双頭の蛇 06

mudan tensai genkin desu -yuki

テーブルの上に何通か放り出されている封書。その中の封の開けられていない一通を見てティナは眉を顰めた。部屋の主人に確認を取る。
「これだけ開けなくていいんですか?」
「ああ、いいんですよ。どうせつまらぬことしか書いてありませんから」
「手紙ってのは面白いか面白くないかで判断するものではないと思いますが」
「焼却しといてください」
「人の話を聞け、無能」
冷たく切り返すと、モーラウはにやにや笑いで彼女を見やった。彼はここまで言わなければ聞かないのだからまったく仕方ない。
ラジュを追って砦の中へとやってきたティナの名目上の愛人である男は、彼女に虐げられ罵られることを趣味としているのだ。
彼はいつも彼女を怒らせるようなことをしては実際怒られて喜んでいる。
なおかつ仕事はまったくできないのだから、貴族でなければ今頃どんな暮らしをしていたのか、ティナには想像もできなかった。
呆れ顔で彼女は封書を手に取ると裏返した。そこには綺麗な字で女性の名が書かれている。家名までついているところを見ると貴族なのだろう。
「燃やして」と言われたからと言って、他人宛ての手紙を本当に燃やすことなど出来ない。
ティナがもう一度口を開きかけた時、だがモーラウは自分から補足した。
「僕の婚約者なのですよ。ですが、いつもギャンギャンと煩い娘でしてね。どうせ戻ってきてさっさと結婚しろとか書いてあるんでしょう」
「丁度いい相手じゃないですか。貴方、罵詈雑言好きでしょう」
「何を言うのですか! 的確かつ冷ややかに罵られることと、纏わりついてくる子犬に吼えかけられるような文句では天と地ほどの差が……」
「知るか変態」

ラジュが普段生活のほとんどを過ごしている砦から、馬で三十分ほど南東に下ったところにレカントの街はある。
広い街道沿いにあるこの街は旅人も多く立ち寄り、夜でも賑わう国内有数の街の一つだった。
青い空の下、人通りの多い街の雑踏をラジュは何人かの同僚と共に足早に歩いていく。彼の頭には小さな黒猫がちょこんと座っていた。
三人の部下の後ろからのんびりついて来る部隊長のデファスは、欠伸をしながら前を行く兵士たちに声をかける。
「今日は何処に行くんだ?」
「美味しい食堂があるんですよ。だからまずそこってことで」
「ラジュには後で色んな店紹介してやるからなー」
「結構です」
以前そうやって拘束されて娼館に放り込まれそうになった少年は即座に返した。デファスが喉を鳴らして笑う。
週に一度ある休み、またもや同室の同僚たちに「街に行こう」と誘われたラジュは、「色町には行かない」ことを何度も念を押すと同行に頷いたのだ。
更に今日は昼間からティナが猫で歩いていたので彼女も連れて来た。これで最悪の事態は免れるだろう。最悪というほどではない悪い事態は起こりうるかもしれないが。
「お、ここだここだ」
先を行く男が足を止めたのは、街の中央広場に面している大きな建物の前だった。窓から見える店内は少し薄暗いが人で賑わっている。
「肉が美味いんですよね。酒も安いですし」
男は上官であるデファスを振り返ってそう説明しながら、ふと少年の頭に乗っている猫に気づいた。闇色の丸い瞳を困ったように見つめる。
「あー、猫は……」
連れて入れない、と言おうとしたのだろう。ラジュが自分も気づいてどうしようかと思った時、猫は彼の耳元で「あとで」と囁いた。
そのまま頭から飛び降りるとあっという間に雑踏の中に消えて見えなくなる。
店を紹介した男は、まるで自分の猫がいなくなってしまったかのように驚いた顔をした。
「お、おい、ラジュ」
「大丈夫。後で戻ってくるから」
「賢い猫だな」
連れて来てしまったのは自分なのだから、後で何か埋め合わせをしよう。ラジュはそう思いながら食事をする為に店の中に入っていく。
しかし、彼の予想に反してティナは長い食事が終わって彼らが出てきた時も、そこには戻っていなかったのだ。

「あれ。いない」
きょろきょろと辺りを見回すが、漆黒の子猫はどこにもいない。ただ日が落ちかけた広場に人々が溢れているだけだ。
まさか迷子になってしまったのだろうか。困惑する少年に後ろから同僚の声がかかる。
「ん? 猫か? その内戻ってくるだろ。それより遊びに行くか!」
「行かない」
「そこを何とか。お前はいつも落ち着き払ってて面白みがない」
「人を楽しませるために命は賭けない!」
嫉妬はしないと言い切った彼女だが、わざわざ嫌がりそうなことをしてみようとは思わない。
砦には何人か魔法士たちも配備されているが、彼らと比べても彼女の力が突出していることは明らかなのだ。
普通の魔法士は空中に浮かび上がるだけでそれなりに集中を必要とするようだが、彼女は何の詠唱もなしによくふわふわと浮いている。
第一猫に姿を変えられること一つとっても、彼女は魔法士として充分異質な存在と言っていいだろう。
「俺は猫待ってますから。好きに遊び行ってください」
「女より猫が大事か!」
「そういうこと」
厳密に言えば両者は同じなのだが説明する気はラジュにはない。
彼は「貴族に気をつけろよー」と注意する三人を送り出すと広場に置かれたベンチに腰掛けた。
一体彼女はどこで時間を潰しているのだろう。置いて帰ってしまっても自力で帰って来れるとは思うが、さすがにそれをする気はない。
ラジュは自分の瞳と同じ色の空を何とはなしに見上げた。

彼が思わず立ち上がったのは、広場でティナを待ち始めてから十五分程経った時のことだ。
どこか遠くから爆発音が聞こえた気がして、ラジュは反射的に意識を研ぎ澄ます。
周囲を見回したが、もとから人が多くざわざわと騒がしいせいか、今の音に気づいた人間は他にいないようだった。
「ティナ……?」
彼女の名を呟いたのは、常々彼女が「砦破壊しますよ」と言っていたからだ。まさか彼女はあの調子で何かに関わったのではないか。
様子を見に行こうか、それともここで待っていようか彼は迷う。だがそんな時、背後から女の声で話しかけられて彼は振り返った。
「うらないを、しない?」
「占い?」
見るとそこには一人の少女が立っている。年はラジュより少し上だろうか。
白金の髪に蒼い瞳。上質の陶器人形のように繊細な美しさを持つ彼女は腕の中に花束を抱えていた。
服の色も相まってか少女は全体的に「白さ」を感じさせる。彼女はじっと彼を見上げると、もう一度同じ言葉を呟いた。
「うらないをしない?」
「あー……いらない。ごめん」
そう言ったものを彼は信じていないのだ。だが断りの言葉とは関係なく、少女は彼を見たまま口を開く。
「あなたはとても強い光を放ってる。だけどもうすぐ危機が訪れるでしょう。身内の裏切り、遠くからの意思……」
「ちょ、ちょっとちょっと! 要らないから!」
押し付け占いで、しかも「裏切り」とは物騒この上ない。少女の言葉を留めようと彼は慌てて手を振った。
だが彼女はその手をまったく無視して更に続けようとして―――― 不意に止まった。蒼い瞳が大きく見開かれる。
「ひょっとして、あなた……ティナーシャの男?」
「え?」
聞き覚えのない名前。だが、その名は彼に規格外の魔法士を思い出させた。ラジュは何故か嫌な予感を覚えながらも聞き返す。
「ティナーシャってティナのこと?」
白金の少女は少し首を傾げた。彼女は持っている花束に視線を移すと、ぽつぽつと呟く。
「彼女は青い月。玉座になき女王。相反する者に嫁いだ女。変質した……」
「わあああああああああ!! 待った!!」
叫びながら飛び込んで来たのは黒髪の女だ。彼女はどこから現れたのか少女の口を押さえて拘束すると、顔を引き攣らせながらもにっこりと笑った。
「ひ、久しぶり、カサンドラ」
対する少女はもごもごと答える。口を塞がれているのだから仕方ないが、察するに「ひさしぶり」と答えたのだろう。
ティナは目だけは笑っていないというか、かなり焦りが窺える表情で続けた。
「積もる話があるようなないような、やっぱりないです。だから余計なことは言わない! いいですね!」
占い師の少女はこくりと頷く。ティナはほっと安堵した顔でようやく手を放した。
カサンドラと呼ばれた彼女は改めて、ティナに向って顔を上げる。
「百年ぶり? ティナーシャ」
「余計なこと言うなって言ったのに!」
美貌の魔法士はそう叫んで頭を抱えたが、既に手遅れだった。

夜の空を紅い巨大なドラゴンが飛んでいる。その背に座る少年は、向かい合って正座している女をじろりと一瞥した。
「連れて来たのは俺なのに、置き去りにしてごめん」
「いえ……、連れて来てくださってありがとうございました」
お互い言いたいことは別にあるのに、まずは周りを固めている。そんな不自然な会話は長くは続かなかった。
ラジュは細く息を吐くと、本題を口にする。
「本名はティナーシャっていうの?」
「まぁ、はい。そうです」
「年を取らないとは聞いてたけど、百歳以上なんだ?」
「老人ですみません」
「別にそれはいいけど」
ティナーシャは顔を上げる。その闇色の瞳に無性に腹立たしさを覚えて、ラジュは目を逸らした。
あの占い師の少女(といっても彼女も百歳以上のようである)はティナーシャの旧知の人間だったらしい。
色々気になることを言っていたが、あれ以上詳しくは聞けなかった。詳しいことを知りたいと思ったラジュを、ティナーシャはあの場から引き剥がしてドラゴンに乗せてしまったのだ。そして、上空を行くドラゴンの上で何故か彼女は自主的に正座をしている。そういう状況だ。
「嫁いだ女って言ってたけど……結婚歴があるんだ?」
「うぐ」
妙な呻き声を上げてティナーシャは口ごもった。言外の肯定に少年は眉を顰める。
長く生きている女なら過去に何があってもおかしくない。ましてや彼女ほどの美女ならば引く手数多だっただろう。
だが、それは分かっていても彼は何だか苛立たしさを感じて仕方なかった。
自分だけが特別なのだというようなことを彼女は散々言っていたのに、そうではなかったのだ。
その微笑を、愛情をかつて向けられた男がいた。彼女を妻として傍に置いていた人間が別にいたのである。ラジュは白い眼でティナーシャを見た。
「その相手、今どうしてるの? 何でそいつのところにいないの?」
「えーと、どうしているかというと非常にお答えしにくいのですが、九十年前に一度死別しました」
「九十年」
「老人ですみません」
「それは別にいいから」
九十年は長い。ぱっと想像できないくらい昔のことだ。
だがそうではあっても、彼女が確かに誰かの妻であったこともまた事実なのである。
一度そのことを知ってしまうと、今までの重い愛情の言葉さえ疑わしく思えてきてしまう。
自分が狭量であることをラジュは自覚していたが、それを全て飲み込むには彼は若かった。
「っていうか、一度結婚したことのある人間が何で年下に絡んで結婚迫ってるの」
「うぐ」
「初対面からべったりだし。俺、そんな好かれる心当たりがないんだけど。今までのことって冗談?」
ラジュは自分の何倍生きているのか分からない女をねめつける。
冗談のはずがない、と思う自分もいるのだが、一目惚れをされるような覚えがないのもまた本当だった。ティナーシャは頭の上に重石を乗せられたかのよう に項垂れる。けれど彼女は肩を落としながらも顔を上げ直すと、彼を真っ直ぐ見つめた。
「怪しいかもしれませんけど、冗談ではないですのでそこは疑わないでください」
「怪しい」
「でも愛しています」
息を止める一言。
ラジュは正面から突き飛ばされたような気がして、思わずたじろぐ。
ティナーシャは細い体の中にまるで嵐を孕んでいるように見えた。夜よりも深い闇がそこには広がっている。
「信じてください。もし私が、別の私であったとしても、何も知らぬまま今の貴方に出会ったとしても、私は貴方を愛したでしょう。
 強くあろうとする貴方が好きです。曲がらない芯と人を思える心を持っている貴方が。
 貴方に向ける思いに偽りは一つもない。たとえ貴方が私を選ばなかったとしても、私は永遠に貴方のものです」
何も言えない。
ラジュはただ言葉を失くして沈黙する。
いつも彼女はたった一言で彼を射抜いてしまうのだ。そこに嘘がないと分かるからこそ否定できない。
そしてだからこそ、彼は彼女に惹かれ続けている。もうずっと前に、初めて出会った時から。

ティナーシャは正座を解くと彼に抱きついてきた。ラジュは数秒の間を置いて彼女の頭を撫でる。
「あー……ごめん。意地悪言った」
「貴方はいつもつれないからいいです」
「だって怪しいし。まさか百歳越えてるとは思わなかった」
「うう」
ずっと昔には永い時を生きる魔女が実在していたらしいが、彼女も似たようなものなのかもしれない。
だがそれもどうでもいいことだろう。ラジュにとって彼女は今の彼女でしかないのだから。
「何か何もしてないのに疲れたよ。猫を洗いたくなった」
「やですよ! 猫で濡れると何か凹むんです!」
「別にティナを洗うとは言ってないけど……。動物洗うとすっきりしない?」
少年の問いかけに彼女は体を離す。そして得体の知れない女は、彼を見上げて小さく吹き出すと「貴方はそうでしょうね」と笑ったのだった。