双頭の蛇 04

mudan tensai genkin desu -yuki

「何でですか!」
絶対文句を言われると思っていた。彼女の反応は予想のうちだったのでラジュは軽く眉を動かすに留める。
ティナは細い両腕をテーブルについて立ち上がっていた。その手が微かに震えているのは怒りの為だろうか、彼は出来るだけ感情を出さず答える。
「何でって。もう申し込んだから」
「聞いてないです、初耳です!」
「今初めて言ったし」
白っと返すと彼女は白皙の美貌を真っ赤に染め上げた。
この村の他の人間が彼女のこんな顔を見たなら恐怖に慄くだろうが、彼だけは平気である。
何と言われても彼女を彼の「内縁の妻」と認識しているのは周囲の人間だけなのであり、実際は文句を言われる筋合いなど一つもないのだ。
「駄目ですよ! 城砦に入るなんて! 危ないし駄目駄目!」
「ひょっとして俺が受からないと思ってる?」
「貴方が受からなかったら誰も受かりませんよ、って違う!」
ぎゃんぎゃんと必死で騒ぐ女にラジュは耳を塞ぎたくなったが、それをしては余計長引くであろう。
どうあっても平行線なのは明らかなことなのだから。
生まれ育った村を出て、国の北西に位置する城砦の兵士になる為に試験を受けに行くという少年に、押しかけで一緒に住んでいる女は全力の反対を呈してきたのだ。
何故嫌がるかなど分かりきったことである。この国の防御の要たる砦内には、基本的に女子供は兵士の家族以外は入ることができない。他国の間諜の侵入を防ぐ為だ。
勿論仕事を持って砦の中に勤める女性もいることはいるのだが、厳しい審査が必要であるし、ティナのように他国の人間はまずそこで落ちるだろう。
腕だけは異常にいい魔法士である彼女は、まるで駄々をこねる子供のようにラジュに向って思いとどまるようあまり効果のない説得を試みていた。
しかし少年はそれを適当に受け流すのみである。
「どう言っても駄目。叔父さんの伝手で審査受けれることになったんだし。今から断ったら叔父さんに迷惑かかるよ」
こう言えば、彼の血縁を尊重してくれるティナは引き下がると彼は思っていた。
が、しかし、常に想像を越えた反応を返してくる女は、にっこり笑ってこう言ったのだ。
「じゃ、私が今から砦を修復不可能なくらいに破壊してきますから。それで解決ですよね?」
「……っ全っ然解決してないっ! むしろやめろ! やったら二度と口きかないからな!」
結局はその言葉で彼女は黙ることになる。
そして恨みがましい目で彼を見下ろすと、ティナはそれきり夕飯まで何も言わなかった。

本当は砦までは乗り合い馬車で行くつもりだったのだが、当日ティナが送ってくれることになった。
彼よりもずっとてきぱきと家を片付けた彼女は、村人の見送りを受けたラジュを道の途中で拾い上げると赤いドラゴンを呼び出しその上に彼を乗せる。
初めて見る生き物に唖然とする少年の隣で、ティナはふてくされた顔をしていた。
ドラゴンがゆっくりと地表を離れた時、彼は思わず歓声を上げたものの、彼女は少し淋しそうな目をしただけである。
闇色の瞳はどこを見ているのか時折空を泳ぐ。そこに時折理解しがたい悠久が潜んでいるように思えるのは彼の錯覚なのだろうか。
みるみるうちに遠くなる村を振り返ってラジュは嘆息した。その耳に女の静かとも言える声が響く。
「―――― 私が嫌だから砦に行くんですか」
「違うよ。あーまぁ迷惑なこともあるけど、違う」
「なら何故です。貴方なら兵士を選ばずとも何にでもなれるんですよ」
「別にいいじゃん。まずはたった三年だし」
通常兵士は三年ごとに配置場所を変えられたり、武官への昇進試験を受けたりする。
勿論その間に稼いだ金を持って村へ帰る人間もいるのだ。そして十五歳のラジュにとっては三年は決して長い時間ではない。
ティナは深い溜息をつく。彼女の白い指は風に流れる自分の髪を梳いていった。
「たった三年、そう言えた時も私にはあったんです。たった十年、たった五十年って。
 でも今は、一秒さえも惜しいです」
「まさか、病気にかかってるとか?」
「いえ。私はそう簡単には死にませんよ」
生まれかけた疑いを払拭されてラジュは安堵する。だがそれでも物憂げな女の目に完全には気は晴れなかった。
悠々と砦に向って直線で飛ぶドラゴンは、もう目的地を視認したらしい。短い声を上げて上の二人に呼びかけた。ティナは遥か遠くに見える城砦を睨みつける。
「ラジュ、貴方が望むなら国だって獲って差し上げますよ」
「いらないよ。外交とか跡継ぎ問題とか面倒そうだし。俺は今のままで充分」
「貴方は……」
そこまででまた口をつぐんだ彼女の繊細な横顔を少年は見つめた。
―――― たった三年だ。それだけあれば彼は大人になり、剣の腕も上がり、当面の生活に不自由しないだけの金も貯まるだろう。
彼女は老いない人間だという。ならば三年後には今よりずっと隣に並んで違和感ないはずだ。
だから、砦に入る。
それだけのことなのだ。だが彼は決してその理由を口にしない。
「私のことが、嫌いですか?」
ティナは不安そうな目を見せたくないのか、瞼を閉じたままそう問うた。そんな姿を見ると少しだけ心が揺らぐ。
「嫌いじゃない」
間違ってはいない言葉。けれど、正解でもない言葉を少年は返す。
欺瞞に思われるかと思った。いつものようになじられるかと。
だが彼女は
「なら絶対諦めません」
と言って、嬉しそうな笑顔を見せたのである。

兵士になる為の審査はまったく問題なく通過した。
むしろ立ち会っていた将軍に身のこなしについて賛辞をもらった程で、彼はそのまま砦に一兵士として住まうことになる。
たった三年と言っていたのは自分だが、彼女と離れて一週間も経つと無性にあの笑顔が恋しいと思うようになった。
出会ってからほんの数ヶ月。だが押しの強い女はすっかりラジュの中に自分の存在を刷り込んでしまったらしい。
彼が村を出てしまった今、彼女がどこで暮らしているのか、どこで眠っているのか気になって彼は思いを馳せる。
だがその疑問はまもなく解消されることとなった。

ある日のこと、ラジュは訓練を終えてから新しく出来た友人たちと談笑しつつ食堂へと向っていた。
話題は将軍のこと、食堂で働いている少女のこと、城から新しく派遣されてきた官吏が貴族の人間で鼻につくことなどいつもと大して変わりない。
笑いながら彼らが角を曲がった時、その中の一人が声を潜めて吹き抜けの上を指した。
「ほら、あそこにいるのがその官吏。腹立つだろ?」
「腹が立つって……顔だけ見ても分からない」
「女連れてるだろ。あれ妻じゃないんだぜ、愛人を連れ込んでるの」
言われて初めてラジュは豪奢な服を着た男の影に、ヴェールを被った女が佇んでいることに気づく。
女は階下の視線に気づいたのか、白紗のヴェールをずらして彼らを見下ろした。
「……………………」
何も言う事ができない。むしろ何だか分からない。頭の中を言葉未満の文字だけが飛び交っている。
闇色の目でラジュを見下ろし妖艶に微笑んで見せたのは―――― 絶対諦めないと言った「彼女」だったのである。

どういうつもりだか問い質したい。
だが、一兵士である彼に貴族階級の人間の愛妾と話す機会など回ってくるはずもない。
誰にも言えずどこにもやり場のない苛立ちを抱えながら半日を過ごした彼は、だが深夜になって「彼女」の訪問を受けた。
同室の人間たちが不自然なほど深く眠りこけた中、窓から白い女の手が手招く。
ラジュは露台に立つ女を怒鳴りつけたい気分で窓の外に出た。
黒いドレスを着た女は嬉しそうに彼に微笑みかける。その笑顔はまったく前と変わりのないものだった。
「……何やってんの」
「砦に合法的に入りたかったので」
「合法じゃないよ。貴族のごり押し。しかも愛人って……」
「あ、正確には違いますよ。愛人だって暗示をかけてるだけです。記憶操作してます」
「へ?」
「強烈だけど大雑把な暗示をかけてるだけですから、あまり閨房内のことについて聞かないでくださいね。該当する記憶がないって気づかれちゃいます」
「…………何それ」
そんなことは注意されなくても、傍若無人に振舞う貴族に夜の生活について詳しく問い質す人間などいないだろう。
ラジュはどっと襲ってくる疲労に露台にしゃがみこんだ。
「あのさ」
「はい」
「記憶操作できるならなんでもっと立場を選ばなかったの? この国の人間ってことにして厨士になったりすればよかったじゃん」
「ある程度自由に動ける位置にいたかったので。それに―――― 」
ティナは少年と同じようにしゃがみこむと、彼の青い目を覗き込む。そこには悪戯っぽい光が浮かんで見えた。
「びっくりしました? 仕返しです」
「……びっくりしたよ」
こんなことなら猫としてでも何でも自分の傍に置いてつれてくればよかった。
彼は抱きついてくる女を受け止めながらそう後悔したが、時既におそし、だったのだ。