双頭の蛇 07

mudan tensai genkin desu -yuki

自分の皿に盛った料理へと少年は半ば義務感で手を伸ばした。櫛に刺さった肉の詰め物を手に取る。
まるで親の仇を見るように食べ物を睨む彼に、向かいに座ったデファスは眉を上げた。
「どうした。難しい顔して」
「いえ、ちょっと……」
「悩み事か? 珍しい。言ってみろよ」
デファスは自分も食事をしながら促す。ラジュはそれでも言いにくそうに押し黙っていたが、再三問われるとついに口を開いた。
つまり「過去に結婚していた女性のことをどう思うか」ということを。
「過去に結婚していたって……幅が広すぎるぞ。それ言ったらお袋さんだってそうだろうよ」
「確かに。……そうじゃなくて、そういう女性の過去のことってどう対応すべきなのかな、と。
 気にしない方がいいとは分かるんですが、考えると無性に腹が立つというか……」
「お前、そんな年上と付き合ってんの?」
意表を突かれたらしいデファスの問いに、ラジュは我に返ると慌てて「付き合ってない」と訂正した。その表情をデファスは疑わしげな目で眺める。
「何で腹が立つの? 比べられたりしたか?」
「そういうわけでは」
「お前って結構独占欲強いのな」
あっさりとした結論を呈されてラジュはがくりと頭を落とした。
独占欲と言われたら反論したい気もするが、心が狭いとは自分でも思う。何しろ九十年も前のことで、相手は既に死んでいるのだ。
だがそれでも、まるで精神に巣食う虫食い穴のようにその事実は彼を落ち着かない気持ちにさせてしまう。
或いはそれは、彼が常々心の奥底で気にしている自分と彼女の釣り合わなさ、自信のなさがそうさせているのかもしれなかった。
「で、誰と付き合ってるんだ?」
「付き合ってません」
きっぱり言うとデファスは残念そうに肩をすくめる。やがて部下より早く食事を終えた彼は
「年上の女に騙されるなよ」
と笑って忠告すると食堂を出て行ったのだった。

ティナーシャはくずかごに捨てられていた手紙を拾った。裏返すといつの間にか見慣れてしまった名前が書かれている。
彼女はくるくると手紙を回すとモーラウに向ってそれを投げつけた。
「いい加減開けなさい。十通目ですよ」
「読みたくないものを開ける必要がどこにあるのです」
「駄々っ子か!」
モーラウは書類の山を積み上げながらにやりと笑った。
どうにも彼が無能すぎて仕方がないので、ティナーシャは代わりに仕事をやってやるのではなく、彼に仕事のやり方を叩き込むことにしたのだ。
「政略結婚は貴族の義務のうちですよ。今まで無能のまま安穏と暮らしていたんですから、諦めて結婚なさい」
「だから無能じゃなくなろうと努力しているではないですか、ティナさん。結婚してください」
「寝言は寝て言え」
即答するとティナーシャは仕方なく床に落ちた手紙を机の引き出しに放り込んだ。そこには今までの十通が全てしまわれている。
それらの封書を見やって彼女は嘆息した。
「まぁ……いつかは見なさい。とりあえず今は仕事。貴方は人の三倍やらないと覚えないから頑張りなさい」
「もっと率直に言ってください!」
「さっさと取り組め馬鹿者」
途端に嬉々としてペンを取る男に彼女は心底疲れた顔になる。そのまま引き出しを閉め、モーラウのところに戻った。
次第に苛烈になっていった手紙の内容。その内容を知る者は差出人以外は誰も知らない。分からない。
無理矢理にでも開けて読ませればよかったとティナーシャが思うのは、少しだけ先のことである。

独占欲が強い、と生まれて初めての指摘をされたラジュは、表面上はいつもと変わらず日の落ちた砦の廊下を歩いていた。
今まで意識したことはなかったが、そうなのかもしれない。
確かに一度ティナーシャが、モーラウと一緒にいるところを遠目から見た時、非常に面白くない気分になったのだ。
だがその時はまさかその不愉快さが嫉妬などとは思わなかった。何しろモーラウは彼女に罵られながら紙屑を幾つもぶつけられていたので。
ただ、紙屑をぶつけられている本人は非常に嬉しそうだった。だからこそ彼は微妙なむかつきを覚えて、その場を後にしたのである。
もし将来彼女と結婚したなら、非常に嫉妬深い夫になってしまうかもしれない。そんな心配を抱いて少年は角を曲がった。
「ラジュ」
声と同時に飛びついてくる女を、彼はいい加減慣れた仕草で受け止める。
本当は彼の反射神経なら避けることも出来るのだが、それをすると余計彼女はむきになってしまうと経験で知っているのだ。
魔法で四肢を拘束されるなら素直に受け止めた方が若干ましだ。少年は首に巻きついてきた白い両腕を解くと彼女を床に下ろした。
「頼むから普通に話しかけて欲しいんだけど」
「そうすると触らせてくれないじゃないですか」
「当たり前」
そのまま廊下を歩き出すと彼女は横をついてくる。誰かに見られたらどうするのかというくらいティナーシャは平然と話しかけてきた。
「ラジュ、お仕事はもう終わりですか?」
「一応。夜番はないし」
「なら遊びに行きませんか。海にでも行きましょう」
「行かない」
実を言うと海を見たことのない彼は、その誘いに心揺らぐものがないわけではない。だが、ここで一を飲んだらなしくずしに十まで飲まされそうなのだ。
いつも通りに拒否の言葉を口にすると彼女は非常に残念そうな顔になった。
「あんまりつれないと砦破壊しちゃいますよ」
「絶対やめろ。脅迫禁止」
「こういうのって駆け引きって言わないんですか?」
「脅迫以外の何ものでもないから」
不服そうに口を尖らせた女は、けれど少年の顔を見上げて目を丸くする。
「ひょっとして……機嫌が悪いんですか?」
「そんなことない」
「うーん?」
ティナーシャの黒い瞳が自分をじっと見つめてくることにラジュは居心地の悪さを感じた。それはまるで心を見透かしてくるような目なのだ。
彼は彼女から視線を逸らして横を向いた。窓の外に輝く月が視界の隅に見える。
「―――― じゃあ、遊びに行きます?」
「行かないって」
「いえ、海にではなく」
彼女は少年の手を引いた。それにつられて彼は足を止める。まるで得体の知れない闇のような女を見返した。
「少し、私と遊んでみませんか? お相手しましょう。気分転換になるかもしれません」
女の手の中に短剣が現れる。それを軽く掲げてみせる彼女に、ラジュは目を丸くしたのだった。

「こういう試合をするのは随分久しぶりです」
砦近郊にある平原。そこに距離を取って向かい合った二人はそれぞれ自分の持つ剣を確認していた。
訓練用の剣を選んだラジュは、短剣と細身の長剣の二本を持っている魔法士を見やる。
「っていうか、剣使えたんだ」
「貴方ほどではありませんが一応。変則ですけどね」
「魔法は使うの? 俺、対処の仕方分からないんだけど」
「攻撃には使いません。身体強化には使わせてくださいね。じゃないと五分にもならないんで」
「分かった」
身のこなしに危なげがないと思ったことはあるが、彼女が剣を持ったところを見るのは初めてだ。
おまけに双剣。手合わせをしたことがない種の相手に、いささか緊張がある。ラジュはもう一度剣を握り直すと顔を上げた。
「いいよ。いつでも」
光源は青白い月だけだ。影ばかりが目立つ夜の中、ティナーシャは微笑む。
「ではお言葉に甘えて―――― 行きます」

草原を軽く蹴った女は、恐ろしい速度で彼の懐に飛び込んできた。
左の短剣を振るって心臓を狙ってくる。それをラジュは剣の柄で弾いた。彼女の首を凪ぐように手首の力だけでそのまま剣を滑らせる。
ティナーシャはしかしそれを長剣で下に受け流した。半身になると一歩を踏み込む。彼女は迷いなくもう一度短剣の切っ先を上げた。
至近から死角への攻撃。普通の人間ならここで終わっていただろう。
だが彼女が短剣を突きこんでくる直前に、ラジュは左足を軸に向きを変えて彼女の側面に回った。
下から剣を切り上げると、ティナーシャはそれをぎりぎりで屈んで避ける。崩れかけた体勢に彼女は短剣を持った左手を草原についた。
隙を逃さず打ち込まれる剣を長剣で受けると、彼女は一拍の間を置いて後方に転移する。
一瞬で剣の届かない場所まで下がった女に、ラジュは呆れた顔になった。
「―――― 転移ありなの?」
「すみません。予想以上だったんで……つい」
「そりゃ一応兵士だし。もうやめとく?」
「いえ。やらせてください。ちょっと……本気になります」
聞き間違いかと思った。少年は眉を顰める。
だが、月下に見える女は僅かにも笑っていなかった。闇色の瞳が夜よりも深く沈んでいく。
そこに、紛れもなく「人を殺す者」の威を嗅ぎ取った彼は息を飲んだ。無意識のうちに改めて剣の柄を握り直す。
交差する意志と白刃。そして彼は、今まで知らずにいた彼女の一側面に触れたのだ。

たとえば、彼女が年上であったこと。
誰でも望んだ男を振り向かせられる程の美貌の持ち主であったこと。
底知れない力を帯びた魔法士であったこと。
過去に誰かの妻であったこと。
まるで欠片の、だが無視できない一つ一つに思えば不安を抱いていたのだろう。
どれほど愛情を向けられていても受け入れられない。
彼女にとって自分が「ままならない相手」である以上の価値があるとは思えなかったのだ。
だけど彼女はそれを違うという。むしろ他の誰でもなく、彼だけが特別なのだという。
それだけが真実であるかのように、彼女は彼に向かってくる。
彼だけに笑って、甘えて、拗ねて、怒って。
そして彼が特別であるからこそ―――― こんな顔もたまには見せるのだ。

「完っ敗……」
草原に投げ出された彼女は上がってしまった息の中からようやくそう言った。
その姿を自分も肩で息をしながらラジュは見下ろす。
本気を出すと言った彼女の剣は、一撃一撃は軽かったものの、対応し切れないほどの速度で間断なく攻撃を重ねてくるものだった。
変則と言っただけあって、体術混じりで死角を狙ってくる攻撃に、彼は何度もひやりとした思いを味わわされたくらいだ。
けれど彼は結局彼女を退けた。力を以って短剣を彼女の手から弾き飛ばし、武器のなくなった左手を取って彼女を投げたのだ。
まさか投げられるとは思ってみなかったらしく、ティナーシャは「ぎゃ」と猫のような悲鳴を上げたが、怪我をするほどではなかったらしい。
むしろ疲労の為か、今でも草の上に転がっている有様である。
「間合いが同じくらいだからいい勝負できるかと思ったんですが……駄目ですね」
「身体強化ってどれくらい影響してるの? ちょっとありえない速度だったんだけど」
「ありえないって貴方対応できてたじゃないですか……。私の剣の師を基準に強化したんですよ」
「生身でそんな速度の人間がいるんだ……」
「もう死んでます」
ティナーシャはようやく体を起こした。草原に座るとラジュを手招く。彼は深呼吸すると隣に座った。
「というか、十五歳の貴方に負けるってとてつもなく凹むんですが。私、年を経るごとにひょっとして弱くなってますか?」
「昔を知らない。でも攻撃魔法がなかったからじゃないの」
「あー。なるほど。でも貴方も普通の剣ですからね」
分かるような分からないような感想を終えると、ティナーシャは自分の剣をどこかに消してしまった。ラジュの隣で夜空を見上げる。
「勝てたら結婚を申し込もうと思ったのに台無しです。ひどい」
「負けたら俺こそ凹むんだけど」
「ぐうう。年の差何歳あるかばらしたい!」
ティナーシャはラジュの呼吸が戻ったことを確認すると、膝の上に乗ってきた。ふてくされたような目で彼を見上げる。
「まったく、非常に、残念です。でも勝ったのは貴方ですから、お願いを一つ聞きますよ。結婚とか」
「何で勝っても負けても結果が同じなの。じゃあ俺のお願いは今後絶対砦を破壊しないこと、で」
「む、難しい! けど、頑張ります……」
「難しいのか……」
彼がまとめてあった女の黒髪に指を差し入れると、それは自然に解けた。一房を取って指を滑らせる。
少し前までの鬱屈とした気持ちが今はない。体を動かした為か、それとも彼女に勝った為かは分からないが、不思議と気分は悪くなかった。
ラジュは女の頭を撫でながら苦笑する。
こうやって少しずつ自信をつけていくのだろう。或いはこれが大人になるということなのかもしれない。
一つずつ懸念を消すように歩んでいく。その隣にきっと彼女はいつもいてくれるのだ。
少年は膝に抱いた女の頬に口付ける。ティナーシャは一瞬きょとんとして―――― 次の瞬間、彼を押し倒さんばかりに飛びついてきた。
「何で! 何でですか! すごく嬉しいんですけど! 結婚してくれる気になったんですか!」
「なってないなってない。さ、帰るか」
「え、ちょっと、待ってください」
首に彼女を巻きつかせたまま、ラジュは立ち上がると草原を歩き出す。
青白い月の下、彼ら二人の影は長く草原に伸びていたのだった。