像画を見たことさえ曖昧になっていたのだ。
だが意識してみれば確かに二人は似ている。血が繋がっていると言われて違和感がない程に。
『オルトヴィーン、あなたはファルサス王家の血を継いでいるのよ。誇りに思いなさい』
呪詛にしか思えなかった母の言葉。
あれは本当は、ファルサス王子への想いを誇ったものではなく、ロズサーク王への愛情の為、捨て去ってきた自分の出自を誇るものだったというのか。
母の真意を今更ながらに知ったオルトヴィーンは、急には切り替えられない思いを抱いて目を閉じる。
思い出す記憶の中、彼女はとても美しく―――― 幸せそうに笑っていた。