愛の妙薬

mudan tensai genkin desu -yuki

幼い頃に「彼」に出会っていなければ困難どころか不可能であったろう解析。
だがそれも日頃の努力のおかげか大分進行を見ている。この調子ならあと二、三ヶ月もあれば何とか終える事が出来るだろう。
出来れば即位でトゥルダールに帰る前に完成させたい。ティナーシャは水盆を睨んでいた顔を上げて、眉間を指でほぐすと天井を見上げた。
自室のドアが軽く叩かれたのはそんな休憩の時だ。彼女が声をかけると来訪者は部屋の中に飛び込んでくる。
「ティナーシャ様っ! 陛下のことお好きですよね!」
それを聞いた瞬間ティナーシャは飲んでいたお茶を水盆に向って吹き出した。

構成を解析する為に使っていた水盆に、少量だが混ざりこんでしまったお茶を魔法で除去するには十五分ほどの時間が必要となった。
その原因であるシルヴィアは恐縮してしきりに謝ってくれたが、ティナーシャはそれよりも飛び込んできた時の問題発言の方が気になる。
気にしたくないな、とちょっと思ったりもしたが、ここで放置してまた水盆に不純物を入れてしまったりしたらたまらない。
ティナーシャは一息つくと、所在なげに、しかし煌々と目を輝かせて立っている魔法士に目をやった。
「で……誰が何ですって」
「ティナーシャ様は、陛下のことが、お好きですよ、ね?」
「その質問に答える前に何でそんな質問をされるのか聞いてもいいですか」
「う」

切っ掛けは同僚とのくだらない言い争いだ。
シルヴィアが「ティナーシャ様がお妃様になられたらなぁ」と言い、ドアンが「無理だろ」と返してくる。
そのままいつものように彼女が一方的に怒る喧嘩となり、後から来たカーヴが場を宥める為に「ご本人に聞いてみれば」と言ったのを真に受けてシルヴィアは談話 室を飛び出してきたのだ。
事情を聞いたティナーシャはこめかみに手を当てて唸っていたが、今日のシルヴィアは「はぐらかされないぞ!」との決意も固く来ている。
難しい顔をしている隣国の次期女王にそれはもう必死で同じ質問を重ねた。
「お好きですよね! ティナーシャ様!」
「それ、答えないと駄目なんですか?」
「誰にも言いませんから! 私にだけ!」
「あー……まぁ……」
何度も問うと、ティナーシャは白皙の美貌を耳まで紅色に染めて頷いた。シルヴィアは内心で「よし」と拳を握る。
ここまではいいのだ。おそらく城の大半者のはこの隣国の王女が自国の王に何かしらの愛情を抱いていることに気づいているだろう。
だが、これだけでは進行しない。シルヴィアは顔の前で手を合わせてティナーシャに懇願した。
「じゃあ、それを陛下に言ってきましょう!」
「絶対やだ」
当然と言えば当然の答。
期待を挫かれた魔法士は床に両手をついて落胆したのだった。

そもそもドアンもシルヴィアと同じく、ティナーシャがオスカーを好きだということは明らかなことだと思っている。
加えて言うならオスカーの方も彼女に惹かれているのではないかと彼は感じていた。
だが、問題なのは当の二人がそれぞれ別の国の玉座につくということである。
王同士の婚姻など大陸ではほとんど例がない。後継者の血が混ざり合うことまで考えれば厄介この上なかった。
そしてだからこそ、優れた王の器量を持つ二人は私人としての気持ちによっては動かない。
好きか好きじゃないかではなく「無理」なのだが、シルヴィアにはどうもそれは「納得できない!」ということらしかった。

「言えば! 解決しますから! 是非!」
「嫌ですって! 何の精神的拷問ですか! 絶対冷たい目で見られますよ!」
「そんなことありませんから! 言ってみましょう!」
「だから、オスカーは私のことが好きじゃないんですって!」
女性二人による一歩間違えれば馬鹿馬鹿しい口論は、幸い部屋の外までは漏れ出していなかった。
平行線を二十分程辿った挙句、シルヴィアはようやく作戦を変えることにする。
「じゃあ私が陛下に聞いてきます! ティナーシャ様のこと好きですかって」
「絶対やめて! 第一、人づてに聞いても真偽が危ういじゃないですか」
「ならやっぱり直接聞きましょう!」
「やああだああああ!!」
そして平行線はさらに二十分間続いた。

カーヴはご機嫌だった。
常々魔法薬の研究に勤しんでいる彼はこの分野では城内一の術者であり、他の追随を許さない。
勿論戦闘や最先端の構成研究などでは何人か彼より上位の魔法士はいるのだが、それはそれ、彼の得意分野ではないのだから仕方ないと割り切っている。
ただ不満があるのは競う相手が誰もいないせいか、最近自分の作る魔法薬の構成に行き詰まりが見え始めたことだ。
一度トゥルダールに短期でも留学申請を出そうかと思っていた時、けれど思いもよらぬ幸運が訪れた。
「そこで第二系列の構成をもう一度重ねるわけですか!」
「そうです。第二は第四で効果が半減されますが、第六で半周ずらしてもう一度繰り返すことにより全体をまとめつつ本来以上の効果が出せます」
「なるほど。あ、完成したら少し分けて頂けますか」
「貴方ならいいですよ。悪用しなそうですし」
重要事項を書き取りながら真剣に調合用の水盆を覗き込むカーヴに、シルヴィアとの攻防の疲労を隠せないティナーシャは頷く。
後ろではそのシルヴィアが目を輝かせて魔法薬の完成を待っているのだが、無言の圧力が怖くてティナーシャは振り向けない。
「あー、楽しみですよう!」
「……こんなことしていいんですかね……」
ティナーシャが作っているのは強力な自白剤。
一時間近い論争の結果、彼女たちは「自白剤をオスカーに飲ませて正直なところを聞いてみれば分かる」というとんでもない結論に帰着した。
軽く外交問題にまで発展しそうな計画だが、カーヴもシルヴィアもそれぞれの理由でノリノリである。
ドアンだけは不味い空気を察したのかさっさと逃げてしまった。
絶対後でえらい問題になるとティナーシャなどは思うのだが、シルヴィア曰く「結果がよければ全て許される!」ということらしい。
「そんなことないですよ。経過も大事ですよ……」と言ったティナーシャの意見は却下された。
ともかくオスカーの気持ちという明確な結果が出てしまえばシルヴィアも諦めてくれるかと、むしろ流れに流されて彼女は魔法薬の作成に着手したのである。

完成した液体をティナーシャは更に詠唱を注いで琥珀色の飴玉へと成分を抽出する。
六個出来た飴のうち一つをカーヴにあげると、五個は小瓶の中に詰めた。溜息をつきながら小瓶を目の上にかざす。
「よし! では陛下に飲ませてしまいましょう!」
「あー……逃げ出したいです……」
「勇気をお出しになってください!」
「勇気ってこういうところで使うものなんですか?」
その答は人それぞれということらしい。ティナーシャは二人の魔法士に(無理矢理)送り出され、王の執務室へと向ったのだった。

執務室のドアを開けてティナーシャが現れた時、オスカーはいつも通り声をかけようと顔を上げて、その言葉を飲み込んだ。
代わりに「何かあったのか」と心配の声をあげてしまう。それくらい彼女は強張った表情をしていたのだ。
「な、何でもありません」
「何でもないという顔じゃないぞ」
「何でもない何でもないと念じれば、いつか何でもなくなるんじゃないかな、と」
「意味が分からない」
「すみません」
会話がそこで打ち切られると、オスカーは訝しさを消せないまでもひとまず追及を諦めることにした。
多分、彼女にも色々あるのだろう。お茶を淹れる手が心なしか震えているように見えるし、顔色が真っ赤と真っ青を行ったり来たりしているのだが、彼はそれには 触れないことに決めた。動転させてお湯を手にでもかけたら危ない。とりあえずカップが自分の前に出されるまで待ってみる。
「ど、どうぞ」
「…………」
オスカーは机の上に置かれたお茶を一瞥して沈黙した。
いつもより若干薄い色。それはいい。それはいいのだが、泡が立つくらい煮立っている。
普段彼女は女官からもらったお湯を自分の魔法で適温に調整しているらしいのだが、目の前のお茶が適温を軽く越えていることは明らかだった。
「ティナーシャ」
「何でしょう!」
「…………いや、何でもない」
色々おかしいが、何をどこから確認していいのか分からない。
オスカーは煮えたぎったお茶を色々我慢して一口飲むと、カップを脇に置いた。机の向こうに立つ女を手招きする。
真っ赤な顔で萎縮する彼女が隣に来ると、小さな顔に向って手を伸ばした。
「熱でもあるのか?」
「な、ないですっ!」
額にあてようとした手をティナーシャは飛びのいて避ける。
赤面して落ち着かない彼女の様子はオスカーの目には可愛らしいと言えば可愛らしく見えるのだが、それ以上にとてつもなく不審だった。
「……何かを壊したとか」
「壊してません!」
「誰かを吹き飛ばしたか?」
「吹き飛ばしてませんって!」
大いにありうる可能性を否定されてしまうと彼はまた押し黙らざるを得なくなる。
その時、一歩遠ざかったティナーシャは震える手で小さな小瓶を差し出してきた。
「何だ?」
「これ、を、どうぞ……」
見ると中には飴が五つ入っている。オスカーは琥珀色の飴をみながら数秒間考え込んだ。
彼は普段、甘いものはほとんど食べない。食べないのだが、ティナーシャはそれを知らないのだろう。彼女がたまに作ってくる菓子には手をつけていたのだから。
「飴か? まさかお前が作ったのか?」
「そ、そうです」
「材料は?」
何かあると疑ったわけではない。ただ彼は飴がどうやって作られるのか分からなかったから聞いてみただけだ。
あと、少しだけ彼女の不審とこの飴が関係しているのではないかと思った。
それだけなのだが、後者は見事に的中したらしい。ティナーシャの顔が引き攣って凍る。
「……何かの薬か?」
「ととととととんでもない!」
「お前、そんなに分かりやすかったか?」
オスカーは瓶を取り上げると蓋を開ける。中から一粒を取り出し、光にかざした。
「何だ何だ。悪戯の薬か?」
「ち、ちが」
「まさか媚薬の類じゃないだろうな」
「違います!」
もう限界、と言った表情でぎゅっと目を閉じているティナーシャは、聞いても正解を教えてくれそうにない。
オスカーは色々可能性を考えた挙句、結局お茶と同じにその一粒を口に運ぼうとした―――― ところで飴が唐突に破裂する。
破片は瞬間で粉となって空気中に散り散りになった。
「や、やっぱり駄目! 無理! もうやだ!」
ティナーシャは小瓶をひったくるように取り戻す。そのまま男の制止を待たず忽然と消え去った。
取り残された男は呆然として何もなくなった手の上を眺める。
「……爆発球もあそこまで行くと怒れんな」
まったく意味が分からない。が、ティナーシャなのだからそういうこともあるだろう。
オスカーは目の前に飛び出して逃げていった猫のような女を思い起こすと、ようやく適温になりつつあるお茶のカップを手に取ったのだった。