双頭の蛇 11

mudan tensai genkin desu -yuki

おかしいと、ラジュが気づいたのはかなり早い段階においてのことであった。
予定よりも人数が多い。少し増えたという表現では済まされないくらい。ラジュは前にいるデファスに声を潜めて話しかける。
「人が多いですね。変更があったんですか」
「ああ。上から変更指令があったみたいだ。城砦内の三分の二が来ている」
「不味くないですか? それって」
「上の考えることは分からんさ」
彼らが所属している城砦は、辺境ではあるが近くの国境を越えて侵略があった場合、それを真っ先に食い止める場所にあるのだ。
にもかかわらず演習で全体の半数を越える兵力を動かしてしまうなどどうかしている。他国に情報が洩れでもしたらどうするのか。
ラジュは草原の向こうに小さく見える城砦を振り返る。
やっぱり彼女を連れてくればよかったと、そう思ったのは出立してから三十分が経った頃であった。

「よし、今日はここまで」
「本当ですか! いつもより十三時間早いですけどいいんですか! 今日は徹夜で冷水浴びせられながら勉強しなくても寝ていいんですか!」
「寝るな」
無情にも言い渡すと、モーラウは「うひゃひゃひゃ」などとおかしな声を上げて笑い始めた。喜んでいるのか壊れているのか分からない。
ティナーシャは教本として使っている本を片付けながら、窓越しに中庭の訓練場を示す。
「もう来ます。貴方は何があってもこの部屋を出ないように。結界張っておきますからね」
厳しいという程ではないが、よく張った声にモーラウは笑いを収めた。真顔で彼女を見返す。
「ティナさんはどうするんですか」
「外に。私の王が砦を守るよう望んでいますから」
「エズル殿下ですか?」
それは、現在城都で側室の子と玉座を争っている軍人気質の王子の名だ。ティナーシャはあからさまに嫌そうな顔になる。
「何故私が。私を従える男は後にも先にも一人きりですよ。―――― この大陸に彼以上の王はいない」
声だけを残して、彼女は部屋から消えた。モーラウはその姿を追って立ち上がる。
高い窓から見下ろせる中庭では、その時確かに異変が起き始めていたのだった。

軍事に優れた王子と、内政に優れた王子。
共に国を守ればよいと、人は思う。だがそうならないのも王家の常。
側室の子は自身の才を使い、裏から手を伸ばして諸侯の力を強め、少しずつ王家の兵力を弱めていく。
経済を成長させ商人の力を増し、平和の時代において無為な軍人を追いやろうと画策する。
そうやって国を変えようとしているのだ。軍に身を置く正室の王子の力を削ごうとしている。
対する王子もまた必死だ。国は一国だけで完結しているわけではない。勢力が崩れれば他国がそれを狙ってくる。
僅かな隙が命取りだ。今はもう大国と言っても、それ程他と差があるわけではないのだから。
―――― 勝手にやっていればいい。それで国の寿命が延びようとも縮もうとも。
ティナーシャは城壁の上から中庭を見下ろす。そこには今まさに、巨大な転移陣が描かれつつあった。

この城砦における魔法士の仕事はいくつかに分類されるが、そのうちの重要な一つが結界の保持である。
城都などは人がいなくても結界が保たれるよう大規模な陣を描いてあることの方が多いのだが、城砦全部まではなかなかその手が回らない。
この砦もそういったものの一つで、砦の結界は陣が七割を担い、残りを魔法士が交代制で保持していた。
ミラードと前後して少しずつ砦に送り込まれてきた魔法士たちがどこまで真実を知っているのか、ティナーシャはそれを問題にしていない。
ただ見守る彼女に気づかぬまま、魔法士たちは定められた手順のもとに転移陣を描き続けていた。
「急げ。そろそろ時間だ」
「待て……もう出来る」
危険な仕事。だがそれに見合った報酬は約束されている。彼らは苦心の末、中庭いっぱいに転移陣を完成させた。
戦時において軍の移動などに使う大規模転移陣。
本来ならば城砦の結界によって制限されるそれも、今は結界が不完全である為、完成と共にゆっくりと光を帯び始めていた。
指定された座標に向って門が開かれる。
鎧の鳴る音。押し殺した人々の声。鋭く抑えられた殺気。
広い空間にそれらが次第に満ちていき―――― 役目を終えた門が閉じられた時、そこには完全武装した千二百の軍勢が侵入していたのだった。

かつて五大国と謳われ、暗黒時代を終焉に導いた五つの強国。
そのうちの一つが滅び、最早五大国と言われなくなった現在でも、長い歴史を持つ国の威光と名声を妬む国は少なからず存在していた。
数百年もの間メンサンに押さえ込まれていた隣国バルシアもそのうちの一つである。
バルシアは内偵をメンサンに放ち、王の後継者争いを横目で見ながらずっと好機を窺っていた。
まずは国境に近い砦の一つを、次に街道を、攻め落とし手に入れるその時を。
力や領地を少しずつメンサンから削り取り己のものとして、やがて勢力を逆転させる。
その最初の一手が今となったのは、「演習で兵の大多数が城砦を空ける日」が、情報としてもたらされたからだ。
一月前にもたらされたその情報に、バルシアは信憑性は高くないと思いつつも城都に潜入させていた魔法士を徐々に目的の城砦に移した。
そして、情報通りついにその日はやって来たのだ。

「敵兵だと!? こんな時にか?」
「た、確かに。急いでください! 押されています!」
「門は閉めてあるのだろう! 弓兵を城壁へ……」
「いえ、中にいるのです! やつらは砦の中に!」
信じられない報告を前に、砦に残留していた将軍は絶句する。それは敵に致命的な先手を許したことを意味しているのだ。
城砦は外への力を誇るもので、一度侵入されては途端に対処は困難になる。迎撃の指揮を取りながら彼は兵士たちに命じた。
「魔法士たちに演習軍と連絡を取るよう命じろ! 今すぐにだ!」
言われるまでもない命令に兵士は飛び出していく。だが、この時彼らはまだ知らなかった。
砦内の魔法士が既にバルシアの支配下に置かれてしまっているのだということを。
だから、城砦外に異変を知らせたのは魔法ではなかった。
もっと単純で古来から伝わる、それは一筋の煙であったのだ。

中庭から城砦内へと踏み込んだバルシア兵は、狭い廊下での応戦を選び数の差を補っていた。
残っているメンサンの兵はおおよそ三千。
しかし建物内ではその数は効果的に動かせるものではなく、更にバルシアの魔法士たちが次々と小さな門を開いて増援を呼び込んでいる。
不意を突かれたことといい、メンサンの戦況は思わしくなかった。
バルシアの目的は砦のすみやかな制圧と、その情報をぎりぎりまで外部へ洩らさないこと。
だからこそ外と連絡を取り得るメンサンの魔法士は、既に最初の転移陣が完成する前に送り込まれた魔法士たちによって捕縛されていた。
血に濡れた剣を構えながらバルシアの兵は、中へ中へと応戦する兵士たちを押し込んでいく。
だがその時、一人の兵が窓の外を見て叫び声を上げた。
「隊長! 狼煙が!」
「あれは……城壁に人がいるのか! 魔法士と弓兵に殺させろ! 火を消せ!」
城壁の見張り兵はまっさきに弓兵に殺させたはずだ。だが生き残りがいたのだろう。
今、演習軍に戻ってこられては不味い。まだ制圧が済んでいないのだ。
命令を受けた魔法士たちは城壁の上へと駆けつけた。煙と、その傍に佇んでいる人間に狙いを定める。
それが、彼らの最後の記憶だった。

「何ていうか、原始的ですよね。暗黒時代を思い出します」
ぼやいてはみたものの相槌を打ってくれる人間はいない。モーラウでも居ればまた違ったのだろうが。
ティナーシャは火をつけた大量の藁をやる気なく鉄の棒でかき回しながら欠伸をした。眠そうな目で城壁を走ってくる魔法士を眺める。
彼らはティナーシャを見つけると構成を組んだ。それで彼女と狼煙を共に吹き飛ばそうというのだろう。
彼女は面倒くさげに伸びをすると彼らに向かって右手を掲げる。 白い指を軽く弾いた。
詠唱も何もない。それだけの仕草。それだけで、不可視の衝撃波が石の通路を走り抜ける。
圧倒的な速度に直線上にいた人間は断末魔の叫びもなく吹き飛ばされた。後には僅かに血の臭いだけが漂う。
それを確認する気もないらしく、ティナーシャはもう一度欠伸をすると火のついた藁をそのままに城壁の上から姿を消した。

あげられた狼煙について演習軍に連絡が入ったのは、彼らが砦を出てから三時間程経った時のことだ。
目的の山の麓に到着しかけていた軍は、見回りの兵士からの連絡を受けて足を止める。
「狼煙が? 魔法で連絡は取れないのか?」
「それが反応がありませんで……。いかが致しましょう、ミラード将軍」
予想だにしなかった事態に指揮官である男は歯軋りした。だがここで留まっていても何にもならないだろう。
何かが砦で起きているのだとしたら、それを確かめて対処せねばならない。
推察ではあるが、「何か」は砦の軍の大半が離れるこの時を狙っていたのだろうから。
彼は行軍に伴ってきた魔法士たちを集めると、城砦内に転移門を開くよう命令した。
だが、それもすぐに不可能だと返ってくる。どうやら何者かの力に妨害を受けているらしいのだ。
「それならば、どこまで近くになら門を開ける!?」
「城壁の外にならば……」
「それでいい。第一隊から第五隊までは転移門で、残りは馬で砦に戻る! 今すぐにだ!」


『国を出ない』と、そう何度となく言った時に彼女は何を考えたのだろう。
彼だけを大事にする彼女は、本当は彼を連れ出したかったに違いない。戦乱が起きるかもしれない国の砦などからは。
けれど彼はそれを拒否した。そしてその決定を彼女は変えられなかったのだ。
彼に無理強いすることも出来ない彼女が出した結論は――――


第二隊に所属していたラジュは突然の命令変更を受けて険しい表情になった。今は遠すぎて見えない砦の方角を見やる。
「敵襲? ですか?」
「どうだろう。違うといいとは思ってるが。まぁ気楽に行こう」
緊張する部下を思ってか、デファスはそう言って笑う。
しかしその時少年の頭を占めていたのは、実戦への緊張ではなく、砦に残っているはずの一人の女のことだったのである。