大きな子犬と小さな箱

mudan tensai genkin desu -yuki

ティナーシャに自白剤を作らせて王の真意を聞き出すという試みが見事に失敗してから一週間。
シルヴィアは談話室にて、前回の失敗を取り戻すべく真剣に悩んでいた。
もっとも彼女が真剣に悩んでいるということは他の人間にとって決して有用に働くわけではない。結論が出てからは尚更だ。
だから、研究結果を纏めているカーヴも、魔法書を読んでいるドアンも、同席してはいるのだが聞かない振りをしていた。精神衛生的に。
「やっぱりね……時間がかかることは仕方ないと思うの!」
ここで「何が?」とか聞き返したら負けである。二人ともそのことはよく分かっている。
誰の相槌も入らぬまま、けれどシルヴィアは続けた。
「だからせめてティナーシャ様が他の方とご結婚してしまわないよう妨害するしかないわよね!」
ぐしゃり、という音はドアンが持っていた魔法書を捻じ曲げてしまった音だ。カーヴは書きかけの研究書類に激しくインクを零してしまっている。
しかし彼らは無言を保って自分たちの仕事を続行した。今、反応しては後の責任が被さってきかねない。もっとも聞いていて止めなかっただけで問題と言えば問題なのだが。
「当面、最大の敵になるのはレジス王子よね。何とかあの方を排除できれば……」
「待て待て待て待てシルヴィア!」
「それは不味いだろ……。発言からして」
ついに彼らは折れた。
隣国女王の結婚を妨害するという辺りから既に危険臭が漂っているが、更に同国の王子を排除とまで言われてはさすがに二人も黙ってはいられない。
致命的な事態に到るまでに同僚の気を逸らそうとドアンは口を開いた。
「シルヴィア。何度も言うが陛下とティナーシャ様をご結婚させようとするのは、無理だ。
 好き嫌いでもなんでもなく、他の相手がいようがいまいが関係ない。無理だ! 認めろ!」
「やる前から不可能って決め付けないでよ!」
「何をやるつもりなんだよお前は」
似たような会話を幾度となく交わしているのだが、二人の意見が歩み寄れた試しはない。どちらにも歩み寄る気がないのだから当然だ。
これ以上厄介なことを聞いてしまう前に逃げ出そうと、あっさり自分の方が諦めるとドアンは立ち上がった。
ふとその時、廊下を異国の魔法士が歩いていくのが目に入る。
「レナート! 丁度いいところに来た!」
「何だ。ティナーシャ様を知らないか? 書類を届けに来たんだが」
「俺が渡しとく。渡しとくから、こっち来てくれ」
かつてトゥルダールへ留学した際に知り合った男をドアンは必死で手招いた。相手は怪訝な顔をしながらも入ってきて、その場にいた三人を見回す。
「何なんだ? 何かあったのか」
「何もなければいいなぁとか思っているぞ」
ドアンは友人から封をされた書類を受け取ると、シルヴィアを指差した。
「あいつの相談に乗ってやってくれ。ティナーシャ様には俺からよく言っておく」
「相談って何の」
「じゃ! 健闘を祈る!」
軽く手を上げてさっさと逃げてしまったドアンを見送った後、残された三人は沈黙する。
逃げる機を逸してしまったカーヴは、こうしてまた疲労のこもった溜息をついた。

初めは話し相手が変わったことにシルヴィアは呆気にとられて沈黙したが、彼女はすぐにトゥルダールの魔法士に向き直るとにっこり笑った。
「あの、まずはレジス殿下の好みの女性を教えてください」
「……何の相談なんだ?」
「いいから! 大事なことなんです!」
同僚として彼女と何年もの付き合いがあるドアン、カーヴと違って、レナートにはシルヴィアについての知識がまったくない。
そして、まったくないからこそ何か重要な意味があるのだと思って、彼はしばし真剣に悩むと口を開いた。
「ティナーシャ様じゃないか?」
「却下!」
「却下?」
「駄目です! 絶対駄目! 他にいらっしゃいませんか?」
「何なんだ……」
「お願い!」
噛みあわない二人の会話を聞きながら、カーヴは本当のことを言い出すべきか悩み始める。
こうして出口の見えない相談はシルヴィア主導のまま更なる迷走を続けて行くのだ。

「で、こないだの飴は何だったんだ?」
背後にいる男に突然そう聞かれて、ティナーシャは持っていた茶器を取り落としそうになってしまった。
かろうじて持ち手を掴むと何事もなかったかのようにカップにお茶を注ぐ。
「何のことでしょう。忘れてしまいました」
「別にいいけどな。…………悪戯しても構わんが、怪我はしないように気をつけろ」
「すぐに治せますよ」
机に向かい仕事をしている男は何か言いたげに眉をよせる。だが結局何も言わずに彼女が差し出すカップを受け取った。
「解析は進んでいるのか?」
「何とか。お待たせして申し訳ありません」
「別に構わん。急いでいない」
「貴方、若いですからね」
実年齢はゆうに四百歳を越える女はそう言って笑う。もっとも実際に起きていた年月は彼の方が多いくらいだ。その為彼女が年下に見えることは少なくない。
人生の大半を眠りの中で過ごした彼女は曖昧な表情で目を伏せた。長い睫毛が瞳の光を覆って感情が読めなくなる。
言葉にされない沈黙の間に、近しいように思えて決して近しくはない二人の距離が透けて見える気がして、オスカーは彼女の黒い瞳から視線を逸らした。
「でも、急ぎます。即位までには間に合わせたいですから」
「そうか」
「頑張りますよ。期待しててください」
まさに頑張っている最中なのか、それだけ言って執務室から出て行く女の姿勢のよさに彼は苦笑する。
あの毅然を見たならとても「出来なくてもいい」とは言えなかった。

「だーかーらああああ! 言ってるじゃないですか! もっと別の人を選んでくださいって!」
「いや。何で俺がレジス殿下の結婚相手を選ぶんだ」
「私の為にです!」
きっぱりと開き直られてレナートはこめかみを押さえる。
何というか、勢いがありすぎて話が通じない。話の主眼点が少しも見えてこない。
数少ない手がかりから自分で推論を組み立てたほうが、彼女に聞くより早そうだと思って彼は思考を巡らせ始めた。
「つまり、君がレジス殿下と結婚したいと?」
「全然ちがうっ! 私は! ティナーシャ様にお仕えしたいんですよ! 魔法習ってドレス用意して髪を結わせて頂いたりしながらお話したいんです!」
「じゃあトゥルダールに来ればいい。紹介してやる」
「それも違うの!」
「…………」
さっきから決して入りきらない大きさの物を小さな箱に無理矢理詰めようとしているような、そんな前進しなさを感じているのだが一体どうすればいいのだろう。
切れ者としてトゥルダール宮廷内でも一目置かれている男は、かつてない程訳の分からぬ女に出会って話をどこへ進めればいいのか分からなかった。
かといって彼女に任せていてはこの小一時間がそうだったように迷走してしまうことは明らかである。
レナートは深く息を吐き出して気持ちを切り替えると改めて問い直した。
「つまり、君はティナーシャ様にお仕えしたいと」
「そうです! ティナーシャ様のお世話がしたいんですよう」
「でもトゥルダールには来たくないと」
「そうなんです! 陛下のことは尊敬してますし、私はファルサスの魔法士ですから!」
「つまり、ティナーシャ様にファルサスにいらして欲しいと、そういうことか」
「あたり!」
「…………」
これだけのことに何故小一時間も使ってしまったのか。
そもそも何故レジスの女性の好みから話が始まったのか。
言いたいことはいっぱいあったが、彼は藪蛇を恐れて言葉を飲み込んだ。そして
「そんなのご本人に言ってくれ」
とある意味もっともな返事を返してみる。
「言いましたよ! でもティナーシャ様は、ええと自白剤が、でも陛下に駄目だって」
「何だその不穏な単語の羅列は……」
もうそろそろ帰りたい。ドアンはちゃんと書類を渡してくれただろうか。
たいして重要なことは書かれていないとは言え、後で直接ティナーシャに確認した方がいいだろう。
シルヴィアはままならなさの為か大きな瞳を潤ませている。そんな目で見られると、子犬を見捨てるような罪悪感を覚えてしまって、どうにも席を立てないのだ。
「だってティナーシャ様はトゥルダールの女王陛下になっちゃうじゃないですか!」
「―――― ああ、それなら」
あの方は一年で退位される予定だ、と危うく言いそうになってレナートは舌を噛む。
目の前の女の勢いに乗せられて最重要機密を洩らしてしまうところだった。はっきり言って調子が狂わされている。
誰か助けてーと彼が彼らしくもないことを考えた時、その願いが伝わったのか一人の女が顔を見せた。
「レナート、ここにいましたか」
「ティナーシャ様」
「ドアンから書類を預かりましたよ。ありがとうございます」
助かった! と思った反面、背後のシルヴィアはしょんぼりした顔をしている。
彼女からすると一時間に及ぶ問答に何の成果も見出せなかったことに落ち込んでいるのだろう。
レナートは主君のところに向う前に彼女を振りかえって声をかけた。
「すぐに何とかなるさ。大人しく待ってればいい」
「本当?」
「多分」
こんな根拠のない気休めで彼女は引き下がるだろうか、と思ったのだが言わずにはいられなかった。
けれどシルヴィアは途端にほっとしたような嬉しそうな顔になる。
童女にも似た邪気のない笑顔に彼は気を挫かれ苦笑してしまった。彼女に軽く手を振って主君の後に続く。ティナーシャは廊下に出ると微笑みながら囁いた。
「可愛らしい人でしょう?」
「ある意味では」
「何ですかそれ」
可愛らしいとは言い切れない会話を聞いていなかった彼女は眉を顰めたが、レナートは当然ながらその内容について報告することはしない。
彼の主君が無事シルヴィアの望みどおりファルサス国王と婚約するのは、もうしばらく後のことなのである。